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2015/04/21

 ナポリの思い出。旗の集団と、骨折した友。「ブロークンレッグ、ポンペイ、ランニング!」

 ナポリは、ぼくにとって、一つの「聖地」だ。 
 忘れられない、大切な思い出があるからだ。

 昨日、夕方の海岸を歩きながら、「あっ、そう、まさにここだった! この景色!」と思い出していた。

 あれは、英国に留学している最中のことだから、もう20年近く前になるのだけど、学会でナポリに来た。日が暮れるころ、海岸を歩いていた。遠くに見えるヴェスヴィオ火山が血のように赤く染まって、何かが起こる、という気配に満ちていた。

 突然、バイクに乗った人たちの奔流が始まった。二人乗り。誰も、ヘルメットなどしていない。旗をパタパタとはためかせながら、ものすごいスピードで走っていく。
 その数、何百台、いや、何千台。いつまで経っても途切れない。

 何かを叫びながら、走っていく。
 一つの意志と情熱を共有した、そんな集団。

 これは、一体何なのだろう。
 この世に、こんな人たちによる、こんな行動が存在するとは、夢にも思わなかった。
 そんな、強烈な、ナポリの初印象。

 学会が始まり、その小旅行で、ポンペイに行った。
 ヴェスヴィオ火山の爆発で全滅したポンペイ。
 興味深く見て、集合場所に帰ってくると、一緒に学会に来ていた田森佳秀(@Poyo_F)が、足を引きずっている。

 「どうしたんだ?」と聞いたら、「いや、ポンペイの遺跡を全部見ようと思って、走っていたら、転んで足をくじいて、あまり痛いので、棒きれを見つけてそれを縛ってきた」という。

 見るとたしかに、どこから拾ってきたのか、汚い棒きれが、汚い紐のようなもので縛り付けられている。

 ポンペイは広い。
 私は、見られる範囲で、とゆっくり見ていたが、何事も「アルゴリズム」的に考える田森が、興味のあまり、すべてを「スキャン」しようと、遺跡を駆けまわる、ということは、大いにあることだ。
 そして、転んだ。
 ものすごく痛くて、おそらく骨折したんじゃないかと田森はいう。
 その痛みをどうしようと考えて、遺跡で棒切れと紐を見つけて、足を縛るのも、いかにも田森らしい。

 学会参加者は私たち以外はほとんどヨーロッパ各国の人たちだった。
 夜、会場に行くと、みんな田森を見て「どうした?」と聞く。
 経緯を知って、一様に笑いつつ、心配する。
 誰かが、マッサージがいい、というので足をさすってあげた。田森が、「利くかもしれない」といいつつ、「やっぱり痛い」と顔をしかめると、みんな大いに笑った。

 翌日、田森といっしょに、ナポリの街を、医者を探して歩いた。
 イタリア語がよくわからないが、とにかく、歩きまわっているうちに、緑色の十字のところを見つけた。
 医者か薬局か、そういうところらしい。

 入っていって、棒切れを縛りつけた足を見せて、田森も、「ブロークンレッグ、ポンペイ、ランニング!」とか必死に言って、治療をしてくれ、と交渉したが、「どこから来た?」「日本だ」というと、「ノーノーノー!」と大きく両手をふられて、返されてしまった。
 保険か何かの関係だったのかもしれない。 
 あるいは、単純に、面倒くさいやつら、とおもわれたのかもしれない。

 結局、田森はナポリでは治療してもらうことができず、日本に帰って医者に見ても
らったら、やっぱり骨折していたのだった。 
 よく、痛みを我慢していたと思う。

 そんなことがあったなあ、とナポリの海岸を歩きながら思い出していた。
 私の人生においては、忘れがたき記憶だが、人類全体から見たら、取るに足らない、一つの「個別」にすぎないだろう。
 しかし、人は、「個別」こそをかけがえないと感じるのだ。
 
 ところで、20年前、あの夕暮れのオートバイの集団は、ほんとうにすごかった。

 あとで、それは、地元のサッカーチームが試合に勝って、熱狂したファンたちがスタジアムからあふれ出て疾走していたのだろうと聞いた。
 へえ、そんなことがあるのか、と思って、そして感激した。
 ナポリというと、未だに、あの光景を思い出す。

 ナポリは治安が悪いだとか、ゴミがあふれているとか、そのようなことが、日本の旅行ガイドには書かれていがちだ。

 しかし、そんなことよりも何よりもぼくは、あの、旗をはためかせた若者たちの奔流と、そして、足に棒きれをしばりつけた田森と、医者を探してとぼとぼ歩いていた、あの裏通りの気配を、ナポリの象徴として、愛おしく思い出す。

 だからこそ、ナポリは、ぼくにとっての一つの「聖地」なのだ。

4月 21, 2015 at 01:50 午後 |