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2013/06/20

朝シャワーを浴びて髪の毛を洗う、という習慣は、天然もじゃの必殺ライフハックだと思っていたが、意外なトラップあったね。

ぼくはお風呂/シャワーは、基本的に朝しか入らない。

なぜかと言えば、ぼくは、夜入ると、髪の毛があさまでに爆発してしまうからだ。

というわけで、ふだん着ているTシャツがそのまま「寝間着」になるので、ズボンを床の上に脱いで、そのまま寝てしまう。

それで普段はいいのだが、二日前文字通りあせった。ムシムシして、窓を開けたまま眠っても、暑いくらいだった。それで朝起きて、太陽の光に包まれたことを意識した瞬間、やや遅れて、ぼくは思った。

くしゃい!

そうなのだ。前の日に一日着たTシャツを着て、そのまま寝ているから、さらに加えて、ムシムシ大行進な夜の空気に包まれてぼくは発汗していたらしく、自分が着ているTシャツから、むわーっと、なんか臭いのだ。

ひええ。

ぼくはびっくりしてジョギングに行って、汗をさらにかいてから、ようやくシャワーを浴びた。

こういうのよくないね、臭気ブタ男。

朝シャワーを浴びて髪の毛を洗う、という習慣は、天然もじゃの必殺ライフハックだと思っていたが、意外なトラップあったね。何か対抗策考えよ。

6月 20, 2013 at 07:54 午前 |

2013/06/19

選挙カーの恐怖!

選挙カーって、意味がないと前から思っている。候補者の名前を連呼しているだけだし、うるさいし。その候補者の名前も、よく聞き取れないことが多い。

ただ、友人が選挙出ていたりすると、その選挙カーだけは、大目にみようか、と思っちゃう人間の弱さとかご都合主義って、確かにある。

一度、知り合いの候補者といっしょに、選挙カーに乗ったことがあった。車から見ていて思ったけど、沿道の人、案外無視しているよね。候補者としても、効果があるかどうかわからないけど、とりあえずやらないと不安、みたいなものが、選挙カーなんじゃないか!

それで、今、都議選をやっているので、いろいろなところで選挙カーと出くわす。これが、困るんだよね。だって、候補者が手を振っていたりすると、ぼくは根が素直な人だから、何かリアクションをしないと悪いんじゃないか、と思ったりする。

さらに、ぼくは時々人間を同定されてしまうこともあるので、リアクションして手を振ったら、「おい、あのもじゃもじゃ脳科学者、手を振っているよ!」とか言われるし、無視してたら、「おい、あのもじゃもじゃ脳科学者、オレたち無視しているよ!」となって、いずれにせよ、北海道弁で言えば、「あずましくない」結果になるのだ。

だから、選挙カー、なるべく避けているんだよね。

先日、恐怖の体験があった。一本道をジョギングしていたら、向こうから曲がっていきなり選挙カーが出現したのだ。

「みなさま、まだまだ、これからでございます。よろしくお願いします」とか低姿勢のことを言いながら、前に行くぞ、という意志だけはどーんと強く、どんどんこっちに近づいてくる。

わっ、来るな、お前、こっちに来るな、来るんじゃねえ!

私は、びっくりしたネコのように、思わず立ち止まってしまった。それでも、選挙カーは容赦なくこっちに近づいてくる。

うわああ!

私は、恐怖のあまり、くるっと回転すると、逆方向に後ろをふり返らずに走り始めた。

その間も、選挙カーが追いかけてくる。「みなさま、○○でございます。ご声援、ありがとうございます。○○です。ありがとうございます」

ありがとうじゃねえ、○○じゃねえ、こっちに来るんじゃねえ。

もはやジョギング、とは言い難い猛スピードで走って、私は脇道にそれ、ようやく息をついた。

それから、私は、猛獣が来るのを待ち構えるように、十字路のあたりを凝視していた。すると・・・・

モンスターが、その正体を現した。灰色のバンの上に、緑色で大きく候補者の名前を書いた選挙カーが四つ角で、一端停止。さて、どっちに行こうか、みたいな感じで品定めしている。

わっ、こっちに来るな! 来るんじゃない!

幸運の神さまが、やっと舞い降りた。

選挙カーは、私のいる道路のほうは、「ろくなターゲットがいないな」みたいな感じで、くるっと、逆方向に向かって走り出したのである。

良かった。本当に、良かった。私は、また、普通のスピードで走り始めた。

白昼の、選挙カーの恐怖。いろいろな意味でコワイ。

それにしても、都議選がある間、このような恐怖体験を何度もしなければならないのだろうか。

助けて、神さま!

6月 19, 2013 at 06:56 午前 |

2013/06/18

一難去って、また一難。助けて、神さま!

 人生には、いろいろな「トラップ」があるものだ。
 そして、トラップは、ラスボスが倒れたと思っても、繰り返しくりかえしおそってくる! あなたの足にカニばさみをしかけてくる!

 私がよく行くコンビニの、マンガの置かれている棚の一角に、私の著書『幸福になる「脳の使い方」』(PHP新書)が2冊置かれ、それがなかなか売れずに「放置」されていた、という一件については、以前ご報告した。

 コンビニに行く度に、心を痛め、「ゴルゴ13」や「こち亀」が順調に回転していくのに、私の『幸福になる「脳の使い方」』はそのまま2冊並んだままで、そのうちに、その小豆色の背表紙を見るのが苦痛になってきた、ということもお話しした。

 その後、「一冊売れて、在庫が50%削減された!」という驚嘆すべき慶事についても、ここでご報告した。

 そしてですね、ぐふふ。先日、はっと気づいたら、何と、残り1冊も売れていたのです!!! 

 やった! 私の行きつけのコンビニのマンガ棚から、私の著書がなくなった!

 これで在庫整理、心は晴れ晴れ、もう「スターバックス ディスカバリーズ® ミラノエスプレッソ」を買いに行く時に、自分の本の人気のなさを見せつけられて、じと〜り、じと〜りと脂汗を流すこともなくなったっ、と思った矢先!

 なんと、またそのコンビニに私の本が置かれたのであります。

 いやその、別にエゴサーチしているわけじゃなくってさ、こち亀の新しい巻出てないかなあ、と棚のあたりを見たと思いねえ。それで、ふとちょっと下の方を見ると・・・・
 
 じぇじぇじぇ!

 というか、

 げげげ!

 あったんですねえ。『脳が変わる生き方』。PHP文庫。しかも、また二冊! 
 なんで、いつもPHPなんじゃい!

 これで、私は、その棚のあたりを通るのが、またまたこわくなってしまいました。

 また、しばらく、売れないでおきっぱなんだろうなあ。二冊仲良く並んで、ずっとそこに在るんだろうなあ。一難去って、また一難。助けて、神さま!

6月 18, 2013 at 08:45 午前 |

2013/06/15

 映画『奇跡のリンゴ』をやっとみることができた。

 『プロフェッショナル 仕事の流儀』のスタジオで、木村秋則さんに会って以来、ずっと親しくさせていただいてきた。

 木村さん、口の中も自然農法で、歯が一本もないけれども、笑顔はまるで太陽そのものだ。

 その木村さんの生涯が映画になるというので、なんだかドキドキしながら見に行った。

 そしたら、結婚式のシーンで、木村秋則さんご本人が登場していた!

 阿部サダヲさんは、演技が木村さんのコピーにならないように気をつけた、とかどこかで言ってたけど、結果としてものすごく説得力のあるキャラクターになっていたと思う。一つのことにとりつかれた男の明るい狂気のようなものを、一分の隙もなく描ききっていた。

 菅野美穂さんが演じた木村さんの奥さん役も、とても良くって、なんだか人間の手触りがした。

 そう、物語の全体に、人間の感触があるんだよね。それが、リンゴのイメージと重なって、とっても温かい映画になりました。
 
 岩木山の風景や、夏祭り(ねぷた? ねぶた?)の光景も、とても美しく、場面から場面へのコンティニュイティーなど、映画として、とてもよくできていました。

 木村秋則さんが、リンゴができずに次第に追い詰められていく感情の起伏。でも、どこか底の方で、ユーモアのセンスを失わないんだよね。

 『プロフェッショナル 仕事の流儀』で木村さんが登場したとき、最初の黒ポンで、「人生をあきらめかけている人へ」というような文字が出たけれども、『奇跡のリンゴ』は、まさに、「人生をあきらめかけている人」に届けたい、見ると元気になる、そんな映画だったと思う。

 映画終わってすぐに、木村秋則さんに電話した。「おめでとうございます!」と言いたくて。木村さん、いつものように、「あっ、茂木さん、あははははは」と太陽のように笑っていた。

 良かったなあ、と思って。散々苦労して、でもようやく栽培に成功して、今こうして木村秋則さんの生涯が東宝から映画になって。人生、捨てたもんじゃないな、と感じる。

 実は研究室のゼミを急遽「映画を見て複雑系について考える会」にして行ったのだけど、映画終了後、かなぴょんを交えてちょっとビールを飲んで、それからぼくは六本木ヒルズまで40分くらいかけて歩いて、伊東豊雄さんのお祝いの会に向かったのでした。

6月 15, 2013 at 08:05 午前 |

2013/06/13

東大法学部「分割」「民営化」案について

日本の教育改革について考えています。
それで、いつも東大のことばかりと言われるかもしれないけど、母校だし、予算規模も大きいし、ある種象徴的な存在なので、ご容赦。

一つの考え方として、東大法学部の「分割民営化」を提案します。これだけでは、何を言っているかわからないですよね。以下、簡単に説明します。

東京大学は、明治以降の日本の近代化を担う「文明の配電盤」でした。その中でも法学部は、官僚を輩出する、いわば「東大の中の東大」でした。

ところが、グローバル化などの状況の変化によって、法学部が、「お荷物」になってきたように私は感じます。

法学部のカリキュラムは、比較法学やローマ法、法制史などの科目はあっても、やはり日本の実定法中心。すると、国際的な学生構成にするのは難しい。

霞ヶ関や、司法中枢との強固な結びつきは東大法学部の最大の売りでしたが、グローバルな大学競争時代には、ヘタをすれば「不良資産」になりかねません。

Times Higher Educationなどが出す大学ランキングがすべてではないですが、グローバルな大学競争時代における一つの方向性ではある。そして、東大は、法学部があることで、大学ランキングが上がるよりも、どちらかと言えば下がるでしょう。

これは皮肉なことです。東大の文系学部の中で、法学部(文I)はずっと選民意識というか、自分たちこそ東大だ、という認識を持ってきたように思います。ところが、ふり返ってみると、文II(経済学部)、文III(文学部やその他学際的な科目)の方が、現状はどうであれ、実は学問のあり方としては国際化、グローバルな体制がとりやすい。

法学部は、あまりにも日本の実定法、そして国家との結びつきが強かったがために、かえって国際化が難しい。だから、このままでは、東大の不良資産になります。

もちろん、社会の成り立ちを支える法学自体には、輝かしい未来がある。どのような制度設計がイノベーションを起こし、フェアな社会につながるかという社会工学的なアプローチ、Lawrence Lessigが研究しているような、インターネットと法秩序の関係性、さらには規範意識や、刑罰などの認知的アプローチなど、興味深い研究分野はたくさんあり、国際化も可能でしょう。

そのような学問を大いにやる「東京大学法学部2.0」ができれば、そこには明るい未来がある。

このような現状認識に基づき、私は東大法学部の「分割」「民営化」を提唱するわけです。

まず、「分割」ですが、現在の法学部のカリキュラムの中心をなす日本の実定法に関する授業を、切り離して、法科大学院の方に移す。その代わりに、国際的な視点に立って興味深い新しい法学の科目を、リベラル・アーツ教育の一環として提供する。
学部の時から日本の実定法を学びたい人は、法科大学院の科目も履修できるようにする。

そして、「民営化」ですが、学部のraison d'etreとして、国家との結びつきが強すぎることを改める。必ずしも、国立大学法人ではなくなる、ということを意味するのではありません。もっと学問としてのindependenceを高める。

東大法学部「分割」「民営化」というと、一見センセーショナルな印象がありますが、実際に含意されていることは、以上のことです。

そのくらいの思い切ったことをした方が、東大も、法学部も、そして日本の教育全体も輝くと私は考えるのです。

2013年6月13日 茂木健一郎

6月 13, 2013 at 10:00 午前 |

カラオケには、人の本質を引き出す力がある。 ぼくの場合、それはバカである。

あるいはBAKA、

あるいは大バカ。

昨日、集英社のUOMOの取材で、カラオケを歌った。スタイリストの祐真朋樹さんがもたれている連載企画におじゃました。

それで、祐真さんとカラオケをうたった。いつものように歌った(ぼくの友人はみんな知っているよね。ぼくがいかにバカか)。

そしたら、カメラの人が、写真をたくさん撮った。それがマックに転送される。助川さんや、日高編集長が、ケタケタ笑っている。なんで? と見たら、バカがたくさん映っていた。あっ、オレのことか。

あまりにもあきれたので、iPhoneで撮ってしまった。

こういうバカ写真が、MacBookにたくさんあって、それは世にもおそろしい光景ではあった。祐真さん、みなさん、ごめんなさい。


Sukezanemogikaraoke20130612


6月 13, 2013 at 07:52 午前 |

2013/06/12

人間には、やばい気配を察知する能力がある。

先日、ある通りを少し急ぎ足で歩いていた。そしたら、前方に、ガラケーで風景の写真をとっている女性がいた。

そのとき、なんとはなしに、「あっ、やばい」という気がした。その女性の全体の雰囲気というか、ガラケーのかまえ方というか、何かが私の心にアラームをならした。でも、その色はまだほんのり薄いオレンジだった。

なにげに通りすぎようとしたら、突然、その女性が私の横を、同じペースで歩き始めた。

な、な、な、な、なんだ君は!

アラームの色が、赤くなった。

そしたら、その女性が、「あら先生、先生がなぜこんなところに!」と言うではないか!

アラームの色が、真っ赤になって、ピコピコ点滅し始めた。

なぜこんなところにって、用事があって歩いているのダ!

「お急ぎですよねえ」

そう、お急ぎだから、早歩きしているのダ! 私は失礼にならない程度に会釈した。

そしたら、その女性は、あきらめたのか、歩みをゆるめた。

私はほっとして、歩き続けた。その時!

カシャッ!

なんと、背後から、ガラケーで撮影する音がするじゃないか。タイミングといい、距離といい、私の後ろ姿を撮ったに違いなかった。ふりかえりはしなかったけど。

角を曲がって、あの人は一体なんだったんだ、と改めてコワイ気持ちになった。いきなり横を歩き始めて、あら先生、みたいに言って、最後はオレのくまもんみたいな後ろ姿を断りもなしに撮影する。失礼というか、コミュニケーションのタイミングがへんというか、ぼくはおびやかされたよ。

そして、不思議なのは、なぜ、あのとき、ガラケーをかまえて風景を撮っているその姿を見たときに、あっ、これはヤバイ! と感じ取れたのか。いやあ、人間は、実に多くのことを察知しているんだねえ、諸君!

結論。人間には、やばい気配を察知する能力がある。

6月 12, 2013 at 09:51 午前 |

2013/06/09

Facebookについての悩みを、ご相談申し上げます。

これは、日記というか、みなさんへのご相談、問いかけです。

私はFacebookに登録してしばらく、うまく使えない状態が続いていた。それが機能するようになったのは、実は、友だちリクエストを(心をオニにして)「あとで」処理ができるようになってから。

それまでは、たくさん友だちリクエストがたまっていて、それを見る度にあちゃーと心が落ち込んでいたのを、申し訳ないが知らない人は「あとで」処理することができるようになって、なんとかFacebookが使えるようになったのです。

それで、毎朝、起きると友だちリクエストのところを見て、いただいているリクエストを存じ上げない方は「あとで」ボタンを押すことでFacebookを使ってきました。

ところが、一週間くらい前から、突然友だちリクエストの数が、急激に増えてしまったのです。

これまでは、せいぜい一日20から30くらいのリクエストしかいただなかったのですが、どうもその十倍くらいのリクエストが来る。お一人おひとり、知り合いではないことを確認して「あとで」ボタンを押すのが、かなりの負担になるようになってしまいました。

一度対応して、しばらく経ってまたみると、もうたくさんのリクエストが並んでいる状態。

Facebookで、何が起きているのでしょうか? みなさんのところにも、今までよりも多くのリクエストが来ていますか? 一部、SPAMのリクエストがある、というようなことも耳にしていますが、私の場合、どうもそういうことでもないようなのです。

以上、Facebookについての悩みを、ご相談申し上げます。何かサジェスチョンありましたら、御教示ください!

6月 9, 2013 at 07:44 午前 |

2013/06/08

空気をたまごにして抱いているだけで

丸の内口について、まだ20分くらい余裕があったので、そうだ、外を歩こうと思った。

ガードに沿って歩いて、日本橋口に出た。

植え込みのツツジの緑が、きれいだった。

ほんの少しの時間だけ、そう、1分かしら、2分かしら、ひろびろとした外気に触れる。

たったそれだけのことで、このところの詰まった時間の息苦しさと、さまざまなものから開放されて、そのさわやかな空気をたまごにして抱いているだけで、今日は乗り切れる。そんな予感がした。

これから新幹線で眠る。

6月 8, 2013 at 09:28 午前 |

2013/06/05

名越さんに会う度に、思い出して、ひゃあと思っている。

この欄は、基本的に自分のみじめなこと、ダメなことを書きます。

昨日は名越康文さんとしゃべった。雑誌の対談。

すごく面白かったなあ。笑ったなあ。心がいきいきしたなあ。

いちばん勉強になったのは、名越さんが見ている人間のスペクトラムの広さかもしれない。いいよね、名越さん。

ところで、名越さんについては、一つの「トラウマ」がある。昨日、名越さんに言おうと思ったけど、話が面白かったんで、つい忘れちまった。

だから、このクオリア日記/Facebookの場を借りて、ちょっと書いておくね。

名越さんに初めてお目にかかったのは、10年くらい前だったかな。対談だったのだが、名越さんもお忙しいというので、スタートが、確か21時とか遅い時間だった。

それで、その日はぼくはたまたま前日があまり眠っていない日で、しかも対談前にごはんを食べてお酒を呑んだ(かなりしこたま)。

対談場所についたら、薄暗い店で、座るところがソファみたいなところで、部屋が暖かかった。

それに加えて、名越さんって、声がやさしくて、人柄も温かくって、接していると、ついつい安心しちゃうんだよね。

いろいろなことが合わさって、「パーフェクト・ストーム」となり、ぼくは、なんと、名越さんとの対談中に、猛烈な睡魔に襲われてしまったわけだ。

名越さんが喋っている間に、ぼくは、ことん! と無意識の暗黒に落ちて、はっと気づく。それで、今眠っていたことをごまかすために、何か適当なことを言う、みたいな感じ。

しかしさあ、相手が喋っている時にことんと落ちて、何かしゃべっても、ごまかしきれるはずないよね。寝言会話じゃないんだから。

名越さんも、編集者も、ぼくが時々落ちていたこと、気づいていたんじゃないかなあ。

以来、名越さんに会う度に、思い出して、ひゃあと思っている。昨日も、そのこと言えなかったなあ。

それで、名越さん、精神科医としていろいろな人に会っているから、ぼくのような、対談中ことん人間も、あんなやつもいるよ、って笑っているんじゃないかと思うんだよね。

6月 5, 2013 at 08:17 午前 |

2013/06/04

在庫50%削減の奇跡!

ボストンから帰ってきて、数日ぶりにコンビニに行った。

コミックのところに行ったら、『こち亀』の「オールスター列伝6月」があったので、「あっ!」と思ってカゴに入れた。

その時!

奇跡が目に入ってきたのである!

この日記で既報のように、私の著書『幸福になる「脳の使い方」』が、ここのところずっと2冊、コミックの上あたりにあって、いつまでたっても2冊のまま、減らない。

来る日も来る日も、2冊仲良くならんでいる。

そのうちに、その小豆色? の背表紙の色を見るたびに、苦痛というか悲しみを感じるようになった。

自分がさらし者になっている、っていう感じ?

『幸福になる「脳の使い方」』は、オレが、30歳くらいまで人間関係苦手で、健康診断のたびに心臓がおかしいとか引っかかっていて、精密検査するとなんでもなくて、おかしいなあ、ストレスのせいかなあ、みたいなことを医者に言われてのが、いかにストレスに負けないというか、引っかからないというか、「心の幸福体質」になったか、という、凄いいい内容の本なのにぃ。(これって、ひょっとするとさり気なくない宣伝?!)

いいんだ、どうせ、オレの本なんて、売れないんだ。

ずっと2冊が並んで「さらしもの」になっている間、ぼくの心は次第に沈んでいったというか、やさぐれていった。

ところが、今朝行ったら、諸君。びっくりしたねえ! 2冊あったのが、1冊に減っていたのだよ!

間違いない! あの小豆色の背表紙が、たった一つしかない。

ということはだよ、2冊在庫があったのが、1冊になったということは、在庫の50%削減に成功した、ということではないかっ!

いやあ、ありがたい。これも、アベノミクスの効果か、コンビニにくるお客さんも、こち亀ばかりじゃなくて、一般書にも、財布の中身の異次元の金融緩和をしてくれるようになったんだねえ。

おかげで、少しは、人生のやさぐれ感が減ったよ。ありがとう!

ところで、「こち亀」オールスター列伝6月は、今朝の時点で5冊入荷があって、おそらく数日中になくなるものと思われる。

いやあ、泣く子と「こち亀」には勝てないねえ。

6月 4, 2013 at 07:47 午前 |

2013/06/03

あの後、あの太っちょの女の人、どうなったんだろう? 反省したのかな?

ボストンからの帰りの飛行機の中で、とってもコワイ思いをした。

Identity theft(だったかな、確か)というタイトルの映画があって、太っちょの女の人が、金融関係の男の人の個人情報を聞き出してカード偽造してお金使いまくる。

その太っちょの女の人の性格が悪すぎ、というか、お金の使い方が意味なし過ぎる、というか、そのお金で男の人(いい人)は職を失いかけるのに、太っちょの女の人は全然平気、というのが救いがなくて、二人が出会うあたりまでがまんして見たけど、「ああ、もうダメだ」と見るのをやめてしまった。

ひょっとしたら、あのあと、なぜ太っちょの女の人があんな風になっちゃったか、みたいな個人の歴史が明らかにされて、ハートウォーミングストーリーになるのかもしれないけど、ぼく、ダメだった。映画作ったひと、ごめんなさい。

そのあとつい見ちゃったのは、イギリスで元音楽家の人ばかり集まっている老人ホームの映画。プロットはイマイチだったのだけど、あのギネス・ジョーンズが本人役で出ていたので、びっくりして最後まで見てしまった。エンドロールで、ギネス・ジョーンズが若い時に『薔薇の騎士』のマルシャリンの役をやっている白黒写真が出て来て、なんだかそれだけでじわっと涙がにじみ出ちゃったよ。

人はみな若い時があって、きれいな瞬間がある。ギネス・ジョーンズは今ではしわくちゃになっちゃって、それでも、そんな自分を晒して出ている。あああ、人生って!

最後に見たJack the giant slayer(だったかな?)は非常によく出来たファンタジーだった。巨大な豆がずどーんと倒れるところなんか、ひじょーに興奮した。プリンセスもキレイだし、ジャックも良かった。あと、イワン・マクレガーだっけ、あの人も出てたよ。人気あるんでしょ。プロットのバランスがとても良い、秀作でした。

というわけで、最初に太っちょの女の人に動揺して、思わず映画二本も見ちゃった。

今頃になって気になるんだよね。あの後、あの太っちょの女の人、どうなったんだろう? 反省したのかな?

6月 3, 2013 at 04:21 午後 |

2013/06/02

耐えながら、その原料を飲むという、まさに「ボストン地獄絵図」

ボストン美術館にいたときに、そうだ、ハーバード大学まで歩いちゃおう、とひらめいちまったと思いねえ。

35℃にもなっている、という猛暑の日。途中で倒れるんじゃないか、と恐れながら、歩き始めた。

ボストン・レッド・ソックスの本拠地であるフェンウェイ・パーク。その手前に、フェン(低湿地)があって、へえ、なるほど、確かにイギリスの本家のケンブリッジに似ているなあ、と思った。

それで、あったんだよねえ。昔、日米学生会議でボストンに来たとき、アメリカ人といっしょにレッド・ソックス戦を見て、ロジャー・クレメンスの三振ばっさばっさを目撃したとき、ダフ屋さんからチケットを買った、橋みたいなところ。そこに来た瞬間、「あっ、ここだ!」と思った。

いやあ、なつかしさは、心の報酬だねえ。その瞬間、過去の自分とつながるんだよ。

そこからがキツかった。炎天下、ボストン大学の前のまっすぐな道を通る。いやあ、そのあたりから、おしっこがしたくなってさ(なんでこの日記はいつもそういう話題なんだっ!)、一方で、ヒジョーに熱いから、手にしたペットボトルの水を時々飲まずにはいられず、おしっこに耐えながら、その原料を飲むという、まさに「ボストン地獄絵図」となった。

ピークは、あの、ボストンを流れている大きな川あるでしょ、あそこを超える橋を渡っている時だったね。太陽は照りつけるわ、逃げ場はないわ、おしっこはしたいわで、空を見上げて「天は我々を見捨てたか!」と言いたい気分だった。

川向こうになると、住宅街になって、そこも、ほんと、イギリスの本家ケンブリッジに似ていた。ハーバード大学まわりを、歩きながら線や面で経験したのは初めてだったから、いい経験になったよ。もし自分がこっちに来るとしたら、どのあたりに住もう、みたいなずうずうしい想像したりしてさ。

いや、それにしてもおしっこしたいよね。

ボストン美術館を出て約1時間後、ようやくハーバードスクェアについた。

ところが、そのあたりのお店、トイレがなかなかにハードル高いんだよね。

パン屋+カフェみたいな店に入ってトイレに行こうとしたら、なんとドアに暗証番号があった。レジで聞くらしい。レジは長蛇の列。

スターバックスでトイレ行こうとしたら、「トイレはエレベーターで降りろ」みたいなこと書いてあって、「でも、エレベーター乗るにはレシートいるよん」みたいなことが。

そして、こっちのレジも、長蛇の列。

おい、君たち、どんだけトイレ惜しみしているんだあ!

ぼくは困って、まて、落ち着け、と思い、ハーバードスクェアの石畳の上に立って、ちょっと気取ったポーズまでとって「余裕、人生なんて、余裕なんだよ」みたいな感じで、実はあせりながら、「ハーバード トイレ」と検索した。

生涯でも、この文字列でぐぐるのは最初で最後であろう。(というか、最後であって欲しい)

そしたら、近くにある、なんとかセンターとかいうvisitor informationとか扱っているところに、トイレがあることがわかった。

ぼくはほっとしたね。待ってろよ! もう少しで、この地獄絵図からサヨナラだ。

ところが、行ってみると、最後のトラップが待っていた。

電子ゲートみたいなのがあって、その向こうにトイレがある、って書いてあるんだよね。

その横には、フル装備、みたいなこわい警備のおっちゃんがいる。

それでも、切羽詰まっているときは仕方がない。勇気を振り絞って、「トイレ行っていいか」と言ったら、おっちゃん、思いの外はじける笑顔で、Go ahead! という心強いお言葉!

いやあ、地獄に仏とは、この警備のおっちゃん!

結局、電子ゲートみたいなのはこけおどしというか、スルーで入れたんだよね。
ぼくはようやくおしっこ問題を決着させたのだった!

それで、こういうことを日記に書く時は、おしっこ問題には一切に触れずに、「ハーバード大学の周辺は、いかにもアカデミックな雰囲気に満ちていた」みたいな風にまとめるんだろうけど、何しろクオリア日記/facebookのこの欄は、そっちじゃないことを書くのをポリシーにしているから、リアリズムを追求してしまうのだ。

すっきりして、ゆったりとした気分で歩くハーバード大学の構内は、終わったばかりのcommencement(卒業式)のセレモニーの余韻が残っていて、自然と気分が高揚してくるのであった。

そして、まともな考察は、twitterの連続ツイートの方に書く、みたいなシステムになっているわけさ。あっちは表の顔なんだよね。

6月 2, 2013 at 06:49 午後 |

2013/06/01

ジェニファーの前に立ったときの、ああ、もうオレはダメだ、これから破滅する、みたいなあおざめた感じ

きのう、MITのメディアラボでのこと。

いろいろなひとと議論したけど、その際、時々カメラが回った。(BS日テレ『Tokyo Designers Week.tv 茂木健一郎の発想の種』の取材である!)

それで、ジェニファーに話を聞くというので、マイクをつけて、カメラの江田さんがスタンバイして、さあ、そろそろ、という時に、私の腹部に異変が起こった。

そうですね、つまり、例の、おならの前兆現象ですね。

こまったなあ、と思った。ジェニファーは、やる気満々のアメリカ人女性。
そのジェニファーの前で、ぷうはいかにもマズイ。
しかも、テレビの収録中だし。

しかし、ああ、なんてこった。もう、カメラが回り始めてしまった。今さら、これからトイレにいってぷうしてきます、なんて言えない! ぼくは覚悟を決めて、えいやっとスポットの中に飛び込んだ。

案の定、ジェニファーは、もうとってもにこやかにそしてアグレッシヴに、自分の研究を語っている。

ぼくは、ああ、そうなんだ、へえ、ここはどうなの? みたいなことを言いながら、その実、おなかを気にしている。

そんな間も、おなかの膨満感は、黒雲が動くごとく、時には強く、あるいは揺らいで、あっちにいったりこっちにいったり。

ぼくはそんなおなら前兆現象をスタッフたちやジェニファーに悟られないまいと、心頭滅却すれば火もまた涼しとばかりに、落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせたのである。

するとどうだろう、諸君! 奇跡が起こった! おなかの膨満感がすっと去って、ぼくは、ジェニファーとの議論に集中することができたのである。

撮影が終わって、ぼくはさりげなくトイレに行って、マイクのついたジャケットをうまく外して(これがむずかしいんだよね)、ぷうぷうした。

マイクの発信器を、ズボンのベルトから外して、スイッチをオフにすることを忘れなかったことは言うまでもない。(そうでないと、ぷうぷうが音声の福原さんに実況中継されてしまうからね。)

そしたら、ついでに、固体も出た(きたなくてごめん)。

時差のせいもあって、へんな時間にへんなことになったのだろう。

そして、さり気なく現場に戻ったのである。何事もなかったかのように。

(夜、ボストンの中華街で川又さんや安藤さん、江田さん福原さんとごはん食べているときに、こんなことがあったと、ばらしちゃったんだけど。いやあ、オレって、正直モノだから。)

今こうやってふり返ってみても、うまく切り抜けたと思う。

自分で自分をほめてやりたい。

でもね、ジェニファーの前に立ったときの、ああ、もうオレはダメだ、これから破滅する、みたいなあおざめた感じは、はっきり心に残っている。

それは一つの忘れがたきクオリアであった。

6月 1, 2013 at 08:00 午後 |