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2012/08/25

自分に十分すぎるほどのぼんやりを許容できることこそが、少年の日の特権であった。

 もともと、私には夏にはぼーうとなる癖があって、何しろ少年の頃は網を持って野山で蝶ばかり追いかけていたから、暑い気候のせいもあって、何も考えずに呆然としているのだった。

 そして、外から戻ってくると、縁側や畳の上にどっかりと寝転がる。そのうち退屈して本を読み出すけれども、やがてすやすや眠ってしまう。はっと眼が覚めると、もう日が落ちている。そんなことが何度もあった。

 それが、空気が冷たくなって、秋の気配がしてくると、はっと気づく。そして、これでは行けないと、身体の芯から、何か充ちあふれてくるものがある。それから、俄然とモードが切り替わって、真面目なことをいろいろ考える季節がやってくる。そんなことを繰り返していた。

 今年の夏はどうも調子が違うようだ。盛夏において、もうすでに緊張感がある。心の底がじりじりしている。本格的な充実の中、精神運動をしなければという凛とした決意がある。

 ところが、残暑がまだ身体を包んでいて、いろいろなことがついて行かない。

 呆然と夜の道に立ち尽くして、行き交う車を見ていた。
 
 どうやら、私は少し疲れているようだった。

 いつもより早く眠って、眼が覚めた。もう、東の窓から太陽が差し込んでいる。今朝も早い。むりやり身体を起動する。精神の底には、すでに秋が来ているように思うが、無意識にも有機体にも、その気配すらない。

 もう少し、ぼんやりしていたかった。自分に十分すぎるほどのぼんやりを許容できることこそが、少年の日の特権であった。

8月 25, 2012 at 09:30 午前 |