髪の毛の存在意義についてのいわゆる一つのアハ体験
髪の毛の存在意義については、二足歩行する時に上からの太陽直射を避けるためだったとか、進化論的にはいろいろ言われている。
それはさておき、今朝、私にとっての髪の毛の存在意義に気づく、いわゆる一つの「アハ体験」があった。
例によって、パンツやTシャツ、靴下を洗って寝たと思いねえ。朝、ごはんを食べにいくときに、とりあえず今のところ、髪の毛洗わなくてもいいか、身体軽く洗えばいいかと思ってシャワーに入った。
ところが、髪の毛洗わないで身体だけ洗おうとボディソープに手を伸ばしたとき、強烈な違和感があった。
私は、洗う時タオル使わない。石けんかボディソープで、全部洗っちゃう。
それで、今朝、髪の毛を洗わずして、身体洗おうとした時に、ふだんやっていることに、改めて気づかされたのである。
まず石けんないしボディソープを髪の毛になすりつけて、泡立てる。そこが「泡発生センター」となり、あふれ出た泡が、身体の方に下りていくという「システム」になっている。そういうことに、毎日なっていたらしい。
だから、髪の毛でまずしゅわしゅわしないと、身体も洗えない。そんな体質になっていたのだ。
その意味では、私の、いわゆる一つの「もじゃもじゃ」の髪の毛は、泡発生センターとして、すぐれた機能を備えていると言える。逆に言えば、そういう髪の毛だったから、髪を泡発生センターとして使う、という洗い方にたどり着いたのであろう。
なあんだ、そうか、と思った。人生の基本は、洗髪、洗体にある。自分のスタイルを取り戻した私は、キラリ、と光る目で浴室を見渡すと、自分のふだんの仕業に徹した。
まず、ボディソープを髪の毛になすりつける。シャワーをかけて、泡しゃわしゃわ立てて、それを身体に下ろしていく。
そうだ、私は、いつもこんな風に洗っていたのだった。台風が来ようが、パンツがまだぬれていようが、自分の本分を、忘れてはいけない。
危うく、自分を見失うところだったよ。くわばらくわばら。
もじゃもじゃの髪よ、君は偉大だ。いつもいつも、あわあわしてくれて、ありがとう!!! そういえば、宇宙も泡から始まったからねえ。
9月 16, 2013 at 09:57 午前 | Permalink
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