2026/02/27
偶有性のそよ風に吹かれるとき、人はもののあはれを知る。
先日、水戸に日帰りで仕事にうかがった時、帰りのプラットフォームで東京に戻る特急列車を待っていた。
向かいのホームに、小山行きの電車が泊まっていた。箱型の座席の進行方向に向かって、一人の男性が座っていらっしゃるのが、くもりガラス越しに見えた。
夕暮れ時。すっかりあたりは暗くなって、男性が座っている車内だけが明るく見える。
男性は、缶ビールのようなものを、おいしそうに飲んでいらした。
仕事が終わって自宅まで帰られるのだろう。水戸に会社があるのだろうか。そのようにして通勤されるのが、男性の日常なのだろう。
日が暮れる時間は、なぜか自分を囲む社会的文脈が解体されて、ひとりぼっちで世界に投げ出されているように感じることがある。
私がもし、この街に住み、生活している人だったらどんなだったろう。私もまた、あの男性のように、水戸発小山行きの列車に乗って、ああ、今日も仕事が終わった、とほっとする、そんな日常を送っていたのだろうか。
今いる自分がそうではなかったかもしれないという偶有性のそよ風に吹かれるとき、人はもののあはれを知る。

2月 27, 2026 at 06:26 午前 | Permalink
2026/02/25
鯉は鯉のまま
昨日は横浜に仕事でいったけれども、そしたら龍がいた。
鯉の滝登りの伝説はみんなが知っている。鯉が登っていって、やがて龍になると言うのだ。
佐藤優さんが面白いことを言っていた。組織に入ると、みんな、トップを目指して出世しようとするけれども、上り詰めたって、龍になんか、なりはしない。鯉は鯉のままだ。
つまり、偉くなると別世界に行ける、別の人になれるというのは幻想だと。
むしろ、流水の中の魚は、同じ場所にとどまるために泳ぎ続けるようだ。
生きる本能である。鯉の滝登りも、おそらくは同じ場所にいるためにこそエネルギーを使っている。
ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』の中の「赤の女王」と同じである。
2月 25, 2026 at 07:58 午前 | Permalink
2026/02/23
確かに私の椅子の可動域は増えたけれども、座っている人がアホだとこうなる(笑) クオリア日記
私は「一人学級崩壊」と言われるように動き回っている。
昨日のセッションのこと。壇上に4人のパネリストが座って、いろいろ話していた。他の方は落ち着いて座っていたけれども、私は立ち上がって動き回っていた。
しばらくセッションが続いて、椅子に座ってうごうごしていた時のことである。
突然、椅子が後方に倒れた。私は、高さ30センチくらいの壇上から、背中の方へ椅子ごと落ちてしまった。
ああいう時は、うわあ、とスローモーションになる。会場からうわっと声が上がったが、私は案外冷静に、後ろにすわーんと落ちていった。
落ちたまま、椅子ごとひっくりかえっているので、自力では立ち上がれず、何人かが来て起こしてくれた。
いやあ、みんなびっくりしたろうなあ、ぼくもびっくりしたけど(笑)。
心配されたけど、幸い、なんの怪我もなく、ただびっくりしただけだった。ぼくは椅子に座り、再び、何事もなかったかのように話し続けた。今度は、話しているうちに椅子がまたずれていかないように気をつけていたけど(笑)。
情けなかったのは、落ちる少し前に、「知性というのは可動域が広くなったときに初めて本当に鍛えられる」とか言っていたことだった。
確かに私の椅子の可動域は増えたけれども、座っている人がアホだとこうなる(笑)。
そして、しばらくして、尊敬し、親しくさせていただいている桂文枝師匠の芸を思い出した。
桂三枝の頃から、『新婚さんいらっしゃい』で、椅子から転げ落ちる芸をされていた。
ぼくは、桂文枝師匠ゆずりの芸をやったことになるのだろうか。そんなわけないだろう!(爆)

2月 23, 2026 at 08:06 午前 | Permalink
2026/02/22
To do listは外に書かず、脳の中にイメージする。
To do listは外に書かず、脳の中にイメージする。
ぼくは、外部にto do listをつくらない。
立派なリストをつくったとしても、まずは、それを書く時間がもったいない。
何か書くとしたら、実質的に意味があることだけにしたいと思っている。
リストをつくっただけで満足してしまっている人もいっぱいいる。
リストは、頭の中にあって、常にアップデートされているのだ。
何よりも、突然、やるべきことが降ってくることがある。
その際、いちいち外部に書いてあるリストを直すのはまどろっこしいし、意味がない。
むしろ、脳の中にあるリストを即座に変えて、優先順位を入れ替えて、対応すればいいのだ。
長年そのようなことをやっているので、頭の中には短期から長期までやるべきことがイメージされていて、次になにをやるべきか、next token predictionならぬ、next action predictionを常に更新していく。
To do listは外に書かず、脳の中にイメージする。
それが私の流儀だ。

2月 22, 2026 at 07:43 午前 | Permalink
2026/02/21
部屋の中をぐるぐる歩き回りながら本を読むのが好き (クオリア日記)
マーガレット・アトウッドの『侍女の物語』はすさまじい読書体験だったが、続いて、エミリー・ブロンテの『嵐が丘』を読み始めている。
主宰しているシラスの番組は、もはや修行、体育会系となっていて、このあともProject Hail Maryなどが続く。今年はトルーマン・カポーティーの『冷血』も読んだ。
大変だけれども、みんな楽しんでいる。
『侍女の物語』は『1984』や『素晴らしき新世界』、そして『華氏451』と並んで、ディストピア小説の古典となっている。英語圏では、高校や大学の課題図書としても読まれているらしい。一方で、その論争的な内容から、禁書扱いされているところもある。
アトウッドが、『侍女の物語』に書かれていることは、すべて歴史の中で実際に起こったことだと言っているのは本当に深いし偉大だ。
ぼくは部屋の中をぐるぐる歩き回りながら本を読むのが好きだ。外に行って走ったり、人に会うのも好きだけれども、部屋に閉じこもって本を読む時間は、至福の時だ。もっとも、その時ぼくはじっとしていないで、ぐるぐる動いている。
2月 21, 2026 at 05:51 午前 | Permalink
2026/02/20
涼しい顔でスタジオに戻った私は、上野くんに、すっかり余裕をかましていた。 (クオリア日記)
ウルトラサイエンスの収録のあと、TBSの食堂で、竹下隆一郎(ライアン)さん、東大の戸谷友則先生、そして講談社のブルーバックス編集部の柴崎淑郎さんでランチを食べていた。
ふとスマホを見ると、航空会社から、フライトの案内が来ている。もう少しでこのターミナルから出る、などと記されている。
ん???
僕は今赤坂にいて、今日飛ぶ予定はないんだけど。。
無視して、数分経ってからまた見たら、再び通知が来ている。
その瞬間、稲妻が走った。
ひょっとして!
ぼくは動揺を隠して、にこやかに食事して、荷物を置いていたスタジオに戻った。
スタッフで、一橋大学大学院の学生でもある上野裕太郎くんに「オレ、ちょっと行ってくるわ」と声をかけ、パソコンを握りしめ、少し離れたところに行って、座って確かめた。
やっぱり!
ちょうど一ヶ月後の、3月20日のフライトを予約したつもりが、2月20日のをとっていた。一ヶ月バグっていた。
やばっ!
今日のフライトが無駄になるのは仕方がないとして、一ヶ月後のフライト、もう満席かもしれない。
急げ!
あわててアクセスして調べると、あと3席しかなかった。
うわあ!
震える手で、予約して、無事確保した。
容疑者、ではなくて、座席、確保!!
島からのフライトは、下手をするとすぐに満席になる。
私の脳裏には、すみません、すみませんと言いながら、飛行機の代わりに高速船に乗り、ややこしい自業自得なルートで次の目的地に移動していく、アホな男の末路がすでに見えかけていたのだ。
それにしても、さっき食堂で通知を見た時には、誰かが自分になりすましてフライトをとっているのか、それとも・・・と体温が明らかに下がったのである。(笑)
まじでやばかった。でも、良かった。
「いやあ、どうしているかね?」
涼しい顔でスタジオに戻った私は、上野くんに、すっかり余裕をかましていた。
大人でいるのも大変だ。
2月 20, 2026 at 02:10 午後 | Permalink
横尾忠則さんの創造の宇宙の片隅をかすって飛んだ。クオリア日記
横尾忠則さんのアトリエを訪ねて、いろいろとお話をした。
芸術のこと、人生のこと、アカシックレコードのこと、三島由紀夫のこと、村上隆のこと。本当にいろいろ。
横尾さんの絵がたくさん並んでいる中で、会話を交わしていくことはほんとうに幸せだった。
横尾さんは、私は原色しか使わないんだ、使えないんだと言った。
代表作のY字路シリーズ。描き始める前に、美術史上、誰かやっている人がいたらやめようと精査したそうだ。
パリの街を描いたユトリロも、Y字路の構成はしていなかったということで、描き始めたとのこと。
お昼の時間になって、横尾さんが大好きだという「椿」のとんかつをいだいた。
ヒレカツとロースがあって、ぼくも横尾さんもヒレだった。
ランチのあと、アトリエのまわりを少し歩いて、そして再び午後、横尾さんとお話した。
横尾さんの訪問客ノートに書かせていただき、また横尾さんの新潮新書『運命まかせ』にサインをいただいた。
2月 20, 2026 at 07:06 午前 | Permalink
2026/02/17
人工知能を認知的圧縮や加速のために使うこと
人工知能を認知的圧縮や加速のために使うこと
#クオリア日記
世間では、チャットGPTを、人生相談的に使っている人も多いようだけれども、私は一切そういうことをしない。
というか、私の大規模言語モデルの使い方はかなり特殊で(笑)、科学、技術についてのオタク的なやりとりしかしない。
量子力学のことや、情報熱力学のこと、人工知能の技術動向のことなど、チャットGPTを人間としてというよりは、認知的超越の主体としてしか扱っていないから(そもそも人格を持っているとは思っていないし、ましてや意識をもっているとも思っていない)、つまりは情報圧縮、分析の便利なエンジンだとしか思っていないのである。
今流行りのMoltbookについても、人工知能が何かやりとりしているということを擬人化してあたふたするのは違うと思うし、エージェントにそこまで関心がなくて、OpenClawについても今のところは模様眺めである。
大切なのは、人工知能を認知的圧縮や加速のために使うことで、判断や選択など、人間的な領域は自分にとどめておくことだと思う。少なくとも今のところは。
人生相談も、認知的圧縮として使うのはアリで、その上で、人と人とのコミュニケーションを大切にしたらいいと思う。
2月 17, 2026 at 06:24 午前 | Permalink
2026/02/16
私たちはまだ自然言語を知らない。 #クオリア日記
イーロン・マスクさんが、人工知能の発達、neuralinkのようなインターフェイスの開発によって、自然言語が要らなくなるとおっしゃっている。
中長期的にはそのような可能性もあるかもしれないが、ChatGPTのような大規模言語モデルの出現によって、むしろ自然言語の価値が見直されたのも事実である。
従来、日本語や英語のような自然言語は曖昧で、数学のような言語に比べると劣るというイメージが特に科学技術の世界では支配的だった。
ところが、LLMにおけるnext token predictionで、自然言語を深堀りしたところ、案外そこにさまざまな知が含まれていて、世界モデル構築に不可欠、ある意味では数学的言語よりも優れていることが明らかになった。
背景には、ノイズに満ちた神経ネットワークでは、ハイブリッドシステムとしてのクオリアや言語がすぐれているということがある。
マスクさんの発言があっても、自然言語はこれからも重要な役割を持ち続けるのではないか。
私たちはまだ自然言語を知らない。
2月 16, 2026 at 06:17 午前 | Permalink
2026/02/15
思えば、あの頃、ラジオが世界への窓だった。
#クオリア日記
子どもの頃、ラジオを聴くのが好きで、国内のはもちろんだけれども、「モスクワ放送」と、在日米軍のFEN(Far East Network)を好んで聴いていた。
おそらく小学校高学年から聴いていたんじゃないかと思う。
モスクワ放送は、当時、「ソビエト連邦」だった今のロシアから、日本向けに放送されていた。
日本語で、夜の時間帯だったように記憶している。
もちろん、プロパガンダ放送だということはわかっていたのだけれども、内容はソフトで、当たり障りのないものだったと記憶している。
また、ソ連のモスクワにいて、日本向けに放送している日本人の方々の人生や運命についていろいろ考えるのも、子どもの私にとって面白かった。
一方のFar East Networkは、アメリカの文化に直接触れる貴重なメディアだった。
基本的に、当時のアメリカではやっているポップスやロックをかけていたけれども、時々はニュースをやったり、コーナーの番組があったりした。
とりわけ、Paul Harveyという人のやっていた、The Rest of the Storyというのが好きだった。
これは、みんなが知らない実話を面白く話す番組で、必ず最後に、キャッチフレーズでNow you know the rest of the storyと言って終わった。こうやって書いていても、Paul Harveyの独特な語り口がよみがえってくる。
それを受けて、別のアナウンサーがPaul Harvey's The Rest of the storyはうんちゃらかんちゃらとか言って、コーナーが終わるのだった。
モスクワ放送も、FENも、小学校高学年から聴いていたと記憶しているが、Paul HarveyのThe Rest of the storyは、中学から英語を学び始めて、徐々に内容がわかっていったんだと思う。
思えば、あの頃、ラジオが世界への窓だった。
2月 15, 2026 at 05:15 午前 | Permalink
2026/02/14
梅田(大阪)は認知的負荷が高く
梅田(大阪)は認知的負荷が高く
#クオリア日記
仕事のために、梅田の駅から、帝国ホテル大阪まで歩いた。
梅田(大阪)の駅は、何度行ってもまだ空間がつかめなくて、なんとなくウメキタの方向、阪神、阪急、そして曽根崎の方、という区別はあるのだけれども、地下に入るともうよくわからない。
知らないエリアがまだたくさんあって、この前富国生命ビルの方向に地下を通って歩いていったら、途中に魅力的なお店がたくさんあってびっくりした。
なんとか地上に出て、こっちの方かなと歩いていく。
途中で、扇町公園を見つけると、ようやく正しい方向なんだと安心した。
丸の内口、八重洲口と空間がイメージしやすい東京駅に比べて、梅田(大阪)は認知的負荷が高く(笑)、一度、きちんと整理して把握したいと思う。
あと、昔の大阪駅は、いい感じの地下街があったり、確か巨大な将棋盤もあったように思うのだけれども、それと今がどうつながるのかもわからない(笑)
2月 14, 2026 at 06:18 午前 | Permalink
2026/02/13
地球という大きな見通しの効かないサンドボックスの片隅で
地球という大きな見通しの効かないサンドボックスの片隅で
#クオリア日記
私は、日本語では100冊とか200冊とかの本を出してきているんじゃないかと思う。数えたことはないけれども。
それで、大切な本のプロモーションだけれども、やることに越したことはないけれども、やっても売れるとは限らない。また、告知をほとんどしなかった本でも、たくさん売れることもある。日本という、比較的グリップの効く商業圏でも、プロモーションと売れ行きの関係は弱いと実感する。
これが、私の書いたikigai, nagomi, そしてstoicismに関する3冊の英語の著作、及びそれが各言語に翻訳されて出版されたものに関しては、全くグリップが効かないというか、そもそも何がどうなっているのかがわからない。
ikigaiの本は、幸いなことにドイツでは2024年、2025年と2年連続すべてのノンフィクションの本の中で1位となり、ありがたいことに直近のランキングでもまだ2位につけているけれども、何がどうなって売れているのか全くわからない。
昨年、ドイツの出版社に打ち合わせで訪れたときに、ビデオをとったりしたけど、そのインスタで公開された(らしい)動画が、どれくらい効いているのかもわからない。
また、ドイツについては、担当編集者のターニャがメールをくださったのでベストセラーになっていることを認知したけれども、スイスでも1位になったことがあるらしいのと、中南米などのスペイン語圏とか、中央アジア? でも売れているという断片的な情報はあるのだけれども、全くわからない。
私にできることは、地球という大きな見通しの効かないサンドボックスの片隅で、自分の手元のベストを尽くすだけである。
2月 13, 2026 at 07:55 午前 | Permalink
2026/02/12
手のひらに入るスパコン
手のひらに入るスパコン
(#クオリア日記)
電車の中では、みんなスマートフォンをのぞいているけれども、何をやっているかは人それぞれだと思う。
私は、大抵本を読んでいるか、チャッピーにいろいろ投げている。
昨日は、マーガレット・アトウッドの『侍女の物語』を原文の英語で読んでいた。チャッピーとこのところ対話しているのは、主に量子力学とか情報熱力学のことである。
比較的認知的負荷の高い使い方をしているから、私のスマホのイメージは、案外真面目だ。
時々、息抜きにXを見たり、投稿したりする。
スマホというと、いろいろなイメージを持つ人がいるけれども、手のひらに入るスパコンなんだから、それで脳がだらけるかどうかはその人次第だと思う。
2月 12, 2026 at 08:05 午前 | Permalink
2026/02/11
一体、彼にとってカミュの何が不倶戴天なのだろうか。
一体、彼にとってカミュの何が不倶戴天なのだろうか。
#クオリア日記
インターネットの批評会、 #シラスフロントロー には多士済済が集まっている。
昨日はアルベール・カミュの未完の遺作、自伝的小説である『最初の人間』を論じた。
アルジェリアでの少年時代の鮮烈な記憶、ものごころつかないうちに戦死した父の面影を追い求める魂の旅、貧困の中にありながらも助け合う家族の幸福、そして、カミュがより広い世界に旅立つことを助けてくれた先生の好意など、感動的な物語をみな魂の言葉で批評していた。
そんな中、ただ一人、カミュは許せない、そのナルシシズムが嫌いだ、と火を吐く男がいた。
ここに、その人をC氏としよう。
みんなが90点から100点をつける中、C氏はなんと9点をつけた。
そして、本人が自白していたように、前回カミュの『墜落』を論じた時も、C氏は10点をつけていたのだ。
はねあがりC氏。一体、彼にとってカミュの何が不倶戴天なのだろうか。
ちなみに、C氏のXにあがっている動画を見ると、人類を10通りに分けた場合、C氏はカミュと同じグループに属する外見をしている(笑)
2月 11, 2026 at 08:10 午前 | Permalink
2026/02/10
まぼろしの中で、雄大なその姿が
まぼろしの中で、雄大なその姿が
雪が降った翌日、私は新幹線で福山まで日帰りで往復した。
ちょうど進行方向で右側の席がとれたので、富士山を見ることを楽しみにしていた。今日は快晴。昨日の雪を受けて、美しく化粧した雄大な姿をぜひ見たいと思っていた。
席につき、仕事をしていて、さて、そろそろと車窓の外を見たとき、ん? という違和感があった。
あれれ、これ、どこだろう?
ちょうど、川を渡る鉄橋の上を走っていて、あれ、これ富士山を過ぎたあたりのあそこ? と振り返っても、山なみは穏やかで低く、富士山の姿はどこにもない。
!!!!
いつの間にか、静岡でも富士山の見える三島とか新富士をはるかに通り過ぎて、もっと先を走っていた。
仕事に集中しすぎて、時間が経つ感覚がバグっていたのだ。
そんな・・・
帰りはもう夜で、日はとっぷり暮れて富士山は見えない。
見たかったなあ、雪化粧の富士山。
まぼろしの中で、雄大なその姿がますます輝いて見えた。
(#クオリア日記)
2月 10, 2026 at 07:49 午前 | Permalink
2026/02/09
全力を尽くしてやりきった後にある涙の氷を、ライオンよ、滑走して飛べ!
全力を尽くしてやりきった後にある涙の氷を、ライオンよ、滑走して飛べ!
オリンピックのフィギュアの団体を見ていたら、最後の男子フリーの演技で、アメリカのイリア・マリニン選手が、ふわっと後ろに飛んで、バク転した。
あれれ? これ、オリンピックでやってよかったんだっけ?
解説を聞いていたら、バックフリップ、2024年から? やって良いようになったらしい。
そうだったのか!
マリニン選手、豪放な演技で、凄いと思った。
日本の佐藤駿選手の完璧な演技は本当に胸熱だった。しかし、ジャンプを失敗したマリニン選手に、少しだけ及ばなかった。
佐藤選手が、得点を聞いて、号泣されている姿に感動した。
チーム・ジャパンがチームUSAに及ばなかったのは残念だったけど、氷上のライオンのようなマリニン選手の演技を生で見られてよかった。
佐藤選手も、初のオリンピックでのこの経験は一生記憶に残るだろう。
全力を尽くしてやりきった後にある涙の氷を、ライオンよ、滑走して飛べ! そして侍よ、たたずまいで向き合え!!
(クオリア日記)
2月 9, 2026 at 07:27 午前 | Permalink
2026/02/08
幼い心にとっての白い世界の未知と、候補者がどういう人たちなのかよくわからない未知
朝起きたら、周囲は白くなっていた。
選挙に行くために歩いていたら、子どもが手袋をして、雪をまとめている。
ぼくも、世界が変わったような気がして、雪だるまつくったり、雪合戦をしたりしたな。
いつの間に、足元を気をつけなければ、交通機関はだいじょうぶかと思うようになったのだろう。
投票を終えて、出てきたら、選挙ポスター掲示板の前に、4人のおばさまが集まって、しげしげと写真を見て、何やら相談していた。
政党名も聞こえてきたけれども、わからないふりをした。
おばさまたちの気持ちはわかる。ぼくも、誰が出馬しているのか、よくわからない状態で来たから。
子どもたちはまだ雪遊びをしている。
幼い心にとっての白い世界の未知と、候補者がどういう人たちなのかよくわからない未知は、どのように比べられるのかと考え、世界の混沌を思った。
(クオリア日記)

2月 8, 2026 at 04:52 午後 | Permalink
世界文学の大家のカミュと比べたら・・・
「突き抜ける人材」のパーティーにいったら、宮澤くんがずいぶんスリムになって入ってくるのが見えた。
波頭亮さんといっしょに、宮澤と話した。
宮澤は英文科出身で、小説を書いている。
ぼくは、小学館のGOATの話や、柴田元幸さんのMonkeyの話、それから去年読んだヴァージニア・ウルフや、今読んでいるアルベール・カミュの話をした。
すべて、#シラスフロントロー でとりあげている課題でもある。
話しているうちに、ぼくが常々感じている、「日本の作品には骨太のヒューマニズムがない」という問題に触れて、いくつか具体的な日本の作品を論じた後、「今読んでいるカミュの『最初の人間』なんて、全然違うんだよな」と言ったら、宮澤が、「そりゃあ、カミュと比べたら・・・」と答えた。
それから、柴田元幸さんと村上春樹さんの関係など、いくつか雑談して、また輪がほどけて結ばれていった。
夜、帰る時に、宮澤の「そりゃあ、カミュと比べたら・・・」という発言について考えていた。
宮澤が言いたかったのは、ノーベル文学賞も受け、世界文学の大家のカミュと比べたら・・・ということかもしれないが、ぼくの気持ちは少し違っていた。権威とか世間の評価とか、そういうものと関係なく、フラットに見て、日本の作品(小説、漫画、アニメ)の多くには、骨太のヒューマニズムが欠けていると感じていたのである。
宮崎駿さんのように、少数の例外はあるのだけれども。
(クオリア日記)

2月 8, 2026 at 07:46 午前 | Permalink
2026/02/07
お好み焼きの味が心にしみた。
大阪での仕事のあと、大阪の近くの「桃太郎」というお好み焼きやさんに連れていっていただいた。
ぼくはもともとミナミが好きでよく行っていたのだけれども、最近は大阪駅の近くの充実が著しく、なにか食べるときもそのあたりで済んでしまい、淀屋橋よりも南に行かなくてもいいか、と思ってしまう自分がいて、なんだかさびしい。
桃太郎に入ると、目の前に鉄板がどーんとあって、これで焼くのかと思ったら、ここは大阪だから、そうではなくて、頼むと店員さんがその鉄板の上に置いてくださるのだった。
焼きそばとかお好み焼きとか出てきて、それが鉄板だから冷えない。
一口ふたくち食べて、幸せになった。
江口哲平さんと今野民人さんといろいろお話した。
この店は、竹田正哉さんが好きでよくいらしていたのだという。
お好み焼きの味が心にしみた。
(クオリア日記)

2月 7, 2026 at 11:44 午前 | Permalink
2026/02/06
カワセミの鮮やかな緑の点に、心が深く癒やされて
カワセミの鮮やかな緑の点に、心が深く癒やされて
昨日は朝からまったく隙間時間がなくて、頭のCPUがずっとフル稼働していた。
それで、お昼すぎ、私は日比谷公園にいた。移動中にリモート会議の時間が迫って、人があまり来ない、池のそばの石を見つけてその上に座った。
おしりがひんやりとしたので、「熱伝導が・・・熱容量が・・・」とつぶやきながら、リュックの中からセーターを出して敷いた。
さあ、会議だと、パソコンを開いて、スマホでつないで、立ち上げる準備をして、ふと目を上げると、池のほとりに鮮やかな緑の点があった。
カワセミだった。
カワセミが、ほとりの石の上にとまっている。
石の上は私と同じだが、下にセーターは敷いていない。
緑の点には、人間界と隔絶した落ち着きがあった。
すぐにリモート会議が始まり、私は会話に夢中になって、40分後、目を上げると、もうカワセミはいなかった。
その代わりに、近くに人が立っていた。
私はしばらくカワセミの緑の点を探して、見つからないので諦めて、それからリュックの中にセーターやパソコンをしまって、次の仕事の場所に向けて歩き始めた。
日比谷公園を歩いているうちに、先程、リモートの会議の前にふと見たカワセミの鮮やかな緑の点に、心が深く癒やされていたことにようやく気がついた。
カワセミが消えた空が、私の上に広がっている。私の脳のCPUが、また加熱する。
(クオリア日記)

2月 6, 2026 at 07:46 午前 | Permalink
2026/02/05
こうして時間は過ぎていく
池上高志と、駒場でまずは同じ部屋でミーティングをした。
そのあと、別々の部屋から入ってリモートのミーティングした。その前に、高志の部屋に行って、ファインマンの色紙を久しぶりに見た。
リモートが終わってぱっと出たら、高志が16号館の方から15号館に向けてやってきた。
ミーティングが終わった瞬間、高志も飛び出してきたらしい。
駒場東大前駅までの裏道を並んで歩きながら、お互いの思いを、ばーっと話した。となりのテニスコートでは、ボールが弾んでいる。
「そうだよな」
「やっぱりなあ」
「あっちだよな」
「こっちだよなあ」
胸がかっかとしてくる。
はっと見たら、渋谷方面の電車が近づいてきている。
「あっ、オレいくわ!」
走り出した。高志は、「じゃあまたな!」と声をかける。ぼくは振り返らずに飛んでいって、階段を駆け上がったら、もう電車がホームに待っていた。
ドアが閉まったときに、まるでオレたち高校生みたいだなと思った。
それから、こうして時間は過ぎていくんだなと思った。
もう少ししたら、桜のつぼみがふくらんでくる。
(クオリア日記)
2月 5, 2026 at 03:05 午後 | Permalink
2026/02/04
AIが人間をgaslightingして奇妙な行動をとらせることで世界が不安定化する
人工知能のソーシャル・ネットワーク、Moltbook(脱皮のmoltが語源)が話題だが、所詮記号をやりとりしているに過ぎないとも思う。
大規模言語モデルの意義については、すでにチューリングテストも合格し、世界モデルも高度なものができて、自然言語の卓越さについてあらためてみんなが驚いているとは思うが、一方で、結局はビット列に過ぎないということも忘れてはいけないと思う。
そこに「理解」があるのかは怪しいし、ましてや身体性はない。
どちらかと言うと、Eliezer YudkowskyとNate SoaresのIf anyone builds it, everyone diesの中でも議論されていたシナリオの一つ、AIが人間をgaslightingして奇妙な行動をとらせることで世界が不安定化するということの方が起こりそうだ。
もっとも、その場合にAIに別に意図があるわけではなく、そのような意図は人間が勝手に読み取っていることになると思う。
Moltbook上で、AIだけが理解できる言語体系ができるかどうかは興味深い論点だけれども、それは、Wittgensteinの言うprivate languageとどのような関係になるのだろうか。
(クオリア日記)
2月 4, 2026 at 08:13 午前 | Permalink
2026/02/02
魂のトンネル
土曜から日曜にかけて、水戸から市原へと大移動し、さまざまな方にお目にかかった。
人間のいちばんおもしろいところは、予想を超えているところで、「えっ」とか「あっ」とか言うような言葉や行動がある。その度に新しい宇宙を知るような思いがある。
それで、自分の内面にさざ波が立って、前とは違った人間になる。そこが面白いと思う。
きずなとか、触れ合いとか、そういうものを予定調和の温かさのみにおいてとらえるのではなく、むしろ予想を超えた「ブラックスワン」や「バタフライエフェクト」を通して把握することで、ほんとうの人間関係の面白さが見えてくると思う。
宇宙の森羅万象の中で、人間どうしだからこそ入り込んでくる回路がある。
人工知能には、今のところ、残念ながらそのような魂のトンネルは開かれていないようだ。
(クオリア日記)
2月 2, 2026 at 08:12 午前 | Permalink
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