« 通過儀礼こそが、生命を新たにするー御燈祭ー | トップページ |  ナポリの思い出。旗の集団と、骨折した友。「ブロークンレッグ、ポンペイ、ランニング!」 »

2015/04/18

 笑撃! エレベーターの惨劇(だったかもしれないこと)

 ミラノに来て三日目の朝、ようやく時差もとれてきた(ような気がする)。

 概日性リズムが順調になってきた一つの印は、トイレのリズムである。
 だいたい、朝ごはんを食べて、少し歩くと、行きたくなる。
 こうなると、もうだいじょうぶ。
 人間に戻ってきている。

 ホテルのレストランで朝食をとり、ちょっと外に出て、空気を吸ったら、「いい感じ」になってきた。

 おっ、じゃあ、部屋に戻ろうか、とエレベーターホールに向かった。
 自分は16階である。

 「上」のボタンを押して、待っている間に、ますます「いい感じ」になってきた。

 しかし、まだ大丈夫!

 ちょうど部屋に着くころにくるだろう(間に合うだろう)と、この時点では、まだ余裕をこいていた。

 エレベーターが開いて、中を覗いたら、イタリア人の女の子が3人乗っている。
 グループかな、と思ったら、なんと、回数表示が3箇所明かりがついている。

 ということは、何度も止まって、時間がかかるということだが、「へっちゃらさ!」と、まだまだ甘く見ていた。

 自分の階を押して、クールな風を装って、スマートフォンを見る。
 だって、あっ、この人、トイレがまんしている、って気づかれるとイタリアーノ的にいやでしょ。

 エレベーターがするすると上昇する。

 ポーン!
 ひとり降りた。

 ポーン!
 また、ひとり降りた。

 実は、そうやってエレベーター君がゆったりと昇天している間に、ますます、今すぐトイレの救急車プリーズ! みたいに、いい感じになってきた。

 こればやばい、もし万が一、この、イタリア女子と共有しているエレベーターの空間において、お腹の方が、いわゆるひとつの不測の事態になったら。。。。

 それは、もはや、ヴェスヴィオ火山の大噴火!

 そっちの方の想像力が暴走しがちな私の脳裏を、「4・18、エレベーターの惨劇!!!」というイメージが、ヒッチコック的によぎったが、幸い、なんとか、まだだいじょうぶなようであった。


 ポーン! 
 最後のひとりが降りた。

 エレベーターが閉まる。

 さあ、いよいよ、私の階へと。マイ・ホーム、16階へと。
 思えば、「16」という数字を、これほど愛おしく思ったことがかつてあったろうか。

 ポーン!

 エレベーターが止まった。
 よかった、間に合った。

 そそくさと廊下を歩く。
 急がず、けっして走らず!

 もう少しだ!
 ポケットからもどかしげにカードキーを取り出し、スロットに挿入しようとした、その瞬間である。

 あれっ!?

 部屋番号が、「12xx」となっている!
 ぼくの部屋は、「16xx」なのに、なぜか、「12xx」という文字がある。

 一瞬、頭が真っ白になって、それから、シマッタ! 違った階で降りたと気づいた。
 呉越同舟ならぬ、「日伊同舟」のイタリア女子は全員降りていったのだから、自分が押し間違えたか、誰かが余計な階を押していたか。
 さては、いわゆるクール・ジャパンな男子を装い、余裕をこいてスマホ画面を見ていたぼくは、それに気づかずに降りてしまったのだろう

 やばい。お腹がやばい。
 マジでやばい。
 ヴェスヴィオ火山が、近づいてくる!
 のっしのっしと、やってくる!

 あわてて、エレベーターホールに戻った。 
 ここは、12階。
 目指すは、16階。
 あなたの行きたいのは、上の階、それとも、下の階?

 女神さま、だいじょうぶです。
 ぼくは落ち着いています。

 「上」のボタンを押す。
 ちょうど、ホテルの係のおじさんが廊下を歩いてきて、ぼくの姿を見て、「ボン・ジョルノ!」と陽気に声をかけてくる。
 ぼくも、瞬時に笑顔をつくり、「ボン・ジョルノ!」と返す。
 一見、優雅で、メロディアスなムード音楽が流れているような、そんなシークエンス。

 しかし、ほんとうは、そんな場合じゃないんだって!
 「ボン・ジョルノ!」とか言っている場合じゃなくて、マジ、やばいんだって!

 一日千秋ならぬ、「一秒千秋」の思いで、エレベーターが来るのを待つ。
 
  ポーン!

  待ち人、ならぬ、待ちエレベーターがついに来る。
 誰も乗っていない。
 16階のボタンを押す。
 よかった。たった4階分の移動。たいした時間じゃない!
 間に合った!
 心の中で、ガッツポーズ!

 ところが、気づくと、エレベーターが下に向かっている。
 おいおい、きみ、なんで下に向かうんだ! 
 何かの間違いじゃないのか!
 
 しかも、途中階で人が乗ってくる。今度はイタリア女子じゃなくて、イタリア男子が乗ってくる。イタリアおじさん、イタリアおばさんも乗ってくる。
 ふたたび、望まぬ「日伊同舟」だ。

 おいおい、君たち、なんで、そんなに次から次へと乗ってくるんだ! 
 もし、エレベーターの惨劇になったら、どうしてくれるんだ!
 油断していると、ベスヴィオ火山が、来るぞ!

 君たちだって、臭いのはいやだろう!
 何よりも、ぼくが、一番いやだ!

 ポーン!

 無限に感じられる時間が流れて、ぼくは、ロビー階に、イタリア男子、イタリアおじさん、イタリアおばさんとともに吐き出された。

 振り出しに戻る。

 ふたたび、ぼくの前にエレベーターがある。
 ぼくの後ろには、エレベーターがない。

 ああ、この、世界は実存的とでもいうべき、この展開!

 もう、ぼくには、時間がない。
 火山性微動も、腰のあたりから、増えてきたようだ。

 もう、苦しむのは、十分でしょう。
 そろそろ、エレベーターの無限地獄と、お腹の切迫感から、開放されたい。
 おねがい。女神さま、おねがいです!
 
 今度は、間違いなく、指差し確認をして、16階のボタンを押す。

 階数ボタンの下には、「開く」と「閉じる」のボタンがある。
 そうだ!
 エレベーターには、急ぐ人のために、「閉じる」のボタンがある! 
 (地に這いつくばって)我々には、まだ、「最高裁」がある!

 少しでも時間を節約しようと、「閉じる」のボタンを押す!

 ところが、ドアが開く。あれ、誰か、外で、ボタンを押したのかしら?
 数秒待っても、誰も乗ってこない。そこで、私はまた「閉じる」のボタンを押した。

 ところが、また、ドアが開く。あれ、誰か、外で、ボタンを押したのかしら?
 数秒待っても、誰も乗ってこない。そこで、私はまた「閉じる」のボタンを押した。

 ところが、ドアが開く。
 
 なんでだ!

 ここに至って、ぼくは、ようやく、どうやら「閉じる」のボタン(誰がどう見ても「閉じる」である)が、電気回路の混線か、ミラノの気候のせいか、あるいはイタリア全土に満ちる「ファンタジスタ」の作用か、もしくは昨日食べた生ハムのせいか、とにかく、結論としては、「開く」になっているらしいということに気づいた。

 ああ、この世は、不条理!
 ヴィトゲンシュタイン、君は偉かった!

 その間にも、お腹の切迫感は、クレッシェンドで、華麗なるフィナーレを迎えようとしている。
 ベスヴィオ火山の、マグマ溜まりもいよいよ上昇してきているようだ。

 人間、しきい値を超えると、むしろ開き直る。

 もう、こうなったら、すべてを委ねよう。
 今まで、ジタバタして、悪かった。

 せこく、「閉じる」のボタンなど、押すまい。
 ただ、静かにエレベーターの中に立って、運を天に任せよう。

 そもそも、「自由意志」は、「幻想」だ。

 ぼくは、静かに目を閉じた。
 エレベーターのドアが、閉まる音がした。
 約、1分後。
 ぼくは、ようやく辿り着いた「16xx」の「部屋のトイレで、事なきを得た喜びにひたっていた。

 ようやく抜け出ることのできた、エレベーターの無限地獄。
 振り返れば、小さな、リアル脱出ゲームではあったなあ。

 あの苦しい時間に比べたら、これからの人生の試練など、何ほどのものぞ。

 人間のお腹って、いいな。切迫していない、普通のお腹って、いいな。

 よかったんだ、これでよかったんだ。
 すべてを赦し、水に流そう。

 もう、決して、振り返るまい。

  穏やかに晴れたミラノの朝に突然襲ってきた、笑撃! エレベーターの惨劇(だったかもしれないこと)。

 ようやくのことくぐり抜け、ぼくは、今日もまた、何が起こるかわからない人生を、楽しんで生きようと決意したのである。

4月 18, 2015 at 04:46 午後 |