偶有性のそよ風に吹かれるとき、人はもののあはれを知る。
先日、水戸に日帰りで仕事にうかがった時、帰りのプラットフォームで東京に戻る特急列車を待っていた。
向かいのホームに、小山行きの電車が泊まっていた。箱型の座席の進行方向に向かって、一人の男性が座っていらっしゃるのが、くもりガラス越しに見えた。
夕暮れ時。すっかりあたりは暗くなって、男性が座っている車内だけが明るく見える。
男性は、缶ビールのようなものを、おいしそうに飲んでいらした。
仕事が終わって自宅まで帰られるのだろう。水戸に会社があるのだろうか。そのようにして通勤されるのが、男性の日常なのだろう。
日が暮れる時間は、なぜか自分を囲む社会的文脈が解体されて、ひとりぼっちで世界に投げ出されているように感じることがある。
私がもし、この街に住み、生活している人だったらどんなだったろう。私もまた、あの男性のように、水戸発小山行きの列車に乗って、ああ、今日も仕事が終わった、とほっとする、そんな日常を送っていたのだろうか。
今いる自分がそうではなかったかもしれないという偶有性のそよ風に吹かれるとき、人はもののあはれを知る。
2月 27, 2026 at 06:26 午前 | Permalink

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