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2014/11/28

「選択肢の狭い人」だった

フジテレビで、『ワイドナショー』の収録があった。
 いつもお世話になっているプロデューサーの朝倉千代子さんと、衣装の上野真紀さん。
 ぼくの姿を見るなり、「本当にやせている!」と言っている。

 実は、朝倉さんに、8キロやせた、と事前にメールしておいたのだ。

 上野さんが、にやにやしながら、「この服入ると思いますよ」と言いながら、いつもと違う感じのパンツを出してくださった。
 どうかなあ、痩せたと言っても、まだまだだからなあ、と思ってはいたら、本当にぴったり。
 凄いなあ、上野さん。プロフェッショナルだ。

 無事収録が終わり、部屋に戻ってきたら、上野さんが、「これから、テンションが上がる」とか言っている。
 どういうことですか、と聞くと、「これで、着られる服の種類が増えるから、テンションが上がって仕事ができますよ。やる気出ますよ。」と上野さん。

 「えっ、どういうことですか?」とぼくが聞くと、隣から朝倉さんが説明してくださった。

 なんと、オーバーウェイトの人は、着られる服の選択肢が狭まるというのだ(考えてみれば、当たり前か!)
 上野さんには、『ベストハウス123』の頃からお世話になって、早幾年。
 その間、ずっとオーバーウェイトだった私は、実は、衣装の上野さんから見ると、「選択肢の狭い人」だったのだ。

 があんがあんがあん。そうだったのかあ!

 帰りながら、朝倉さんに、「本当に、太っている人は、着られる服が少ないのですか?」と聞いてみた。朝倉さん曰く「それはそうですよ。服は、普通の体型の人向けにつくられるんだから。」
 「だけど、太っているタレントの方も、いらっしゃるではないですか。」
 「だから、石塚さんとか、いつも、Tシャツにサスペンダーでしょ。」

 あっ。確かに。。。。。

 それで、ぼくは、もうぐうの音も出なくなってしまって、ちょっとうつむき加減に、おとなしく廊下を歩いていった。

 上野さん、ごめんなさい。朝倉さん、ごめんなさい。ぼくは、今まで、衣装の選択の幅が狭い、わるい子でした。

 衣装の選択の幅、広げるために、スリムになります。
 今まで、でぶで、もうしわけありませんでした。m ( _ _ ) m


フジテレビの楽屋で、衣装の上野真紀さんと。お世話になっています!!!!
20141127


11月 28, 2014 at 06:28 午前 |

2014/11/25

 散歩。

久しぶりに浅井愼平さんにお目にかかる、その場所までの10キロほどの道を、100分くらいかけて、歩いていった。

 歩かないと見えてこないものがある。東京の街は、一つ道路を入ると、驚くほど表情が違っていて、よく知っていると思っていたエリアも、新しい発見があったり、しばらく来ない間にめざましい変化があったりする。

 新宿の手前の川のあたりで、大規模開発の工事が進行中のところがあり、さて、ここは、前はどんな景色だったかしら、と記憶をたどった。「営業しています」との看板が。工事のあれこれで、お客さんがよくわからなくなってしまったのだろう。

 都庁のところに来た。庁舎と、議会の間の道を歩いた。

 丹下健三さんの設計だが、その元々の構想では、この道路はなかったのだと聞いたことがある。それを耳にした時、初めて腑に落ちたように思った。

 もし、道路がなかったら、都庁舎と、議会の間に、一つの公共空間ができあがる。ちょうど、ヨーロッパの広場のように。ミュンヘンの市庁舎前のような、人々の憩いの場ができていたはずなのだ。

 歩いていると、そのような巨大なニュアンスから、小さなささやきまで、いろいろなものに出会って、その景色が次第に薄暮に包まれていく時間の流れを、まばゆい光の建物の方に向かうと、そこに、浅井愼平さんの、素敵な笑顔があった。

11月 25, 2014 at 07:01 午前 |

2014/11/24

 パドリーノの肖像

佐賀新聞社長の中尾清一郎さんは、私の友人である。

 母親が佐賀の唐津生まれということもあって、私は佐賀に、そして中尾さんに深く親しみを感じている。

 いっしょにシチリア島に旅行した時、中尾さんのあだ名は「パドリーノ」になった。現地で、ゴッドファーザーを「イル・パドリーノ」と言うということを知り、中尾さんにぴったりだと思ったのである。

 もっとも、中尾さんは、こわいパドリーノではなく、お茶目でかわいらしいパドリーノだ。

 先日、佐賀新聞社内で、佐賀テレビで新春放送されるという番組の収録があった。

 パドリーノと、有田焼の魅力について語り合った。

 パドリーノはイラチで、「早く撮影しましょう」とスタッフに急かす。
 ぼくが聞いたら、2カメの予定が、まだ一つ来ていないから、到着を待っているということだったが、それでもパドリーノは「後でカメラが来たら追加すればいい」などと言っている。

 そこで、ぼくが、「中尾さん、テレビの収録というものは、そういうもんじゃなくて、カメラがちゃんと揃ってからにしましょう」と言ったら、「仕方がない」というような感じで、どこかに消えてしまった。

 パドリーノがいない。

 ぼくが、呆然と座っていたら、しばらく経って、どこからか、微かに音楽が聞こえてくる。

 あれ、誰かのスマホの呼び出しが鳴っているのかな、と思ったら、どうやらクラシックで、いつまで経っても止まない。

 へんだなあ、音楽の幽霊かしら、と思っていたら、ようやく、心の中でメロディーがかたちをとりはじめた。

 パルジファルだ!

 それで、ああ、と腑に落ちて、近くにいたハッシーに、「ひょっとして、隣の部屋、社長室ですか?」と聞いたら、そうだという。

 パドリーノは、撮影が進まないのに業を煮やして、隣の社長室にふっと入ってしまって、そこで、パルジファルをかけ始めたのだ。

 あとで聞いたら、「こんな時はパルジファルでも聴かないと、気が休まらないでしょ」と言った。

 それで、ぼくは、パドリーノは佐賀のルートヴィッヒみたいだなと思った。

 あとで、福岡に移動しながらそのことを言ったら、パドリーノは、まんざらでもなさそうだった。

 実際、えへへと口元がゆがんでいたのである。

11月 24, 2014 at 06:46 午前 |

2014/11/11

名古屋駅でのこと。

タクシーが、名古屋駅の新幹線口に近づこうとしたら、一切通れない。
 警察の方が、「ここから先には行けません」と丁寧におっしゃったけれども、その理由など、一言もお話にならない。
 
 じゃあ、ここで降りますと、タクシーから出た。

 そこから、新幹線に乗る太閤口までは、歩いてすぐである。
 ところが、もの凄い人の波が前の方にあって、それが壁のようになっていることがわかった。
 大きな日の丸が立てられていて、その周囲に、日の丸を持った人が何人かいる。みんなが、カメラを持った手を伸ばして、撮影しようとしている。

 ふと、スケート選手とか、スポーツをやっている方が凱旋帰国されたのかな、と思った。
 
 とにかく、一切先に進むことができない。よく見ると、目立たないように立っていらっしゃるが、SPの方々もたくさんいる。

 その時、前を誰かが通られて、フラッシュがいっせいに焚かれた。
 「ばんざい!」 「ばんざい!」と叫ぶ方がいらした。

 誰が通られたのか、見ることはできなかったが、通り過ぎられると、SPの方々が、「ゆっくりとお進みください」と言って、それから、人の壁がさっとゆるんで、太閤口に通ることが出来るようになった。

 この間、ほんの2、3分。

 道行く人の言葉で、皇太子さまがいらしていたことを知った。
 雅子さまもご一緒だったとのこと。

 それを聞いたとき、まっさきに思ったのは、「ああ、良かった」ということだった。雅子さまもご一緒で、良かった。

 歩きながら、あの、人の壁の何とも言えない雰囲気について考えた。
 確かに、スポーツ選手の凱旋でも、スターの来日でも、あの雰囲気は出なかっただろう。
 人の意識というものはふしぎで、そこには峡谷も深海もあり、皇太子夫妻がいらっしゃらないと生まれない沃野もあるのだろう。

 小林秀雄さんが、新嘗祭のことについて、講演の中で話していたのを思い出した。
 寒い中、陛下が儀式をされる間、外でずっと立っていて、温かい鴨汁が振る舞われるのではなかったか。

11月 11, 2014 at 07:34 午前 |

2014/11/03

沖縄の大地

行きの飛行機は、寄席を聴きながら、ずっとうとうとしていた。
 おそらく、たっぷりと2時間くらいは、温泉でゆったりとまどろんでいるような感じになっていたのではないかと思う。

 那覇空港は、修学旅行の学生でいっぱいだった。ぼくは、トイレに入って、白シャツと黒ジャケットに着替えた。

 送られてきた予定表には、空港から辺野古に行くとあった。いったいどのような服で行けばいいのかと、なんとなく考えこんでしまって、それで、結局は着替えた。

 辺野古は、ごくふつうの海辺だった。しかし、沖合に赤い線があって、そのあたりが埋め立てられるのだという。
 テントがあって、そこに何人かのひとたちが座り込みをしていた。
 一方、少し離れたところに、黒い街宣車が来ていて、ずっと軍歌を流していた。

 座り込みのリーダーの方とお話しした。初めて認識したことが二つあった。
 一つは、沖縄は台風がくると浜辺はたいへんで、誰も近づかない。10メートルの高さで盛り土をするというけど、それでだいじょうぶかということ。
 もう一つは、辺野古のあたりは、海が深くて、軍艦が寄港できる。つまり、単純なる移転ではなく、新しい基地の建設であると。

 海を見ているうちに、ふしぎな気持ちになった。テントと街宣車が、一つの風景の中に溶け込んでいる。
 
 ほんとうは、沖縄の大地は、異なる立場の人たちを、すべて受け入れるくらい、それくらい大きいのだろう。
 人間たちはしかし、つい、意見の違いをそのまま「壁」にしてしまう。

 帰りの飛行機は、また、寄席を聴きながらうとうとしていた。
 水が漏れる茶碗が千両になる「はてなの茶碗」。私の大好きな、上方のナンセンス噺。
 中で、天子さまが、「万葉仮名」で「はてな」と書かれるという話がある。
 さて、万葉仮名では、「はてな」とはどう書くのだろう、と思っていたら、いつの間にか羽田の光が見え始めた。

11月 3, 2014 at 07:11 午前 |