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2012/03/30

椎名誠さんに教わった、いわゆる、「床との勝負」について

 習慣というのは恐ろしいもので、小学校に上がる頃から走るのは好きで、ずっと走り続けているけれども、筋力トレーニングは好きだと思ったことが一度もない。

 だから、やろうと思っても、続いたことがない。それで、椎名誠さんに会ったときに、そのスリムでがっちりした身体が素敵だなあと思った。

 私は髪型のせいか、椎名さんに似ているといわれることがときどきある。数年前も、道を歩いていたら、いきなり見知らぬおじさんに、「あんた、椎名誠によく似てるねえ!」と言われた。そのあと、おじさんは、ぶつぶつ、「もっとも、あんたはちょっと肥えとるけど」と言いながら去っていった。

 椎名さんは、高校の頃から、「一日一回床と勝負する」を続けているという。その回数が、腕立て200回、腹筋200回、スクワット200回。
 「いつやるのですか?」と聞くと、「夜眠る前」だという。「えっ」と私は思った。椎名さんは大のビール好きで知られている。「酔っぱらっていてもね、必ずやるんだよ。寝る前に歯を磨かないと気持ちが悪いのと同じこと」
 なるほど、と思った。「寝る前に歯を磨かないと気持ちが悪い」というたとえが、すっと心に落ちた。

 ただ、私は、酔っぱらうと眠くなるたちなので、寝る前にやるというのは無理だ。だから、朝とか昼にやろうと思って、何度かチャレンジしたが、どうも続かない。
 
 そもそも、最初から椎名さんのいうように「200回」もできるわけがない。そこで、50回から少しずつ回数を増やしていく作戦にした。

 そこで、連続日数にこだわった。というのも、一日でも途切れると、それで「あっ、もういいや」と思ってしまう可能性が高いからである。それで、いわば意地となって、連続日数を増やして行ったのである。

 ところが、先日、ワシントンに夜遅く着いて、翌朝も早くから仕事で、どうしても床と勝負の時間を取ることが生理的に無理だった。一つには、回数が108回に増えていたこともある。

 本当は椎名さんの言う「200回」を目指したかったのだけれども、とても体力的に無理で、しかもだんだん所要時間が延びていったので(なにしろ途中ではあはあいいながら床の上にのびているんだよね)、いざやるとなると、コンパクトにできない。時間がかかる。それなりの覚悟が必要で、機動性に欠ける。

 108回で回数の増加を止めたのは、「煩悩」の数だからちょうどいいや、と思ったのである。これでしばらく続けて行こうと思ったが、やっぱり難しかった。ああ、オレは負けた。ワシントンの朝に、しみじみと思った。
 
 というわけで、ついに60回で連続が途切れてしまった。途切れてしまうとなんとなく糸の切れた凧のようで、二日ばかりさぼってしまった。

 今朝、よくよく考えた。やらないよりもやった方がいい。しかし、108回やるのは、どうも時間がかかりすぎて毎日というわけには行かないかもしれない。それならばそうだ、50回ずつにしたらどうだろう。そうすれば、えいやっといきなり始めて、コンパクトにやりきることができる。

 連続何日、じゃなくて、何回目、ということにしたらどうだろう。それから、もし余裕があれば、一日複数回やってしまったらどうだろう。そんな風に、臨機応変に、床と勝負していったらどうだろう。

 というわけで、酒を飲んで酔っぱらっても眠る前に必ず200回ずつやるという師匠の領域にはついに達することができなかったが、腕立て、腹筋、スクワット、背筋を各50回ずつやるゲリラ的機動的床との勝負を、しばらく続けていきたいと思っている今日この頃である。


師匠とのツーショット。「弟子よ、まあ、やってみなはれ!」

3月 30, 2012 at 09:04 午前 |

2012/03/01

茂木健一郎TED2012でのトーク 全文とご報告

以下は、カリフォルニア州ロングビーチで開かれたTED 2012における、茂木健一郎によるトーク(2月29日、セッション5内)の全文です。

東日本大震災からの一周年の十日前、復興に向かう日本人の思いを、漁師さんの間に昔から伝わる「板子一枚下は地獄」(Under the board, there is hell)という言葉に託して、訴えました。

最後に、被災地である釜石からお預かりした大漁旗を、復興への思いをこめて、TEDの会場で思いきり振りました。

今回のトークを準備するに当たっては、岩手県釜石市の方々に本当にお世話になりました。

未曾有の大災害の悲しみ、苦しさにも負けずに、復興への努力を続けられている釜石の方々に、どれほど勇気づけられたかわかりません。

その思いを背負って、また日本人代表として、万全の準備を重ねて、一生懸命トークをいたしました。

漁師で、現在釜石市議会議員の木村琳蔵さんには、大切な大漁旗をお貸しいただきました。

テレビ岩手の柳田慎也さんには、津波が押し寄せる中必死の思いで撮影された映像の使用をご許可いただきました。

「復興の狼煙」ポスタープロジェクトのみなさんには、トーク内でのポスター画像の使用をご許可いただきました。

また、NPO法人の遠藤ゆりえさんには、さまざまな側面でご支援いただきました。

その他、お世話になった釜石市役所の方々に、心から感謝申し上げます。

ありがとうございました。

2012年2月29日 カリフォルニア州ロングビーチにて
茂木健一郎

トーク全文 (日本語訳は、このページのいちばん下にあります)


Talk given by Ken Mogi at TED Long Beach on 29th February, 2012, 10 days before the 1st anniversary of the Great Eastern Japan Earthquake of 2011.

twitter: @kenmogi
e-mail: kenmogi@qualia-manifesto.com

The reason for resilience.

On March 11th 2011, a massive earthquake hit Eastern Japan. About 30 minutes later, devastating waves of tsunami came ashore across the Tohoku area. It was a natural disaster of a scale unprecedented in the remembered history of Japan. Scientists later confirmed that it had been an event once in a thousand years. Then the nuclear power plant accident at Fukushima followed, casting shadows over people’s lives and hearts. It was a “black swan” event that even experts had failed to predict. The tsunami swept cars, houses, to the utter despair of those looking on in disbelief. Children cried, while their parents could do nothing but to comfort them. Tens of thousands of people lost their loved ones, their cherished homes, and their long-held ways of life.

In memory of the people who lost their lives in the earthquake and tsunami, I would like to dedicate here a moment of silence.

Almost immediately after the disaster, recovery efforts started. People around the world were impressed by the resilience of the Japanese people, who never forgot smiles on their faces, despite the incredible difficulties encountered in the wake of a disaster.

Here I would like to share with you a philosophy behind the resilience of Japanese people. Among Japanese fishermen, there is a saying that “under the board, there is hell.” Once the Mother Nature rages, there is nothing you can do about it. Despite the risks, a fisherman ventures off into the ocean, to do his best to make a living.

This old proverb is true for all of us. As the world becomes small, we are facing newly emerging oceans of contingencies. Just like the Japanese fishermen, we don’t give up. We proceed, with smiles on our faces. In fact, we can even say that risks and uncertainties are the mothers of hope and wisdom.

Here I have a flag, given to me by a fisherman in Kamaishi, who has been personally affected by the tsunami. In order to cheer us up, I swing here the Japanese fisherman’s flag. Under the board, there is hell. That’s why we all hope to build peace and prosperity on our humble boat, through our resilience and hard work. And that’s why we are all here today. Thank you very much.


TEDの会場に行く直前、釜石から託された大漁旗と一緒に。


トークの様子を伝える、 TEDのブログより。


トーク中の写真1 Patrick Newell氏提供


トーク中の写真2 Patrick Newell氏提供


トーク中の写真3 Patrick Newell氏提供


トーク中の写真4 Patrick Newell氏提供


[日本語訳]

強靱さの理由

2011年3月11日、巨大地震が東日本を襲いました。約30分後、破壊的な津波が、東北地方沿岸を襲いました。それは、記憶に残る日本の歴史の中で、前例のない規模の自然災害でした。科学者たちは、後に、それが「千年に一度」のイベントであったことを確認しました。そして、福島における原子力発電所の事故が起こり、人々の生活や心に影を落としたのです。それは、(想定を超えた)「ブラック・スワン」の出来事(予想できない出来事)であり、専門家さえも予想することに失敗したのです。津波は、車や家を流し、人々はそれを信じられない思いで、また絶望の中で見るだけでした。子どもたちは泣きましたが、親たちも、ただ、なぐさめること以外の何もできなかったのです。何万もの人が、愛する者、大切な家、長く培ってきた生活を失いました。

地震や津波で命を失った方々のことを想い、ここに、祈りを捧げたいと思います。

災害が起こってすぐに、復興への努力が始まりました。世界中の人々が、日本人の精神の強靱さに感銘を受けました。日本人は、災害の後の筆舌に尽くしがたい困難にもかかわらず、決して微笑みを忘れなかったのです。

今、ここで、日本人の強靱さの背景にある一つの哲学をみなさんと共有したいと思います。日本人の漁師たちの間には、「板子一枚下は地獄」という言い伝えがあります。母なる自然が怒ったとき、私たちにはもはやなす術はありません。リスクがあるにも関わらず、漁師たちは大海原に乗り出していきます。そして、生きるために、最善を尽くすのです。

この、古い言い伝えは、私たちみんなにとっての真実であると言えるでしょう。世界が小さくなるにつれて、私たちは新たな偶有性の大海原に直面しています。日本人の漁師たちのように、私たちは決して諦めません。私たちは、微笑みを浮かべながら、前進するのです。リスクや不確実性こそが、私たちの希望や智恵の母であるとさえ言えるのです。

今日、私はここに、ご自身も津波で被害を受けられた釜石の漁師さんから託された大漁旗を持ってきています。私たちみんなを元気づけるために、ここで、大漁旗を振りたいと思います。板子一枚下は地獄。だからこそ、私たちは、自分たちのささやかな船の上に、平和と繁栄を築きたいと願うのです。私たちの強靱さと勤勉さを通して。だからこそ、私たちは今日、ここに集っています。ありがとうございました。

(翻訳は、茂木健一郎自身による)

3月 1, 2012 at 05:27 午前 | | コメント (17)