ある昼下がりの光景
最近、昼下がりにある街を歩いていたら、ちょっとひやっとすることがあった。
道路脇の歩道を、歩いていた中年の女性と、自転車二台に乗ってやってきた中年の男性、女性がぶつかりそうになったのだ。
自転車は急ブレーキをかけてとまり、女性もびっくりした様子でからだをこわばらせたけれども、幸いぶつかることはなかった。
そこは、大型の店舗のある前で、人通りも多かったので、周囲のひとも、ひやっとして、でも、怪我がなかったようなので、ほっとした。
そうしたら、自転車に乗っていた男性が、女性を罵倒し始めたのだ。
「携帯をいじりながら歩いているから、そんなことになるんだろう!」
私だけでなくて、みんながびっくりして、中には、その男性をたしなめようと、何か言おうとしている人もいた。
よく考えたら、歩道を自転車が(かなりのスピードで走る)ということも、ルール違反かもしれない。
女性の方も、携帯を操作しながら歩くというのはよくないかもしれないけれども、あのように一方的に怒られることは、ないような気がする。
でも、携帯の女性は、素直に、すみません、というように頭を下げて、歩み去っていった。それをにらみつけるように見ていた自転車の男性と、女性は、ふたたび、歩道を、それなりのスピードで、走っていった。
ここで、私はトイレに行きたくなって、その大型店舗の中に入っていったのだが、そこはかとない違和感を抱いていた。
今見たばかりの光景に、どこかおかしい点がある、という印象があったのだ。
トイレの個室に座ってぼんやりして、出て、ふたたび街を歩き始めた瞬間、はっとした。
なぜ、違和感を抱いたのか、わかったのだ。
さて、みなさんは、私が何に気付いたのか、おわかりになりますか?
自転車の男性が、女性に、携帯を操作しながら歩いていることの危険を指摘するのは、いろいろな考え方があるだろうが、まあ、それほどおかしなことではないかもしれない。
歩道を自分たちが自転車で走っていることを棚に上げていることは問題だが、それほど、素っ頓狂なことではないかもしれない。
違和感の理由は、もっと別のところにあったのだ。
それは、自転車の男性が、あのようなことがあった時に、「真っ先に言うべきこと」は何かということ。
それは、歩道を、携帯を操作しながら歩くと危ないとか、自分たちが歩道を自転車で走っていたのは悪かったとか、そういうことではない。
女性にぶつかりそうになった後で、真っ先に言うべきこと。
それは、「だいじょうぶですか?」ということだろう。
「おけがはありませんか?」
「びっくりなさいませんでしたか?」など、女性を気遣う言葉を発するべきだった。
女性がびっくりしたり、不安を感じていたら、それをやわらげるような言葉をかけ、行動をとるべきだった。
だって、たとえ、身体は傷ついていなくても、心が動揺しているかもしれないし、ショックを受けているかもしれないのだから。
その上で、もし必要ならば、携帯の操作のこととか、自分たちが歩道を自転車で走っていることについて、何か言えば良い。あるいは、言わなくてもいい。(おそらく、言わない方がいい)
ここで肝心なのは、私は、自転車の男性を非難しているわけではないということだ。
人間というのは、咄嗟の時に、なかなか真っ先に言うべきことが言えない、そんな存在なのではないだろうか。
現に、私も、違和感の理由を、トイレに入って出てくる、数分間の間、探り当てることができなかったのだから。
携帯を操作していたという、行動のある側面を非難する前に、真っ先に相手のことを気遣う言葉を発すること。それは、人間としておそらくいちばん大切なことだが、それが難しい。
そして、人間としていちばん大切なことを見失って、相手の行為の枝葉を非難するという事象は、社会のあらゆる側面で、昨今、見られるように思う。
9月 29, 2014 at 07:14 午前 | Permalink
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