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2013/03/31

夢は早く実現した方がいい。その先にいけるから。

 ぼくが子どもの頃、プリンはミックスを買って来て家でつくるものだった。母親が、牛乳を温めてよくつくってくれた。シロップは、粉を水に溶かしてつくった。

 ぼくはプリンが好きだった。あの、バニラの香り! 今思えば、合成したものだったのかもしれないけれど、冷えて固まるのが待ちきれなかった。

 幼稚園を出る頃から、ぼくはある思いを募らせた。カップ一つのプリンじゃ、物足りない! もっと大きなプリンを食べてみたい! バケツみたいな大きなプリンを食べてみたい! 思う存分、食べてもたべてもなくならないプリンを食べてみたい!

 大きなプリンを食べることが、ぼくの夢になった。

 そんなぼくの「夢」を、母親は聞いていたんじゃないかな。ぼくも、言っていたんじゃないかな。

 ぼくの7歳の誕生日に、母親が本当に大きなプリンをつくってくれた。といってもバケツにつくるわけにはいかない。四角い弁当箱につくってくれた。

 ぼくは、喜び勇んで食べ始めた、すぐにイヤになった。まだこんなにあるのか、と思った。結局、残してしまった。

 それで、ぼくは、大きなプリンを食べることが、夢だとは、もう思わなくなった。

 ふり返って思う。
 夢は早く実現した方がいい。
 その先にいけるから。

 想像していただけの時は、大きなおおきなプリンは、それは素敵だったんだけどね。

3月 31, 2013 at 09:54 午前 |

2013/03/30

「変わり者を消費すること」

英文ブログQualia Journal(http://qualiajournal.blogspot.jp/)に本日書いた文章の翻訳です。英文は、下の方にあります。

日本社会の今日深い謎の一つは、はぐれものに親切だということである。あなたは驚くかもしれない。きっと、均質な社会だと聞いていたことだろう。同化圧力が日本では強いという情報も手にしていたことだろう。これらの観察は、確かに正しい。しかし、日本社会は、はぐれ者、別の言い方をすれば奇妙な人たちに寛容なことも事実なのである。彼らが娯楽を提供してくれる限りにおいて。

あなたは、本当に普通ではないことを言うかもしれない。あなたは、とてもユニークな教育システムを提案するかもしれない。あなたは、日本の社会がいかに腐敗しているか、証言するかもしれない。あなたが、その際、同時に何らかの意味での娯楽を提供する限り(あなたのものの言い方がかわいらしいのかもしれないし、そもそも現状に対して異議を申し立てることができると信じているところがちょっと面白いのかもしれない)、人々は気にしない。どちらかと言えば、歓迎してくれる。テレビのバラエティ番組にも出られるだろう。発行部数の多い雑誌で、インタビューも受けるだろう。

あなたが何らかの意味での娯楽を提供する限り、すなわち、人間性の見知らぬ宇宙の中への、安全な観察手段を提供する限り、日本の人々はあなたを歓迎する。実際、そのような地位こそが、日本に住む外国人の多くが享受している状況である。彼らがそれを心地良いと思うかどうかは別として。

このあり方の問題点は、あなたは社会の核に影響を与えるべきではないと思われていることだ。子どもたちがどのように教育されるべきかということについて、ちょっと変わったことを言うのは良い。しかし、日本の教育を、本当に変えてしまってはいけない。それは、全く別の話なのだ。そこにおいては、日本は、驚くほど頑なだ。

変わり者を消費するという、大衆的な文化がある。もっとも、この傾向自体は、地球のさまざまな文化に存在するだろう。日本は、それを一つの産業にした。そうすることによって、現状を維持しつつ、普通であることから解放される時たまの気晴らしを得られるのだ。均質な社会でも、人々は退屈するのだから。

Consuming Strangers

One of the interesting enigmas of Japanese society is that it is kind to an outlier. You may be surprised. You have heard that it is a homogeneous society. You may have been informed that that peer pressure is high in Japan. These observations are certainly true. At the same time, the Japanese society is kind to outliers, aka strange people. As long as they are entertaining, that is.

You may say something really unusual. You may advocate a very unique system of education. You may testify how corrupt the Japanese society is. As long as you provide some entertainment values (the way you say it might be rather cute, or the fact that you believe you can stand up to the status quo might be rather amusing), people don’t really care. They rather welcome you. They put you on tv variety shows. You can give interviews in large circulation magazines.

So as long as you provide some entertainment, giving a safe glimpse into a rather outlandish universe of human nature, people of Japan would welcome you. Actually that is precisely the status that some expatriates living in Japan have come to enjoy, whether they are comfortable with that situation or not.

The problem with this is that you are not really supposed to touch the core of society. It is OK if you say some unusual things about how children should be educated. However, you are not supposed to change Japanese education in any substantial manner. That would be quite another story. There, Japan is surprisingly resistant

There is a popular culture of consuming strangers. This tendency would be certainly true in many cultures on the globe. In Japan it has been made into an industry. It is a mechanism in which the nation is able to maintain the status quo while enjoying occasional distractions away from the norm. People can get bored even in a homogeneous society, you know.

3月 30, 2013 at 11:19 午前 |

2013/03/29

半袖で走るようになると、ツマキチョウが飛び出す(よい子はマネしてはいけません)。

ロングビーチのTEDで風邪を引いて、日本に帰ってきて以来悪化した今年の花粉症。

とにかく、水鼻が出て、鼻がつまって、くしゃみが出て、苦しかった。

「これは、死ぬ〜」

「もうダメだ〜」
などと、珍しく弱音を吐いていた。

人間というものは、体調が悪いことが続くと、自然に、世界観とか、未来への見通しも、暗くなっていくんだよね。

あれは、火曜日の夜。家に帰りながらウィキペディアで「花粉症」の項目を読んでいたら、ふつふつと怒りがこみ上げてきた。

てめ〜 花粉症のやつめ。全部、オレに当てはまることばかり書いてあるじゃないか。くそう。今に見てろよ。このままじゃ終わらないぞ。

翌日、私は、驚くべき暴挙に出た。

いきなり、花粉舞う外気の中を、わっせ、わっせと走り始めたのである。

てめ〜、この野郎、と鼻から空気を思い切り吸い込みながら。

私が走るコースは、一周25分くらいで、二周走ると、50分で、ロスタイムを含めたサッカーの試合ハーフ分だと思っている。

常々、「日本代表がピッチの上を全力疾走するように」という喩えを使うけれども、それくらい走らないと気合いが入らないと思っている。

それで、水曜日、50分、わっせ、わっせと走った。
最初は、何しろ、このところ走っていないから、よたよたのろのろしていた。途中で、何度もやめようと思った。
それでも、バカみたいに走り続けた。そしたら、徐々に、バネが働きはじめた。気合いが入って、身体の奥から力がわいてくる感じ。

でも、なんとかの冷や水で、案の定、夕方にかけて、花粉症が悪化して、ヒューマン・ライツ・ウォッチのチャリティー・ディナーに出席できなかった。

せっかく、ロンドン在住の水野弘道さんが席を用意してくださったのに。

(私がいなかったにも関わらず、私が、地方でも東京でも、最低2時間、最大12時間どんな要件でも伺うという「茂木健一郎を独占する権利」のチャリティ・オークションは、なんと65万円で落札されたという。代金はすべて世界の人権問題を調査するオペレーションの費用に。さすがヒューマン・ライツ・ウォッチ。さすが、水野さん。うまくお話してくださったのだろう。ところで、誰が権利を落札したのか、ぼくはまだ聞いていないのです。わくわくドキドキ。)

走ったら、花粉症が悪化して、ヒューマン・ライツ・ウォッチにチャリティー・ディナーに出られなかった。

それにも懲りずに、次の木曜日も、私は、わっせ、わっせと25分を2周走った。本当は、野望としては、4周走ってロスタイムを入れて一試合分疾走してしまおうと思ったのだけれども、さすがに、2周したところで、エネルギーが尽きてしまった。

そしたら、その後のTokyo Designers Week.tv(BS日テレ月曜日放送)の収録で、鼻が詰まって、ふがふがいいながら家入一真さんや山元賢治さんと話すことになった。となりの清川あさみさんは笑っていたに違いない。

その後、常見陽平さん、池田信夫さんとのアゴラのニコ生に出て、打ち上げで神田の居酒屋でビール飲んでたら、マジで鼻つまって調子悪くなって、おぼろ月を見上げてため息ついてねむりについたのは午前2時30分過ぎ。

それで、睡眠短いし、今朝はさすがにムリだろう、と持ったけれども、やっぱりばかみたいに走った。1周25分だけ走った。

そしたら、身体の芯が徐々にかたまってきたというか、気合いが入ってきた気がする。やっぱり、人間は(私は)走っていないと、ダメだ。

花粉症を治す、といっても、マスクをしたり、クスリを飲んだりするのは、なんとなくイヤなんだよね。やっぱり、走ることで反撃したい。おそらくぼくはバカなんだろうけど、そうやって、生きてきたんだよね。

今日は暖かかった。それで、今年初めて半袖、半ズボンで走った。昨日走った時は飛んでいるのはモンシロチョウだけだったのに、初めて、ツマキチョウを2、3頭見た。うれしかった。春が来た気がした。

桜が散る頃、ツマキチョウが飛ぶ。
これが、首都圏の虫屋は皆知るところの経験則である。

今年は、これに、新しい経験則が加わった。

「半袖で走るようになると、ツマキチョウが飛び出す(よい子はマネしてはいけません)。」

50年くらい経つと、こんなものでもことわざになるかしら。まあ、ならないだろうなあ。

3月 29, 2013 at 12:29 午後 |

2013/03/28

弟子の植田工よ、お前にようやく追いついたぞ。

 数年前、ぼくは、冬でも薄手のセーターひとつで、映画「トレインスポッティング」のポスターみたいに身体に腕を巻き付けて震えていた。

 ところが、ある時、ふと思ってダウンジャケットを着たら、温かくて、うれしくて寒空の下をやたらと歩き始めた。1時間でも2時間でも平気で歩く。結局、身体もよくなった。やせ我慢はよくない。

 ところが、悲劇が起こった。うれしくて勢いよく歩いていたら、突然ビリッ!

 なんと、民家の生け垣から出ていた釘みたいなやつに引っかかって、肩のところが裂けた。そこから、白い羽毛がふわふわ〜と飛んでいる。

 そうか、やっぱり、本物のダウンを使ってたんだ、よかった、ニセモノじゃなくって。って、違うわい。そこじゃなくて。
 
 とにかく、歩いていると、肩のところから、ふわりふわりと次々に羽毛が飛ぶ。これはヤバイ! というので、ローソンに入って、黒いガムテープを買って、そこに貼り付けた。

 それから、会う人がみな、「それはデザインですか」「変わっていますね」とかいうので、ぼくはその度に、みじめな気持ちで、「いや、これは、その、釘が出ていて・・・・」と説明したのだった。

 それで、ダウンジャケットの薄手のやつを、もう一つ買った。胸のところに、Aって書いてあるやつである。(どんなブランドなのか、良く知らない)

 それで、余ったガムテのジャケットは、弟子の植田工に譲った。

 植田工は、うれしかったらしく、外を歩く時だけじゃなくて、眠っている時もずっと着ていて(「これ、温かいんですよね」)、ゆうなちゃんに気持ち悪がられて、どこかにしまわれてしまったりしたらしい。

 とにかく、ぼくは薄手のダウンジャケットを便利に使っていて、ちょっと暑いときはリュックの中にぐるぐる丸めて入れた。

 それが行けなかったのか、あるいはそもそも着方が乱暴過ぎたのか、先日、ふと気づくと、背中の下のあたりが、シュリ、シュリと裂け始めている。そして、なんと、そこから羽毛がふわふわ出始めている。

 そうか、やっぱり、本物のダウンを使ってたんだ、よかった、ニセモノじゃなくって。って、違うわい。そこじゃなくて。

 胸のところに「A」とあるジャケットを買って2年。使い方がひどすぎたのか、リュックの中に釘が出ているわけでもないのに、裂けて羽毛が出始めた。

 近日中に、黒いガムテを張らなくてはなるまい。弟子の植田工よ、お前にようやく追いついたぞ。

3月 28, 2013 at 07:09 午前 |

2013/03/24

「イエス!」の兄ちゃん。

神戸京町のオリエンタル・ホテルであさごはんを食べていた。

長身で、さわやかな雰囲気のお兄ちゃんが、歩きながら、突然、「イエス!」と言った。

それが、誰かの言葉に対する返事、というよりも、突然言った感じだった。

窓際に外人さんたちが座っていたから、その人たちに言ったのかな、と思ったけど、よくわからなかった。

そしたら、そのお兄ちゃんは、歩きながら、ときどき、「イエス!」と言っている。

調理場の横を通りながら「イエス!」 ぼくのテーブルの横を通りながら、「イエス!」

決然と、大きな声で、明るく、「イエス!」と言って、その前も後ろもない。

なぞの、「イエス!」の兄ちゃん。

食べ終わって、席を立った。「行ってらっしゃいませ」「ありがとうございました」と声をかけてくださるスタッフの中に、その、「イエス!」の兄ちゃんがいた。

兄ちゃんの「行ってらっしゃいませ」は、ちょっと、外国人の日本語っぽかった。あっ、そうか、と思ったけど、本当は何も解決したわけではない。

謎は深まる。神戸京町、オリエンタル・ホテルの「イエス!」の兄ちゃん。

3月 24, 2013 at 09:22 午前 |

2013/03/23

突然の花見

 チェゴヤでごはんを食べた。田森佳秀が、金沢から来ていて、食事を終えると、クスリをたくさん並べた。

 電話に出たら、ドワンゴからだった。戻ったら、みんな食事を終えていたので、出ようか、と言った。

 ゼミを始めようと、研究所のビルまで来たら、横の広場の桜がきれいだったので、気が変わって、「おい、花見しよう」と言った。

 それで、公園の、ぐるりと円形にあるベンチや、その前の石床に座って、飲んだ。ほんとうによく晴れていて、ぽかぽかと温かく、最高の花見だった。花見というものは、花を最初だけちらっと見て、そのあとは忘れてしまうというのが通例になりがちだけれども、実際に花々をよく見た。青空に映えて、きれいだった。鳥たちが来ていた。

 最初は、少しだけ花見をして、それからみんなで論文の輪読を始めようと思っていたけれども、あんまり気持ちがいいものだから、もうどうでもよくなってしまった。

 思うに、花見というものは、この日にこの場所でやるからみんな集まれ、という風に普通はやるものだけれども、それだと、その時にどんな天気であるか、周囲の様子はどうか、何よりも、花がどうなっているかがわからない。

 ところが、私たちに起こったのは、奇跡のような時間の日だまりだった。歩いていて、あんまり太陽がぽかぽかして、花がきれいだったので、思わずここにいたい、と感じたわけで、それは、正真正銘、突発的なことだったのだ。

 すべての花見の中で、最上のものは、「突然の花見」だと思う。

 やがて日が傾き、誰かがバドミントンをとってきて、シャトルを飛ばしながら笑った。天真爛漫が花びらから私たちに移った。「そろそろカルチャーセンターに行かなくちゃ」と我に還った時には、私は、ずいぶんと桜の精たちと仲良くなっていた。

 駅に向かって歩きながら、「ああ、今年の花見は、これだったのだな」と思った。

 今朝のニュースで、「気象庁は昨日東京の桜が満開になった」と言っている。感覚を通してとっくに知っていたことが追認されたような、ふしぎな気持ちになった。

3月 23, 2013 at 07:57 午前 |

2013/03/20

ずっと、飽きずに、金家を見ていた。

 白洲信哉(@ssbasara)が『目の眼』の編集長になって、骨董を何もわからない私が骨董屋さんを訪ねるという企画が始まった。

 刀屋さんに行った。信哉のおじいさんの小林秀雄さんが、刀の鍔はやっぱり金家だ、みたいなことを書いている。

 それで、ぼくはそれは一体どんなクオリアなのだろう、と思っていた。刀屋さんに行って、ガラスの向こうの鍔を見ていても、一向に焦点を結ばなかった。

 ところが、ご主人が「これが金家です」と持ってきたのを見て、衝撃を受けた。やわらかさ、天真爛漫な造形、槌目の表情。それでいて細密で美しい。

 小林さんが言ってたのは、これかと思った。詳しくは『目の眼』で書くが、ずっと、飽きずに、金家を見ていた。幸せな時間だった。

 夕刻、信哉からメールが来た。

 「茂木さんへ

今日は有難うございました。僕はちょっと感動した。人生の中でも滅多にないね。貴殿と金家見れたこと 忘れないよ。」

 ぼくも忘れない。信哉、ありがとう。小林さんも、あの場にいらしたかな。

3月 20, 2013 at 07:49 午前 |

2013/03/18

おじさん温泉2013

 「おじさん温泉」第一回は、確か今から十五年くらい前に、塩谷賢、竹内薫、井上智陽と宮沢賢治の故郷の温泉に行ったのが始まり。

 竹内が、宮沢賢治の本を書いていて、その取材と称して出かけたのだ。

 以来、メンバーが少しずつ移り、場所を変えながらも、「おじさん温泉」は続いてきた。

 ちなみに、「おじさん温泉」という名前は、「おじさん」と他人に言われる前に自分たちで言ってしまおうという「攻め」の姿勢である。

 おじさん温泉2013。今年の参加者は、幹事として、電通の佐々木厚部長、筑摩書房の「たけちゃん」こと増田健史、NHK出版の「怪奇オオバタン」こと大場旦、そして18歳からの私の畏友、「でぶ塩」ないしは「おしら様哲学者」こと、塩谷賢である。

 東京駅で落ち合い、列車に乗って伊東方面に落ち延びていった。車内から、ビールを飲んだ。たけちゃんは勢いがあって、ぐいぐい生ビールを飲む。

 宿について、オオバタンが遅れて着いたあたりから本番開始。

 おじさん温泉の伝統として、私が、たけちゃんとオオバタンに、日本の人文系に対して「文句を言う」というセッションがある。なぜ二人が犠牲になるのかと言うと、たけちゃんもオオバタンも、人文系の編集の大御所なのである。

 「だいたいね、文脈がドメスティックなんだよ」
 「大学教授とかいって、要するに輸入学問じゃん」
 「日本語で表現していて、自己満足しているって、どういうことなんだろう」
 「この国の、置かれている、不幸な状況をですね。。。裸の王様なんだよね。自覚あるのかな。」

 その度に、たけちゃん、オオバタンが反撃する、というプロレス技の世界だったのだが、今年は、たけちゃん、オオバタンの反撃が少し弱かった。

 「そんなことよりも、面白い話をしましょうよ。」
 「あっ、逃げた。」
 「そんなことを言うんだったら、茂木さんだって、○○さんのことちゃんと言うべきでしょう。」
 「○○さんは、いい人だよ。」
 「ほらあ、茂木さんは、こうして文句言ってても、実際に会うと、○○さんはいい人だと、攻撃が弱まっちゃんですよ。」

 そんなことを言っている間に、ぼくは花粉症と風邪の後遺症で弱っているから、床で寝ちまった。

 朝、たけちゃんや、オオバタン、でぶ塩の寝顔を見ていたら、かわいかった。佐々木さんは、でぶ塩のいびきが凄いので、隣の部屋に避難していた。

 たけちゃん、オオバタン、今年も文句言ってごめんね。それだけ、人文系の学問に対する期待が高いんだろうし、本当は、自分たちでなんとかしないとダメだよね。

 そんなことを反省しながら、熱海駅でこれを書いている。

3月 18, 2013 at 08:31 午前 |

2013/03/17

あいつら、ぜんぜんファッションリーダーなんかじゃないと思うよ。

 ふだんテレビをほとんど見ないのだけれども、咳やくしゃみで調子が悪くて弱っていて、なんとはなしにBSをザッピングしていた。

 そしたら、NHKで、フィリピンで三輪車みたいな車をつくっている人のことをやっていて、面白かった。たまに見ると、いい番組やってるね。

 別の番組で、パリのファッション最新事情みたいなものをやっていて、番組自体のつくりとか、映像は良かったのだけれども、パリのファッション界自体は、なんだか「ださ!」と思ってしまった。

 ぼくが見てたのは、メンズの次の秋/冬? コレクションだったのだけれども、どのブランドも、出て来るモデルが、白人で細身で長身で目が青くて髪の毛ブロンド、みたいな感じだったのである。

 なんて、この人たちはダサいんだろう、と私は正直思った。

 だって、パリコレとか言っても、一応、世界市場をねらっているんじゃないの? なんで、モデルが、みんな特定のエスニシティの人しか出てこないの? もっと、アフリカの人とか、アジアの人とか、中東の人とか出せばいいじゃん。だっても、世界市場で実際にそういうファッションを着てくれるのって、そういう人たちなんだから。

 面白かったのが、モデルじゃなくて、ファッションをつくっているデザイナーの方は、いい感じに髪の毛黒かったり、ちんちくりんだったり、お腹出てたりして、それこそ見かけが様々で、ぼくは、実はそっちの方がかっこいいじゃん、と思ってしまった。

 だって、実際にファッションをつくっているクリエイティヴな人たちは、そっちでしょ。だから、内面の充実が、外にも出るんだよ。

 なんで、パリコレのブランドたちは、判で押したように、同じようなルックスのモデルばかり使うんだろう。バッカみたい。

 政治的に正しいとか、そういう問題じゃ全然なくて、今のグローバル化した文化感性という視点から見て、ちょーダサイというか、こいつら何にも見えていないんだな、と思った。

 美の基準が狭いというか、ダイナミック・レンジが小さいというか、ぜんぜんイケテないということが、映像から見えちゃうんだよね。

 あいつら、ぜんぜんファッションリーダーなんかじゃないと思うよ。レディーガガがなぜファッションリーダーなんか、よく考えてみろよ。

3月 17, 2013 at 07:21 午前 |

2013/03/16

自分の人生における「遷宮」とは何なのだろうと、考えた。

 神宮会館で会食をしたあと、なんとはなしに歩きたくなって、夜のおかげ横町をそぞろ歩きして、内宮の橋の前まで来た。

 衛視さんがいらしたので、「明日は何時から御垣内参拝できるのでしょう?」とうかがうと、「そうですね、6時くらいには」とおっしゃる。

 それで、何とはなしに安心して、部屋に戻った。

 翌朝、起きると、もう6時だった。

 急いで、Yシャツとネクタイを来て、ジャケットを羽織り、その上にダウンを着て外に出た。

 空気は、ひんやりと冷たかった。

 おかげ横町は、昨日の暗闇とは一変して、すがすがしい朝の空気の中にある。
 橋を渡ると、もうすでに人が歩いている。遷宮の年であり、週末なので、こうしていらしているのだろう。

 もう、次の社殿が出来ていた。真新しい木が、ぴかぴかと美しい。神さまは、常若。新しい正宮にお住まいになる日も近い。

 私が初めて伊勢に来たのは、前回の遷宮の時だった。あれから二十年。ずっと、社殿が向かって右側にある時代を生きてきた。これからは、社殿が向かって左側にある。新しい時代に入る。その二十年を、私はどう生きるのだろう。

 受付でお願いして、御垣内参拝をする。玉砂利を歩いて、中に入る。

 自然に、さまざまなものが目に入ってくる。月日を経て、すっかり落ち着き、苔やその他の植物も生えて、自然に帰っていこうとする、そのまさにプロセスの中にある門、屋根、鳥居。

 二十年に一度の遷宮は、技術の継承とはよく言われることだが、同時に、樹木を用いてつくられている社殿が、真新しいぴかぴかの状態から変化して、自然へと還っていく、そのサイクルにもあたるということが納得される。

 神主さんに促されて、二礼、二拍手、一礼する。

 お願いをするのではない。心を整えるのである。この設いの中で、心を整え、日常に戻っていく。そのための巡礼であり、儀式である。

 苔むして、自然に還って行こうとする現社殿は、美しかった。そして、その横に完成しつつある新しい社殿は、まるでこの世に誕生したばかりの元素のように、輝いていて、ゆかしい。

 やがて、今社殿が建っている場所は、「古殿地」となり、小さな祠が建つだろう。時はめぐり、サイクルは完結する。

 おかげ横丁の方へと歩く中で、次第に日常に戻っていく。自分の人生における「遷宮」とは何なのだろうと、考えた。


3月 16, 2013 at 09:40 午前 |

2013/03/15

木もれ日のようにあるいは吹きだまりのように、ほっとする句読点だったと、ふり返って感じている。

アメリカで引いた風邪が、そのあとも移動と仕事が続いていてあまり休めないせいか、なかなか抜けきれない。

京都でのDesign Associationの理事会を終えて、翌朝、新幹線で東京に戻った。

東京駅の近くの集会場で、Joi Itoとスカイプ対談。スカイプを使うのは、初めてだった。ジョイは、ボストンでパーティーの最中だったらしく、ワイングラスを持って現れた。

絶好調だったな、ジョイ。卓越さは、必ず、過激さを内に秘めている。

銀座6丁目まで歩く。鳩山由紀夫さん、高野孟さん、波頭亮さん、そして鳩山事務所の芳賀さんとの打ち合わせランチ。芳賀さんに、「なぜここにして下さったのですか?」と聞くと、「次に茂木さんが行く小学校がすぐ近くですから」と言う。

それで、泰明小学校というのが、ぼくが学生時代から銀座界隈を歩いていて、「ああ、ここは素敵な学校だなあ」と思っていた、まさにその校舎だということを知った。

鳩山さんをお見送りして、波頭さんと小学校まで歩いた。カレンダーに、日付と場所しか書いていなくて、本当にそこなのか、自信がなかったのだ。

それで、校門みたいなところまで行ったら、中の人が、「あつ」みたいな感じで迎えて下さったので、やっぱりこの学校で良かったんだ、とほっとした。

「あの、外で立ち話をしていますから」とお断りしたら、「どうぞ中で」と言うので、「あっ、いや、いいです。外でしゃべっていますから」とお断りして、それから波頭さんと立ったまま少しお話した。

なんだか、この時間が、良かったんだよな。

波頭さんとは、いろいろとお話することがたまっていて、本当に、同志という感じで、いろいろ本音で伝え合わなくてはならないこともあったし、そこには未来のさまざまが懸かっており、泰明小学校の前で、ちょっと寒い風が吹くなか、波頭さんと立ち話が出来て、本当に良かった。

それから、ぼくは波頭さんと別れて小学校二入り、そこから、深夜までずっと仕事が続いたわけだけれども、波頭さんとのたった10分の立ち話が、木もれ日のようにあるいは吹きだまりのように、ほっとする句読点だったと、ふり返って感じている。

3月 15, 2013 at 08:19 午前 |

2013/03/14

「偏差値が低い」とされている大学の関係者のみなさんへ

 まずは、人間の能力はペーパーテストで測れるものではない、ことを再確認しておくべきでしょう。
 その上で、もし、日本の受験のあり方がすぐには変わらないのだとすれば、また、人々が、日本の教育の中で「洗脳」されて、「偏差値」という、奇妙な迷信を信じ続けるのだとすれば、その中で、予備校たちによって「偏差値が低い」と勝手に決めつけられた大学の関係者がとるべき「戦略」は、「そういうのうちは関係ない」と断固拒否することだと思います。

 各予備校は、まことしやかな「偏差値表」のようなものを配って、それが各高校に掲載されているという実態があるわけですが、ます、そのような「偏差値表」に大学の名前が掲載されることを拒否してみてはいかがでしょう?

 また、実際に、入試においては、志願者の能力、資質、将来性、志願動機を総合的に判断して合否を判定しているため、各予備校が計算する「偏差値」などは、うちの入試には一切関係ないと、公に言うべきではないでしょうか?

 間違っても、「偏差値を上げよう」という戦略に出てはいけません。なぜならば、「偏差値」というのは、つまりはゼロサムゲームだからです。18歳人口に占める大学進学者の割合が劇的に変化しない限り、かならず、ある大学群は偏差値が高いと予備校が計算し、他の大学群は偏差値が低いと予備校が決めつけることになるでしょう。

 だったら、最初からそんな迷妄は拒否することです。予備校が勝手に計算する「偏差値」は、うちの大学の個性、学風、可能性とは一切関係ないというコミュニケーションを、すべての機会をとらえてやっていくべきです。各高校を回って、もし「偏差値表」が張ってあったら、自分の大学のところだけ、花柄のシールを貼って消してしまいましょう。担当者が一週間も回れば、すべての高校を網羅できるはずです。

 世界的に見ても、愚かな日本の偏差値入試。アメリカの大学の、「偏差値」なんて、聞いたことがありますか? なぜそのようなものを聞いたことがないのかと言えば、アメリカの大学は、偏差値で予想できるような単純な入試をしていないからです。

人間を、陳腐なペーパーテストで測る日本の教育の愚行。その先棒をかせぐ予備校の偏差値計算という愚かな習慣を、21世紀に持ち込むべきではない。バカなことはバカなことなのですから、そんなものは消してしまって一向に構わないのです。愚かな人たちに、遠慮することなど、一切ありません。


先日、高校生たちに、偏差値という数字がどのように算定されるものかを説明し、「そんなものにとらわれるな!」と熱弁しました。

3月 14, 2013 at 09:22 午前 |