笑撃! エレベーターの惨劇(だったかもしれないこと)
ミラノに来て三日目の朝、ようやく時差もとれてきた(ような気がする)。
概日性リズムが順調になってきた一つの印は、トイレのリズムである。
だいたい、朝ごはんを食べて、少し歩くと、行きたくなる。
こうなると、もうだいじょうぶ。
人間に戻ってきている。
ホテルのレストランで朝食をとり、ちょっと外に出て、空気を吸ったら、「いい感じ」になってきた。
おっ、じゃあ、部屋に戻ろうか、とエレベーターホールに向かった。
自分は16階である。
「上」のボタンを押して、待っている間に、ますます「いい感じ」になってきた。
しかし、まだ大丈夫!
ちょうど部屋に着くころにくるだろう(間に合うだろう)と、この時点では、まだ余裕をこいていた。
エレベーターが開いて、中を覗いたら、イタリア人の女の子が3人乗っている。
グループかな、と思ったら、なんと、回数表示が3箇所明かりがついている。
ということは、何度も止まって、時間がかかるということだが、「へっちゃらさ!」と、まだまだ甘く見ていた。
自分の階を押して、クールな風を装って、スマートフォンを見る。
だって、あっ、この人、トイレがまんしている、って気づかれるとイタリアーノ的にいやでしょ。
エレベーターがするすると上昇する。
ポーン!
ひとり降りた。
ポーン!
また、ひとり降りた。
実は、そうやってエレベーター君がゆったりと昇天している間に、ますます、今すぐトイレの救急車プリーズ! みたいに、いい感じになってきた。
こればやばい、もし万が一、この、イタリア女子と共有しているエレベーターの空間において、お腹の方が、いわゆるひとつの不測の事態になったら。。。。
それは、もはや、ヴェスヴィオ火山の大噴火!
そっちの方の想像力が暴走しがちな私の脳裏を、「4・18、エレベーターの惨劇!!!」というイメージが、ヒッチコック的によぎったが、幸い、なんとか、まだだいじょうぶなようであった。
ポーン!
最後のひとりが降りた。
エレベーターが閉まる。
さあ、いよいよ、私の階へと。マイ・ホーム、16階へと。
思えば、「16」という数字を、これほど愛おしく思ったことがかつてあったろうか。
ポーン!
エレベーターが止まった。
よかった、間に合った。
そそくさと廊下を歩く。
急がず、けっして走らず!
もう少しだ!
ポケットからもどかしげにカードキーを取り出し、スロットに挿入しようとした、その瞬間である。
あれっ!?
部屋番号が、「12xx」となっている!
ぼくの部屋は、「16xx」なのに、なぜか、「12xx」という文字がある。
一瞬、頭が真っ白になって、それから、シマッタ! 違った階で降りたと気づいた。
呉越同舟ならぬ、「日伊同舟」のイタリア女子は全員降りていったのだから、自分が押し間違えたか、誰かが余計な階を押していたか。
さては、いわゆるクール・ジャパンな男子を装い、余裕をこいてスマホ画面を見ていたぼくは、それに気づかずに降りてしまったのだろう
やばい。お腹がやばい。
マジでやばい。
ヴェスヴィオ火山が、近づいてくる!
のっしのっしと、やってくる!
あわてて、エレベーターホールに戻った。
ここは、12階。
目指すは、16階。
あなたの行きたいのは、上の階、それとも、下の階?
女神さま、だいじょうぶです。
ぼくは落ち着いています。
「上」のボタンを押す。
ちょうど、ホテルの係のおじさんが廊下を歩いてきて、ぼくの姿を見て、「ボン・ジョルノ!」と陽気に声をかけてくる。
ぼくも、瞬時に笑顔をつくり、「ボン・ジョルノ!」と返す。
一見、優雅で、メロディアスなムード音楽が流れているような、そんなシークエンス。
しかし、ほんとうは、そんな場合じゃないんだって!
「ボン・ジョルノ!」とか言っている場合じゃなくて、マジ、やばいんだって!
一日千秋ならぬ、「一秒千秋」の思いで、エレベーターが来るのを待つ。
ポーン!
待ち人、ならぬ、待ちエレベーターがついに来る。
誰も乗っていない。
16階のボタンを押す。
よかった。たった4階分の移動。たいした時間じゃない!
間に合った!
心の中で、ガッツポーズ!
ところが、気づくと、エレベーターが下に向かっている。
おいおい、きみ、なんで下に向かうんだ!
何かの間違いじゃないのか!
しかも、途中階で人が乗ってくる。今度はイタリア女子じゃなくて、イタリア男子が乗ってくる。イタリアおじさん、イタリアおばさんも乗ってくる。
ふたたび、望まぬ「日伊同舟」だ。
おいおい、君たち、なんで、そんなに次から次へと乗ってくるんだ!
もし、エレベーターの惨劇になったら、どうしてくれるんだ!
油断していると、ベスヴィオ火山が、来るぞ!
君たちだって、臭いのはいやだろう!
何よりも、ぼくが、一番いやだ!
ポーン!
無限に感じられる時間が流れて、ぼくは、ロビー階に、イタリア男子、イタリアおじさん、イタリアおばさんとともに吐き出された。
振り出しに戻る。
ふたたび、ぼくの前にエレベーターがある。
ぼくの後ろには、エレベーターがない。
ああ、この、世界は実存的とでもいうべき、この展開!
もう、ぼくには、時間がない。
火山性微動も、腰のあたりから、増えてきたようだ。
もう、苦しむのは、十分でしょう。
そろそろ、エレベーターの無限地獄と、お腹の切迫感から、開放されたい。
おねがい。女神さま、おねがいです!
今度は、間違いなく、指差し確認をして、16階のボタンを押す。
階数ボタンの下には、「開く」と「閉じる」のボタンがある。
そうだ!
エレベーターには、急ぐ人のために、「閉じる」のボタンがある!
(地に這いつくばって)我々には、まだ、「最高裁」がある!
少しでも時間を節約しようと、「閉じる」のボタンを押す!
ところが、ドアが開く。あれ、誰か、外で、ボタンを押したのかしら?
数秒待っても、誰も乗ってこない。そこで、私はまた「閉じる」のボタンを押した。
ところが、また、ドアが開く。あれ、誰か、外で、ボタンを押したのかしら?
数秒待っても、誰も乗ってこない。そこで、私はまた「閉じる」のボタンを押した。
ところが、ドアが開く。
なんでだ!
ここに至って、ぼくは、ようやく、どうやら「閉じる」のボタン(誰がどう見ても「閉じる」である)が、電気回路の混線か、ミラノの気候のせいか、あるいはイタリア全土に満ちる「ファンタジスタ」の作用か、もしくは昨日食べた生ハムのせいか、とにかく、結論としては、「開く」になっているらしいということに気づいた。
ああ、この世は、不条理!
ヴィトゲンシュタイン、君は偉かった!
その間にも、お腹の切迫感は、クレッシェンドで、華麗なるフィナーレを迎えようとしている。
ベスヴィオ火山の、マグマ溜まりもいよいよ上昇してきているようだ。
人間、しきい値を超えると、むしろ開き直る。
もう、こうなったら、すべてを委ねよう。
今まで、ジタバタして、悪かった。
せこく、「閉じる」のボタンなど、押すまい。
ただ、静かにエレベーターの中に立って、運を天に任せよう。
そもそも、「自由意志」は、「幻想」だ。
ぼくは、静かに目を閉じた。
エレベーターのドアが、閉まる音がした。
約、1分後。
ぼくは、ようやく辿り着いた「16xx」の「部屋のトイレで、事なきを得た喜びにひたっていた。
ようやく抜け出ることのできた、エレベーターの無限地獄。
振り返れば、小さな、リアル脱出ゲームではあったなあ。
あの苦しい時間に比べたら、これからの人生の試練など、何ほどのものぞ。
人間のお腹って、いいな。切迫していない、普通のお腹って、いいな。
よかったんだ、これでよかったんだ。
すべてを赦し、水に流そう。
もう、決して、振り返るまい。
穏やかに晴れたミラノの朝に突然襲ってきた、笑撃! エレベーターの惨劇(だったかもしれないこと)。
ようやくのことくぐり抜け、ぼくは、今日もまた、何が起こるかわからない人生を、楽しんで生きようと決意したのである。
4月 18, 2015 at 04:46 午後 | Permalink
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