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2013/05/31

よい子のみなさんは、へんな時間に起きても、ななめ45°を見てはいけません。わかりましたか?

ボストンに来る時の「日航寄席」で、「ななめ45°」のコントがおもしろくて、何度も聞いているうちに覚えてしまった。

それで、今朝、なぜか午前3時過ぎに目が覚めてしまって(時差というやつだね!)、やばい、まだ3時間しか寝ていない、と思いながらも、ついつい、youtubeでななめ45°を見てしまった。

そしたら、面白くて、脳が興奮して、ますます眠れなくなって、こまった、と思ってベッドに横になって目を閉じて観念していたら、いつの間にか眠っていた。

睡眠が、途中で本格的に中断して、ななめ45°が入って笑って興奮してまた眠ったので、今朝はへんな感じになっている。

よい子のみなさんは、へんな時間に起きても、ななめ45°を見てはいけません。わかりましたか?

5月 31, 2013 at 09:18 午後 |

2013/05/30

軌道修正してよかった。途中で気づいてよかった。

最近のある日のできごと。

ある業界の方々が集まる場で、私が、講演をさせていただいていた、と思いねえ。

それで、脳は楽観的な方がよく働く、という趣旨の話の前振りで、最近の「アベノミクス」の話をしていた。

「いやあ、ねえ、失われた20年とか言っていたのが、アベノミクスで、株価が上がったら、なんだか人々の気分も変わって、いやまて日本もできるぞ、みたいな雰囲気になってきたではないですか。これですよ、これ。アベさんの政策については論争があるんでしょうけど、人間がいかに気分に左右されやすいかっ、っていう・・・」

そんなことを言いながら、私は、さり気なく聴衆の様子を見ていた、と思いねえ。

さて、ここで、人間の脳の働きについて、一つの事実をお伝えしなければならない。

意識に上るプロセスは、ごく一部である。無意識の中には、さまざまな計算が、並列して走っている。

「アベノミクスいいね」みたいなことを言いながら、私の無意識の中で、どんな計算処理が進んでいたか。

(あれっ・・・そういえば、この業界の人たちって、素材を輸入したりするんじゃなかったっけ・・・アベノミクスの下、円安になっているよな・・・すると、この人たちは、原料代が値上がりしていたりして・・・するってえと、アベノミクスで恩恵を受けている、というよりは、むしろ・・・)

おそらくは、無意識のうちにこのあたりまで情報処理が進んだ時点で、「!」。前頭葉の前帯状皮質が活動し、その情報が背外側前頭前皮質に送られ、アラームセンターから脳の司令塔への黄金のリレーが完成し、私の意識は「びくっ!」となった。

(あれ・・・、この話の流れ、実はやばいかも・・・)

みたいな思いが、話を進めながら、急速に私の意識の中に上がってきたのであろう。

「あのう・・・・ひょっとして、私、地雷踏みつつあるかなあ」というと、聴衆の一部がくすっと笑った。

「もしかすると、みなさんの場合、アベノミクスで恩恵があるというよりは、とばっちりを受ける側なのでありましょうか・・・」
と言ったら、場内が大爆笑。

どうやら、その爆笑は、蓄積していた懸念、気まずさのようなものが一気に開放されたような、春になって花がいっせいに咲くような、そんな風に感情がふくらんだのであろう。

軌道修正してよかった。途中で気づいてよかった。

私は、思いが通じたほっとした気分の中で、講演を進めていったのである。

5月 30, 2013 at 08:58 午前 |

2013/05/29

もぎさあ〜ん!

17時頃に取材の仕事が終わって、半蔵門にあるその出版社から、美術教育についての研究会が行われている靖国神社近くの学校まで、歩いて移動していた。

そしたら、途中の女子大付属の高校のあたりが、生徒たちであふれていた。ちょうど、下校時刻らしい。もう夏服になっているのか、白っぽい印象の集団が信号待ちをしている。

ぼくは、「やばいっ!」と直感して、とにかく目を伏せ、気配を消してその場を全速前進で通りすぎようとした。

髪の毛や体型の特徴から、ぼくは視認されやすく、たいていの人はスルーして下さるのだが、中学生や高校生は容赦ないのである。

だから、その女子大の付属の高校は、上品でいいやつらのようには見えたが、どんな事態が起こるかわからないと、ぼくはひそかに震撼したのだ。

通り過ぎて、もう大丈夫、と思った瞬間、後ろで、「ざわざわえっほんとうわあ」みたいな、マズい声の気配がした。

これは、やばいかも!

ぼくは、足を早めた。そしたら、うしろの方から、紛うことのない声が聞こえてきた。

「もぎさあ〜ん!」

なんだか、原節子の出演する青春映画のような、さわやかで、まっすぐな声だった。

ぼくの心の中で葛藤が生じた。どうしよう。一瞬振り向いて、「おう!」と手を挙げるべきだろうか。そしたら彼女たちはよろこんでくれるかな。

しかし、羞恥心の方が勝ってしまった。なんだか、ハズイ。それでぼくはそのまま歩いた。そしたら、また来た。

「もぎさあ〜ん!」

不思議なことに、彼女たちの声は、どこまでも通って、かと言って後ろからバタバタと走ってくる気配もない。まるで、アルプスの少女ハイジが遠い山によびかけこだまするように、声がどこまでもおいかけてくる。

しかも、現場は、ずっと、見通しのよい直線道路なのだ。

「もぎさあ〜ん!」

「もぎさあ〜ん!」

「もぎさあ〜ん!」

ごめんね、わかってくれ。おじさんは恥ずかしいのだ。オレのこの巨大リュックを負ったまんまるとした背中で、わかってくれ。

君たちの声に気づかないふりをして歩いていく、このずんぐりむっくりの気持ちをわかってくれ。

靖国神社の境内に入ると、初めてほっとした。同時に、さびしいようなもうしわけないような気持ちになった。

「もぎさあ〜ん!」という声にふりかえって、手を挙げるくらいしたら、良かったのかな。

そうしたら、彼女たちの笑みがキラリと光ったかもしれないし、ぼくたちは『青い山脈』の一シーンにタイムトリップできたかもしれないのにね。

5月 29, 2013 at 08:23 午前 |

2013/05/28

 おせんべいを食べるというイノベーション

 チェゴヤでプルコギ定食をたべた後、研究所でゼミ。ぼくはvisual overflowの話をした。

 アサカルに行くのに、早めに出て、原宿から明治神宮を抜けていくことにした。

 いやあ、森が、風が、暮れゆく空が、実に気持ち良かったんだよね。

 それで、ぼくには、アサカルの前に、住友ビルの地下のグッピーが泳いでいる水槽の前で、おにぎりを食べる、という習慣があるんだよね。講座の前に、あんまり重いものを食べると、おなかいっぱいになっちゃうし、かと言って何も食べないと、おなかすいちゃう、みたいな。おにぎり一個くらいがちょうどいい。

 昨日は中途半端な感じだった。なにしろ、お昼がチェゴヤのプルコギ定食だから、お肉いっぱい野菜いっぱい、おにぎり一個でも、そんなに要らないかな、みたいな感じだった。

 でも、なんとはなしに、水槽の前にたたずんではむはむする時間は持ちたかった。問題は、何をはむはむするかだ。
 
 いつも買う店の前に立って、ぼんやりしていたら目に飛び込んできたもの。

 それは・・・

 そう、おせんべい!

 おせんべいを、しかもぼくが好きなねぎ味噌のを打っていた。そうだ、おせんべいという手があった!

 水槽の前に立って、はむはむした。じんわりしっとり美味しかった。二匹のグッピーが追いかけっこをしていた。それを見ながら、おせんべいをはむはむすることの幸せ。

 優雅な時が流れた、といっても過言ではない。
 
 いやあ、諸君、ラグジュアリーは身近にあるね。昨日、おせんべいを食べるというイノベーションで、そのことに気づいたよ!

5月 28, 2013 at 08:46 午前 |

2013/05/27

ほっとするのは、とっぷりと暮れた夜の道を歩いているとき。

 ほっとするのは、とっぷりと暮れた夜の道を歩いているとき。

 社会的な文脈からも開放されて、はだかの自分になれる。部屋に閉じこもっているよりも、夜風に吹かれて歩いているときの方が、自分自身に戻る。

 時折、立ち止まってスマホのスイッチを入れると、そこだけがぽっと明るくなって、まるで蛍が出現したようでもあり。そうやって、呼吸を続けていると、次第に心の底が落ち着いていく。

 明るいのは、昼間だけではない。電灯が点いている時だけではない。視線や関係や脈絡があると、そこは明るくなる。

 夜道を歩いているときこそが、広い世界に向き合いながら、薄暮につつまれる時間。

 だからこそ、私は、時に用もないのに夜道を歩き回ってみるのだ。

5月 27, 2013 at 08:35 午前 |

2013/05/26

おやすみなさい、と部屋に入ったぼくは、思わずドアに鍵をかけていた。

ホテルは、一つひとつがコッテージ風で、波頭亮さんといっしょだった。

寝室は二つあって、ドアに鍵がかけられるようになっている。

鳩山由紀夫さんが、にやにやされながら、「いや、茂木さんと波頭さんだったら、いっしょでいいかな、と思って」とおっしゃっている。

ひええ。

波頭亮さんは、ザ・ダンディーとでも言いたくなるような、いつもスタイリッシュで、かっこいい方なのだけど、結婚していないし、ファッションがいつもゲイっぽいので、果たしてどうなのかと、疑問に思っている。

その波頭さんと、同じコッテージ。

「ぼく、鍵かけて寝よう!」

と冗談めかして言ったら、波頭さん笑っていたけど、ちょっと、口元が、餃子の皮を寄せるような感じだったのが気になる。

鳩山さんとの苫小牧市内での会食から戻ってきて、ホテルに到着。

コッテージに入って、波頭さんとしばらく飲んだ。
と言っても、波頭さんはお酒を口にされないので、ぼくが缶チューハイを飲んで、波頭さんはお茶。

それで、おやすみなさい、と部屋に入ったぼくは、思わずドアに鍵をかけていた。

爆睡。

翌朝、部屋の外に出ると、いつものようにダンディーな波頭さんがいた。

夜から朝の間の波頭亮さんは、どんな風につながっているのだろう。

なんだか、とっても気になる。

あの餃子の口元は、何だったのだろう。

5月 26, 2013 at 09:30 午前 |

2013/05/25

ぼくに声をかけてくださった女性の方、つばさの先が飛び出してごめんなさいね。

京都からの新幹線の中で爆睡して、新横浜の手前あたりで目覚めた。

次の目的地であるホテル・オークラまでは、歩いて行こうと思った。

丸の内南口から出て外の空気に触れると、思ったよりも涼しい。

いつも着ている「ジョブズ・モデル」(自称)のIssey Miyakeのセーターをはおろうと思った。

信号を渡って、丸ビルの横の四角い座るところに、リュックを置いてセーターを着ようかな、と考えたと思いねえ。

だけど、そこの正方形の椅子みたいなやつには、すでに女性が座っていた。そうだなあ。30代くらいかなあ。それで、その方の近くで、リュックをごそごそするのは、何とはなしに気が引けた。

だから、そのまま通り過ぎようとしたんだ。ところが、その時、本当に秒単位で、微妙なことが起こった。

まず、四角い椅子みたいなところから、女性が立ち上がろうとした。それで、ぼくは、「あっ、行かれるんだ」と思って、方針を変更して、ちょっと回り込むような感じで、椅子みたいなところにリュックを置いて、セーターを取りだそうとしたと思いねえ。

ところが、その時、不思議なことが起こった。立ち上がって歩み去るとばかり思っていた女性が、なぜかこっちに近づいてきて、「あのう・・・」と言ったのだ。

ん? ん? ん?

なんで、君は、こっちに来るのか。なぜ、あのう・・・とか言うのか。

そしたら、意外な言葉が飛び出した。

「サインしていただいてよいですか。ひとの本しかないんですけど、いいですか。」

「あっ、は、はい。。。。」

なんとも間が悪いというか、リュックを置いてセーターを取りだそうとして、いちばん無防備なところをつかれたというか、まさか、そういう手で来るとは、思わなかった!

だって、まさか、ぼくが歩いて行くその一瞬の間に、ぼくを認識し、そして、いきなり、「サインしていただいてよいですか。」と来るとは思わないではないかっ! っていうか、起動早すぎ!

とにかく、シャイなぼくは、とっととサインをしてその場を逃走しようと思った。ところが、その女性が、ゆったりしているんだよね。春の海のように、ひもねすのたりのたりかな、みたいなかんじで。。

あら、ペン、どこだったかしらあん。本、これでいいかしらあん。どこのページに書いていただこうかしらあん。ここでいいかな。いや、やっぱりここかしら。ううん。こっちよねえん。

みたいな。

ぼくは、その間、どういう姿勢をもってお待ちしていればよいのか、間合いが計れず、マジで困ったんだよね。

それで、やっと「このページでいいわ」みたいな感じでその女性が誰かさんの本(確認できませんでした。その著者の方、ごめんなさい)を差し出されたので、ぼくは、がしっ! と受け取ると、いちばん早く終わる、空をはばたく鳥の絵を描こうとして、あせっていたのだろう。勢いあまって、つばさの先がページの外に出ちまった。

いやあ、今まで「はばたく鳥」をおそらく数百回描いているけど、初めての事態だねえ。ダメだね、修業がたりないね。どんな時でも、平常心を保たなくては。

というわけで、やっと開放されると、「あっ、さよなら!」みたいな感じで僕は逃亡した。転げるように歩きながら、Issey Miyakeのセーターを着た。

ぼくに声をかけてくださった女性の方、つばさの先が飛び出してごめんなさいね。あせっちゃったんだよ。ごめんね。

いやあ、涼しい風が、頬に心地良かったよ。快楽の起源は、開放だねえ。

5月 25, 2013 at 08:28 午前 |

2013/05/24

ぼくのじゃないのに、スミマセンって言っちゃった。

白洲信哉が京都で待っているのに、品川から乗るのが遅くなった。

そもそも、信哉からもらった回数券を入れて、席を指定したら、なぜか、30分後の新幹線がでてきた。
????

一瞬、見当識が失われて、電光掲示板を見ても、次のも次のもその次のも空席あるし、なぜだ! と考えてたら、ぼくがバカだった。つい、いつもの癖で、東京発のやつを指定してしまったのだ。

機械は思っていたに違いない。

「ぷっ。こいつ、バカかよ。今品川にいるのに、わざわざ東京発の新幹線指定しようとしている。山の手か何かでいったんもどって来るつもりか。こいつひょっとして鉄ちゃんかよ。今品川にいるんだから、ここから乗った方がラクですよ、と教えてやろうか。まあ、いいや。30分後の東京発のやつを、指定してやろ! ほな、さいなら」

見たいな感じで、ぴーっと指定券がはき出されてきた。そして、ぼくはトラブった。

改めて機械で指定しなおそうとしても、うまくいかない。拒否られるのだ。

仕方がなく窓口にいったら、ややこしいおじさんがややこしい切符の処理をしていて、随分待たされた。

それでね、ダメなやつのところには、妙なトラブルが集まってくるのよ。

やっと席に座って、ほっとして、さあ、リラックス、と思ったら、不思議な事象が発見された!

なんと、私の席の足もとに、ゴミがたくさん入った白いコンビニ袋があったのだ。

はてな、と思った。完璧で知られる新幹線のお掃除の方々が、見逃した、なんてことがあるはずがない! なんで、東京駅を始発で出たばかりの新幹線の、私の席の下に、ごみがごちゃごちゃ入ったビニル袋があるのかっ!

疲れていたし、ちょっと頭の回転がスローなブギにしておくれになっているから、呆然と眺めてみると、前の席に座っているおばさまが、不思議な行動を取り始めた。

あれっ、みたいな感じで、自分の右肩の方をみると、手をのばして、後ろに座っているぼくの席の方をごそごそし始めたのだ。

それからが、すごく奇妙な間合いとなった。おばさまの手が、ぼくの足もとに落ちているゴミ袋に手が届いたその瞬間、ぼくは、なぜか「すみません!」と言ってしまったのだ。

そしたら、おばさまが、「はっ」という感じで、手を引っ込めてしまったのである。

ぼくはどうもぼんやりしていたのだけど、つまり、こういうことですね。

おばさまが、となりのおじさまと、東京駅を出るあたりから弁当を食べ始めた。それで、その弁当のクズをいれたビニル袋が、何かの拍子に、ぼくの席の方に落ちた。それで、おばさまが、それを回収しようとしたら、ぼくが、なぜか、「すみません!」と言ったので、おばさまが、ひええ、とばかりに手を引っ込めちゃったんだ。

ぼくのじゃないのに、スミマセンって言っちゃった。

なぜ、ぼくは、自分のゴミでもないのに、「すみません!」とあやまったのだろう。

なんだか、責任を感じちゃった、というか、ぼくの足もとにゴミがあるのがごめんなさい、というか。

それで、おばさんは、回収しようとしたら、ぼくが、タイミング悪く「すみません!」と言ったもんだから、あたかも、ぼくがゴミ袋について所有権を主張しているように感じて、それで引っ込めてしまったんだろう。

間合い悪すぎるよね。

ぼくは、困って寝たふりをしていたら、いつの間にか本当に眠ってしまった。

はっと気づいたのは、名古屋前。いつの間にか、ぼくの足もとのゴミ袋は消えていた。おばさまが、こいつが眠っているうちに、と回収したのだろう。

ところが、弁当の包み紙の欠片みたいな、赤い帯が一個まだ足もとに落ちていた。きっと、おばさまが回収する時に、ビニル袋からこぼれ落ちたのだろう。

ぼくとおばさまの間に残された、一本の赤い帯。小説ならば、ここから胸が躍る物語が始まるのだろうけれども、クオリア日記はここで唐突に終わります。

5月 24, 2013 at 07:37 午前 |

2013/05/23

ぼくは、逃げ足がはやいんだ。

飲み会とかで、あまりだらだらするのが好きではなくて、さっといなくなってしまう。

その時、なんとはなしに、墓場に行くゾウのようにいつの間にか消えているのが好きだ。自分がホスト役の席は別だけど。

白洲信哉なんかは、ずいぶん深酒するけど、ぼくは、杯を重ねるのがあまり好きじゃなくて、お酒は、最初のひとくちがいちばんおいしい。だから、あまり長居しないでとっとと帰ってしまう。

昨日も、ヨッシーや遠山さんやチエさんに、二次会に行こう、と誘われたけど、「あっ、ぼくいいです」と言って帰ってお茶漬け食べて寝た。

今朝、早かったし、今日も6時間しゃべらないといけないし、お酒は、最初のひとくちが一番おいしいからね。

ぼくは、逃げ足がはやいんだ。深酒なひとたち、あまりおつきあいできずに、ごめんなさい。

5月 23, 2013 at 08:07 午前 |

2013/05/22

Long Timesの時計、買っておけば良かったな。

昨日、3331で週刊現代の取材を受けていて、(デスクにボツにされなければ来週号に出ると思います
←なんじゃこりゃあ、このもじゃもじゃの脳科学者の話、全く使えないじゃないかあ! 差し替えだ、差し替え。例のおじさんが美女と行く温泉の、ストック記事に差し替えとけ! みたいなイメージ)センスを磨くためには、いい人悪い人、やさしい人いじわるな人、いろいろな人に会わなくてはならない、みたいなことを言っていた時に、実は思い出していたことがある。その時は、記者の平野友季さんに言う暇がなかったので、ここに書く。

あれは中学二年生くらいだったか、一人で留守番していたら、とつぜんおじさんがきた。玄関に来て、ささやくような声で、「ぼうや、おうちに一人? そうかあ。おじさんさあ、時計をつくる会社につとめているんだけどさ、ちょっと、時計、もってきちゃったんだ。すごく高級な時計なんだけど、おじさん、これ、安く売っちゃおうかな、と思って。ぼうや、お小遣いない? すごく高級な時計なんだけど、ぼうやだったら、1000円でいいや。」

中二でも、そのおじさんすごく高級、じゃなくて、すごくあやしい、ということはわかった。

おじさんは、「ほら、これが、その高級な時計だよ」とぼくの顔にひっつくくらいの距離で見せてくれた。
 その文字盤に、書かれていたロゴをぼくははっきり覚えている。

Long Times

ずっと後になって、あの時、おじさんはLongines と間違えて買っちゃう人が出ることを期待していたのだ、と気づいた。

それにしても、あの時のおじさん、ひたむきだったな。なんというか、エネルギーに満ちていた。あれは、人を騙そう、というエネルギーだったのだろうけど。

「お小遣いないから」と断ったら、おじさんは案外あっさり帰って行った。実はちょっと、寂しかった。

今でも鮮明に覚えている、不思議な時間。そして、今になって思う。あの時、千円出して、Long Timesの時計、買っておけば良かったな。

それで、昨日、週刊現代の平野友季記者に言いたかったことは、人間、詐欺師やペテン師や結婚詐欺師みたいな人に出会ってこそ、ああ、世の中にはこういう人もいるんだ、と学んで、初めてセンスが磨かれるのだ、ということでした。

純粋培養はアブナイのです。

5月 22, 2013 at 07:05 午前 |

2013/05/21

おれ、こち亀、ずっと誤解していたんだよね。

オレ、告白するけど、こち亀、ずっと誤解していた。

なんとはなしに、下町のおまわりさんが出る、ほのぼの人情噺かと思ってた。だから、長期連載で人気の話だとは思ったけど、別に読まなくてもいいかっ、って思っていた。

ところが、ある時、たまたま読んじゃったんだよね。そしたら、あれほど、「ダイナミックレンジ」の広い、はちゃめちゃな話だとは思わなかった。

両津の性格がめちゃくちゃだし、話が奇想天外に飛ぶし(「孫悟空降臨!」、って感じ?)4年に一度、オリンピックの時に起きてくる人いるし、栄光から地獄への転落凄すぎるし、一回一回のストーリーの中に、よくあれだけ起起起起起承承承承承転転転転転結結結結結結! って感じで盛り込むよね。実際、すごいわ。

コンビニに行ってこち亀あると、つい買っちゃうよね。読まずにずっと「こんな感じ」と思っていたこち亀と、実際のこち亀って、全く別のものでした。でも、そういうことって、きっと世の中に無数にあるんだよね。

5月 21, 2013 at 08:43 午前 |

2013/05/20

優雅さから、アホな私への転落

日本友愛協会の、60周年の式典にお招きいただいた。先日亡くなった鳩山安子さんの御遺影が飾られ、鳩山由紀夫、鳩山邦夫、井上和子さんが挨拶に立たれた。

鳩山会館には、優雅な空気が流れていた。
太陽が輝き、薔薇が咲き乱れ、空は青かった。
協会の、上品にして情熱に満ちた方々が、庭園を散策しながら、ゆったりと語り合っていた。

式典が終わって、朝日出版の仁藤輝夫さんがいらして、「友愛」に関する本の出版の打ち合わせを、鳩山由紀夫さんとしていたら、井上和子さんが入っていらした。

ぼくが持参した、リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーの「自由と人生」の原書を、「ほら、こんなものが」と由起夫さんが和子さんに見せていらっしゃる。

鳩山さんたちは、この家で育ったのである。由紀夫さんにお伺いすると、大学を出て、米国に留学するまで、ここで過ごしたのだという。井上和子さんが、「ほとんど変わっていません」とおっしゃる。

日本を代表する名家、鳩山家に流れる、優雅な時間。60周年を迎えた日本友愛協会の会合も、この鳩山家で行われてきたのだという。まさに、歴史を刻んだ空間に、私はいた。

ただ、この日記の読者ならばわかるように、優雅なままでは終わらないのである。優雅さから、アホな私への転落が、まるでお約束のように、待っていたのだ。

大阪に行かれるというので、鳩山由紀夫さんが出発されたあと、私と井上和子さん、そして仁藤輝夫さんが話をしていた。井上和子さんは、本当に上品な方で、お話にぴんと一本、筋が通っていらっしゃる。

そうだ、ぼくは60周年というので、ジャケットにネクタイだったけど、着替えてこよう、というので、トイレに立った。いつもの、Tシャツとイッセイミヤケの薄手の黒いセーターに着替えると、なんだかほっとした。

そして、ぼくは、いかにも優雅に、井上和子さんと仁藤輝夫さんがいるところに戻ったのである。(このあたり、モーツァルトが流れている感じ?)

ところが、そのとき、異変が起こった。腹部に、突然、膨満感が生じたのである。それは、明らかに、おならの兆候であった(この日記を読んでいらっしゃる方は、すでにおなじみの光景ですね)。

しかも、そのおならは、私の今までの経験から言えば、もし放出されたならば、かなりの音響と、臭気が出るんじゃないか、みたいな気配があった。

これは困った。鳩山家の優雅な空気の中で、それはマズイ。おそらく、トイレに行って出した方がいい。ところが、ぼくは、たった今、着替えのためにトイレにいったばかりなのだ。

仁藤さんや、井上和子さんが座っている、鳩山家の優雅な居間から、私がいった男子トイレの距離は近く、もしまたトイレに行ったら、「あら、茂木さんまたトイレいっているわ」(井上安子さん)「ぷぷぷ。茂木さん、またトイレいってるし」(仁藤輝夫さん)という反応が起こることは、目に見えていた。

さて、どうするか。どうごまかすか。ぼくは、まず、「あああ」と思い切りのびをするふりをした。それから、「あれえ?」みたいな感じで、携帯を取り出して、わざとらしく見た。それから、「あっ、そうそう」みたいな感じで、鳩山家の居間を横切って、あとは、ものすごく素早く、トイレへと入って事なきを得た。

井上和子さん、仁藤輝夫さんが、そんな私の動きをどうとらえたのか、知らない。知りたくない。「あっ、茂木さん、電話しに行った」と思ったかな。しかし、電話するにしても、なぜ、トイレの中へ?

事態を収拾させ、何食わぬ顔で居間に戻った。井上和子さんも仁藤さんも立ち上がって、外の景色を見ていた。そうだ、世界は広いよ。太陽だって、輝いているじゃないか。ぼくは、なんだか、心の底からほっとした。

5月 20, 2013 at 08:04 午前 |

2013/05/19

このタイミングで、プログレスかけますか!

朝から乙武くん(@h_ototake)のツイートを見て、お気の毒で、悲しくて、とりあえずコンビニ行こうと思った。

ま、理論的に言えば、太陽を浴びて、脳のスイッチをオンにする、ということやな。

歩きながら考えた。乙武くんが有名だとかそんなこと、ぜんぜん関係ないじゃん。車いすの方はたくさんいるし、来店されたら、なんとか対応しようとするのが、普通の考え方じゃん。それを、ツイッター上でわけのわからないイナゴどもが、乙武くんにむらがって卑劣な罵詈雑言を浴びさせる。

乙武くんが、あんなに明るい顔をしてさ、これまで通ってきたことを想像するとさ、マジでイナゴども許せないよね。人間としては許せても、その卑劣さビタミンはできれば体外にデトックスして欲しい。

なんてことを考えてコンビニのドアを開けたら、なんと、中島みゆきの「ファイト!」がかかっているじゃないか。

「闘う君の唄を闘わない奴等が笑うだろう ファイト!」

このタイミングでみゆきさんの「ファイト!」かけますか。

そして、傷心のぼくは、例の棚のあたりを見たら、こち亀や、ゴルゴ13や、ドラえもんの中に、昨日と全く同じ場所に、『幸福になる「脳の使い方」』がきっちり二冊置かれている。まったく動かず、置かれている。

そっか、やっぱり売れてないんだ。こうなると、本格的にさらし首な感じだな。

どうやら、『ファイト!』はそのコンビニが流している応援ソングの特集らしく、ぼくがカゴにものを入れている間も、なんちゃらかんちゃらが流れていた。

そして!

レジの前に立って、精算しようとしたら、なんと、あの曲が流れ始めたじゃないか!

ずっと探していた 理想の自分ってもうちょっとカッコよかったけれど・・・・

このタイミングで、プログレスかけますか!

ぼくが歩いてきた 日々と道のりをほんとはジブンっていうらしい

スガシカオさんの歌声に、ぼくはなんだか朝っぱらのコンビニで思わず涙が出るくらい心が動いちゃったんだよね。いろいろな思いがこみ上げてきてね。

そして、外に出て、ごまかしたよ。太陽がやけにまぶしかったぜ。

5月 19, 2013 at 06:55 午前 |

2013/05/18

『幸福になる「コンビニの使い方」』

よく買い物にいくコンビニに、私の本2冊が置いてある。こち亀や、ゴルゴ13や、ドラえもんの中に、なぜか『幸福になる「脳の使い方」』(PHP新書)が置いてある。

最初に見たときは、ひええと思った。同時に、少し嬉しかった。

次にコンビニに行ったとき、ほぼ同じ位置に置いてあった。やっぱり二冊置いてあった。

その次にコンビニに行ったとき、ほぼ同じ位置に置いてあった。やっぱり二冊置いてあった。相も変わらず、二冊置いてあった。

目立つんだよね、『幸福になる「脳の使い方」』。こち亀や、ゴルゴ13や、ドラえもんの間におくと、すげえ目立つ。なんというか、小豆色の存在感、みたいな。その背表紙にしっかり書いてある。幸福になる「脳の使い方」 茂木健一郎 って書いてある。穴があったら入りたい。

その次にコンビニに行ったとき、ほぼ同じ位置に置いてあった。やっぱり二冊置いてあった。相も変わらず、二冊置いてあった。だんだんドキドキしてきた。苦しくなってきた。

だってさ、いつ行っても、二冊置いてあるんだぜ。ほぼ同じ位置に。っていうことはさ、仕入れて置いてあっても、ぜんぜん売れていない、ってことじゃないか!

こち亀や、ゴルゴ13や、ドラえもんは、入れ変わっていく。季節とともに、次のステージへと移っていく。笑顔の子どもや、缶コーヒーを手にした兄ちゃんに読まれ、ひとときの幸せを与え、そうやって自分の任務を全うしていく。コンビニから、それぞれの人生に、「嫁入り」していく。

ところが、オレの『幸福になる「脳の使い方」』だけが、いつまでもそこにある。「嫁入り」もせず、放置されている。

選挙期間中の議員さんの駅頭立ちではないが、いつも、そこにいる。飽きずにそこにいる。

っていうか、いつまで売れずにそこにいるんだ、オレの『幸福になる「脳の使い方」』よ! 

オレはだんだん、『幸福になる「コンビニの使い方」』がわからなくなってきたじゃないかっ!

5月 18, 2013 at 08:03 午前 |

2013/05/17

駅です!

ホテルを出るのが、案の定ぎりぎりになって、さあ、と道の上に立ったら、どっちが駅なのか、じぇんじぇんわからない。

これはお上りさんの悲哀なのかもしれないけれども、大阪の駅はわからないことが多い。駅舎の中も外も。梅田なんて、行くたびにどこが阪急でJRで阪神なのか、じぇんじぇんわからない。

ホテル、新大阪の駅から至近のはずなのに、どっちに行けばいいのか、わからない。

こっちかな、と歩いたら、すぐに交差点に出た。そうだ、困った時のiPhoneグーグルマップ。確かに、駅が近くにある! すぐそこにある! ところが、どっちがその方向なのか、じぇんじぇんわからない。

やべ、と思った。このままでは、いわゆる一つの乗り遅れる。

近くを見たら、おじさんがいたけど、イヤフォンしてる。ちょっと話しかけにくい。

そしたら、その後ろに、自転車に乗ったねえちゃんがいた。ちょっと恥ずかしいけど、もう切羽詰まっているから仕方がない。

「あのう、新大阪の駅はどっちでしょうか?」

ねえちゃんは、はあ、みたいな感じでこっちを見る。そうだよね。ものすごく近いことはわかっているんだ、ただ、その近いが、どっちの方に近いかがわからないんだ。

「あちらに歩けばありますけど。」

「あっちに行けば、新大阪の駅があるのですか?」

「駅です!」

最後の、「駅です!」という言葉が、まるで、「以上、報告終わり」みたいな感じに聞こえた。

そうか、駅なのか。きっと、ねえちゃんにとっては、「太陽です!」と同じくらいの真実なのだろう。

信号が青に変わり、だーっと走っていったら、それでもよくわからない。

あのさ、新大阪の駅って、ぺっちゃんこというか、ただホームの屋根があるだけで、ぜんぜん、ターミナルビルとかそういうランドマークがないんだよね。だから、すぐ近くにいても、気配が消えているというか、マジでわからないのだ。

おまけに、道路が、へんな角度で交差していたりして、そこから行くのに地下を通ったりして、意味不明。お上りさんとしては、ちょっと意地悪されているような気分になる。

やっと新幹線の改札が見えてきたときには、本当にほっとして、ぼくは、あの「駅です!」というおねえちゃんを信じて走ってきた良かったな、と思った。

それにしても、「駅です!」と言われたとき、ぼくは、見当識を失った冬眠明けのくまみたいに感じたのである。

5月 17, 2013 at 08:55 午前 |

2013/05/16

「不幸中」という文字列の中には「幸」が隠れている

あのさ、命を脅かすような状況って、不気味な雰囲気があるって言うじゃない?

昨日、それを感じたんだ。ところが、ぼくがうまく拾えなかったんで、悲劇が起こった。

あるところでの仕事。その前に、カレーを食べた。それで、よせばいいのに、また、「おなら」のもとであるらっきょを、好きだというので、たくさんあるだけ食べてしまった。

どうやら、お腹が本格的な活性期に入っているらしい。どうも、ぷっぷ ぷっぷと出る。まさか、食べたばかりのらっきょのせいではないだろうけど。

それでさ、次の仕事は、スタジオで籠もりっぱなしになるので(つまりラジオの収録ね!)、その前に、トイレに行って、そのなんだ、「ガス抜き」をして置こうとおもったわけだ。スタジオに臭気が充満! みたいな悲劇は、避けたいからね。

男子トイレに入り、個室の便器の中をみたとき、あとから思い起こせば、そこには不気味な雰囲気が漂っていた。たまっている水の量は普通に見えたのだけれども、なぜか、トイレットペーパーの細かい切れ端みたいなのが、たくさん散らばっていた。昔子どもの頃に流行った、敵が来たら水に投げ込むと溶けてなくなるスパイ用のメモ用紙の残骸みたいな。溶ける途中だけどまだ繊維のかけらがあちらこちらにある、みたいな、微妙な残り方をしていたのが今考えればヘンだった。

そこで、私に危機を察知する能力があれば、これから起こる悲劇は、避けられたのだろう。私は、個室のドアを閉め、リュックを隅に置いて、何気なく、「流しておくか」みたいな感じで、レバーを押したと思いたまえ。

ぶくぶくぶく。。。


そんな音は実際にはなかったと思うけど、心の中では聞こえたんだよね。便器の中の水位が、じゅわーっと上がり始めた。

脳が稲妻を受けた! 

これは来る!

と思うまもなく、水が便器の端を越えてあふれ出すまでほんの2、3秒。私は、おもわずうあっと足を上げ、個室の隅にあったリュックをつかみ、迫り来る水からさっと身をかわすと、ほうほうの体で逃げ出した。

情けないんだよね。ああいうとき、逃げ足だけは早いんだよね。いや、でも、奇跡的にリュックも靴もぬれなかったんだよ。

それから、私はトイレに戻るのがこわくて、ぶるぶる震えながら、ほかの方法で(つまりフロアを歩いて)おならをぷって出して、圧力を下げ、それから何食わぬ顔をしてスタジオに行った。

あとでディレクターから聞いた。「このフロアのトイレ、閉鎖されています。他のフロアに行けって言われたのは、初めてですよ。」

ご、ごめんなさい! 半蔵門、FM Tokyo の8階フロアで働くみなさん。昨日の午後、トイレの水をあふれ出させたのは、ぼくです! ここに、告白して謝罪します。ぼくの前にすでに事態は悪化していて、ぼくはただ、最後に、レバーを押しただけなのですが。。。。すぐに対応すればヨカッタのでしょうが、現場から逃げ出してしまいました。もう収録時間が迫っていて、ゲストの畠山美由紀さんも入っていらしたし、切羽詰まって逃げ出してしまいました。ごめんなさい。

収録を終え、トイレにおそるおそる行ってみたら、8階トイレはウソのようにきれいになっていた。掃除の方、ごめんなさい。そして、ありがとう。

人生の教訓。これからは、便器の中の水が不気味な表情を見せているときには、安易にレバーを押さないようにします。あの水の表情のクオリア、しっかり頭にたたき込みました。

Tokyo FMを出て、次の現場で会った人に、「こんなこわいことがあった」と話したら、その人は、「ウンコする前でヨカッタですね」と言った。

うーん、確かに! それは一つの、冷静な判断ですね。

確かに。もし「その後」だったら、もっと阿鼻叫喚の地獄絵が展開していたことだろう。よかった。前でよかった。それは、不幸中の幸いであった。「不幸中」という文字列の中には「幸」が隠れていると、今気づいたよ。

5月 16, 2013 at 08:46 午前 |

2013/05/15

講演直前に生じた、ある事象について。

八戸での講演会では、市の社会教育課のみなさんにほんとうによくしていただきました。ありがとうございました。

始まる前、いつものようにトイレに隠れて、何をしゃべろうか考えていた。ついでに、iPhoneで囲碁を打っていた。

5分前になって、そろそろ行こうかな、と出たら、社会教育課の方が、廊下で待っていらした。ごめんなさい。心配されたのかな。

それで、舞台の袖に行って、座ったときに、ある事象が生じた。突然、お腹が張り始めたのである。

これは、不思議なことですね。だって、さっきまでトイレに隠れて、講演内容を考えながら囲碁を打っていたわけでしょ! それがなぜ、講演直前、3分前になってお腹が張り始めるのか! うーん、人体の神秘! しかし、困った!

腹部あたりのクオリアを慎重に検討した結果、これは、固体系よりも、ガス系ではないか、と思われた。固体系ならば、トイレに駆け込まなくてはならないところだが、ガス系だったら、「散らせば」いい、みたいな判断になった。

それで、社会教育課の方が少しあっちに行った隙に、「うわあ」と背伸びをするふりをして、座っていた椅子から立ち上がって、歩きながら散らそうとこころみた。そしたら、

ぶぅ! 

驚くほど大きな音が出て、いわゆる、ガスの噴出現象が見られた。

やばっ! しかし、社会教育課の紳士は、約10メートルくらい離れたところにいらしたけど、どうやらお気づきにならなかったらしい。

ほっとした。ところが、まだどうもお腹のあたりが圧力を感じる、というか、似たような事象が生じる気配がする。

私の中で、悪夢のシナリオが囁かれはじめた。私は舞台でいつものようにちょこまか歩きながら話している。張ってくるポンポコお腹。そしてついに、圧力に耐えられなくなって、ガスの噴出現象が生じる。

ぶぅ!

一瞬、静まりかえる客席。やがて、事態を察知したみなさんが、最初はくすくす、やがて爆笑。私は、舞台の上でひとり顔を真っ赤にして立ち尽くす。。。

そんなことになったら、恥ずかしい。もう一度、噴出させないとやばい! と思った瞬間、MCの方がわたしの紹介を始めてしまった。ぴーんち!

こうなったら仕方がない。私は、覚悟を決めて、舞台の上に歩いていった。。。。

ところがですね。。。その後、なぜかお腹の圧力は減って、90分のお話の間、類似の現象はなかったのですね。ヨカッタ!

ほっとした朝、ふと思ったのだけど、あれが講演中にゲップになって出ていたのだとしたら、ぼく自身がそういう人生はイヤだ!

5月 15, 2013 at 07:08 午前 |

2013/05/14

食べる機械!

ぼくは、いわゆる「種なしぶどう」が好きだ。一つひとつの粒が大きいぶどうもいいけれども、あのちっこいぶどうが、ふさに沢山ついているやつを、両手ではがしては食べ、はがしては食べするのが好きだ。

そろそろ季節なのあで、両手でわしわし食べていると、つい、「食べる機械!」という谷貝くんの叫びを思い出してしまう。

大学院生のとき、家庭教師で黒坂くんを教えていたら、黒坂くんの友人の鈴木兄弟(ふたご)と、谷貝くんが「いっしょに教えてくれ!」と言ってきたので、4人まとめて教えることになった。

中学生の男の子4人。うるさくて大変だったけど、中でも谷貝くんは独特の男の子キラキラパワーに満ちていた。「チョークの神さま」事件も、そのうちこのスペースに書きたいと思うけれども、もう一つ心に残るのが、「食べる機械」事件。

勉強を始めて1時間くらい経ったときに、黒坂くんのお母さんがおやつをもってくる。みんな育ち盛り空腹盛りだから、それを楽しみにしている。

ある夏の日、昼間から勉強していて、おやつの時間になったら、黒坂くんのお母さんが、どんぶりにいっぱい、枝豆をゆでたのを持ってきた。みな枝豆大好物で、他のやつに食われないうちに、といそいで食べ始めた。

そのうち、谷貝くんが、「そうだ!」とひらめいたのか、両手で、次々と枝豆をつかんで、口の中にぷしゅっと押して放り込むという技を生み出したのだ。他の3人もあせって真似を始める。見ていても爽快なスピード。山盛りだった枝豆が、一気になくなっていく。

そして、その瞬間、谷貝くんが叫んだのだ。食べるのを一瞬やめ、天井を見上げて、勝ち誇ったように、「食べる機械!」と。

人間の記憶ってふしぎだね。彼らと過ごした何十時間、何百時間の中で、その瞬間が、鮮やかによみがえるのだから。

あの時、谷貝くんは食べる機械だった。そして、それは、誰でも通る男の子のキラキラパワーだったのだろう。

5月 14, 2013 at 08:12 午前 |

2013/05/13

なぜ、カレーうどんはアチチなのか。

講演会の前に、腹ごしらえをしようと思って、うどんやさんに入った。「やっぱり温玉ぶっかけだな」と思ったのが、「カレーぶっかけ」という謎のメニューが目に入ってしまった。

頼んだら、来たのは普通のカレーうどんだった。そうだよね。うどんにカレーのルーをぶっかけたら、普通のカレーうどんになるよね。ぶっかけ感を出そうとしたら、ルー少なめにしてうどんを露出させるしかないけど、それは本末転倒だよね。

それで、食べ始めてすぐに後悔した。そうだ、オレは猫舌だったんだ。そして、猫舌人間にとって、カレーうどんほどの最終兵器はない。

子どもの頃、近所のそば屋でカレー南蛮を初めて注文した時の衝撃! なんでこんなに熱いんだ。なんで、いつまでも熱いんだ。「熱容量」について学ぶずっと前から、ぼくはカレーうどんが熱容量の高い食べ物であることを体感していた。

ふうふういいながら、結局全部たいらげてしまった。「辛いからい」といいながら、ルーも全部飲んでしまった。こんなことをしているから、ブタ化するのである。仕方がない。うまかったんだもの。

それにしても、カレーうどんは、なぜアチチなのか。

ふり返ってみると、あんなに熱い、いつまでも熱いということも、カレーうどんの味わいの一つなのであろう。カレーライスだと、ルーはあっとういう間に平らになって空気との接触面も増えて冷えるから、いつまでもアチチは、カレーうどんで初めて味わえるクオリアなのである。

してみると、猫舌のぼくも、実は、カレーうどんを注文するときには、あんなにアチチ、いつまでもアチチのクオリアを楽しみたいと思っているのかもしれない。きっとそうだ。ただ、昨日は、「ぶっかけうどん」というひんやりなメニュー名に騙されて、不覚を取っただけのことなのである。ちゃんと完食して仇をとってやったぞい。


Curryudon


5月 13, 2013 at 08:09 午前 |

2013/05/12

脳に負荷をかけて実験しているんだよね。

桑原茂一さんがやって、という仕事は、ぼくは絶対に断らない。

天才桑原茂一をそれだけぼくは信頼している!

しかし、それは、時に、未曾有、未経験の「ゾーン」に投げ込まれることを意味する。

きのうもそうだった。そもそも、リリーフランキーさんと東西の横綱になって大相撲、というコンセプト。現場にいくと、中尾賢一郎さんの行司、親方DJ、相撲部による稽古など、マジなセッティングがいろいろあって、うわあ、これは大変な現場になる、と思った。

打ち合わせなんてあったもんじゃない。これは、お互いの信頼関係ってこと。リリーフランキーさんだって同じ思いだったろう。

リリーさんと二人で横綱土俵入りをするところから、現場で探りながら、つくっていく。ぼくの脳は、はっきり言ってそういう想定外の連続が大好きだ。桑原茂一さんの天才たるゆえんは、そのような化学反応を起こす現場を、さっと設計してしまうところだろう。

それにしても、リリーさんと黒田征太郎さんの魂の対談、よかったね。

最後のさいごに、リリーさんがギターを弾いて、ぼくが十五の夜を歌った。歌詞、当然全部覚えたよ。それが責任だからね。一部あやしかったのを、リリーさんがプリントしてきた歌詞で、トイレに時々隠れて確認した。「自由になれた気がした」と「自由を求め続けた」の使い分けも完璧にした。

それでも、現場ではいろいろ起こるわけで、歌う前にリリーさんが小芝居をしろ、と言って、一瞬拾えなかったが、要するにリリーさんと僕が中学からいっしょにバンドをしていた、みたいな設定にしてしゃべるのだった。

あと、歌唱を終わる時も手探りで、会場のみんなでインストラメンタルなしで合唱して、それからワンテンポあって、リリーさんがそう言って、「自由を求め続けた、十五の夜」というフレーズだけを、ぼくが最後にしんみりと歌って、終わった。

要するに、すべて、現場で即座に探りながらつくっていく、ということさ。

そしたら、会場がうわーっとなった。一体となった。良かったねえ。

いやあ、最高のエンディングだったんじゃないか。ぼくは感動したね。茂一さん、トギーさん、リリーさん、中尾さん、みなさん、本当にありがとう!

それで、「十五の夜」を歌う前、リリーさんがギターならしながらぶつぶつ言っていた。

「喫茶エデンという深夜番組やってたんですけど、これは、台本なしでいきなり小芝居をやるといういわゆるエチュード、という部分と、自分の持ち歌以外の歌を生バンドで歌うという部分があって、みんな断るんです。役者やタレントは、演技はいいけど歌がちょっと、となるし、歌手は演技ができない、と断ってくる。ところが、茂木さんは、あっ、いいよ、と出ちゃうんですね。ぼく思うんですけど、茂木さんは、ああやって、自分の脳に負荷をかけて、どうなるか、実験しているんじゃないんですかね。」

そうなんじゃないかな。リリーさんの言うとおり、ぼくは自分の脳に負荷をかけて実験しているんじゃないかな。

昨日もいい実験でした。博多の夜よ、ありがとう!

5月 12, 2013 at 07:59 午前 |

2013/05/11

深夜の遭遇

たまたま、スケジュールの都合で、小倉に連泊のなか、名古屋に「日帰り」で往復することになった。

まるで、母のふるさとでもある街に、自分が住んでいるような気持ちになった。それは、とても素敵な幻想でもあったのだけれども。

小倉に「帰って」きたのは、23時40分すぎ。最終の新幹線が広島で在来線の接続を待ったので、定刻よりもやや遅かった。

深夜の小倉駅。人通りがまだある。ぼくは、基本的に行き交うひとと目を合わせないようにして歩く。本当にもうしわけないのだけれども、「あっ」とか「あれ」とか言われて、話しかけられることが多く、本当はシャイなぼくは、どう対応したらよいかわからなくて、どぎまぎしてしまうのだ。

それでも、駅からリーガロイヤルホテルに向かう通路で、2、3度話しかけられた。数人の方が連れ立って歩いていて、「明日よろしくお願いします」と言われた。どうやら、学校関係の方らしい。

もう止まってしまった動く歩道に入り、もうすぐリーガロイヤルホテルだ、と思ってほっとして歩いていると、「あっ、茂木さん!」という声がする。

しまった、また見つかったか、と思って顔を上げたら、そこには、なんとよく知った人の顔があった。

「あれ、奥田さん!」

北九州で、ホームレスの方々の支援を続ける、奥田知志さん。牧師としての信仰から出発しながら、「絆(きずな)」とは人間がお互いに傷つけるかもしれないことである、人はみな罪深いという思想を持つ奥田さん。

ぼくが司会をしていた『プロフェッショナル 仕事の流儀』に二度出演された奥田さん。大好きな奥田さん。大切な奥田さんが、なぜか、こんな深夜に、リーガロイヤルホテルから駅に向かう通路を歩いてきている。

真っ先に思ったのが、リーガロイヤルホテルで飲み会か何かがあって、その帰り道なのかな、ということだった。そんな連想になったのは、その前の夜に、奥田さんや北九州市議会議員の白石一裕さんたちと、バーでいろいろと歓談した記憶があったからだろう。

しかし、その割には、なんだかしんみりとした雰囲気で、奥田知志さんは立っている。

「茂木さんは、まさか、今帰ってきたの?」

「ええ。そうなんです。名古屋に行ってきました。奥田さんは?」

「ぼくは、見回りですよ。」

聞いた瞬間、あっ! と思った。見ると、奥田さんは赤いジャンパーを着て、ジーンズにスニーカー、それにカバンを提げている。歩き回りやすいような服装をしている。

「いやね、さっき、駅の近くで、野外宿泊者かな、というような男性を見かけたものだから。しばらく、様子を観察していたのです。でも、ちょっとの隙に、どこかに行かれてしまった。きっと、そのあたりのどこかに入り込んだのでしょう。」

「見ると、そういうことがわかるのですか?」

「今日、泊まるところがないんじゃないかな、ということは何となくわかります。その男性は、カバンの上に、たくさんのものが入ったビニル袋を置いてあったしね。」

『プロフェッショナル 仕事の流儀』でも放送された、奥田知志さんの、深夜の見回り。今日泊まるところがないのかな、という方を見かけると様子をみて声をかけ、相談に乗る。場合によっては、ご自身の教会に連れていって、一時の避難場所にする。

今、奥田知志さんの東八幡キリスト教会は、あたらしい教会堂を建築しようとしていて、その一部は、ホームレスの方々のシェルターになるのだという。基金を募集しているようなので、もしよろしければ、奥田さんに協力してあげてください!

http://homepage3.nifty.com/higashiyahata/

奥田さんとは、会議やシンポジウムで、何度となく会っているけれども、深夜の小倉の街を、見回りされているまさにその現場に、偶然に遭遇することができて、ぼくはなんだかじんわりと心の奥から感動してしまった。

自分自身が、名古屋に日帰りして、深夜、疲れ切って少し心細い気持ちでリーガロイヤルホテルに向かっていた、ということもあるのかもしれない。

ぼくは、ホテルの部屋があるからいい。もし、今日泊まるところがなかったとしたら。

奥田さんは、人間はみな罪人だという。その罪人である人間は、他人の苦しみや痛みを、想像して時に行動することくらいは、できるのではないか。

深夜の駅の通路で、赤いジャンパーを着て立つ奥田さんの表情は、やわらかく、荘厳ですらあった。

奥田さん、うまく言えないけど、本当にありがとう。

Okudatomoshi20130510small


5月 11, 2013 at 08:03 午前 |

2013/05/10

ぼくは、座れない。

そうだ、忘れないうちに書いておかなくちゃ。

先日出雲に行ったとき、サコカメラと、「ぼくは、座れない」という話をしていた。和式トイレで、しゃがむことができない。だから、何かにつかまっていなければならない。

うんこ座りをしていると、かかとがつかないで、つま先立ちになる。そのかっこうで前からツン、と押されると、うわあと後ろに倒れてしまう。

世の中には二種類の人がいる。うんこ座りができる人と、できないひとと。

そしたら、サコカメラが、「それは茂木さんが太ったからだ」などと抜かす。

「どいうこと?」

「だから、お腹がぷっくりと出ると、それがつかえて邪魔になって、うんこ座りができないのだ」

ちゃうって! 足首の関節が硬くて、ある角度以上に曲がらないから、うんこ座りができないんだって!

ふと思ったけど、サコカメラは普通に座れて、だから、ぼくみたいに身体が硬くてできない人の身体性が想像できないんじゃないかな。

みなさんはどうですか? 座れますか、座れませんか? おなかぷっくりのせいじゃないよね。

5月 10, 2013 at 08:00 午前 |

2013/05/09

世界の中心で、「あーうーあーうー」と叫ぶ。

サコカメラと、集英社の助川夏子さんとの取材。寝台特急サンライズ出雲が到着するのは午前10時前だと知って、「しめしめゆっくり眠れる」とほくそ笑んでいた。

そしたら、午前6時過ぎに高松に行くのと切り離すからホームで撮影、だとかいう。

ええ、そんな、と思ったが、仕方がなく5時30分に起きた。

爽やかな山陰の景色を楽しめたのはいいとして、とにかく眠い。

だから、出雲大社やJR西日本の車両基地の取材を終え、出雲空港で飛行機に乗り込むと、いつものように日航寄席を聞きながら、あっという間に爆睡していた。

はっと目が覚めると、窓の向こうに湾が見える。その向こうに富士山のシルエットがある。折しも、太陽が真っ赤な点となって沈もうとしてる。

「あーうーあーうー」みたいな感じで、ヘッドフォンをしたまま隣の外人さんに身ぶりで教えたら、そのおじさんもうんうんと頷いて富士山の方を見ている。

羽田に到着して、機内アナウンスを聞いて驚いた。「本日は、出雲出発及び羽田到着が、大幅に遅れたことを心からお詫びいたします。」

へっ? 遅れた? iPhoneのスイッチを入れて見たら、確かに、予定時刻を一時間以上過ぎている。たいへんだ! 波頭亮さんの研究会に遅れてしまう!

機外でサコカメラ、助川さんと落ち合った。助川さんからその間の「真相」を聞いた。私は、ぽわんと白煙が立って、えっ、そんな、ここはどこ、私は誰、みたいな感じになった。

「出雲を出るとき、羽田が強風ということで、飛べるかどうかわからないからと、滑走路に出たところで、いったんターミナルまで引き返したんですよ。」

「へっ!?」

「そのまま、ターミナルで、15分くらいいたかな。機長さんが出て、本当に丁寧に、今こういう状況だから、こうなるかもしれない、ああなるかもしれない、と説明したのです。」

「へっ!?」

「それから、アテンダントの方が、一人ひとりの乗客のところに来て、本当にすみません、とあやまってまわって。」

「あんなに一人ひとりの顔に近づけるとは思わなかったなあ」と、嬉しそうなサコカメラ。(サコカメラは、風体が「組長」風のおっさんである。)

「へっ!?」

「飲みものを配ったり、キャンディーを渡したりして」

「へっ!?」

「それから離陸したけれども、羽田に近づいたところで、やっぱり風が強くて通常の滑走路では着陸できないということで、再び機長さんが登場して」

「へっ!?」

「それで、機長さんが、今日はいつもと違う北向きの滑走路を使う。しかし、そこには現時点で60機が待機しているから、着陸がいつになるかわからないと言って」

「へっ!?」

「それで、アテンダントの方が、いつもと違うアプローチになるから、富士山がきれいに見えるかもしれないと言って。でも、見えなかったわよね、サコカメラ」と助川さん。

「ああ、見えなかったなあ」とサコカメラ。

「あっ、見えたみえた! 富士山見えた! どうりで、いつもと違う風景だと思った。」←イマココ。

私は、飛行機に乗り込んで爆睡していたおかげで、そんなドラマティックな展開があったとはつゆ知らず、「←イマココ」と記した時点から、はっと気づいて、富士山が見えるなあ、きれいだなあ、と思って、「あーうーあーうー」みたいな感じで、ヘッドフォンをしたまま隣の外人さんに教えたら、そのおじさんもうんうんと頷いて富士山の方を見ていたのである。

意識のない時には存在しないのと同じ、とは言うが、私は、爆睡していたせいで、ドラマティックな機内の展開を全く知らずにいた。

とてつもない損をしたような、なんだか不思議な気分。うかつにもほどがある。

「よく眠れてよかったですね」と助川さん。ちょっと棒読みだった気がする。

助川さんが集英社に戻るついでに、ホテル・オークラまで送ってくれた。道が空いていて、あっという間について、小幡績さんのお話を、15分遅れでは聞くことができた。

うれしかった。
なんだか、魔法のようだった。
その時、私は、世界の中心で、「あーうーあーうー」と叫んでいたのである。

5月 9, 2013 at 08:11 午前 |

2013/05/08

何だか、今度の植田工の作品、彼の人生における初めての「カフェオレ」のような気がするのです。みなさん、どうか、沢山たくさん見に行ってあげてください。

植田工の、学芸大学のアトリエでの展覧会(http://www.rise-gallery.com/)を見にいった。

植田のライフワークである、アニメーションである。

そしたら、まだ仕上がっていなかった。少年が石を見つけて、目を潤ませるところで終わっている。

何度もループで、少年が石を見つけて、アップになる。そこまでを見た。芸大の学友で、石田だったか山本だったかがつけた音楽が、ある一つの気配を運んでくる。小田ロケットの編集もいい。ただ、最後まで仕上がっていない。それで、ゆうなちゃんが怒っているらしい。

植田が、電話をして、しきりに、「あと5分です」「10分です」と言っている。これは長くなるな、と思って、缶コーヒーを買いに行ってギャラリーの外にたたずんでいた。そしたら、小田ロケットが自転車に乗ってだーっと走ってきた。

どうやら、作品が完成したらしい。

少年が石を見る。目が潤む。アニメがその先に進んだ。詳細は略すが、最後に、石から浮き出るように女の人の面影が現れた。

見た瞬間に思った。あれは、植田工のお母さんだ。あるいは、聖母マリア。または、観音さま。

植田工は、東京芸大時代から知っていて、さんざん○○○だとか言ってきたが、作品を最後まで見て、不覚にもカンドーしてしまった。植田、やりきったんじゃないかな。

オレは植田に言った。「あのさ、この作品、内容については何も言わないけど、みんなに見てもらうために、オレはこういうツイートしていいか。植田工くんの、6歳の時に家を出ていってしまったお母さん、植田くんがお母さんのことを作品にしました。見に来てくださいって。」

あれは二年前と少し前。震災がやってくる前の日本。長岡の冬の花火を、植田工と雪の上で並んで見ていた時に、あいつは突然、母親が6歳の時にいなくなった話を始めたのだった。

つきあいが長かったが、初めて聞く話だった。

母親が出ていった翌日、おばさんが来て、カフェオレをつくってくれたのだという。そのカフェオレが、生まれて初めて飲むおいしさだったという。

それ以来、植田工は、お母さんと会っていない。

植田工と、長岡の花火を見ながら交わした会話は、ここにある。
http://togetter.com/li/103237

何だか、今度の植田工の作品、彼の人生における初めての「カフェオレ」のような気がするのです。みなさん、どうか、沢山たくさん見に行ってあげてください。

Ueda20130507


5月 8, 2013 at 09:56 午前 |

2013/05/07

編集者とは、サバ読むものであり(鉄ちゃんて凄い!)

 取材で、久しぶりに寝台列車に乗ることになった。

 それで、集英社の助川夏子さんからきたメールをそのまま信じて、「オレ、東京駅20時発なんだけど」と言ったら、電通の佐々木厚さんが、即座に「あっっ、茂木さん、それ、22時発です」という。

「えっ。集英社からのメールには、20時だと書いてあったけど。」
「違います。○○*号でしょう。それ、22時発ですよ。」

佐々木厚さんは電通部長でもあるが、同時に鉄ちゃんでもある。鉄ちゃんの言うことだから、正しいのかもしれない。

それにしても、なぜ、2時間前に?

そしたら、助川さんからメールが来て、実は22時なのだが、その前にサコカメラと食事をしたり、買い出しをしたりするので、サバ読んで20時にしたのだという。

編集者というものは、サバ読むものである。たとえば、原稿の実際の締め切りが○日だとして、そのまま著者に伝えたら、万が一遅れたとき穴が開いてしまう。だから、涼しい顔をして、○日のずっと前が締め切りです、と伝えることがプロの編集者のやり口(失礼、やり方)だとされている。

助川さんはプロの編集者であるが、まさか、締め切りだけでなく、列車の発車時刻もサバ読むとは思わなんだ。さすが、助川さん。

それと、佐々木さん恐るべし。鉄ちゃんあなどれない。即座だもんな。

5月 7, 2013 at 07:59 午前 |

2013/05/06

10代、20代は、ぜったいにデブにはならないと思っていた。ほんとだよ。

今でも覚えているけど、大学院に入った頃は、体重65キロだったねえ(ぼくの身長は171センチ。重いリュックをしょって歩いているせいで縮んでない限り同じはず)。それが、修士終わる頃から、研究室で先輩たちとビールやウィスキーを飲んで夜更かしするようになり、体重が高度経済成長をたどりはじめた。

体重70キロになったときに、やばっ! と思った。そのまま72キロあたりをうろうろしてたけど、ある時75キロになって、さらにやばっ! と思った。そのまま77キロあたりを長年うろうろしていたけど、二年くらい前に、80キロをついに突破、マジえやばっ! と思ったけれども、今は81キロあたりをうろうろしている。

いやあ、人生って、わからないものだねえ。10代、20代は、ぜったいにデブにはならないと思っていた。ほんとだよ。

それで、問題は、自分の体型を何にたとえるかだけど、以前、フジテレビの番組で、オレがスタジオに入っていった時、木下優樹菜さんに「きゃあ、かわいい。くまのプーさんみたい!」と言われて以来、「オレはくまのぷーさんで」と講演会などでは言ってきたけど、それじゃあかわいすぎるという文句が聞こえてきたので、最近は「くまモン体型で・・・」と言うことにしている。

くまモンのままでいい、と思っているわけじゃないよ。アベノミクスは、デフレからの脱却が問題だったけど、オレは、体重インフレ(徐々に)からの脱却が問題だ。

まあ、歩いたり、走ったり、こわいダンスをしたりはしているんだけどね。

10代、20代は、ぜったいにデブにはならないと思っていた。ほんとだよ。

5月 6, 2013 at 06:58 午前 |

2013/05/05

全体として、120点の出来だったと思います! 堀江さん、小沢さん、本当にありがとうございました。

堀江貴文さん、小沢一郎さんと旧知の仲だというので、ぼくが司会を頼まれた。なんと、意外なことに、お二人は初対面だったそうだ!

しかけたのは木内孝胤さん。木内さんが指定したのは、なんと、秋葉原のカラオケボックスだった。

「いやあ、大学や、六本木という選択肢もあったんですけど」と木内さん。そりゃあ、絶対秋葉原の方がいい! やっぱ、アキバでしょ。文脈付け、大切。

ホリエモンはとても論理的で濃密な話をして、普通に会話しているときはいいんだけど、昨日は二時間の中で小沢一郎さんとの対話をしてもらいたかったし、放っておくとホリエモンはいつまでもしゃべっているので(回転数と持続力がハンパないんだよね)、ぼくがやむなく句読点を打った。そしたら、ニコ動のコメントが、「茂木帰れ」「茂木いらない」みたいなのが来て、こいつら、相変わらずイヤだなと思った。

正確には、「イヤだな」というのは、「ああ、君たちはそういう人たちなのね」という認識であって、別に嫌いなわけじゃなくて、どちらかと言うと、人の立場、気持ちも知らないでそういうコメントを出すのが、君たちなんだね、ということさ。

本当は、ホリエモンが、「あっ、小沢さんにもしゃべらせなくちゃ」とか、「残り10分で、こういう話題をしてはまずい」とか、気を遣ってくれればいいんだけど、それをしないのがホリエモンだから。ぼくは大好きだけど、そこをとらえてあれこれ言う人もいるんだろう。でも、そうやって突っ走らないと、大きなことはできないよネ!

さて、ホリエモンが、新自由主義的な経済活動の自由を論じたのに対して、小沢さんが政治として所得の再分配の責任を主張した、後半の対論が、実に迫力があった。結論として、ホリエモンのような起業家が日本経済の活性化にはどうしても必要であり、そのためにも規制緩和。小沢さんの主張とここで一致する。おもしろかったね。

カンペで木内さん出せ、とあったから、木内孝胤さんを呼び込んだら、「誰だよ〜」という容赦ないニコ動コメント。「岩崎弥太郎の玄孫です」と言ったら、「あ〜そうか〜」「やしゃごキタ−」だってさ。岩崎弥太郎のブランドは平成の世でも健在だね。

全体として、120点の出来だったと思います! 堀江さん、小沢さん、本当にありがとうございました。

そして、やしゃご、じゃなかった木内孝胤さん、不安で前夜から眠れなかったようだけど、アキバのカラオケであのような水も漏らさぬオペレーションをした君のスピリットは、確かに、岩崎弥太郎を引き継いでいると言えるだろう!!

5月 5, 2013 at 09:08 午前 |

2013/05/04

因果性について考えていたくせに、らっきょから・・・

このところ、iPhoneの上のATOK Pad(確か)というアプリで、意識についての考察をしている。エレベーターに乗ったり、トイレに入ったりといったわずかな時間で、文章を書き進める。

キーボードで打つのに比べたら遅いけど、意識の謎という難問題には、公案をしながら書くようなもので、ちょうどいい。昨日は因果性について考えていた。

そしたら、もうしわけないのだが、夕方くらいから、その、ガスというものが、たくさん出る。いわゆるおならというものが、止まらない。どうしてだろう、と思いながらATOK Padで因果性について考察しつつ、眠りについた。

今朝目が覚めた瞬間、わかった。

そうだ、らっきょを食べたんだった。カレーを食べて、そのときらっきょを食べた。ぼくはらっきょが好きなのである。そして、以前から、らっきょを食べると、ガスになる傾向がある。そして、案外大量に食べたのだった。

因果性について考えていたくせに、らっきょからガスへの因果性のリレーに思い足らなかった。こういうのを、灯台もと暗しというのだろう。

5月 4, 2013 at 08:31 午前 |

2013/05/03

指先ひとり学級崩壊のおかげで、こんなトラップが待っているとは思わなかったよ。

ぼくは落ち着きがなく、「ひとり学級崩壊」と言われている。しかし、さっきのようなトラップが待っているとは思わなかった。

英語のfacebook account http://www.facebook.com/kenmogiqualia のプロフィール写真が、以前にサンクトペテルブルクの墓地で撮った、チャイコフスキー(確か)の前に立っているやつだったのだけど、顔が小さくてあまりプロフィールの役割を果たしていなかった。

それで、プロフィール写真を変更しようとしたら、30分もはまった。あれこれ試してもダメ。やり方を検索すると、簡単にできるようなことを書いてある。ブラウザ依存かと思って、SafariじゃなくてChromeでやってみたが、それでもダメ。プロフィール写真を変更するオプションが、画面のどこにもないのだ。

不思議だな、と思ってあせっていたら、30分後に、突然できた!

わかってみたら、簡単なことだった。プロフィール写真の上にカーソルを置くと、Edit profile pictureという文字列が現れる。それで、クリックすると、あれれ、プロフィール写真を変更するオプションがないぞ、というようなことを、それこそ10回も20回も繰り返していたわけだ。

ところが、はっと気づいたら、どうやら、ぼくは Edit profile pictureという文字列じゃなく、写真の他のところをクリックしていたらしい。要するに落ち着きがないから、指が勝手に動いて、写真の他の部分に動いてしまう。すると、タグ付けしますかとか、コメント書きますかみたいな、写真変更とぜんぜん関係のないオプションへと導かれる。

それではまってしまった。時間が経過するとともに、出口のない深い絶望へと誘われていったわけである。

ところが、ひとり学級崩壊のぼくもさすがに疲れて、指が動かないでいい感じで力が抜けたのだろう。指が、edit profile pictureの文字列の上に置かれたままになった。そのままクリックしたら、なんと、choose from photos、 take photos、 upload photosと、ちゃんと変更関係のオプションが出るではないか!

Facebookのインターフェイスもよくないと思うけど、ぼくの落ち着きのない指先もよくない。ほっとしたけど、疲れた。

指先ひとり学級崩壊のおかげで、こんなトラップが待っているとは思わなかったよ。

5月 3, 2013 at 10:51 午前 |

人生のほとんどは、ゴミとなる。

昨日、学生たちに手伝ってもらいながら、研究室の掃除をしながら思ったこと。

人生のほとんどは、ゴミとなる。

その時には意味があると思っていたり、価値があると思っていたことも、10年、20年経つと、単なるゴミとなって忘れられる。

本や論文もそうだよね。たいていのものは、ゴミとなる。

ぼくが本を書き始めたときに、編集者が、「ベストセラーよりも、長く読み継がれるロングセラー」と言っていた理由は、今となったらよくわかる。

物故作家は、とたんに売れなくなるんだそうだ。夏目漱石とか、太宰治とか、ずっと読み継がれる作家は、奇跡のようなもの。

その時々に、勢いのある人とか、話題になるものとか、ベストセラーになる作品とかあって、それはそれで生命の花火がぱっと咲く感じでいいけど、結局はゴミになるんだよね。たいていの場合。

大掃除の途中、となりの部屋のフランク・ニールセンと目が合った。彼はフランス人だが英語で会話する。

「ケン、掃除たいへんだな」とフランクが言ったから、「ああ、ぼくの人生の99%は、ゴミだということがわかったよ」と言ったら、フランクが、「誰でもそうじゃないかな」と言った。

彼の専門は数学だ。永遠の、人間精神の名誉のために。

日々、生命の花火をぱーっと咲かせる中で、ほんの少しだけ、5年後、10年後のことを考えられたらいいね。

5月 3, 2013 at 09:11 午前 |

2013/05/02

有名人ぽい名前の謎

朝起きると、まずfacebookのページの、友だち申請のところを開けて、「あとで」ボタンをたくさん押すところから、私の一日は始まる。

本当に申し訳ないけど、これをしないとたくさん溜まって、それがストレスでfacebookが使えなくなる。実際、使えるようになったのは、友だち申請を冷徹に「あとで」処理できるようになったからで、実際に知らない方は、もうしわけないけれども、基本的にお断りしている。

本当にごめんなさい。そうしないと、フェイスブック使えなくなっちゃうから。

ときどき、「有名人ぽい名前」があって、ドキっとする。やばい、ひょっとして、どこかでお世話になった方かしら、などとしばし考える。

有名人の名前、ではなくて、有名人ぽい名前って何だよそれは、と疑問に持つかもしれないけど、実際にあるのだ。

それで、そんな時は、しばし「あとで」ボタンを押すのを待って、うーむと考える。

有名人ぽい名前を持っている人は、日常生活でトクをしているのかな。それとも。

5月 2, 2013 at 08:58 午前 |

2013/05/01

偏差値にこだわるのは、○○○の長さにこだわることに似ている。(不謹慎注意)

日本の教育界をいちばん愚かにしているのは「偏差値」だろう。

ばからしい。しかし、未だにそれで愚かな誇りを感じ、言われのない劣等感を抱く者は多い。偏差値なんて、蹴飛ばしちまえ! 予備校が偏差値表を送ってきたら、破ってすてちまえ! 予備校を、受験生の心の傷害罪で訴えよ!

理系で「最高の偏差値」と言われている東大理III.養老孟司さんのように本当に賢い卒業生もいるけど、いつまで経っても受験のことしか自慢できない、愚かもの卒業生も数限りなくいる。そいつら、ぜんぜんあたま良くない。むしろ白洲信哉の方が、あたまいい。あたまの良さと偏差値は、本当に関係ないのだ。

そういうことを、いくら言ってもわからないようなので、先日思いついた喩えで説明しましょう。

男性は、○○○の長さにこだわる者が多い。ところが、先日発表された科学研究によれば、女性が男性を見るときには、○○○の長さなど関係ないようなのだ。むしろ、胸の厚さや、肩幅などに注目するらしい。○○○が長くても、別に男性としての機能や魅力には関係がないのだ。

偏差値にこだわるバカは、○○○の長さにこだわるバカと同じ。そう考えたら、似ているような気がするでしょ。○○○の長さにこだわる愚かなマッチョ主義と、偏差値にこだわる愚かな受験生メンタリティは。

大学入試をTOEFLで統一するよりも(そもそも、国家が先導して決めることじゃないでしょ。日本は社会主義かっ!)、入試から偏差値を追放する、というよりも、大学入試を偏差値で予想できないようなものにする、ということの方が先決だと思う。

で、いつ偏差値追放する? 今でしょ! 

(あっ、そうか、今でしょ! と言っているのは予備校の先生だったね。あの先生いいね。)

偏差値にこだわるのは、○○○の長さにこだわることに似ている。このすばらしい喩えを、いつ拡散する? 今でしょ!

えっ、○○○ってなんだって? 「忍耐力」に決まっているじゃないか。 

5月 1, 2013 at 09:14 午前 |

国家とは 『自由と人生』より

リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー著、鳩山一郎訳『自由と人生』(Totaler Staat - totaler Mensch (1937))より、冒頭の文章。

人間は神の創造物である。

国家は人間の創造物である。

従って、国家は人間の為めに存在するが、人間は国家の為めに存在するのではない。

国家なき人間と云うものは考え得られるが、人間の無い国家は到底考えられない。

人間は目的であって、手段ではない。

国家は手段であって、目的ではない。

国家の価値は、正確にその人類に対する効能の如何に関する。即ちその人間の発達に貢
献することが大なれば大なるほど善であるが、その人間の発達を妨害するに到れば、直ちに悪となる。

これを以て国家は、人間の自由や安全や発達を促進し、或いは妨害することによって、人間の味方ともならば、また人間の敵ともなり得るのだ。

5月 1, 2013 at 08:53 午前 |

博士の異常に深い愛情 (園子温、藝人デビュー!)

座・高円寺のカフェで本の取材を受けていたら、時計を見て、なんだかドキドキしてきてしまった。

もう少しすると、水道橋博士と園子温さんのライブが始まる。園子温さん、藝人デビュー。近くにいた弟子の植田工に、「おい、オレわくわくしてきたぞ」と言った。

入場する時、博士がレギュラーをやっているNHKラジオ「すっぴん」のインタビューを受けた。

「いやあ、わくわくしますねえ。お笑いの新ネタは、練習ができない。受けるかどうかわからない。外科医が、練習なしでいきなり手術をするようなものなんですよね。」

外科医うんぬんは、アメリカのコメディアン、サインフェルドの言葉だ。

始まった。前半はトークショウ。園子温さんは、信じられないくらい珍妙かつ胸アツのエピソードが多い。そのバカぶり、無防備ぶりは、すでに藝人仕様。東京ガガガ。やくざの娘に呼び出されて組事務所に行った話。スフィンクスの問いかけ。生か死か。

客席は大いに沸き(近くに「電波少年」の土屋敏男さんの金髪が見え、倉本美都留さんのひげ面が笑っていた)、それだけでも満足だったが、博士は、「後半はネタをやります!」とハードルを上げる。

休憩を挟んで後半のネタは、さらにパワーアップ。園子温さんが、漫才をしながら上半身を揺らす、その仕草がなんともラブリーで、終演後博士も言っていたけど、藝人としてさまになっていた。園さん、デビューおめでとう!

最後にホリエモンが登場することは、事前に博士に聞いていた。もちろん水も漏らさぬ情報管理(植田工にはちょっと言ったけど)。

お土産に出た「スペシャル・アイテム」は、ぼくの分も、その植田にあげた。おい植田、あれはプライスレスだからオブジェとしてとっておいて、決して「使用」するなよ!

明かされた園子温さんのチャレンジの理由がすばらしかった。北野武は世界的映画監督であり、しかしビートたけしは「コマネチ!」をやるお笑い藝人である。ヨーロッパの文化人は、「キタノ」と「ビートたけし」が同一人物であることが信じられないという。笑わせるな、そこが日本文化の奥深さよ! だから、園子温さんも、世界的映画監督であるソノシオンと、藝人園子温に分裂するのだ!

分裂、そして合体っ! 園子温映画、これからますまずパワーアップして爆発するであろうゾ!

さてさて、まだまだ続くオンステージ。

「藝人園子温」は、最後は全裸で股間に天狗のお面をつけて登場、ホリエモンとボクシングをしてしきりにローブロウを狙われても、天狗はしっかりとぶら下がったままだった。

もっとも、植田工によると、さりげなく天狗の下に肌色のパンツをはいて、「アクシデント」を防止していたようだけれども。んー残念。いや、ほっとした!

終演後、外に出てきたら、またまたNHKラジオ「すっぴん」のインタビューを受けた。

「いやあ、新しいことに挑戦する、これほど人の胸を熱くすることはありませんね。園子温さんの勇気ある挑戦に、大拍手! そして、水道橋博士が、藝人としてはいろいろ思いがあるだろうに、園さんの挑戦を支えた、その心遣い、心意気。『博士の異常な愛情』という映画がありましたが、『博士の異常に深い愛情』を感じましたっ!」

園子温さん、水道橋博士、たくさんの勇気と、深い愛と、心の元気をありがとう!

5月 1, 2013 at 08:24 午前 |