続生きて死ぬ私 第4回 恋の瞬間
小学生低学年の頃、私はどうしょうもないワルガキだった。いたずらばかりして走り回っていた。
私と私の仲間は、今ふり返るとずいぶんと「汚なかった」のではないかと思う。いつもどろんこだらけだったし、下らない冗談を言い合っていた。給食の時はまっさきに食べてお代わりをしようとしたし、とにかく、エレガントだとか、繊細だとか、そのようなものとは程遠い存在だった。
生きるエネルギーだけはたくさんあったかなと思う。小学校2年生の時は、SFに凝って、学校の図書館にあった子ども向けのSFシリーズを、10冊だったか20冊だったか、一気にだーっと読んだ記憶がある。勉強はなぜかできたけれども、それも、仲間と一緒にハンドベースボールをやったり、サッカーの真似事をしたりといった、身体を動かし続ける一連のエネルギー発散のプロセスの中で、自然にそうなったのではないかと思う。勉強も、ボールを思いきり蹴ったり投げたりするのと同じような身体運動だと思っていた節があるのである。
私たちのいた校舎は木造の古いもので、至るところに時代の匂いがした。うわばきに履き替えて上っていくその階段の、少しキイキイというその感触が、忘れがたい。
小学校3年生の時の担任は吉岡先生。私たちワルガキたちを、にこにこ笑いながら見守ってくれた。給食のお代わり競争は時にすさまじかった。特に人気メニューのカレーライスなど、「いただきます」と声を上げるや否やすぐにだーっとかきこみ、徒競走の順位を争うようにさっと教室の前に駆けだしていく。そんな様子を、吉岡先生はにこにこ笑って見て下さった。
私とお代わりの一位争いをいつもしていたのは古野君。古野君は短距離走も早かったが、カレーのお代わりも早かった。その頃、給食にはビタミン不足を補うという名目で「肝油」のゼリーが添えられていた。その独特の風味を伴う甘さが、私たちは好きだった。確か、ローヤルゼリーという商品名で、古野は、なぜか、「ローヤルゼリーのそうじやさ〜ん!」という歌を考えて、いつも大声で歌っていた。
ローヤルゼリーを食べると、身体の中がきれいに掃除される、そんなイメージを、子どもながらに抱いていたのかもしれない。
「ローヤルゼリーのそうじやさ〜ん!」
今でも、古野が大声で歌いながら、教室を駆け回っているその姿がありありと浮かぶ。
子どもの生活は、水の上を飛ぶカワセミのような鮮烈な体験に満ちていて、時折、はっと時間が止まる。その止まった瞬間の印象が、いつまでも、どこまでも、自分の内面に残り、響くことがある。
そして、気付いてみると、自分というものは、すっかり、昔のことがわからなくなってしまうくらいに変わってしまっているのだ。
ある日のこと、私は、放課後の教室に一人でいた。なぜ、残っていたのか、今となっては記憶が定かではない。忘れ物があったのかもしれないし、あるいは、何か他のところで用事があって、自分も帰ろうと、荷物を取りに戻ったのかもしれない。
梅雨時の、どんよりと曇った日だった。私は、何とはなしに教室の窓際に近寄ってみた。3年2組は、二階の、階段を上がってすぐのところにあった。窓の外はしとしとと降る雨。この中を帰るのは面倒だな、と思った。
ふと気付くと、校庭の中を傘を差して歩いていく女の子がいた。Nさんだった。Nさんは、黄色い傘をさしていた。雨に打たれる土の広がりの中で、Nさんは一人で歩んでいた。そうして、Nさんのまわりだけ、なぜかぽっと明かりがついたように感じられた。
そのNさんの姿を見た時、私の心の中で驚くべき変化が起こった。私は、自分がNさんが大好きだということに気付いたのである! その後、中学を卒業するまでずっと続くことになる、Nさんへの恋心が芽生えた瞬間だった。
Nさんは、同じクラスの女の子で、おかっぱ頭の、かわいらしい子だった。美人だったが、決してお高くとまるということはなかった。活発な子で、よく他の女の子と一緒に遊んでいた。それでいて、静かにたたずんでいるようなこともあった。
今ふり返ってもどうにも不思議なのは、その雨の午後に、校庭を一人で歩くNさんの姿を見るまでは、私はどうもNさんのことにそれほど気を留めていなかったように思われることである。
男の子の生活は、あわただしい。いつも飛び跳ねているし、ふざけあっている。そんな時間の中で、たとえNさんと同じ教室にいたとしても、あらためてじっくりと見つめたり、自分がどんなことを感じているかふり返ったり、そんなことをする心の余裕は、きっとなかったのかもしれない。
恋の瞬間。その時、心の中からこみ上げてきた、切ないような、甘くて、どこか痛みを伴っていて、いてもたってもいられないような気持ち。あっという間の変化は、私をひどく動揺させた。そんなことが、自分に起きうるということは、思ってもいなかったから。
結局、Nさんには中学を卒業するまで告白をするわけでもなく、ラブレターを書くわけでもなく、そのまま過ぎてしまった。
それでも、あの雨の日の午後は、私の中に刻まれている。傘を差して歩くNさんの姿を見て、意図せず迎えた不思議な瞬間。川面で身をひるがえすカワセミのような鮮烈な印象。戻りさえすれば、うるおい、流れ出す。こんこんと湧く泉のように。
人間というものは、一瞬にして、変わってしまうことがある。
それが、恋の瞬間。
「続生きて死ぬ私」は、メルマガ『樹下の微睡み』に連載中です。
1月 4, 2012 at 02:30 午後 | Permalink
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