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2013/04/14

心残りの種がリピーターをつくるとすれば。

心残りって、あるよね。それが、心の中で種となって、育っていくことがあるよね。

ミラノから、アムステルダム経由で、KLMに乗って帰ってくるとき、何を見ようかと思って、探っていたら、North by Northwestがあったから、それにした。ヒッチコックはよく出来ているから好きだ。

ところが、見始めたとき、アテンダントの女性が来て、飲みものを聞いてきたから、肝心なところを(おそらく)見逃してしまった。

冒頭の、雑踏のシーン。ヒッチコックは、監督した映画の一場面に、自ら映り込むことで知られている。雑踏を見たときに、「ここに出るに違いない」と楽しみにしていたのに、ワインは何がいいかと聞かれて、そっちに思わず気をとられて、ヒッチコックを見逃してしまった。

この作品は、以前にも見たことがあるし、その時ヒッチコックが出ているのを確認したような気もするけれども、忘れてしまった。メタ記憶だけあるのである。また、巻き戻して確認すれば良いようなものだけれども、一期一会な気分をこわすのがいやだった。

『北北西に進路をとれ』のヒッチコック(おそらく冒頭の雑踏シーンが怪しい!)を見逃した、という「心残り」が、私の中で種となって、春の日差しとともに育っている。そのうちに、それを確認するだけのためにも、また見てしまうのだろう。

こうやって人は、人はいわゆる「リピーター」になる。

ヒッチコックについては、もう一つ心残りがある。実は『鳥』を見たことがないのだ。子どもの頃、淀川長治さんが、「さて、来週はヒッチコックの名作、鳥ですよ。楽しみですね〜こわいですね〜、では、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」と言って、来週の日曜洋画劇場は必ず見よう、と心に誓ったのに、ついつい見逃してしまったのだ。

私の人生において、ヒッチコックについては、なぜか、うかつの風が吹くことがある。

以来、随分と時が経ったが、実はまだ『鳥』を見ていない。最近も、どこかの映画史上ベストなんとかで、『鳥』が高く評価されていて、見なければと思ったばかりなのだが。

ヒッチコックについて、大きいのと小さいの、長年のものと最近のもの、二つの「心残りの種」が、私の心の中にある。心残りの種がリピーターをつくるとすれば、私はヒッチコックのリピーターである。

4月 14, 2013 at 09:05 午前 |