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2013/04/30

 イノベーション!

 ぼくは、よくパスモをなくす。スイカ専用の入れ物があるんだけど、それをリュックのどこかや、部屋の本の山の間に落としてしまったりする。

 その度にパスモを買って、落ち込む。また買っているよ、お前、バカだな。そうだ、バカだ。また500円ディポジットだよ。

 たいてい駅に近づいて、さあ、パスモ出そう、と探っていつものところになくて、あっ、またどこか行った、と思って、その時にはすでに落ち込みが始まっている。

 だって、たいてい、しばらく後でパスモやパスモ専用の入れ物、出てくるんだもん。だから、どんどんパスモが溜まっていく。

 昨日、駅に着いたとき、またパスモがなかった。それで、仕方なくまた買った。その時、ひらめいた。

 オレ、財布は絶対にいつも持っている。お尻のポケットに入れている。その中に、今買うパスモを入れておけばいいんじゃないか!

 そうだ、ユリイカ!

 お尻から出して、ピッとした。新しい身体感覚が広がった。これで、たとえ、パスモ専用の入れ物を忘れたとしても、お尻から出してピッできる。財布は絶対に忘れないから。

 最初からパスモをお尻に入れてピッすればいいんじゃないか、と思った人、その通りです。でも、なんだか、今までの人生で、それを思いつかなかったんだよ。ぼくのお尻と右手は縁遠いらしい。特にウォシュレットになってからそうだね。

 というわけで、一つのイノベーション。ぼくは進歩しました。いつも電車乗るときはあせっているから、こんな簡単なことも思いつかなかったんだね。オレは本当にバカだ。

4月 30, 2013 at 07:45 午前 |

2013/04/29

佐藤は短足あいうえお

ぼくは、体型がくまもんに似ていて、おそらく短足だと思う。

だけど、そんなことを最近はあまり気にしない。「短足」ということがコンプレックスだ、という話もあまり聞かない。

だったら、小学校の時はなんだったのだろう。多くの人が、「短足」だとか、「座高が高い」とかいうのを気にしていた。ぼくの友人の佐藤は、「佐藤は短足あいうえお」とか替え歌をつくられていた。(これは、あいつのあたまはあいうえおで始まるナントカとかいう唄です。)

テレビでも、野口五郎は足が長いけど、○○は短足で座高が高い、とかネタになっていたような気がする。今となっては、昭和な感じがするけどね。

さかのぼると、アメリカに負けて、白人は足が長くて胴が短くて、日本人は短足で、みたいな民族的コンプレックスが背景になっていたんだろうね。

とにかく、「短足」とか「座高が高い」というのが、流行しなくなってよかったと、短足でくまもん体型の私としては、心から思うわけであります。

諸君、時代は進歩するねえ!

4月 29, 2013 at 08:56 午前 |

2013/04/28

ぼくの体重のなぞ。

ぼくに会う人には、二種類いる。「あれ、茂木さん、最近やせたんじゃない?」と言う人と、「茂木さん、また太ったわね」と言う人。驚くことに両者の出現頻度はほぼ半々なので、私の体重のリアルな変動を反映しているというより、認知的なバイアスなのだろう。

前者は、おそらくは心やさしい人である。後者は・・・

ところで、最近、一つの悩みがある。
自動ドアの前に立っても、それが開かないことがあるのだ。

先日、ミラノにいったときもそうだった。朝食会場に入ろうとしたら、自動ドアが開かない。あれえ、と思って一生懸命踏んでいると、スリムなイタリア人のおじょうさんがやって来てドアの前に立ったら、簡単に開いた。そういう感じのことが、時々ある。

親友の池上高志はひどいやつで、ぼくのことを見て、「あれ、なんだか、お前、影が薄くなったんじゃないの?」と言う。一番のピークは数年前で、最近は言わなくなったが。

それで、ぼくは影が薄くなったから自動ドアが開かなくなったのかと思ったら、最近のドアは光学センサーとかで、体重で踏むんじゃないとも聞いた。

子どもの頃の自動ドアがなつかしい。なんだかふかふかで、大いに踏み甲斐があったマット。あの頃は、体重が本当に軽かったから、苔を歩く子鹿のように一生懸命踏んでいたな。

いずれにせよ、ぼくは体重のなぞに苦しんでいる。ぼくは重くなったのか、軽くなったのか。

ぼくが踏むと簡単に開く自動ドアは、果たして心やさしいのか、それとも。

4月 28, 2013 at 08:51 午前 |

2013/04/27

必殺技は、捨てなければならぬ。 水道橋博士著 『藝人春秋』 書評

すばらしい本である。とても元手のかかった本である。絶対に買って読んだ方がいい。代金だけの見返り、いやその何十倍、何百倍の報いがあるはずだ。

なぜか。元手がかかっているからである。博士が、ビートたけしに憧れて入門して以来、さまざまな仕事の現場で、藝人さんたちと話し、考え、感じ、見聞きしてきたことがぎゅっと濃縮されている。こんなに濃縮されていいのか、と思うくらいに詰まっていて、読んでいて、申し訳ない、と思うくらいである。

実は、ぼくは博士を一度だけコワイ、と思ったことがあった。成城学園前から歩いていくレモンスタジオでの番組の収録で、スティーヴ・ジョブズを初めとするいろいろな人を引用して、「変人が日本を救う!」みたいなプレゼンをしたら、それが案に反してブーイングで(ディレクターも意外な反応だったと言っていた)、特に博士がキツかった。

ぼくがプレゼンター席に立っていたら、博士が横を、「茂木さんにしては甘かったな」とかつぶやきながら歩いていったので、ぼくはひええと思ってしまった。

その時、やさしかったのは、Shellyだけだった(あの時のこと、今でもありがとうと思っているよ、Shelly, thanks!)。それで、ぼくは心のバランスを崩して、思わず成城学園から新宿まで歩いてしまった。小田急沿線を、とぼとぼ、真っ暗な道を歩いた。遠かったなあ。2時間くらいかかったかしら。

それ以来、水道橋博士のツイッターを読んで、鋭い人だなあ、いいなあ、と思いながら、ずっとコワイと思っていた。ところが、先日、岡村靖幸さんのコンサートに行ったら、近くに博士がいた。ぎゃっと思ったが、やさしかったので、ほっとした。

それで、終わったあと、岡村さんの楽屋を訪ねて博士たちといろいろ話している時に、突然、ああ、博士は愛が大きくて強い人なんだなあ、と思った。鋭利な知性で、相手をしっかりとらえて、いろいろ言うけれど基本的に愛が強い。

『藝人春秋』は、その意味で、愛が強い本である。それぞれ、稀代の表現者たちの生き様を、エルグレコの絵のような強い陰影でとらえる。決して、相田みつを的な人間だものではない。時に内蔵をえぐるんじゃないか、というような鋭い舌鋒ながら、最後は、その人間を温かくくっきりと浮かび上がらせるのだ。

凄い才能だと思う。そして、あまりにも多くの元手がかかっている。『藝人春秋』を読む人は、博士のたどってきた特権的な視点を共有することができる。惜しみもなく、博士は書く。男前、太っ腹、利他的だと思う。博士の証言から、人生を学ぶことができるのだ。人間、苦しくても、泥にまみれても、いかに生きていくべきかと。

岡村さんのコンサートで博士に再会して、ずっと気になっていた『藝人春秋』を読もうと思った。屋久島で読み始めて、東京に帰ってきて読み継いで、ハワイに持っていって、ワイキキのクィーン・カピオラニ・ホテルで読み終えた。読みながら、あとで引用しようと思って頁をたくさん折っておいた。

ところが、ハワイ大学での講演に呼んで下さったホノルル・ファンデーションの方が、ぜひ読みたいというのであげてしまった。それでも何頁か記録しておこうと、空港に向かう車の中でiPhoneで撮ったが、なぜかフォーカスが合わなかったらしく文字が読めない。

だから、『藝人春秋』の数々のすばらしい文章のうち、本当に魂を揺り動かされた一言だけを記憶から引用しておく。確か、甲本ヒロトさんの言葉だったと思う。

「成長するためには、必殺技を捨てなければならない」。

この引用を読んだとき、ぼくは本当に心が震えた。「藝人」とは、この言葉の真実に向き合って生きる人だろう。もちろん、水道橋博士もその一人である。ぼくは、「変人」という必殺技をどこかで捨てなければならなかったのだ。

http://www.amazon.co.jp/藝人春秋-水道橋博士/dp/4163759107

4月 27, 2013 at 09:31 午前 |

2013/04/26

どの島だろう?

ホノルルからの飛行機は、博多行きだった。

うとうとしてはっと目が覚めて、窓を開けたら、海岸線が見えた。まだ、博多の到着時間までは二時間もある。

はて、どの島だろう。ずっと続いているから、案外大きな島のようだ。太平洋上に、こんな島、あったっけ?

思わず、アテンダントの方に聞こうかと思った。

そこで、はっと気づいた。これは、島は島でも、本州という島だ。日本に帰ってきたのだ!

その瞬間、自分でも驚くほど、感動していた。

成田や羽田に帰る時は、海岸線が見えてくるのは、着陸の直前である。博多に行くときには、それよりもずっと前に、日本上空に来る。だから、気づかなかったのだ。

やがて、本当に美しい富士山の姿が見えてきた。後ろに、アメリカ人がいたから、教えてあげたら、彼は「ワオ! ありがとう!」と言って、夢中になって写真を撮っていた。

博多に向かって降下していったのは、ちょうど夕暮れ時だった。海面のテクスチャが独特だった。やがて、街が見えてきた。はっきりとわかるくらい、地上の灯りが一つひとつ点り、ゆらゆらと揺れた。手をのばせば届くような、生命のふるえがそこにはあった。

 荷物を受け取り、出ていくと、中尾さんとハッシーがにこにこ笑いながら待っていた。

 温かく、印象的な、ホノルルからのフライトだった。「どの島だろう?」と思った瞬間のセンス・オブ・ワンダーの残照に包まれたまま、私はホテルへと向かったのである。


Mtfuji


4月 26, 2013 at 06:34 午前 |

2013/04/24

 毎日回転するからねえ。

 カピオラニ・コミュニティ・カレッジ(KCC)でのレセプションが終わったあとで、リキさんに二次会のお誘いをうけた。「うちで飲まない?」

 リキさんは、ワイキキで、「ふるさと」というお寿司やさんを経営している。本当は、着いた日にふらふら歩いていて、ふるさとを見て、ああ、いいな、と思ったのだけれども、さすがに初日から寿司屋に入るのは堕落しすぎだろう、と通り過ぎていたのだった。

 入って、生ビールをいただいて、わいわいやっていると、リキさんが言った。

 「うちはね、毎日新鮮なネタだから。これは、ホノルルでは珍しいことなんだよ。どうしてかわかる?」

 「どうしてですか?」

 「業者はね、ネタを、ロットで持ってくる。でもね、普通の店は、それを、一日で使いきることができない。だから、毎日取り寄せるというわけにはいかないんだ。」

 「ああ、そうか、リキさんのところは、お客さんがたくさんきて、回転が速いから。」

 「いやあ、こういう日が来るとは思わなかったよ。開店した頃は、ほとんど日本人の客だけだったけど、今では、日本人は4割。4割は、白人(Caucasian)だからねえ。最初は、アメリカ人が来ても、カリフォルニアロールとお銚子一本で、二人で分けて食べるんですよ。商売にならない。ところが、最近はトロでもウニでも何でも食べる。かえって日本人の方が、珍しいからと、ロールものを注文するねえ。」

 ぼくは、こういう話を聞いたときに、何か心の中でかちっと当たるものがあるように感じる。

 ネタの新鮮さを保つためには、お客さんが回転しなければならない。経営は、そのような小さな配慮の積み重ねで出来上がっているのだろう。


リキさん

4月 24, 2013 at 03:27 午前 |

2013/04/22

旅行をするのがぼくの仕事なんだ。

たった今、ぼくに起こったことを記録している。

ホテルのエレベーターに乗った。小柄の中国系かな? という男の人が乗り込んできた。まだ若い。

途中で数人が降りて、二人きりになった時、彼が話しかけてきた。きれいな、アメリカ英語だった。

「旅行しているんかい?」

「ああ。」

「そうか、いいね、楽しんでね。」

「ありがとう。あなたも?」

「これが、私の仕事なんだ。」

「・・・?」

私の中で、たくさんの????が浮かんだ。
このホテルで働いているということ? でも、それにしては、制服とか着ていない。

男は、Tシャツに短パン。ごくごくラフな格好だ。

「旅行するのが、私の仕事なんだ。」

男が、そういった。ますます???の数が増えた。旅行してレビューを書く、トラベル・ライターだということ?

 私は、好奇心を押さえられなくなり、思わず彼に聞いた。

「それは、どういうこと。。。。?」

 彼の答えは、思いもしないものだった。

「ぼくは、パイロットなんだ。」

ぼくの中で、ラムネの泡が弾けた。

「ワオ! すごい! それはあなたにとって良いことだね。楽しんで!」

「よい一日を!」

彼は、私よりも一つ下のフロアで降りていった。

人は見かけによらない。

あの小柄で、ラフな格好をした彼がパイロットとは!

いつも、制服を着てホテルにチェックインするとか、チェックアウトするというイメージしかなかったので、わからなかったのだろう。

ハワイを訪問のみなさん、気をつけてください。となりの短パン、Tシャツのラフな格好の若者は、パイロットかもしれませんよ!

話しかけてみてください。そうすると、彼は答えるかもしれない。

「旅行するのが、私の仕事なんだ。」と。

4月 22, 2013 at 12:38 午後 |

タオルたちはどこに行った? Where have all the towels gone?

 昨日ホノルルに着いて、ホテルにチェックインする時に、「プール」って書いてあったから、しめた!と思った。
 
 それで、今朝ごはんを食べてたら、そのレストランの横にプールがあった。ダイヤモンドヘッドが見える水面。
 
 カピオラニ公園を走っているときに、だんだん暑くなってきて、そうだ、プールで泳いでやろうと思った。

 時間はさかのぼる。
 朝ごはんを食べているときに、プールへの入り口のあたりに、ふかふかの白いタオルがたくさん置いてあった。
 それで、そうか、タオルは持ってこなくてもだいじょうぶなのだと合点していた。

 ランニングから部屋に帰り、さっさっさとプールに降りていった。
 プールは、あまり大きくなくって、小さな子どもの先客がいて、きゃっきゃっ言いながら飛び込んでいた。

 水に入ると、静かな時間が流れていく。世界は消えて、もう一つの呼吸が現れる。

 ぼくは、対角線をつかって平泳ぎをした。何回も何回も平泳ぎをした。

 もうそろそろ上がろうと思って、タオルの方に歩いていったら、タオルがない。朝、あれだけ積み上げられていた、タオルがない。

 ふしぎだった。ぼくが泳いだのは、午前8時50分頃。プールオープンは、午前8時。人が少ないし、そんなに早くタオルがなくなるはずがない。

 どうやら、最初から部屋のを持っていくシステムになっていて、あの時、たまたまタオルが積んであったらしい。

 タオルたちはどこに行った? Where have all the towels gone?

 ジョン・バエズの歌声が頭の中で聞こえる中を、ぼくはアロハシャツを着て、仕方がなく水がしたたるバカ男のままエレベーターに向かった。

 ドアが開く。
 きゃぴきゃぴのアメリカ人の女の子が数人乗っていた。うわっと思った。
 幸いにして、彼女たちはそのフロアでみんな降りていった。朝ごはんにいくのだろう。

 気になるのは、通り過ぎる時、一人の女の子が(きっとキャシーじゃないかと思う)ぼくのことを「なにこれ!」とばかり、じろりと眺めていたことだ。

 一人で自分のフロアまで上がった。部屋に戻って、鏡で姿をみてぎゃっと叫んだ。

 そこには、怪奇水びたし男が映っていたのである。
 
 ざんばらばらばらぐわあの髪の毛が、私という存在の何らかの本質的うかつさを雄弁に表現しているようにも思えた。

4月 22, 2013 at 04:29 午前 |

2013/04/20

ぼくらはみんな生きている

コンビニに行くときに、ズボンのポケットにつっこんだお札の種類とか枚数を間違えて、レジでひやひやすることってあるよね。

今朝がそうだった。ぼうっとして品物を入れて、レジに立ってポケットから出したときに、しまったと思った。

積み上がっていく数字を見ながら、気もそぞろ。「箸いれますか」「温めますか」/「いや」「いいです」と答えながら、もし足りなかったら、なんと言おうと考えている。

「あの、すみません、お金が足りなくって。」

そのあと、どれを要りません、と言うか、頭の中でシミュレーションする。やっぱり、炭酸飲料かな。レジの人、笑うかな。

カゴの中の品数が3点になったとき、薄日が差し始めた。

だいじょうぶそうだ!

結果、57円差でオッケーだった。足取りも軽く外に出た。

それにしても、コンビニ財政が窮迫するときの、あの胸をしめつけられるような感じって、何なのだろう。

いやあ、ぼくらはみんな生きているね。

4月 20, 2013 at 11:53 午前 |

2013/04/17

しっしっ、あっちに行けおじさん

先日、コンビニに行って、雑誌コーナーをドリンクの方に歩いて行ったら、雑誌の前に立っていたおじさんから、殺気のようなものが漂ってきた。

あっ、なんでお前こっちに来るんだ、しっ、しっ、あっちに行け、みたいな雰囲気が放射されていた。

私はそのあっちいけ光線を浴びながら、それでも自然な流れでドリンクの方に歩いていった。そのあっちいけおじさんの横を通って、冷蔵庫からお茶を取り出した時に、理由がひらめいた。

あっ、あのおじさんの立っているのは、そっち系の雑誌があるところだ!

おじさんは、きっと、そっち系の雑誌を眺めていたときに、私が歩いてきたものだから、いわゆる邪魔というか、なにこっちくるんだあっちいけ的な気持ちになったのだろう。

突然、ぼくは、空想の中で、まだ見ぬアフリカの大地に飛んでいた。ぼくは若いゴリラだった。ぼくの前には背中が銀色のボスゴリラがいた。ボスゴリラは、何か私に近づかれては迷惑なことがあったらしく、お前このやろう、こっちに来るな、みたいながんつけを飛ばしているのだった。

すみません、さっさとレジで払って帰ります。

コンビニの外の大きな空の下を歩きながら、ぼくはほっとしていた。

あのあと、あっちいけおじさんは、ゆっくり雑誌を眺められたかな。

それぞれの場所を占める余裕があるのが、のびやかなエコロジー。

4月 17, 2013 at 07:18 午前 |

2013/04/16

斉藤さん?

昨日、交差点でぼんやり信号待ちをしたら、ぐるっと回ってきたおばさまが、私の顔を見るなり、「あっ!」と叫んだ。

また来たか、と身構えたら、そのあとおばさまは、意外なことをおっしゃった。

「斉藤さん!」

ん? 私は、びっくりして、頭の中が白くなった。斉藤さんですか?

今まで、いろいろな「勘違い」をされたことがある。『プロフェッショナル 仕事の流儀』にかかわっていた頃は、よく「あっ、プロジェクトXの」とか、「情熱大陸見ています」とか言われたし、全体の雰囲気からなのか、「指揮者の方でしょう」とか、「あっ、ほら、アーティストの」とか言われたこともある。

しかし、「斉藤さん」と言われたのは初めてだった。

おばさまは、私の方を指さしながら、「斉藤さん」と繰り返し言っている。

そこに、おばさまの伴侶であると思われる、温厚な紳士がいらした。おばさまは、おじさまのところに歩み寄って、「斉藤さん」がどうのこうの、と言っている。

その時、信号が青になった。私はほっとして歩きだした。おじさまが、「あの人は斉藤さんじゃなくて」と説明しているのが聞こえて、それが遠くなっていった。

よかった。紳士が、おばさまの勘違いを、やさしくただしてくださっているに違いない。

それにしても、初体験だった。おばさまがあまりにも確信を持って言うので、一瞬、揺らいだじゃないか。

みなさん、私は、「斉藤さん」なのでしょうか。

4月 16, 2013 at 07:25 午前 |

2013/04/14

心残りの種がリピーターをつくるとすれば。

心残りって、あるよね。それが、心の中で種となって、育っていくことがあるよね。

ミラノから、アムステルダム経由で、KLMに乗って帰ってくるとき、何を見ようかと思って、探っていたら、North by Northwestがあったから、それにした。ヒッチコックはよく出来ているから好きだ。

ところが、見始めたとき、アテンダントの女性が来て、飲みものを聞いてきたから、肝心なところを(おそらく)見逃してしまった。

冒頭の、雑踏のシーン。ヒッチコックは、監督した映画の一場面に、自ら映り込むことで知られている。雑踏を見たときに、「ここに出るに違いない」と楽しみにしていたのに、ワインは何がいいかと聞かれて、そっちに思わず気をとられて、ヒッチコックを見逃してしまった。

この作品は、以前にも見たことがあるし、その時ヒッチコックが出ているのを確認したような気もするけれども、忘れてしまった。メタ記憶だけあるのである。また、巻き戻して確認すれば良いようなものだけれども、一期一会な気分をこわすのがいやだった。

『北北西に進路をとれ』のヒッチコック(おそらく冒頭の雑踏シーンが怪しい!)を見逃した、という「心残り」が、私の中で種となって、春の日差しとともに育っている。そのうちに、それを確認するだけのためにも、また見てしまうのだろう。

こうやって人は、人はいわゆる「リピーター」になる。

ヒッチコックについては、もう一つ心残りがある。実は『鳥』を見たことがないのだ。子どもの頃、淀川長治さんが、「さて、来週はヒッチコックの名作、鳥ですよ。楽しみですね〜こわいですね〜、では、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」と言って、来週の日曜洋画劇場は必ず見よう、と心に誓ったのに、ついつい見逃してしまったのだ。

私の人生において、ヒッチコックについては、なぜか、うかつの風が吹くことがある。

以来、随分と時が経ったが、実はまだ『鳥』を見ていない。最近も、どこかの映画史上ベストなんとかで、『鳥』が高く評価されていて、見なければと思ったばかりなのだが。

ヒッチコックについて、大きいのと小さいの、長年のものと最近のもの、二つの「心残りの種」が、私の心の中にある。心残りの種がリピーターをつくるとすれば、私はヒッチコックのリピーターである。

4月 14, 2013 at 09:05 午前 |

皇太子妃雅子さまについて

皇太子妃の雅子さまに関する報道には、大変関心がある。

雅子さまは、私にとってもちろん遠い存在だけれども、たまたま、東京大学法学部に学士入学したという経歴が重なっている。雅子さまは、私よりも一年後のご入学だった。当時お目にかかることはなかったけれども、秀才の誉れ高かった。

その後、外務省に入られ、英国のオックスフォード大学に留学され、皇太子妃になられるまでの経緯は、よく知られているところである。ご成婚の際、多くの人が、雅子さまが、その経験と資質を活かされて、皇室外交とご公務にご活躍されると期待したのではないだろうか。

後に、私がケンブリッジ大学に留学した時、友人の英国人が、雅子さまがハーバード、オックスフォードで学ばれたことを指して、「Ah, she has seen the world」と評したことを印象深く覚えている。雅子さまには、日本の皇室の新時代を開く、という期待が寄せられていた。

その雅子さまが適応障害でいらっしゃるという一連の報道には、心が痛む。ここで考えておかなければならないことは、適応というものは主体と環境の関数であって、その要因は、主体側にのみでなく、環境にもあるかもしれないということである。

週刊誌などの報道を見ると、ともすれば、適応障害の要因を、雅子さまに帰そうという傾向があるように思うが、それではバランスを欠くように思う。

皇太子さまが、雅子さまを大切にされていらっしゃることはもちろんであるし、東宮の方々も、また宮内庁も、いろいろとご配慮下さっていることは確かだと思うけれども、「適応障害」の要因の一端は、「環境」側にもあるのかもしれない、という視点は、必要なのではないだろうか。

英国人がShe has seen the worldと評した雅子さまの資質が活かされるようなかたちで、皇室のご公務、外交が行われたら、すばらしいことだと思うし、日本の未来も、明るくなると思う。

しばらく前、新国立劇場のオペラ上演の際に、皇太子さまがいらっしゃったのをお見かけした。その隣に、雅子さまがいらっしゃらなかったことを、とても寂しく感じた。

私は、雅子さまが適応障害で苦しんでいらっしゃることを、私自身を含めた、日本の環境の問題であるとも感じている。自分自身の痛みとして、雅子さまの不在を受け止めたい。

日本は、雅子さまのような、国際的なキャリアを積まれた女性にとって、そのポテンシャルを活かしやすい国になっているだろうか。皇室という特別な環境の問題は、そのまま、私たちの意識、社会の空気の課題に、つながっているのではないだろうか。

4月 14, 2013 at 07:19 午前 |

2013/04/12

アムスに何があるというのだ。

 成田空港の税関では、たいてい余りものを聞かれない。

 パスポートを見て、「お仕事ですか、おつかれさまです。」と言うだけである。

 ところが、今朝は違っていた。税関申告書に、搭乗地アムステルダムと書いた。それで、並んだら、なんだかいつもと違う感じになっている。

 「えーと、アムステルダムから乗られたのですか?」
 「はい、そうです。」
 「おひとりで?」
 「はい。」
 「アムステルダムに、お一人で?」
 「はい。」
 なんだか、気のせいか、係員の方の顔が曇っていくような気がする。長身で、眼鏡をかけた、まじめそうな方だった。
 「滞在されたのが、アムステルダムなのですか?」
 「いいえ。ミラノです。イタリアです。アムステルダム経由で来たのです。」
 私が滞在していたのが、イタリアだ、と聞いた瞬間、まるで魔法のように、係員の方の顔が明るくなった。
 「イタリアですか!」
 まるで、その言葉に、北方の土地の霧を晴らし、地中海の明るい陽光をもたらす秘密があるように、一気にすべてが変わった。
 「お疲れ様でした!」
 パスポートが返された。私もほっとして税関を通る。
 外に出ながら思う。それにしてもなぜだ。アムステルダムに、何があるというのだ?

4月 12, 2013 at 10:08 午前 |

2013/04/11

ブラックもぎー

昨日、ミラノでサローネの取材を終えたあと、打ち上げで、DAのメンバー(川又俊明、細田幸子、津江昭宏)に、林信行さんが加わってごはんを食べていた。

そしたら、林さんがいたせいということもあって、触発されて、あっという間にブラックもぎーのモードになった。

つまりある役割を演じている、ということではなくて、本音モードということね。これは、Shellyにもいつもブラックもぎーと言われていた。

でも、ブラックもぎーモードは、胸のうちに秘めて、表面的にはおもしろおかしくでいいや、と最近は思っている。

日本はそう簡単に変われないし、変わらないし、それに変わるときは、外部的要因によって変わるだろうから、いずれにせよニーチェの言うところの悲劇よりも喜劇の時代になるだろう。

ぼくと親しい人だけが知っているブラックもぎーモード。時々、ツイッターでも出ちゃうけどね。基本、控えめにして、酒席での半径五メートルにとどめようと思います。

でも、ついつい忘れちゃんだけどね。

4月 11, 2013 at 02:05 午後 |

2013/04/10

こわそうなおじさんだと思っていたら、本当は親切だったのだ。

26歳で社長になったという佐賀新聞の中尾清一郎さんに、Al Portoに連れていっていただいた。とても美味しかった。

そのあと、近くの運河まで、ぷらぷら歩いた。川又さん、細田さん、津江さんと、いろいろ軽口を叩きながら歩いた。

ミラノの街はデザインに溢れていて、家々の窓に大きなカエルがいる。

カエルかあ、ぴょんぴょんだな、と思いながら、バーを探したが、どこも混んでいる。

そんな中、お客さんが誰もいないバーがあることを、私は見逃さなかった。店のおじさん二人が、カウンターで所在なさげにしている。ぼくは客が少ない人気のない店が圧倒的に好きで、あそこに入ったらどうかな、と思ったけれども、まだ先にあるかもしれないと遠慮して、そのまま歩いていった。

そしたら、橋を渡って向こう側に感じのいいカフェがあるな、と目星をつけといたら、ものすごく混んでいた。感じのいいところはやはり混んでいる。

それで、中尾さんやみんなにおずおずと言った。

「あのう、さっき、お客さんが誰もいないバーがあったのだけど、そこに行きませんか?」

「こわそうなおじさんが二人いるんだけど、それでもいいですか。」

みんな、あまり乗り気ではなかったが、ぼくはずんずん歩いていった。しょうがないからみんなついてくる。

「おねえさんが、客を呼び込んでいるところじゃなくて?」と中尾さん。

「そこではありません。おじさん二人です。」

かまわず歩いていくと、さっきのバーがあった。やはり、中にお客さんが一人もいない。

入ってみると、なかなかに居心地の良い空間だった。ぼくはピッコロのビールを頼んだ(小さいというイタリア語は、かわいいね)。

そうやって飲みながら談笑していると、しばらくしたら、カウンターのおじさんが「おい!」みたいな感じで話しかけてきたから、どきっとした。何か怒られるのかな。

そしたら、違っていた。カウンターの上には、いろいろなおつまみが載ってたのだが、どれでも好きなだけ食べていい、というのだ。よく見ると、料理の皿の横に、プラスティックの小皿がたくさん置いてある。

知らなかったのだが、ミラノでは、飲みもの注文すると、おつまみは食べ放題、という店が多いらしい。

みんなお腹いっぱいだったので、ぼくは遠慮がちに少しポテトチップスを持ってきたら、後からおじさんがどん! と籠ごと持ってきてくれた。

こわそうなおじさんだと思っていたら、本当は親切だったのだ。人やバーを、見かけで判断してはいけません。

4月 10, 2013 at 03:43 午後 |

2013/04/08

必殺技がない男、植田工。

弟子の植田工(植田工、ツイッターアカウント@onototo)は、アーティスト、表現者として食っていきたいと思っているから、何か「必殺技」を身につけなければならない。

ところが、困ったことに、今植田工が持っている必殺技は、人様に「公開」できないものなのである。

それは、私がのろのろと時々思い出したように書いている愛と感動の青春小説『東京芸大物語』(仮)でも同じで、植田のおもしろエピソードの核心を、そのまま書いていいのか、大いに迷う。小説が18禁になってしまかもしれない。

 植田工を知っている人は、誰でも、彼の「必殺技」を思い浮かべるだろう。それは、一連のそれなりにディープな世界観につながっているのであるが、地上波テレビはもちろん、良識ある人たちの前ではなかなか「公開」できないという悲しい宿命の下にある。

植田工は、なまいきにも、NHKのディレクター職を受けて、最終面接まで行ったらしいが、やはり「必殺技」に言及してしまい、「うちではそういうの放送できないんですよね〜それ、わかっていますか?」と聞かれ、「わかっています」と言った瞬間に、「おつかれさまでした」と面接が終わってしまったという青春の悲劇がある。

アーティストとして、表現者として、陽の当たる坂道を歩ける必殺技がないことが、植田工の大いなる悩みであろう。

さらに、これは案外知られていないことだが、植田工は、半径五メートルの周囲の女の子が、「きゃあ」といって逃げていく「必殺技A」に対して、半径五メートルの周囲の女の子が、「きゃあ」といって逆に寄ってくる「必殺技B」も隠し持っているのである。

ところが、この、必殺技のいわば「B面」もまた、ある「大人の事情」によって一般には公開できないのである。

つまり、植田工は、自分が持っている必殺技二つが、どちらも表現者としては役立たないという苦境に置かれているのだ。

必殺技がない男、植田工。

これから、植田は、どこに行くのだろうか。嗚呼。

植田工氏。

4月 8, 2013 at 08:07 午前 |

2013/04/07

おじいちゃん、元気。

 コンビニで、レジに行こうとしたら、横の方から、おそらく年齢が70歳くらいの白髪の男性がやってきた。

 タイミングがぶつかるような感じになって、あっ、どうぞと譲ったら、何か必要以上に遠慮なさって、それでも結局先にレジに行かれた。

 自分の買い物を持って立っていると、自然にレジの台の上が見えるようなかたちになる。見ようと思ったわけではないのだけれども、つい見えてしまったら、何やら小物一つと、雑誌を買っている。

 レジの係の人は、小柄な女性で、その雑誌にはヒモのようなものがかかっていて、女性が慣れた手つきでさっさっさとヒモを外していた。

 それで、別に見ようと思ったわけではないのだけれども、その表紙に、黒いタイツをはいた女の人の足がたくさん写っていたりしたので、ああ、そういう雑誌なんだ、とわかった。レジの女の人は、こういう時には無表情でこともなげに作業をするものなんだ、ということもわかった。

 さっき、レジに先に行くことを何か必要以上に遠慮されたこととか、その時の微妙な身体の表情が思い出されて、春だなあ、人間だなあ、おじいちゃん、元気だなあと思った。

 元気なおじいちゃんは、コンビニの前に止めた車に乗って、そそくさと帰って行かれた。
 
 その一連の体験で思い出したのが、映画『マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ』で、イングマール少年が、寝たきりのおじいさんに頼まれて、あるカタログの説明文を読まされるシーンなのだけれども、あれは心温まる場面だと思う。

おばあさんが来る気配がすると、おじいさんはさっとそのカタログをベッドの下に隠してしまうのだ。

そして、イングマール少年がたどたどしい口調で朗読をすると、目を閉じて横たわり、うっとりとした表情を浮かべるのである。

4月 7, 2013 at 09:39 午前 |

2013/04/06

スーパーハッカー田森佳秀くんは、いかにしてプログラムを習得したのか。

「もうこれで打ち止めだろう」と思っても、まだまだその先に、「えっ!」というようなおもしろ話が埋まっている、「人間要石」(「要石」は鹿島神宮にある石で、小さな丸い石ころのように見えるが、かつて水戸光圀が掘らせたらどんどん大きくなって三日三晩かかっても掘りきれずに諦めたという伝説の石。オオナマズを押さえているのだとも言われる)の田森佳秀くんのおもしろ話は続く。

仕事を終えて、翌日のお昼に、金沢のおいしいお寿司屋さん「弥助」で食べていて、ふと、学生時代のバイトの話になった。

田森くんは、東北大学にいたころ、仙台駅から、ビルの中にある企業を片っ端から訪問して、「あの、プログラムを書く仕事はありませんか」と200軒くらい聞き回って、やっと一箇所仕事をくれるところがあって、それが学生バイトとしてはかなり実入りがよかった、という話は聞いたことがある。

学部学生が、いきなり飛び込みで「プログラム書かせてください」と飛び込んでいくところからしてすでに凄いと思うのであるが(田森くんには、仙台の盛り場で、女の子に連続30人声かけ断られ事件もある。根性の人なのである)、昨日のおもしろ話のポイントは、それ以外のところにあった。

「そうかあ。お前、学生時代からプログラム得意だったんだなあ。」

「うん。あの頃は、ベーシックだったね。なつかしいなあ。電気屋のパソコンで、プログラミング覚えたからなあ。」

「ん?!」

「家にパソコンなんかなかったから、家電売り場にずっと張り付いて、一日中プログラムを書いていた。でも、店員さんも、そのうち、この人はパソコンに詳しいから便利だ、というんで、見逃してくれていたなあ。」

「ん?!」

「プログラムを書いていて、お客さんが来たりすると、店員さんの代わりに、パソコンの機能について説明していたっけ。」

「・・・・・・・あのさ、フロッピーディスクとかに、プログラムをセーブしていたわけ?」

「いいや。あの頃は、データはテープだったから、面倒だったんだ。そもそも、オレ、自分の書いたプログラム保存するの嫌いだったし。100行くらいのプログラムだったら、その場ですいすい書けるし。だから、毎回、家電売り場に行って、その場で書いて、その場で消しておしまいさ。」

「あっ、そうですか・・・・・」

ぼくの脳裏に、家電売り場で、パソコンの前にひっついて、プログラムをひたすら打ち込み、お客さんが来るとパソコンの説明をして、店員さんに重宝がられている若き日の田森佳秀の姿が浮かんだ。そして、ホンモノの変人は、自分がやっていることが「普通じゃない」とは一向に気づいていないという、変人に関する一般法則を改めて確認する次第となったのである。

田森佳秀氏

4月 6, 2013 at 09:04 午前 |

2013/04/05

田森佳秀先生(@Poyo_F)の、月2000円の下宿について

金沢駅近くのワインバーで、「銭屋」の「空飛ぶシェフ」、高木慎一朗さんも加わって、四方山話をしていた。そしたら、高木さんが、「長身だから寝台車はきつい」と言った。そうしたら、田森佳秀が、「ぼくの身長だと、寝台車はちょうどいいんだ」と言ったあと、とんでもない話を始めた。

ここで説明しておくと、田森の人生は、普通の人ではあり得ないくらい「例外的な話」で満ちており、「まだそんなネタがあったのか!」と、知り合って20年以上になる私でさえ、驚かされる毎日である。

田森は言った。「オレ、東北大学の時に、仙台で2000円の下宿にいたんだ。」

「??? 2000円って、それ、いくら何でも安すぎるんじゃないの? 一日2000円ということ?」

「いや、月2000円。安い、いい下宿があったから、大家さんに貸して欲しい、と言って、大家さんが、いいよ、って言ったのに、不動産屋が連絡しないで他の人に入居させてしまったんだ。それで、オレ、本当にお金がないから、マジで困ってしまって、そしたら、その部屋の横に、物置に使っている部屋があったんだよ。」

「物置?」

「うん、それで、大家さんに、ここでもいいから貸してくれ、と言ったら、ここは人が住むところじゃない、と言うから、それでもいいから貸してくれ、と言ったら、荷物をどかして貸してくれた。」

「ふうん。どれくらいの広さの部屋だったの?」

「たたみ一畳。」

「一畳?!」

「うん。ふとんを引くと、それでいっぱいになっちゃう。そのうちテレビも入れたから、ふとんはくるくる巻いてテレビの上に置くようにしたんだ。その部屋は、普通の人だと、寝ると頭がドアの外にはみ出しちゃったと思うんだけど、オレは、ちょうど入ったんだよ。」

「・・・・・机とかはなかった、ってこと?」

「うん、何もないよ。そもそも、あんまり部屋にはいなかったから、それでもよかったんだ。」

たたみ一畳! 月2000円! 頭がドアからはみ出す部屋! 

田森くんは涼しい顔をして、ワインを飲んでいる。

こいつは、まだ、どれだけ多くのトンデモ話を隠し持っているのだろうか。ああ、金沢の夜は更けていく。

4月 5, 2013 at 07:16 午前 |

2013/04/04

こわい体験

畏友、白洲信哉が編集長になり、リニューアル後絶好調の『目の眼』連載の、骨董屋めぐりの原稿を書き始めなくては、とあせりながら、ふと思い出したことがある。

今回書く原稿の取材で、銀座の刀剣店、長州屋さんを訪問したときのこと。

店に入る直前に、通りで、いきなり背の高い外人さんがぼくの顔を見て「あっ!」と言った。

ここまでは、よくあることである。

「あんた、テレビで見たことあるねえ。」

ここまでも、しばしばあることである。しかし、それからが違っていた。

「あんた、名刺持っているねえ。名刺ください。」

「いや、持っていない、ごめん、持ってません。」

「あんたのような、有名な人が、名刺を持っていないなんて、これ、失礼ねえ。」

その、イタリア人ぽい、大柄の外人さんが、午後4時、まだ日が明るいうちから酔っ払っているのかどうかはわからなかったが、初対面で、通りすがりに、いきなりそう来るのは明らかにヘンである。

ていうか、ヘンだよね? (時々、自分の常識が、世間のそれと同じなのかどうか、わからなくなることがあるので)

とにかくこれはやばい!と思って、私はさっと逃げた。

長州屋さんに入って、甲冑や兜に囲まれたら、少しほっとした。

外人も、さすがにそこまでは追いかけてこなかった。

なんだったんだろう、今のは。

人は、時々不条理な経験をすることがあるが、あれはとびっきりだったな。

いきなり外人に話しかけられて、名刺を出せと言われ、名刺がないといったら、失礼だと言われた。

失礼なのは、お前の方だ、と言いたかったが、そんなことよりも、とにかく怖かった。わけのわからない不条理は、とにかくコワイ。

ああいう現象は、一体どういうことなのでしょう。

そんなことを思い出しながら、「目の眼」原稿、ゆるりゆるり書こうと思います。

4月 4, 2013 at 10:37 午前 |

2013/04/03

茂木さんの好きな脳の部位はどこですか?

集英社の助川夏子さん、サコカメラとUOMO連載「クール・ジャパン」の水陸両用車の取材を終え、山の上ホテルで天丼を食べたあと、コーヒーを飲んでいる時にトイレに行って着替えて出てきたら、ふたりが「ぷぷぷ」と笑った。

「そんなに、珍しいですか」

「いや、そんなことは」

助川さんが、iPhoneをかまえながら笑っている。サコカメラに至っては、一眼レフをかまえている。

ホテルを出た。リバティタワーとアカデミーカモンズが、いつもどっちがどっちだかわからなくなる。

撮影現場にいて、しばらくするとはっと空気が変わって向井理さんがいらした。

ツーショットで写真をとられる。「理系の美形と理系のぶ系ですから」などと言って場を和ませようとするが、外は雨がざあざあ降っている。

向井さんと理系話をたっぷりして面白かった。ピペットマンとか、パラフィルムとか、キムワイプとか。

向井さんは、今までに何度も通りを歩いていてスカウトされたことがあって、一度など、デビューして活躍している時に某芸能事務所に声をかけられ、顔をもう一度見て「あっ」と相手が叫んで、「頼むから黙っていてください」と言われたそうだ。

ぼくが唯一スカウトされたのは、大学生の頃に上野駅のガード下をふらふら歩いていて、「兄ちゃん、自衛隊に入らないか」と言われたときだけである。

最後の方になって、向井さんが、「茂木さんの好きな脳の部位はどこですか?」と聞いてきた。

さすが理系男子。脳に関して、今までいろいろな質問を受けてきたが、こういう角度から来たのはなかった。

「dorsolateral prefrontal cortexです!」

向井さんは笑った。美形男子がぶ系男子に笑ってくれた。対談は、主婦の友社の雑誌「Quarterly Note」に掲載されます。

4月 3, 2013 at 09:12 午前 |

2013/04/02

ボディコンでもいい。たくましく育ってほしい。

 俳優の向井理さんと対談するというので、編集の宮下哲さんとやりとりしていたら、メールに「撮影ですが、できれば多少、明るめのイメージの服装でお越しいただけると幸いです。」とある。

 それで、困ったなあと思った。ぼくは一年中同じ格好をしている。それも同じ服が複数あるのではなく、夜脱いで床に転がっているのをそのまま翌朝も着るのである。もちろん、靴下やパンツ、Tシャツは換える。一年中着ている同じやつはどんなものかと言えば、ジョブズが着ていたような黒いトックリである。

 つまり、宮下さんの言うところの「明るめのイメージの服装」なんて、ぼくは持っていない。
 
 困ってしまって街を歩いていたら、そうだ、春なんだ、と思った。店に入ったら、真っ先に春っぽい服が目に飛び込んできたから、こりゃあいい、これを買おうと思った。

 以下、スタッフの方との会話。

 「あのう、これ、透けませんか?」

 「あっ、意外とだいじょうぶですよ。」

 「下には、何を着ればいいのでしょうか。」

 「そうですねえ。Vネックのシャツか何かですねえ。グレー系が、いいと思います。」

 サイズLのシャツを持って着て下さった。春色のセーターを試着している私の身体を慎重に眺めて、店員さんが言っている。

 「あのう、お客様は、シャツをぴっちり着る方が好きですか、それともゆったり?」

 「どちらかというと、ゆったりです。」

 「なるほど。このシャツ、ぴったりフィットするようにつくられていますので、お客様の場合、XLでもいいのではないかと思うのですが。。。」

 「あっ、じゃあ、XLでいいです。」

 不思議なことに、スタッフの方が自分の前にシャツを広げて、ぼくの身体に重ね合わせて見ている時、ぼくの脳の中にも、スタッフの方の脳の中にも、ボディコンでぴったりフィットしたシャツがぼくの身体の上で身もだえして当惑している、みたいなイメージが、はっきりと感じられた。

 あれは、幻覚にしてはよくできていた。

 ぼくは、ボディコンで、XLなんだ。。。。

 春色のセーターを包んでもらって店を出る。なんだか自分の身体を抱きしめてあげたいような気がする。

 いいんだよ、そんな身体でもいいんだよ。仕方がないさあ。
 
 ボディコンでもいい。たくましく育ってほしい。

 あっ、もうこれ以上育たなくてもいいか。

(ちなみに、親切なスタッフは、東京駅丸の内口のUnited Arrowsの方です。)


Sweater


4月 2, 2013 at 09:07 午前 |