自分なんて消してしまって、いいものを創れたら。
目が覚めると、富士山が見えた。海を挟んでまた陸地があったから、最初はよくわからなかったけれども、千葉県上空を飛んでいるのだった。
それから、ずっと窓の外を見ていた。海ほたるに続いていく道路を車が走るのが見えた。浮かぶ船が見えた。やがて、滑走路を飛行機が加速して上昇していくのが見えてきた。
私たちはバスに乗るらしかった。
この一連の体験の何が、準備していたのかわからない。ひょっとすると、あるいはおそらく、因果の連鎖は、そのずっと前から、たとえば鶴居村の雪原を眺めながら歩いてい時に準備されていたのかもしれない。
京急に乗るエスカレーターを降りながら、あっ、と思った。そうか、みんな同じことだ。自分を消さなくてはならないのだ。
昔の焼き物にいいものがあるのに、なぜ現代はダメなのか。自分が出てしまうからだ、と誰かが言った。白洲信哉あたりも言っていたんじゃないか。みんな同じこと。小説も、音楽も、自分が出てしまっている。
創造者の最大の野心は、自分を消してしまうこと。そのためには、自分と世界のありのままを、欺瞞なしに見つめなければならない。
なんだか、突然漱石の『こころ』が読みたくなって、i文庫Sで猛然と読み出した。「おじさん温泉」に向かう新幹線の中で読み継ぎ、先生の遺書のところまでいった。それで、なんとはなしに落ち着いて、宿に向かうタクシーの中でこの文章を書いている。
自分なんて消してしまって、いいものを創れたら。塩谷とか、たけちゃんとか、ぶちょーとか、おおばたんと楽しく語らったら、今夜はそんな夢を見ながら眠りたい
1月 15, 2012 at 06:47 午後 | Permalink
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