脳に負荷をかけて実験しているんだよね。
桑原茂一さんがやって、という仕事は、ぼくは絶対に断らない。
天才桑原茂一をそれだけぼくは信頼している!
しかし、それは、時に、未曾有、未経験の「ゾーン」に投げ込まれることを意味する。
きのうもそうだった。そもそも、リリーフランキーさんと東西の横綱になって大相撲、というコンセプト。現場にいくと、中尾賢一郎さんの行司、親方DJ、相撲部による稽古など、マジなセッティングがいろいろあって、うわあ、これは大変な現場になる、と思った。
打ち合わせなんてあったもんじゃない。これは、お互いの信頼関係ってこと。リリーフランキーさんだって同じ思いだったろう。
リリーさんと二人で横綱土俵入りをするところから、現場で探りながら、つくっていく。ぼくの脳は、はっきり言ってそういう想定外の連続が大好きだ。桑原茂一さんの天才たるゆえんは、そのような化学反応を起こす現場を、さっと設計してしまうところだろう。
それにしても、リリーさんと黒田征太郎さんの魂の対談、よかったね。
最後のさいごに、リリーさんがギターを弾いて、ぼくが十五の夜を歌った。歌詞、当然全部覚えたよ。それが責任だからね。一部あやしかったのを、リリーさんがプリントしてきた歌詞で、トイレに時々隠れて確認した。「自由になれた気がした」と「自由を求め続けた」の使い分けも完璧にした。
それでも、現場ではいろいろ起こるわけで、歌う前にリリーさんが小芝居をしろ、と言って、一瞬拾えなかったが、要するにリリーさんと僕が中学からいっしょにバンドをしていた、みたいな設定にしてしゃべるのだった。
あと、歌唱を終わる時も手探りで、会場のみんなでインストラメンタルなしで合唱して、それからワンテンポあって、リリーさんがそう言って、「自由を求め続けた、十五の夜」というフレーズだけを、ぼくが最後にしんみりと歌って、終わった。
要するに、すべて、現場で即座に探りながらつくっていく、ということさ。
そしたら、会場がうわーっとなった。一体となった。良かったねえ。
いやあ、最高のエンディングだったんじゃないか。ぼくは感動したね。茂一さん、トギーさん、リリーさん、中尾さん、みなさん、本当にありがとう!
それで、「十五の夜」を歌う前、リリーさんがギターならしながらぶつぶつ言っていた。
「喫茶エデンという深夜番組やってたんですけど、これは、台本なしでいきなり小芝居をやるといういわゆるエチュード、という部分と、自分の持ち歌以外の歌を生バンドで歌うという部分があって、みんな断るんです。役者やタレントは、演技はいいけど歌がちょっと、となるし、歌手は演技ができない、と断ってくる。ところが、茂木さんは、あっ、いいよ、と出ちゃうんですね。ぼく思うんですけど、茂木さんは、ああやって、自分の脳に負荷をかけて、どうなるか、実験しているんじゃないんですかね。」
そうなんじゃないかな。リリーさんの言うとおり、ぼくは自分の脳に負荷をかけて実験しているんじゃないかな。
昨日もいい実験でした。博多の夜よ、ありがとう!
5月 12, 2013 at 07:59 午前 | Permalink
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