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2013/01/22

Times Higher Educationに、私のエッセイが掲載されるまでの顛末記。

某月某日 毎年世界大学ランキングを発表しているTimes Higher Education。日本の大学は、最高位の東京大学でも、27位であり、特に国際化指数が低い。
 英語も、日本の「文系」の先生たちが今までやってきた、「翻訳」作業を前提にした入試問題が出され、自分の意見を直接英語で表現する、という、グローバルな時代に、時代錯誤もはなはだしい。
 そのような問題点を、私は、これまでも何回も指摘してきたが、どうにも、暖簾に腕押しというか、一向に動かない感じがしていた。

某月某日 そのうち、日本の問題点をあれこれ言うこと自体に「飽きて」きた。新卒一括採用や、連帯保証人制度、偏差値の大学入試は、世界的に見れば「愚行」である。しかし、それを言っても仕方がない気もする。何を言っても反応しない人たちにあれこれ言うのはムダである。そこで、作戦を変えようと思い立った。

某月某日 昨年の10月、ふと思った。「そういえば、Times Higher Educationって、オピニオンや記事の投稿を受け付けているんじゃないかな。」Times Higher Education submissionで検索すると、確かにそのようなページがある。それで、そこで書かれているフォーマットで書き始めた。論文の英語は何度も書いたことがあるが、このような英語の一般誌に投稿するのは初めてである。しかも、相手はイギリスの高等教育において大きなプレゼンスを持つ雑誌。うまくいくかどうかわからない。それでも、とにかくやってみようと思った。

某月某日 一つには、日本に変われ、とかばかり言ってないで、自分が変わらなければならない、と思ったことも大きい。私のツイッターアカウント@kenichiromogiのプロフィール欄には、「アンチからオルターナティヴへ。社会の前に自分を革命せよ。」とある。これを実行しなければならない。日本の社会に対してあれこれ言うのは「アンチ」であるが、自ら「オルターナティヴ」とならなくてはならない。社会の前に、自分を革命しなければならない。

某月某日 日本人はもっと、世界的な文脈で発言し、行動しなければならない。その主張は、日本に対して言うよりも、自分でやらなくてはならないんだろうな。昨年は、Long BeachのTEDで日本人として初めてtalkするなど、少しずつはやってきているけど、まだまだ足りない。

某月某日 それで、Times Higher Educationへの投稿を書いた。かけた時間は、そんなに長くはないけれども、とにかく、制限字数内で、論点をつくすように心がけた。どうなるかわからないと思いながら、2012年11月2日、編集部あてに、書き上げたエッセイを投稿した(日本語で「エッセイ」というと、枕草子のような随想的なものを思い描きがちだけれども、英語における「エッセイ」は論理的な文章も含む。)

某月某日 なにしろ、英語の一般向け雑誌に投稿するのは初めてだったから、どんなプロセスでどんな反応がくるのかわからない。届いた、というacknowledgementはすぐくるのかな、と思ったけれども、来ない。しびれを切らして、投稿から12日後の11月14日、「どうなっていますか」というメールを、編集部宛に送った。

某月某日 すると、翌日の11月15日に、ロンドンの編集部のレベッカから、返事がきた。「おそくなってごめんなさい。今原稿を検討中で、今週中には、掲載できるかどうかわかると思います。」という趣旨。とにかく返事が来たので、うれしかったけれども、同時に、まだどうなるかわからないと思った。

某月某日 最初から、Times Higher Educationに掲載されることを期待していたわけではない。Times Higher Educationのサイト内で、記事の検索でJapanと入れると、東京在住の外国人教師のエッセイは過去に掲載されているけれども、日本人の記事が掲載されたことはないようだ。だから、日本人の記事が掲載されるには、言語的sophisticationや、cultural barrierのようなものがあるかもしれない。それに、記事のテーマは日本の大学。そんなものを、英国の読者が興味を持って読む、ということもないのかもしれない。

某月某日 そして、11月16日、レベッカからうれしいメールが来た。「私は、編集部の同僚と、このことについて話しました。私たちは、あなたのエッセイを気に入っています。ぜひ、掲載したいと思います。私の同僚のジョンから、近々メールが行くと思います。」扉が開いた感じで、思わず、心の中でガッツポーズをした。

某月某日 ところが、ここからが長かった。メールを送る、とレベッカが言っていたジョンから、なかなかメールが来ない。12月になっても、年が明けても、メールが来ない。忘れられてしまったのかな、と思った。あるいは、レベッカが自分の考えであのようなメールを送ったものの、同僚から、おいおい、こんなの載せる気かよ、だいじょうぶか、などと突っ込まれ、レベッカが困って、連絡ができないでいるのかもしれない、と思った。ひと月が経ってもジョンからメールが来ないので、これはもうダメなんだろう、と諦めかけていた。
 同時に、おかしいな、とも思った。私の知っているイギリス人たちは皆、このようなビジネス上のことについてはきわめて信頼でき、一度言ったことを変える、というようなことはまずない。ましてや、Times Higher Educationの編集部において、一度載せると返事したことをそのまま放置する、というようなことは、考えにくかった。

某月某日 そして、年が明けた2013年1月9日。ついに、ジョンからメールが来た。すでに、私のエッセイはゲラになっていた。1月17日に、ウェブと印刷媒体で、掲載されますと。うれしかった。

某月某日 イギリス時間2013年1月17日。日本時間、1月18日朝。日付が変わった瞬間に、Times Higher Educationのwebpageに私の記事が出た。自分の書いた文章が、英語の一般誌に初めて掲載された瞬間である。50歳で、というのは遅すぎる気もするが、何事にも初めてがあるような気もする。これからも、がんがんやっていきたい。

某月某日 Times Higher Educationに載せることで、私は何を期待していたのか。私が、日本の教育や大学のあり方について、今まで意見を表明してきた、その回路とは違うやり方で、関係者に届けたい。世界大学ランキングを発表する媒体と同じところに載ることで、文科省や大学関係者、教育関係者も少しは真剣に読んでくれるのではないか。
また、イギリスを始めとする海外の高等教育の関係者に日本の教育に興味を持ってもらいたい。そして、できれば、手助けしてほしい。そんな気持ちがあるのである。

某月某日 そして、自分自身の人生における意味。日本語圏では、幸いにして、私は、本を書いたり、雑誌に記事を書いたりする仕事をたくさんやらせていただいている。一方、英語圏ではそうではない。だから、後者の仕事を増やしていかなくてはならない。本当に小さな一歩だし、英語圏でがんがん活躍しているネイティヴを中心とするひとたちにとってはとるに足らないことだと思うけれども、こんなささやかなことから、私は、再び学びの軌道に乗っていきたいのである。48歳の時に、60歳までの12年間を、0歳から12歳までの12年間と同じくらい激動の日々にしたい、と誓い、願ったのだった。

以上の文章は、メルマガ「樹下の微睡み」2013年1月21日配信号に、掲載されたものです。メルマガ「樹下の微睡み」では、2週間に一回配信される通常号に、このような「日記」が掲載されています。

1月 22, 2013 at 09:48 午前 |