2011年1月 4日 (火)

連続ツイート 東西の笑い

しゅりんくっ! ぷれいりーどっぐくん、おはよう!

すごいっ! 生まれて初めて、今日は新聞休刊日だと起きた時に思い出した。いつも、新聞受けまで行ってから、「あっ、今日は休みだった」と思い出すのである。

東西(1)子どもの頃から、寄席好きの父や祖父に連れられて通ったのが、ずいぶんといい訓練になったように思う。寄席の段取りが、身体に自然に染みついている。大学生になって、なんばグランド花月に行って、東西の笑いの違いが面白かった。

東西(2)東京の寄席では、「落語」が本流で、「漫才」や「曲芸」、「手品」などは「色物」となる。ところが、なんばグランド花月では、逆に漫才が本流で、時々出てくる「落語」が「色物」のような感じになる。

東西(3)東京の寄席では、最後に出てくる落語の「真打ち」がその日の一番の呼び物で、本格的な噺を30分くらいたっぷりやる。一方、なんばグランド花月では、休憩の後にやる「新喜劇」がメインの演し物。こっちもたっぷりやる。

東西(4)東京の寄席で「外国人」が出てくることはまずないが、なんばグランド花月では、途中で必ずロシアや中国などの芸人が出てきて、パフォーマンスをやるコーナーがある。

東西(5)落語のやり方が違う。東京の寄席では、座布団を敷いて、その上に落語家が座るだけ。それに対して、なんばグランド花月では、落語家の前に台が置かれて、ときどきポンポンとそれを叩く。

東西(6)東京の寄席でしびれるのは「渋み」「いぶし銀」の芸かも知れぬ。林家彦六などは、本当に渋かった。弟子にアーモンドチョコレートをもらって、「なんだい、こりゃあ。中に、種があるじゃないかあ」

東西(7)なんばグランド花月でしびれるのは、芸人の凄みかもしれぬ。一度、西川きよしさんが舞台でやった噺にはしびれた。高齢になった自分の母親がお漏らしをする、というその素振りを捨て身でやっていた。生きざまを見た。

東西(8)なんばグランド花月のある「ミナミ」のあたりは、東京で言えば浅草に似ている。しかし、浅草が最近落ち着いてしまっているのに対して、爆発的活気では、「ミナミ」の方が上かもしれぬ。

東西(9)東京の寄席が、どちらかと言えば「伝統芸」の殿堂という感じになっているのに対して、なんばグランド花月の方は、その中に何でも入れ込める「幕の内弁当」のような印象。両者の特質が、これからますます輝くことを祈りたい。

以上、新聞休刊日に東西のお笑いについての連続ツイートでした。

(2010年12月13日、
http://twitter.com/kenichiromogiにてツイート)

1月 4, 2011 at 09:50 午前 |

連続ツイート 田森佳秀

しゅりんくっ! ぷれいりーどっぐくん、おはよう!

田森(1)今日は、私の親友、田森佳秀(@Poyo_F)について、お話しようと思います。最近会えていないから、さびしいんだよね。今、田森とは、国境紛争のシミュレーションをしています。田森は金沢にいる。

田森(2)田森は、「人の数よりも牛の数の方が多い」北海道豊頃町出身。小学校のある日、学校に来たら、みんながわーわー騒いでいる。どうしたのか、と思ったら、タレントのタモリがデビューしたのだった。それ以来、田森は「ハードボイルドな人生が送れなくなった。」

田森(3)田森は、数学のサヴァン。ある時、とても複雑なバラの折り紙を作った。電車の中で、「あれは何回折るの?」と聞いた。黙っているので外でも見ているのかな、と思ったら、一駅行ったところで「84回」と答えた。

田森(4)田森は夕方5時から数学の計算を始めた。終わったら、午後8時までやっている大好きなカレー屋に行こうと張り切った。やっと終わって、時計を見ると7時。やった! と思って下宿のドアを開けると何かヘン。雀が鳴いて、さわやかな空気。何と朝の7時になっていたのだ。

田森(5)ある時、豊頃町の福引きでシャケのつかみ取りをすることになり、「何匹一度につかめるかやってみろ」と言われた。田森はいろいろ工夫して、まるシャケの頭をなぐって気絶させ、脚の下に二匹、両脇に二匹ずつ、顎の下に一匹、計七匹つかめることを「発見」した。

田森(6)別の年の福引きでは、100円玉のつかみ取りをした。「何個つかめるか、やってみろ」と言われて、田森はいろいろ工夫。まずは硬貨を指の間に挟み、グローブのようにしてそれからすくうと沢山とれることを「発見」した。ただし、取りすぎると穴から手が出ない。

田森(7)田森は、小学校の先生に「東京に行くと秋葉原がある」と言われて、夢のような場所だと思った。北海道豊頃町にはそんな所はない。田森少年は捨ててあるテレビを拾ってきて、中のコンデンサやトランジスタを分類して使っていたのだ。その「宝物」は、結婚する時に奥さんに捨てられた。

田森(8)北海道の原野で異彩を放っていた田森佳秀。東北大学から理化学研究所に行き、そこで私と知り合う。その後田森は、MITに行ってチョムスキーの下のフロアになったり、Salkで毎週フランシス・クリックと話したりした。どこでも、変人ナンバーワンとしての輝きは同じ。

田森(9)田森佳秀のケースは、人間、どんな田舎でも、またどんな環境でも、情熱と集中さえあれば遠くに行けるということを示している。類希なる友人として、彼のことを尊敬しています。面白エピソードをここに書ききれないのが残念。

以上、私の親友、田森佳秀(@Poyo_F)についての、連続ツイートでした。

田森佳秀 入試でも漢字を書かない男の実在について http://bit.ly/ddMnps

田森佳秀 ひとさし指でツンツン http://bit.ly/bkyxvT

(2010年12月12日、
http://twitter.com/kenichiromogiにてツイート)

1月 4, 2011 at 09:44 午前 |

連続ツイート プロフェッショナル 池上高志

しゅりんくっ! 昨日は久しぶりに池上高志(@alltbl)と話して楽しかった。

前、本当に小学生みたいだったなあ。若いよ! どんどん小学生になってる! @alltbl 昨日の朝カル、ありがとうございました。あれだけ自由自在に楽しく話せたら、誰でも茂木と対談したくなるよね。

プ池(1)(黒ポン)「生命の秘密を解き明かす」。東京大学駒場キャンパス。急ぎ足で歩くその男が、背広を着ることはない。夏ならアロハシャツにジーンズ。その軽快な風貌から飛び出す言葉は、マシンガンのように鋭い。

プ池(2)その男の名前は、池上高志。今、世界中が注目する複雑系の研究者だ。その眼差しが目指しているのは、たった一つのこと。「生命の秘密の解明」(ON)「人間、何歳になっても遊ぶことを忘れたらおしまいですよ。」

プ池(3)(黒地で)「プロフェショナル 仕事の流儀 extra」池上高志。最も東大教授らしくない東大教授と言われる男の、栄光と挫折、そして闘争の物語を追う、ツイッタースペシャル!

プ池(4)東京大学物理学科に進学した池上は思った。「こいつら、みな、素粒子が一番偉いと思っている」。物理学の王道と見なされていた素粒子以外の対抗軸をいかに見いだすか。そこから、池上にとっての挑戦が始まった。

プ池(5)(落ち着いた音楽)いつもアロハシャツで疾走している池上高志。少年時代は、アメリカで過ごした。(ON)「星条旗に忠誠を誓うんですよ。あのとき、自分というものに座標軸を置くことを学んだなあ。」池上が、今でも胸に秘めている思いがある。(黒ポン)「故郷は、地球」

プ池(6)(甲高い声で)「おまえ、やめてくれよ〜」。池上高志は、くすぐられるのが苦手だ。こちょこちょやられると、悲鳴を上げて身体をくねらせる。その姿は、とても、東京大学教授には見えない。(ON)「ギャップ理論ですね。」

プ池(7)池上高志の研究室には、一枚の色紙がある。ノーベル物理学賞受賞、リチャード・ファインマンの手書きのダイアグラム。(ON)「他人の目なんて気にするな! これがファインマンの教え! おっと、髪型ちゃんとしているかな。ムース、ムース!」

プ池(8)池上高志には、悲しい出来事があった。「爆笑学問出たのに、東大の同僚、みんな番組知らないんだよ。TEDも知らないし」。象牙の塔の中で、小学生の活気にあふれる男。一つの信念がある。Artificial Life Larger Than Biological Life.

プ池(9)世界は複雑である。だからこそ、真理はオラクルとなる。人間に理解できるかたちでは、「それ」は転がっていないかもしれない。だからこそ、くねくねと身体をうねらせながら、池上高志は今日も駒場キャンパスを行く。生命の秘密を解き明かすという、大きな夢のために。

プ池(10)(駒場キャンパスの銀杏並木を背景に、池上高志の顔アップ)(甲高い早口で)「徹底的に遊ぶこと、自分と他人が遊べる道具をつくること、遊びに我を忘れて、地上からほんの少し浮遊すること。それがプロフェッショナルだと思います」

以上、「プロフェッショナル 仕事の流儀 extra」twitter version、池上高志についての連続ツイートでした。本物の番組(@nhk_proff)の方も見てね! 
(2010年12月11日、
http://twitter.com/kenichiromogiにてツイート)

1月 4, 2011 at 09:39 午前 |

連続ツイート 批評

しゅりんくっ! ぷれいりーどっぐくん、おはよう。

ヤクルトからコーヒーへの、黄金のリレー、完成。

批評(1)批評(criticism)は、良いものをつくる上で欠かせない。そうして、批評精神こそ、日本に最も欠けているものの一つではないか。

批評(2)映画や小説などの商業的成功と、その批評的成功は全く別のものである。とくに映画については、日本では真摯な批評がなされているケースをほとんどみない。結果として、良質な作品をつくるというマグマが失われてしまっている。

批評(3)よい批評は、制作者への愛と矛盾しない。ブツをつくることが大変なくらいわかっている。いくら目指しても、うまく行かないこともある。しかしだからこそ、良いブツをつくることの大切さを確認したい。批評とはそんな試みだ。

批評(4)最高の批評の一つは、自分が動くこと。キュレーターの長谷川祐子さんが言っていた。「これは違う」「これは違う」「これは違う」「ここにあった!」自分の「ここにあった!」に出会うまで、動き続けること。

批評(5)キアロスタミに出会ったときは、やられたな。『桜桃の味』のラスト。あんな手があったとは思わなかった。それまでの映画が、すべて古く見えるような衝撃。そんな「ここにあった!」に対しては、命がけで賞賛するよ。

批評(6)ネットの上でも、「ここにあった!」がある。最近ではウィキリークス。国家とは何か、情報の意味とは何か。秩序と自由。こんなに面白いテーマはない。ウィキリークスにかかわる人たちには、food for thoughtsありがとうと全身で言いたい。

批評(7)脳科学だって、現状では情報の意味論や、意識のメカニズムを解くには遠い。方法論的に、絶望的に遠い。『脳とクオリア』で展開した批評は、命がけのものだったが、今でも一点も修正する必要を感じていない。おかげで、ずいぶんひどい目にあったよ。

批評(8)統計的概念に依拠している現在の脳科学の標準的なやり方に賛同するつもりは0.1%もない。それでは意味や意識は解けないということは100%確信している。しかし、なかなかブツができない。くやしいなあ。

批評(9)結局、批評とは、自分自身に対しても、「やってみろよ」とけしかけることだと思う。まだまだそんなもんじゃないだろう。まだ行けるだろう。やせ我慢。安易なもので妥協しちゃいけないよ。

以上、「批評」についての連続ツイートでした。

劉暁波さん、ノーベル平和賞、おめでとう。今日はあなたのTシャツを着て東京を歩き回るよ! 

(2010年12月10日、
http://twitter.com/kenichiromogiにてツイート)

1月 4, 2011 at 09:35 午前 |

連続ツイート バブル

しゅりんくっ! ぷれいりーどっぐくん、おはよう、うごうご。

ヤクルトからコーヒーへの黄金のリレー、完成!

クロームOSのPCには、ものすごく興味あるね。

バブ(1)バブル経済がはじけて20年になろうとする日本。「バブル」はすっかり禁句になってしまった。マクロ経済におけるバブルは困ったものだが、ひとりの人生におけるバブルはむしろ望ましく、必要なものである。

バブ(2)何かに注目して、そのことに対する関心が一気にふくれあがる。夢中になって取り組んで、さまざまなことを吸収する。このような「バブル」であれば、大いに人生のためになる。

バブ(3)昨年、私は加藤徹さん(@katotoru1963)の本をきっかけに、猛然と中国語、中国文化に対する関心が高まって、バブルとなった。その時期に集中して学んだことが、今でも役に立っている。

バブ(4)小中学校では、『赤毛のアン』の世界に夢中になって、高校では原書で全部読みもした。あの頃熱心に読んだことが、今でも私の中に残っている。

バブ(5)脳の学習は、だらだらと進むとは限らない。ある時に一気に熱が高まって、集中して吸収する。やがて、学習曲線の高い平面に達してしまえば、その対象から離れてしまって良い。一つのことに関するバブルは、一生続くわけではない。むしろ、一時の熱狂で十分なのだ。

バブ(6)「アハ体験」は、0.1秒程度の短い時間、脳の神経細胞が広い範囲にわたって一斉に活動する一つの「バブル」である。瞬きするほどの間に、もう世界が変わってしまっている。短い時間に、一つの物事に脳が占拠される。短時間だからこそ、違うモードに入れる。

バブ(7)日本の社会は相変わらず低迷しているが、自分の脳活動は、そのような社会のあり方からはdecoupleして、次々とバブルを起こしてよい。バブルの数だけ、新しいことを学ぶことができるのである。

バブ(8)人生において、次々とバブルの波を起こし、その山に乗り続けること。いわば、「バブルの波乗り」を心がけることが、肝要である。

バブ(9)社会のエネルギー問題は深刻だが、人生のエネルギー問題は簡単に解決できる。ただ、一つのバブルを起こせばよい。何ものかに熱狂的に関心を持てるということ。これが、精神の若さの表れである。

以上、「バブル」についての連続ツイートでした。

(2010年12月9日、
http://twitter.com/kenichiromogiにてツイート)

1月 4, 2011 at 09:30 午前 |

2010年12月19日 (日)

連続ツイート 「リヴァイアサン」の時代

しゅりんくっ! ぷれいりーどっぐくん、おはよう!

記者会見で、市川海老蔵さんの回復ぶりを見て、本当にほっとした。

(1)昨日の海老蔵さんの記者会見を、私はニコニコ生放送で見た。既存のメディアが編集後のハイライトだけを報じる中、どちらが時代の最先端か、それは明かだった。

(2)時代の新しい潮流は、ネットの中で動いている。ウィキリークスも、ネットが存在しなければあり得ない。そんな中、新聞やテレビなどの既存のメディアは、すっかり、後塵を拝するという役回りが定着していきているように思われる。

(3)ただ、新聞やテレビが消えるとまでは思わない。ネットという「ウィルス」に社会が感染し、最初は劇症となっても、そのうち共存への道を見いだす。新聞やテレビはしぶとく、この世界の中に存在し続けるだろう。

(4)ウィキリークスの衝撃は、アメリカやイギリス、スウェーデンのような民主主義の国でさえも、「国家」というものが急にテレビや新聞のような古いものに見え始めたという点にある。

(5)たとえ、民主的に選出された人たちによる政府であれ、強制力(=「暴力装置」)を持ち、情報を秘匿する「国家」という存在が、"suspect"(疑わしい存在)であるという斬新な視点を、ウィキリークスは提供した。

(6)ネットは世界の見え方を変えた。新聞やテレビ、政府といった「アンシャン・レジーム」の偽善性が露わにされた。しかし、古いものが急になくなるかと言えば、そんなことはなく、しぶとく存在し続けるだろう。ただ、私たちの感性の変化は、もはや戻りようがない。

(7)世界は今、リヴァイアサン(怪物)が暴れ回る場へと急速に変化している。それが「民意」であれ、「検察」であれ、「メディア」であれ、あるいは「民主的に選ばれた政府」であれ、「ノーベル賞」であれ、自動的に権威が認められるというよりは、むしろむき出しの衝動として知覚されるのだ。

(8)リヴァイアサンの格闘が行われる現代において、自分の立ち位置をどこに置き、何を主張するのか。思想的にはきわめて興奮すべき時代がやってきたように直覚する。

(9)中国政府はきわめてわかりやすい「リヴァイアサン」だが、ウィキリークスという「眼鏡」によって、民主主義国家もまた「リヴァイアサン」となった。カオスの中で、私たちは、何ものかの炎を自らの掌の中で懸命に守り続けなければならない。

以上、ネットがもたらした新しい「リヴァイアサン」の時代についての、連続ツイートでした。

クオリア日記 魔法瓶のガラスのように、何かが割れることはある。しかし、身体が大丈夫だったら、きっと何とかなる。 http://bit.ly/giRzeL

公園の通路の近くで、ゴルフクラブをぶんぶん振り回しているおじさんがいた。おいおい、危ないぞ、と見ながら斜面を駆け上がったら、窪みに足をとられて枯れ葉の上にスッテンコロリン。危ないのは自分の方だった。

(2010年12月8日、
http://twitter.com/kenichiromogiにてツイート)

12月 19, 2010 at 09:02 午前 |

連続ツイート ピア・プレッシャー

しゅりんくっ! ぷれいりーどっぐくん、おはよう!

ピプ(1)周囲の仲間(peer)から受ける圧力(pressure)を、ピア・プレッシャー(peer pressure)という。多くの場合、集団で認められたスタイル、価値観に合わせよという同化圧力として作用する。

ピプ(2)ピア・プレッシャーは、どんな集団においてもみられるが、特に、均質の、あるいは自らを均質と見なす集団において起こりやすい。集団の平均的なメンバーと異なる振る舞いをする人を非難し、結果として集団の大勢に従うように圧力をかけるのである。

ピプ(3)集団の中で目立ったふるまいをする人を非難することで、非難者は、自分が集団の多数に所属する、安全なポジションを確保しているということを確認することができる。スケープゴートをつくることで、自分が非難の対象にならないことを保証するのである。

ピプ(4)ピア・プレッシャーに従うことは、均質な集団の中で自らの安全を確保する上では一つの適応ということができる。一方で、独創性や、個性といった、現代社会で賞賛される価値からは遠ざかることになる。

ピプ(5)ピア・プレッシャーにもかかわらず自らの道を行く者には逆風が吹き付ける。それに耐えることで、心身が強くなる。集団に合わせれば良い、という「判断停止」の状態から離れた瞬間、自らのプリンシプルが問われることになる。

ピプ(6)近現代におけるユダヤ人の創造性は注目すべきもの。同じ率ならば日本には550人の自然科学系のノーベル賞受賞者がいなければならない。ユダヤ人にとっては、同化圧力を通した社会との予定調和は、最初から失われていた。だからプリンシプルを問わざるを得なかった。

ピプ(7)同化圧力として働くことの多いピア・プレッシャーが、逆に「もっと尖れ」「もっと走れ」とあおり立てるように機能することがある。そのような作用が見られた学者、芸術家の集団は、結果として歴史に残る偉業を成し遂げている。

ピプ(8)集団の大勢から外れた振る舞いをする人がいたとき、その人の側に立つか、あるいは非難する側に立つかは一つの「リトマス試験紙」である。非難する側に立てば、自分は集団の大勢に属しているという安心を得ることができる。一方で失うことも多い。

ピプ(9)日本の社会は、異能、外れ者を非難し、つぶすことで結束を確認してきた。一方、それがゆえに創造性の爆発的な発露が難しい環境ができた。集団の安定を求めるのか、それとも孤独なプリンシプルを追うか。選択は一人ひとりにゆだねられている。

以上、「ピア・プレッシャー」についての連続ツイートでした。

Thanx. @megami0609 今日の茂木先生の連続ツイート (@kenichiromogi) は、村上春樹先生の『卵と壁』のお話をされてた時の内容に似ている。

おお! この前はどうもでした! 道具箱の中にたくさんツールがあると、柔軟に乗り越えられる。白洲次郎さんもおそらくそうだったのでは。@rebirth_project お早うございます!伊勢谷です。負けじと、社会の中で逸脱しようとする者たち。

(2010年12月7日、
http://twitter.com/kenichiromogiにてツイート)

12月 19, 2010 at 08:58 午前 |

連続ツイート オスカー・ワイルドの『獄中記』(De Profundis)

しゅりんくっ! ぷれいりーどっぐくん、おはよう!

深淵(1)オスカー・ワイルドの『獄中記』(De Profundis)については、以前も書いたことがあるが、また考えてみたくなった。原題は「深淵より」という意味である。

深淵(2)ワイルドは、学生時代から有名だった。有名だということで、有名だった。その美麗な外観と、華々しい生活が注目を浴びた。そのうち、すばらしい作品を書き始め、「天才」としての名をほしいままにした。

深淵(3)そのワイルドが、貴族の息子との同性愛に絡んで逮捕され、深淵に突き落とされた。護送中の駅で、手錠をかけられたまま何時間も経たされた。人々が好奇と侮蔑の目でワイルドを見た。

深淵(4)獄中で、ワイルドが考えたことは、社会と自分との関係は、決して予定調和ではないということだった。世間には誤解が満ちている。そして、人は孤独である。真実は、決して伝わらない。そして、人は偽りを弄び、勝手なことを言う。

深淵(5)ワイルドは、自らの世間とのかかわりを振り返り、ついに「キリスト」の本質に思い至った。イザヤ書には、「彼は軽蔑され、拒絶される」と予言されている。救済をもたらすかけがえのない人が、軽蔑され拒絶される存在である。ここに「聖書」の叡智があるのだと気付いた。

深淵(6)ワイルドは、アメリカ入国の際、「私は自分の天才以外申告するものはありません」と言い放った。表面的にとらえる人は、それをワイルドの傲慢だと考えるかもしれぬ。しかし、『獄中記』を読めば、実は深い自省の人だということがわかる。

深淵(7)表現者は言い訳ができない。顕れるものがすべて。そのことの誇りと苦しみを理解する者は、安易な批判などしない。世間の尻馬に乗って批判する人には、「自省」が欠けている。

深淵(8)時代の寵児から、奈落の底に突き落とされて、ワイルドは一つの真実に達し、キリストの本質を理解した。『獄中記』という傑作を残した。批判する側よりも、批判される側になって、初めてわかる痛みがある。その痛みが、目を啓かせる。

深淵(9)他人に対する不寛容は、想像力の欠如、精神の老化の徴候である。ワイルドの『獄中記』(De Profundis)を読むと、心を若々しく保つ、草原の朝露を浴びる思いがする。

以上、オスカー・ワイルドの『獄中記』(De Profundis)についての、連続ツイートでした。

(2010年12月5日、
http://twitter.com/kenichiromogiにてツイート)

12月 19, 2010 at 08:52 午前 |

連続ツイート 道

しゅりんくっ! ぷれいりーどっぐくん、シンガポール航空を降りて、おはよう。

今売っている「家庭画報」に、白洲信哉(@ssbasara)との、大切な思い出のことを書いた。本人からメールが来た。こちらこそ深謝。「拝読。心ある文章を有難うございました。また、あれで語りましょう。取り急ぎ御礼まで。」

道(1)道で好きなのは、何といっても裏道で、誰も通らないような細い道をぶらぶらと歩いていくのが心地良い。

道(2)電車でも、乗り換えに便利な車両を選ぶ人がいるが、ぼくはなるべく人の少ない、ホームの端や陰の方にいく。遠回りになっても、そんな「道」があっている。

道(3)山などで、人が余りとおらずに、草がぼうぼう生えているところを見るとどきどきして、必ずそちらに向ってしまう。胸のあたりまで草がきても、必ず誰かが通ったか細い痕跡がある。

道(4)ジョギングする時には、絶対に車が行き交うような大きな通りは選ばない。昔川があって、今は暗渠になっている細い道などが最高。うねうねくねくね、わざと遠回りしていく。

道(5)蝶は、緑のある場所だとゆったり飛ぶが、コンクリートや石だと速くなる。ぼくも、細い裏道はゆったりと歩くが、大きな通りはせかせかと早足で歩く。

道(6)大通りを早足で歩くそのスピードには自信があったが、パリで、シャンゼリゼから北駅まで歩いたときはびっくりした。パリジャンやパリジェンヌが、次々とぼくを抜かしていく。パリの人足速い。

道(7)裏道やくねくね道が好きだから、人生でもそんな道を歩いている人に共感したり、助けたくなったりするのだろう。大通りは通行量が多く、みんなでという安心感がある。一方、裏道はさびしいが、空の月には気付きやすい。

道(8)進学や就職のことでも、すいすいと大通りを行く人はそれで良いと思う。ぼくの主な関心は、大通りを行けなかった人、行かなかった人が生きる術をどう考えるかということにある。

道(9)最初から脳科学をやろうと思ったわけではない。クオリアの問題に当たると知っていたわけではない。人生はうねうねくねくねだった。きっと、これからもそうだろうし、それでいい。

以上、「道」についての連続ツイートでした。

(2010年12月3日、
http://twitter.com/kenichiromogiにてツイート)

12月 19, 2010 at 08:48 午前 |

連続ツイート 流行語大賞

流行語大賞、候補と受賞のリストを比べて、違和感。オレの感性がずれているか、審査員たちの感性がずれているかどちらか。トップ10入りしなかった言葉の方に時代のリアリティあり。受賞リストは、どうでもいい言葉多し。

連続ツイートでやります! @potaputi 茂木さんならではのトップ10知りたいなと思います♪

流行(1)今年の流行語大賞の受賞リストに違和感。世相を反映した、というが、時代の中心に突っ込む批評性が足りないと思う。そこで、独自に選定しました。大賞以外は、順不同です。

流行語(2)流行語大賞「ガラパゴス」。今の日本の問題点を象徴する言葉。しかし、来年は「ガラパゴスの逆襲」が始まる。

流行語(3)〜なう。私自身は一度も使ったことがないが、今年の最大のヒットの一つとも言えるツイッター上の独自の言い回しを象徴する言葉。

流行語(4)ダダ漏れ。今までのメディアが、記者会見等のニュースを恣意的に編集して流してきたことに対して、人々の違和感が高まった。その中で、「ダダ漏れ」はgood jobであり、ニュースの文法を変える可能性あり。

流行語(5)リア充。インターネットなど、ヴァーチャルな欲望の充足の可能性が広がる中、リアルな生活の充足が、一種のノスタルジーをもって語られる。もはや、それはオプションでしかない。

流行語(5)ニコ生。ニコニコ動画の勢いが止まらない。従来のメディアができなかったことを次々にやっている。地上波テレビに対するライバルへと成長するであろう。

流行語(7)2位じゃダメなんですか。「仕分け」の機会に出たこの言葉は、科学技術予算の意義を考える上でのさまざまなポイントが詰まっている。賛成反対は別として、既成観念を壊していく時代の雰囲気を代表。

流行語(8)無縁社会。人々を結んでいた既存の組織、仕組みが融解しつつある。コミュニティ構築はいつの世も最大のテーマであり、私たちは今新たな挑戦を始める必要がある。

流行語(9)脱藩。坂本龍馬の生き方が、多くの人にインスピレーションを与えた年だった。組織や肩書きに頼らず、「脱藩」することの意義を、多くの人が考えた。すでに「その何か」は始まっている。

流行語(10)レアアース。多くの人にとって、今まで耳にしたことが少なかった言葉が、資源や地球環境の問題、国際政治のひんやりとしたリアリティを象徴する役割を果たした。

流行語(11)サンデル化。今年の最大の「ヒット」商品の一つが、マイケル・サンデルの「ハーバード白熱教室」である。多くの大学関係者が「黒船到来」と衝撃を受け、その授業がサンデル化するケースが続出している。

以上、私自身の独断と偏見に基づく、2010年流行語大賞に関する連続ツイートでした。

2010年流行語大賞 大賞「ガラパゴス」。以下、(順不同)「 ~なう」、「ダダ漏れ」、「リア充」、「ニコ生」、「2位じゃダメなんですか」、「無縁社会」、「レアアース」、「脱藩」、「サンデル化」。


(2010年12月2日、
http://twitter.com/kenichiromogiにてツイート)

12月 19, 2010 at 08:43 午前 |