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2013/03/16

自分の人生における「遷宮」とは何なのだろうと、考えた。

 神宮会館で会食をしたあと、なんとはなしに歩きたくなって、夜のおかげ横町をそぞろ歩きして、内宮の橋の前まで来た。

 衛視さんがいらしたので、「明日は何時から御垣内参拝できるのでしょう?」とうかがうと、「そうですね、6時くらいには」とおっしゃる。

 それで、何とはなしに安心して、部屋に戻った。

 翌朝、起きると、もう6時だった。

 急いで、Yシャツとネクタイを来て、ジャケットを羽織り、その上にダウンを着て外に出た。

 空気は、ひんやりと冷たかった。

 おかげ横町は、昨日の暗闇とは一変して、すがすがしい朝の空気の中にある。
 橋を渡ると、もうすでに人が歩いている。遷宮の年であり、週末なので、こうしていらしているのだろう。

 もう、次の社殿が出来ていた。真新しい木が、ぴかぴかと美しい。神さまは、常若。新しい正宮にお住まいになる日も近い。

 私が初めて伊勢に来たのは、前回の遷宮の時だった。あれから二十年。ずっと、社殿が向かって右側にある時代を生きてきた。これからは、社殿が向かって左側にある。新しい時代に入る。その二十年を、私はどう生きるのだろう。

 受付でお願いして、御垣内参拝をする。玉砂利を歩いて、中に入る。

 自然に、さまざまなものが目に入ってくる。月日を経て、すっかり落ち着き、苔やその他の植物も生えて、自然に帰っていこうとする、そのまさにプロセスの中にある門、屋根、鳥居。

 二十年に一度の遷宮は、技術の継承とはよく言われることだが、同時に、樹木を用いてつくられている社殿が、真新しいぴかぴかの状態から変化して、自然へと還っていく、そのサイクルにもあたるということが納得される。

 神主さんに促されて、二礼、二拍手、一礼する。

 お願いをするのではない。心を整えるのである。この設いの中で、心を整え、日常に戻っていく。そのための巡礼であり、儀式である。

 苔むして、自然に還って行こうとする現社殿は、美しかった。そして、その横に完成しつつある新しい社殿は、まるでこの世に誕生したばかりの元素のように、輝いていて、ゆかしい。

 やがて、今社殿が建っている場所は、「古殿地」となり、小さな祠が建つだろう。時はめぐり、サイクルは完結する。

 おかげ横丁の方へと歩く中で、次第に日常に戻っていく。自分の人生における「遷宮」とは何なのだろうと、考えた。


3月 16, 2013 at 09:40 午前 |