カーテンが風にゆれて
新年、五日。
日差しの温かい、よく晴れた日。
鳩山会館への坂を上るのは、ちょっとした苦労だ。
建物の中に入ると、鳩山由紀夫さんが、すでにいらしていて、にこにこと笑っていらした。
あまりにも天気が良いので、思わず、庭に出た。
鳩山一郎さんの銅像がある。
ちょっと、まぶしい感じで、目を細めて見ていると、鳩山由紀夫さんも、庭に出ていらした。
しばらく、お話する。
建物の中に戻ると、いつの間にか、他にも、数人、人がいらしていて、鳩山さんと歓談し始めた。
私は、隅っこの椅子に座って、ぼんやりとしている。
鳩山さんが、かかっている絵を指して、話し始めた。
「あそこ、へこんでいるでしょう。私が硬球を投げて、ガラスを割って、あの絵にぶつけてしまったのです。」
しばらく経ってから、鳩山さんに聞いてみた。
「鳩山さん、この家に、何歳くらいから住んでいらしたのでしたか。」
「小学校2年生からですね。」
「何年くらいいらしたのですか?」
「大学を出て、留学するまでです。」
「小学校は、どこにいらしていたのですか?」
「学習院ですね。」
「車での送り迎えですか?」
「いえいえ。当時は、都電が前を走っていたので。」
「じゃあ、あの坂を、毎日上り下りしたのですね。」
「はい。」
「大学へは、ここから、歩こうと思えば歩けますね。」
「今考えると、そうだなあ。」
「新春放談」の収録が終わって、みんなでお弁当を食べるということになった。
大きなテーブルがあって、外が見える側の席をどうぞ、とおすすめしようとしたら、鳩山さんは、さっさと窓を背にする席に座ってしまった。
「ここが、私の指定席だったのです。となりに、鳩山一郎がいつも座っていて。」
「お父さまも座っていらしたんじゃないですか」と誰かが聞くと、鳩山さんは、
「父と夕飯を食べることは、ほとんどありませんでした。いそがしい人で、いっしょに夕飯を食べたのは、年に一二回だったんじゃないかな」とおっしゃった。
辞するときになって、坂道をぐるりと下りながら、思った。
この木、あの木を、小学生の鳩山由紀夫さんは毎日眺めながら通学していたのだな。
一人ひとりの脳裏には、それぞれの「物語」があって、ごくたまに、カーテンが風にゆれてその一部がかいまみえる。
音羽の通りは、多くの人や車が行き交っていて、私は急ぎ足で江戸川橋の方向へと抜けていった。
1月 6, 2015 at 07:43 午前 | Permalink
最近のコメント