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2012/10/24

イタリア紀行2012(3) バチカン美術館、地図のギャラリー。

あれから十五年。ローマに、もう四十回以上来ている(今回が、ちょうど四十一回目!)という佐賀新聞社長の中尾清一郎さんに連れていかれたのは、サン・ピエトロ広場とは別の場所である。

 城壁なようなものの横に、人々が並んでいる。その列は、そこが、バチカン美術館の入り口のようであった。ずいぶん長い列に感じたが、これでも、昼間よりも短いのだという。年に限られた時にだけ可能な、夜の拝観を、中尾さんがアレンジして下さったのだ。

 セキュリティ・ゲートを入って、階段を上がっていくと、庭と、その中に立っている木が見えた。反
対側に歩いていくと、思いもかけず広大な庭があった。壁の方に、大きな松の実の彫像があった(後で知ったが、この庭の名前は、Cortile della Pignaというのだと知った)。

 暗闇の中、頬を吹き付ける風が心地よい。ローマの夜の感触を確かめて、それから、バチカン美術館へと入っていった。

 「バチカン宮殿」とも呼ばれるように、美術館の建物自体の様式は、ヨーロッパ各地の宮殿のそれとほぼ同じである。その中に、歴代の法王が収集した美術品が収蔵されているのだと、中尾さんが言った。

 特筆すべきは。「地図のギャラリー」。両側の壁に、イタリアを中心とする地図が大きく描かれている。ローマの後に訪れる予定の、シチリア島の大きな地図もあった。 

各地の地図を掲げるということは、すなわち、その地域に自分たちのスポットを当てるということであり、また、それらの羅列の中に、世界の多様性を把握するということである。

 カトリックの信仰は、バチカンの人たちにとっては、もちろん、世界のどこでも通用する「普遍」であるはずである。そのことを示すのに、信仰が行われている世界各地の地図を掲示する、ということ以上の設いがあるはずもない。

 今日、カトリックの信仰は、中南米などより広い世界に広がっている。今日、もし「地図のギャラリー」がつくられるとしたら、地図は、地球上のさまざまな地域をカバーすべきなのかもしれない。

 「地図のギャラリー」の成された1580年から1583年にかけてのカトリック世界。当時の、各地域の「スナップショット」を提示する表象たち。その背後にある、継続して確固たる「普遍」への「意志」が、バチカンという重要な歴史的存在をつくり出してきた巨大な「造山運動」であるように感じられた。

 地図の意匠自体も面白い。ある一点に太陽のようなものが描かれ、そこから光が四方に放射しているデザインが複数の図に見られた。象徴的な表現なのだろう。何を表しているのか、もっと知りたく思った。

10月 24, 2012 at 07:43 午後 |