三十三間堂の静寂
先日、京都駅から京都大学医学部まで歩いたのをきっかけに、なんだか、京都を歩くのが好きになってしまって、囲碁名人戦を拝見するために会場のウェスティン都ホテル京都入りするのも、歩いていくことにした。
ルートをにらんで、鴨川をまずは渡ってしまうことにした。
あたりはとっぷり暮れて、人通りも少ない。
京都も、真ん中あたりはだいぶ開発されていて、普通の街と変わらなくなってしまっているけれども、東山は、昔ながらの街並みが続いていて、歩いていると、ほっとするのだった。
やがて、塀が現れ、それがずっと続いた。
落ち着いた街並みだけれども、塀とその向こうの世界は、さらに深い趣が広がっているように感じた。
三十三間堂だった。
歩き続けながら、思った。
現代においては、宗教は、どうも分が悪いけれども、お寺や、神社という、祈りの場があることで、守られてきたものは大きい。
人間は、欲望のおもむくままに、開発し、更新し、街の様子を変えてしまうけれども、お寺があるということで、数百年の単位で、一つの静寂が保たれる。
鎮守の森が、畏れの心とともに守られるように。
だから、宗教の機能は、私たちがふだん考えることとは別のところにもあるのかもしれない。
暗がりを抜け、祇園のあたりに来ると、ずいぶんにぎやかになって、私も、普段の調子になってきた。
お腹が空いていることに気付いて、「餃子の王将」に入り、味噌ラーメンと餃子を注文した。
おいしくいただきながら、さきほどの三十三間堂の静寂が、ずっと、心の底に残っていた。
10月 8, 2014 at 07:10 午前 | Permalink
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