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2013/05/08

何だか、今度の植田工の作品、彼の人生における初めての「カフェオレ」のような気がするのです。みなさん、どうか、沢山たくさん見に行ってあげてください。

植田工の、学芸大学のアトリエでの展覧会(http://www.rise-gallery.com/)を見にいった。

植田のライフワークである、アニメーションである。

そしたら、まだ仕上がっていなかった。少年が石を見つけて、目を潤ませるところで終わっている。

何度もループで、少年が石を見つけて、アップになる。そこまでを見た。芸大の学友で、石田だったか山本だったかがつけた音楽が、ある一つの気配を運んでくる。小田ロケットの編集もいい。ただ、最後まで仕上がっていない。それで、ゆうなちゃんが怒っているらしい。

植田が、電話をして、しきりに、「あと5分です」「10分です」と言っている。これは長くなるな、と思って、缶コーヒーを買いに行ってギャラリーの外にたたずんでいた。そしたら、小田ロケットが自転車に乗ってだーっと走ってきた。

どうやら、作品が完成したらしい。

少年が石を見る。目が潤む。アニメがその先に進んだ。詳細は略すが、最後に、石から浮き出るように女の人の面影が現れた。

見た瞬間に思った。あれは、植田工のお母さんだ。あるいは、聖母マリア。または、観音さま。

植田工は、東京芸大時代から知っていて、さんざん○○○だとか言ってきたが、作品を最後まで見て、不覚にもカンドーしてしまった。植田、やりきったんじゃないかな。

オレは植田に言った。「あのさ、この作品、内容については何も言わないけど、みんなに見てもらうために、オレはこういうツイートしていいか。植田工くんの、6歳の時に家を出ていってしまったお母さん、植田くんがお母さんのことを作品にしました。見に来てくださいって。」

あれは二年前と少し前。震災がやってくる前の日本。長岡の冬の花火を、植田工と雪の上で並んで見ていた時に、あいつは突然、母親が6歳の時にいなくなった話を始めたのだった。

つきあいが長かったが、初めて聞く話だった。

母親が出ていった翌日、おばさんが来て、カフェオレをつくってくれたのだという。そのカフェオレが、生まれて初めて飲むおいしさだったという。

それ以来、植田工は、お母さんと会っていない。

植田工と、長岡の花火を見ながら交わした会話は、ここにある。
http://togetter.com/li/103237

何だか、今度の植田工の作品、彼の人生における初めての「カフェオレ」のような気がするのです。みなさん、どうか、沢山たくさん見に行ってあげてください。

Ueda20130507


5月 8, 2013 at 09:56 午前 |