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2012/02/25

大学のガラパゴス化(茂木健一郎 「日本八策 再生への処方箋」第一回より)

「新潮45」 連載 茂木健一郎 「日本八策 再生への処方箋」第一回より、「2、大学のガラパゴス化」をここに公開いたします。

「1、 日本の危機」、
「3、「ものづくり2.0」への不適応」
「4、「黒船」の正体」
「5、日本八策」を含めた全文については、現在発売中の「新潮45」2012年3月号

http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/
をご覧ください。


2、大学のガラパゴス化

 一つの価値基準、一つの文脈から見れば優秀であるが、一方で柔軟性を欠くことになる。結果として、日本の国内市場の中では通用するけれども、グローバル化した世界では意味を持たない制度やシステムが温存されることになってしまう。これが、今の日本の危機の象徴である。

 それを象徴するのが、「ガラパゴス化」という言葉。ある視点から見てすぐれた「部分最適」にはなっても、全体から見た「全体最適」にはならない。つまりは、グローバルな地球社会に貢献するような価値に結実しない。そのことが、急速に「ソフト化」し、「ネットワーク化」する世界の中で、日本の変調、凋落をもたらしている。

 「ガラパゴス化」という言葉は、2009年くらいからメディアの中で見られるようになったと記憶する。他の「流行語」とは異なり、「ガラパゴス化」という言葉が指し示している日本の病理は、そう簡単に解消されそうもない。むしろ事態は慢性化、膠着しており、その実態から目を背けては、日本の未来はない。

 たとえば、大学。日本の大学は、明治期において、ヨーロッパの技術や文化を輸入して、日本の隅々まで行き渡らせる「文明の配電盤」として役割を果たした。最初は「御雇い外国人」が外国語で直接講義していたが、そのうちに日本人が講義をするようになり、学問は急速に「日本語化」して行った。

 ある文化圏の中にもともとない概念を移入するのは難しいとされる。明治期の日本人は、乃木希典さんの漢詩に見られるような、深い漢文の素養を持っていた。文明開化の前の「概念宇宙」がもともと十分に広く深いものであったことが、学問を日本語化する上で大きな意味を持った。

 「科学」、「自由」、「経済」、「時間」、「空間」などといったいわゆる「和製漢語」は、明治期の日本人がその漢文の素養を駆使して生み出した偉大なる遺産である。私たちは、明治期に作られたこれらの言葉を、今日まるで空気のように使いこなして日本語の学問を展開している。また、これらの言葉が漢字の母国である中国にも「逆輸入」されて、使われることにもなった。西洋列強が圧倒的な力を示していた当時の世界で、祖先が成し遂げた学問の日本語化は、私たちの誇りである。

 日本語で一通りの学問ができるようになった結果、今日に至る日本の大学の「かたち」が出来上がった。それは、一つの偉大な革命であった。「文明の配電盤」として、欧米の先進的な文化、技術を日本に紹介し、広める役割を果たしていた頃の大学は輝いていた。東京大学をピラミッドの「頂点」とする大学の「序列」も、そんな時代の中でつくられていったのである。

 時代は流れ、その日本の大学が、「ガラパゴス化」の危機に瀕している。日本語で学問ができるようになったのは、一つの偉大な成果だった。しかし、それゆえに、日本の学問、とりわけいわゆる「文系」の学問は、世界と切り離される結果となってしまった。

 自然科学の研究者たちは、英語で論文を書くということを基本としている分、まだしも良い。それでも、日本人研究者には多くの人が指摘する弱点がある。体系的な「レビュー論文」を書いたり、まとまった思想、世界観を一冊の本として提示するような仕事は、きわめて少ないのである。

 文系の研究者は、残念なことに多くが「内弁慶」になってしまっている。もちろん、諸外国の最先端の学術情報を日本語で伝えるという営みは尊いし、時にクリエイティヴである。翻訳は、現在のところコンピュータ上のプログラムではなし得ない高度な作業であり、日本の文系の研究者たちが、原著の翻訳、紹介を業績の一部と見なしてきたことには正当性がある。

 問題は、学問の表現が日本語に大きく依拠していることである。もちろん、文系の教授たちだって、国際会議に行って英語で発表したり、議論することはある。ところが、理系の研究者と同様、レビュー論文や著作を通しての体系的、総合的な世界観の提示という分野においては、なかなかインパクトのある論者が出ない。何しろ、学問の成果を公刊し、流通させるための手段としての「日本語」の吸引力があまりにも強いのだ。

 さらに深刻な問題がある。現代の多くの問題、たとえば貧困の解消や、教育の充実、エネルギー問題、環境保護、持続可能な成長といった地球規模の課題を解く上では、文系、理系という垣根を超えた学際的なアプローチが求められている。ところが、なかなかそれができない。さまざまな分野の最先端の成果を世界に通用する言葉で共有する知的インフラを欠いているからである。

 文系、理系に関係なく、現代の地球規模の学術情報における「リングワ・フランカ」(共通語)である英語で成果を発表し、議論し、教育するという「圧力」が足りないために、日本国内の大学の世界的プレゼンスが向上しない。特に学部学生の段階においては、十分な数の留学生を受け入れる体制になっていない。国際化の停滞は、英国タイムズ誌が毎年発表する「世界大学ランキング」において、国内最高が東京大学の30位という、低い評価にもつながっている。

 あげくの果てに、大学3年から就職活動が始まる「新卒一括採用」の下、大学が「就職予備校」と化している。日本の企業の関心は、18歳の段階でどんな入試を通ってきたかという点にあるのだという。これでは、知的な創造性が最大の付加価値を生み出す現代の世界において、グローバルな競争を勝ち抜くことなどできない。

 学術情報や技術のイノベーションが国境を超えて流通し、世界的な大競争が行われている現代において、日本の大学の「真価」が問われている。日本語を母語とする人しか受験できないような入試を続けている日本の大学は、ガラパゴス化の典型である。

茂木健一郎

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関連エントリー 

東京大学Liberal Arts Collegeに関する私案

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2011/10/liberal-arts-co.html

2月 25, 2012 at 03:44 午後 |

コメント

英語力が絶対に必要なのかというと大いに疑問に思うところです。ITの世界にいる日本の研究者や声の大きな人たちの多くは外国の情報を翻訳して日本語で自分の手柄のように話すことを仕事にしている方たちが多くいます。残念ながらこうした方たちも形は違ってもガラパゴスの中に入ったままのように見えます。
理系と言われる世界から見ると、問題の焦点は自らの考えを持つのか、それともいつまでも他人の考えを拝借しながら生きるのかの違いのようにも見えます。自分できちんとした世界を持つ方は、その世界が独創的であればあるほど、言語の影響を受けずに周囲に影響を与えられます。
そこで問題になるのは、抽象化能力やシステム思考といった思考力洞察力のような気がしています。
また、最近、ある都市の音楽士の方たちの問題が話題になりましたが、物事を大きくシステムとして俯瞰できるという背景には音楽や絵画などの芸術に対する造詣も必要なように思います。私には芸術は社会活動にとって不要なようには思えません。

投稿: | 2012/04/26 15:15:21

私は京都で看護師さんの転職活動を支援しているものですが、彼ら彼女らを見ていても、学校のあり方というのを考えさせられるときがあります。

ドクターや看護師さんは、医療・看護というものについては知識があるのだけれど、それがこの世界の他の分野の中のどういったポジションに存在しているのか、それを体系的に学んでいないので、「この世は医療で出来ている」「医療に関わる者が最も尊い」と思っている。他の学問をやっている人も同様なものだと思いますが。
即戦力も良いけれど、自分が学んでいる学問よりもう一つ上の次元から考えるという時間を作った方が良いのでは?と思うことがありますが、皆様はいかがでしょうか。

投稿: 京都看護師求人屋 | 2012/04/22 9:17:37

海外の田舎の大学で文系の博士課程に在籍しています。

学問は、それぞれの国家の歴史や現状に影響を受けているので、変動をしている海外の情報をどこまで必要としているかもその国の情勢によるのだと思います。

日本の学問は日本の社会の発展に供すれば良かったわけで、良くも悪くも、「貧困の解消や、教育の充実、エネルギー問題、環境保護、持続可能な成長といった地球規模の課題」にアメリカやイギリスが取り組むほどの労力を割く必要がなかったのだと思います。

もしかしたら、今後も、それほど必要でないのかもしれません。

それが、日本にとっての幸せ、部分均衡解であるなら、日本の文系学問も現状のままなのだろうと思います。

ただ、研究者がプロであるならば、社会の評価を越えた部分や、社会の2歩、3歩先を行く部分で研究の評価を高める努力をしなくてはいけないと思います。

その時は、地球規模の課題の知識の吸収、それを取捨選択して議論していく能力、生産的な活動をできるだけの英語力が絶対に必要になります。

地球規模の課題について英語で研究者として議論できる能力を身につける意欲のある人ならば、これだけの知識はある程度年数をかければ吸収できると思います。

入試などの制度ではなくて、その意欲に応えてあげる環境があればいいだけだと思います。

その点で、私は、意欲のある人が集まるような日本の大学にそれほど悲観的な見方はしていません。

こちらで自分の専門の学部の授業を教えていて、「授業で説明しなくても、教科書は全部読んでどんな議論があるかは一通り把握しておいて欲しい。うちの大学だってトップクラスはハーバードの大学院などに行くんだから、知識を押さえてなかったせいで不利になるようなことにだけはならないで欲しい」と説明しています。

とても限定的な話ですが、世界のどんな大学であっても、大学が出来ることは、それくらいかもしれないと院生ながらに思っています。

だから、世界の最先端にいるために必要な知識とは何かを体系的に理解できていて、それを教育に反映できているかが問題なのだと思います。

制度論よりも、個々の研究者が知識を身につけているかのほうが大事なのだと思います。

それが、文系学問にとって必要な基盤だと思います。

ガラパゴス的な発想もあるのは大事です。

ただ、研究者の社会がグローバル化して、国際的な場に行ける場が増えているのであれば、そこでどうやって活躍できるかを模索していくのは、プロとして当然で、その意識がなければ怠慢なのだろうと思います。

投稿: | 2012/03/11 3:55:49

楽天的で他人事の性格の私でも津波による災害にはとてもとても苦悩させられました。悲しみすら感じないほど情動の停止でした。
こんなに苦悩している人がいるのに自分は宇宙のこととか好きでいていいのか、いっそのこと坊さんにでもなって総てのために祈りを捧げる毎日を送ったほうがよっぽど気が楽だろうと思えてなりません。
堺屋太一さんなんかは、1970年の象徴、大阪万博を乗り越えた新しい世紀の構想と申されておりましたが、世の中は確かに表と裏があり、表だけの世界はないのかもしれませんが、表だけを信じることはできると思います。大阪万博を乗り越えるのではなく、大阪万博の意味をもう一度考えて、バージョンアップするほうが良いと素人考えがでてきます。大阪万博の華やかな世界観は一部のそねみを招いたことは間違いないと思います。しかしそれは単に時代の流れのひとつの表れなのかもしれません。実際は不確定性原理の間違いが正しいとすればひょっとして総ては最初から決まっていることかもしれないですねえ。
子供のとき宇宙が大好きで、宇宙はきっと無限に続いていて、機械のようにすべては予め決まっているんだろうな、だとすれば自分が何かをする意味とは何だろうと思って不安になりましたが、だけど、時代の華々しさの中で何の心配もせず、日夜、科学と女性の美を考え、友人と語らう楽しさに埋没してきました。
これらも全部予定調和なんでしょうか?だとしたら意味は?、と・・つづいていきます。

投稿: | 2012/03/10 10:13:10

 大学院生です。
 「就職予備校化」し、かつ、「日本語を母語とする人しか受験できないような入試を続けている」という日本の大学の甘い点に、共感いたしました。

 でも、それと並んで大学をふがいなく感じる点が、「外国語をしゃべれるだけの帰国子女」が大学に多すぎることです。
 英語が喋れて、英語で成果を発信できる人間を多く大学に入学させるのは良いことです。しかし、発信の前には、必ず、創造が必要です。そうだとすれば、創造に必要な豊かな教養と創造力をもった人間かどうかもきちんと入試で審査すべきです。
 
「わたし、日本語よくわからない!ずっとむこうの学校に通ってたから!日本の大学には日本語を勉強したくて来たんだぁー。入試ではね、住んでた国の言葉の試験と、簡単な日本語のテストとちょっとした教養試験があったよ!でも、先生は、住んでた国の言葉の試験の成績が良ければ、他がよっぽど悪くない限り落ちないって言ってた!!ちょーラクショーだったよぉ~。」

 こういうのって、よくないと思うのです。それに、こういう子たちは結局帰国子女クラスに入って同じような境遇の友達とばかり仲良くしているので、帰国子女でない学生の語学力向上に貢献するわけでもないのです。
  
 私も、帰国子女入試を利用してはいないものの、元帰国子女です。しかし、上のような、自分の母国語以外に何の能力があるのかあまりよく分からないような帰国子女の友人が多いという点に、大学にはすっかりあきれてしまいました。
 
 大学生の英語での発信力の向上を図るべきという先生のお考えには賛成します。でも、英語が喋れるだけではだめだという当たり前の点にもあえて触れる必要があるのではないかと思います!

投稿: | 2012/03/08 11:28:19

世界に眼を向けることはもちろん重要ですが そのためにはまず私たちの゛日本゛を正しくつかまなければいけないと 考えます 日本人である自分を正しくつかまなければ世界を正しい眼で見ることはできない

投稿: | 2012/03/03 11:43:54

物はいるが 精神はいらない…明治政府が拍車をかけた悪しき輸入文化の習慣が今日までながながと尾をひいて それがついにどんづまりまできてしまったわけですね

投稿: | 2012/03/02 22:29:27

>日本の企業の関心は、18歳の段階でどんな入試を通ってきたかという点にあるのだという。

これは驚きだ! 全く愚劣だ! こんな過去の歴史の悪しき遺産からは、最早、脱却しようじゃないか! 日本の企業の採用担当者の知性の革命が求められる。

投稿: | 2012/03/01 9:55:02

ted 良かったですよ! 間接的に見てたけれどもね。しっかりと大いに楽しんで、TED満喫してください。時間の許す限り、見ておきます。5:043月1日の朝 落ち着いたら、しっかり休んでくださいね。!

投稿: | 2012/03/01 5:07:36

危機と言いますが、大学自身にまだ危機感はないと思います。日本の高校生で海外の大学へ留学する人はごく僅かであり、そのため日本の大学は無理して国際化やカリキュラムの難化(中退者を出して不人気になりかねない)などせずに、国内でそれなりにやっていけばいいと考えるはずです。
これを解決するには、まず、茂木さんのように影響力のある方が高校生に留学を勧めてみてはどうでしょうか。高校生にしてもこのまま日本にいていいのか不安に思っているでしょうし。
優秀な高校生は海外へ行くとなれば、日本の大学の危機感も必ず高まるはずです。

投稿: | 2012/03/01 1:06:54

危機と言いますが、大学自身にまだ危機感はないと思います。日本の高校生で海外の大学へ留学する人はごく僅かであり、そのため日本の大学は無理して国際化やカリキュラムの難化(中退者を出して不人気になりかねない)などせずに、国内でそれなりにやっていけばいいと考えるはずです。
これを解決するには、まず、茂木さんのように影響力のある方が高校生に留学を勧めてみてはどうでしょうか。高校生にしてもこのまま日本にいていいのか不安に思っているでしょうし。
優秀な高校生は海外へ行くとなれば、日本の大学の危機感も必ず高まるはずです。

投稿: | 2012/03/01 1:03:30

日本八策っていっても…幕末の革命って一部の 人たちだけで盛り上がった革命だったんですね 下から民衆の盛り上がりはなくみんなそのあとについていっただけだった なるほど言われてみれば納得

投稿: | 2012/02/29 21:17:46

拝読させていただきました。
文系大学院生です。先生のご指摘はまさに自分自身に言われているようなお言葉で胸がいたいばかりです。同時に、少し気になった点がいくつかあるので、もしよろしければどこかで反応していただけると幸いです。
①先生は最終的な当為を何に設定しているのでしょうか。英国タイムズ紙の大学ランキングでトップをとることなのでしょうか。それとも、グローバル競争を勝ち抜くことなのでしょうか。もしそうだとしたら、それを達成して日本をどのような国にしていくとお考えなのかこの論説では見えてこなかったので(字数に限りがあり、そもそもそういう類の論説ではないと思いますが)お聞かせ願えればと思います。
②先生のロジックを簡単に整理させていただければ、「知的イノベーションを達成するための手段として、日本語だけでは不可能である。よって共通語である英語を基盤とした学問の在り方を目指し教育すべきだ」ということなのでしょうか。
不躾ながら、気になりましたので、書かせていただきました。
個人的な感想を申せば、知的イノベーションを多種多様な文化や習慣、法律に触れてでてくると思うのが実感です。そこから、現実の課題を解決する方法が生まれてくる。そのための知的インフラとして射程を拡げるべきだというのはそのとおりだと思います。しかし、これは個人に焦点をあてた話であって国家論となるとまた別だと思います。福沢諭吉は文明論之概略で「国の独立が目的であり、文明はその手段である」と述べていますが、今我々日本人が目指すべき目的とは何なのか。自分にはまだそこを考えている段階です。

投稿: | 2012/02/29 11:28:12

Chihonn さんに同感です。
カリフォルニア州立大学で日本語講師をしています。
茂木さんのおっしゃるように 『日本語を母語とする人しか受験できないような入試を続けている日本の大学は、ガラパゴス化の典型である』のであれば、英語を母語とする人しか受験できないような入試を続けているアメリカの大学も、ガラパゴス化の典型ではないでしょうか。
日本の大学を世界に門戸を開いたものにするには、日本語を母語としない者が それでも日本の大学で学びたいと思えるようなものを提供すればいいんじゃないですか。
日本のマンガ、アニメ、ゲームは まったくガラパゴス化していません。理系・文系を問わず、学問もそうなる可能性は大いにあります。
しかも、日本には素晴らしいものがたくさんあります。文学、芸術、文化。今、日本が世界に誇れるものが生まれはぐくまれたのは、平安期もしくは江戸期。日本が門を閉じていた時代。当時、ガラパゴス化していた文学、芸術、文化は いまや世界中に知れ渡っています。
ところが、アメリカに留学してくる日本人学生は日本の文化・歴史を悲しくなるほど知らない。Chihonnさんのおっしゃるように日本語力も弱い。それで、アメリカに来て、正しく日本を伝えることが出来るでしょうか。正しく異文化を学んで日本に帰ることが出来るでしょうか。
真のグローバライゼーションは母国のことを学び、まず自らのアイデンティティーを確立した上で 他国・異文化との交流をはぐくんでいくことです。そのためには、日本語を 日本を しっかり日本人に教育していくことが大切でしょう。

投稿: | 2012/02/29 11:18:43

日本が世界大学ランキングで上位を占めたところで、なにか変るのでしょうか?日本に留学生が大量に来たとすれば、留学生は日本の慣習に慣れなければならない。それは難しいんじゃないだろうか。日本は地理的にも中央から免れた辺境です。中央からやってきたものをありがたく迎え入れ、自分たちの好きなように編集して活用しています。それでみんな幸せだし、歴史的にも、このやり方で日本は発展してきました。日本はもともとガラパゴスだったわけで、残念ながら日本が中央になることはないのです。それでみんな幸せだし、無理をして中央を目指すことが(茂木さんは声高におっしゃっているが、社会全体の雰囲気はまさにそれです)、引いては日本の停滞につながってしまうと考えています。日本はもっと内に向かうべきで、能など日本の伝統芸能、日本とは何なのか、そういうものを追求すべきだと思います。日本の学生に関していえば、日本で英語力をつけてもしょうがないから、どんどん海外へ出ていくべきだと思います。留学生が大量に日本に来たところでなにも良いことはないはずです。

投稿: | 2012/02/29 7:25:52

はら、頑張れ!! TED

投稿: | 2012/02/29 3:45:16

先生、問題は大学だけじゃないですよ この国はもっとずっと昔、江戸時代、いやもっとそれ以前から歪んで発展してきてるんです。

投稿: | 2012/02/28 18:34:39

私は、義務教育は、いらないと、思っています。
制度より、何より、先に、人ありき、です!
この世に、生まれてきてくれた子ども、ひとり、ひとりが、主体なのであって、ひとり、ひとりが、尊い命をもって、見聞き、知り、読み話すのです。
大人たちが、子どもに、自分の夢をたくしたい気持ちは、わかります。
ですが、義務教育だと、制度を、押しつけるのではなく、生まれてきたばかりの子どもたちが、どんなことを、望むのか、見守るのが、大人だと、思うのです。
教育が、義務ではなかったころ、前人たちは、自由に、学問をしていたのでは、ないでしょうか。
そして、命をかけて、学問をしていたのでは、ないでしょうか。
そんな学問の姿が、まったく、形を消してしまうのは、私は、つらい気がします。

投稿: | 2012/02/28 15:38:32

アイディア1 大学に割礼や火渡りの 儀式、水責めや 蜂がたくさん入った袋を腕に押し付けるなど 過酷な試練を設置する こうすりゃ遊びで大学に入ったり 安定した就職 をするために入るやつもいなくなる! つまり強力なふるいである!! ウワッハッハッハ!(笑)

投稿: | 2012/02/27 21:04:12

都内で予備校の英語講師をしています。
副業では就職活動中の大学生向けに面接やプレゼンの講座を持っています。

15~20代前半の学生と接することがほとんどの職業です。

茂木先生がここで言われていることに賛同する部分も多くありますが、
私は大学入試の現場に長年携わって、毎年大きく憂うことは、
学生の日本語能力の低さです。

確かに、何をもってして「日本語能力が高い」というのか、
その尺度もあいまいではありますが、
大学内で日本語で学問ができることすら危うい学生たちが大量に世の中に排出されていきます。

だからといって、
小学校から英語の時間を設け、国語(日本語)をおろそかにするカリキュラムにも全く賛同できません。
これに関しては少しでも現場で学生と触れ合っている先生方にはご理解いただけると思います。

人間の思考において、言語が最優先であり、
言語がなければ、感情や概念もないというのは、
「nature」から「自然」が生まれたという例をもって、時折耳にする話ですが、
まさしく教育においても母国語である日本語での学問、思考の能力が十分でない限り、
「最先端の成果を世界に通用する言葉で共有する知的インフラ」での質の高い学問やその先にある発信作業など到底のぞめないのではないでしょうか?

英語のみならず、その他の国際語(?)に通じる日本語の教育を充実させることが日本の教育に必要なことだと感じています。

投稿: chihonn | 2012/02/27 3:32:26

茂木さんの主張には賛同致しますが、前回の「東京大学Liberal Arts Collegeに関する私案」の時のような力強さが感じられないのがやや残念です。それは、茂木さんの主張を要約すると、「日本の大学での学術的研究やその成果が日本語に依存しすぎている(=ガラパゴス化)為に現代のグローバルな競争に勝ち残ることができない」という視野の狭い論理展開になってしまっているからです。確かに、世界の共通語である英語を積極的に取り入れた入試制度、授業、研究発表、等を取り入れて、世界に門戸を開けることは非常に重要なことだと思います。しかし、キーワードは「英語」だけではないと思います。偏差値重視の画一的な受験制度の見直し、個性を全面に押し出した大学への変革、国の補助金に頼らない大学の運営、就職予備校化との脱却、グローバルな大学間ネットワークの構築、等、茂木さんが求めている大学のあるべき姿は様々な側面を持っている筈です。その一つのポイントが「英語」だということは理解できますが、私としては、もっと茂木さんらしい持論の展開を期待しています。

投稿: | 2012/02/26 1:26:47

高校生の者です。茂木先生の意見、首肯できることが多々あります。加えていえば、大学が東大をトップとするヒエラルキーを構成しているのと全く同じように、今の日本の教育界は大学を頂点とするヒエラルキー、それもトップダウン構造を固守しているところに問題があると思います。

大学が要求する画一的、知識偏重の入試問題に対応するために、高校が四苦八苦する。高校は、大学入試に上手く適応できる人間を求めるため、合格基準はやはり大学の入試問題を意識することになる(開成高校を受験した経験があります。国語・数学の入試問題は明らかに東大前期を意識したものでした。進学塾でもそうした分析が一般的です)。中高一貫校にしても然りです。

やはり大学が危機感を抱き、セルフイノベーションを敢行することに尽きるのではないでしょうか。そうした点で東大の秋入学検討は評価できますが、そこにもヒエラルキーが色濃く反映されている気がします。ともかく一歩前進は歓迎ですが、やはりスピード性に欠ける。決断できない日本の縮図が、大学界・教育界にも読み取れると感じます。

投稿: | 2012/02/25 22:48:42

具体的な制度上の問題として、日本の大学は、入試で厳しく選別し、卒業は、ところてん式に押し出している。
これを逆転させると、種々の問題がかなり自動的に改善されると思う。
上記の問題は誰でも思っていることでしょうが、一向に改善される気配がない。なぜでしょう。
日本の大学の価値を高め、国際化を図るには、これは、避けて通れない問題だと思いますが。

投稿: | 2012/02/25 18:46:14

日本は島嶼化が起きてるのかな~。この前見つかったかわいいカメレオンみたいだったらいいけど、一方で借金1000兆超えなんだから、小さくつましく適応しているのとは、明らかに違いますよね。

このところの先生の論調は刺激的。わたしは自他ともに認めるコツコツ派なんだけど、笑、最近、ちょっと殻を破りました。芸術的な企画を大きいところへ持っていきますよね、そうすると答えが出るまでに、1年なんて平気でかかります。旬な企画、切羽つまった訴えは、それじゃ間に合いません。クロック数、大学やお役所だけじゃなく、演劇や映画の世界でもかなり遅滞してますよ~。だから、もう、自分たちでどんどんやっちゃおうと。

ブツ、をかたちにする過程で、自分たちの力のなさも露呈されるだろうけど、願ってもないことですよね。あまたの学びと修養と工夫が必要になっていくって、楽しくてたまりません。

記憶力が優遇される今の高校や大学の入試は、創造性には寄与しないと思います。うろおぼえ、なくらいが創造性には噛んできますよね。

スピーチ、がんばってください。南の島の大漁旗も振りますよ。Hurray! Hurray! Ken chan!

投稿: | 2012/02/25 18:10:23

茂木先生
私も同意見です。
文系・理系といった枠組みではなく、統合システムデザインを学ぶのが、大学だと思います。
じっくり、そもそも人が生きるとは、社会とは、みんなが仲良く暮らすには、といったそもそも論を論じ、葛藤できる時間が大学の良いところだと思います。
近頃学問が専門化、細分化され、理系でもある部分のあるプログラムの専門化で修了といったケースが見受けられます。
これは企業も即戦力を欲したために起こったケースで、いざ、企業経営の話しになると、理系戦士は逃げてしまいます。
大学時代の哲学力を磨くことを辞めてしまっているからです。

やはり、大学はどっしりと構え、人間力を鍛える場だと思うのです。

投稿: | 2012/02/25 17:34:34

全面的に同意致します。このような変化への圧力は、町場で個人塾をやっております私にも感じられます。イマジネーションが躍動する環境作りこそが鍵だと思います。

投稿: 星野大剛 | 2012/02/25 16:23:52

これはテストの投稿です。みなさんのご意見、ご感想をお待ちしております。
投稿は、人力で確認して反映しますので、表示されるまでに少し時間がかかります。ご了承ください。

投稿: | 2012/02/25 15:45:45

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