人は、なぜ初詣をするのだろう。
人は、なぜ初詣をするのだろう。
神仏にお願いをする、一年の誓いを立てる。いろいろな意味合いがあるだろう。
手を合わせて、目を閉じている間に、具体的な言葉を唱えるという人も、頭の中が真っ白になっているという人もあるだろう。
子どもの頃から、手を合わせている、あの時間が不思議だった。何かお願いごとをしようとも思うが、大したことが浮かばない。また、お願いすると言っても、誰に頼んでいるのかわからない。ご本尊や御神体を、いつも意識しているわけではない。
ある時期から、こう思うようになった。参拝は、自分の心を整えるために行うのであると。
確信したのは、伊勢神宮の内宮で御垣内参拝をしたときである。心が、今までに経験したことがないほどすうときれいになって、純粋なものが取り戻されたように感じた。
人間は、生きているうちにいろいろな雑事にまみれる。それはある程度仕方がないことであっても、きょろきょろしているうちに日々が過ぎていってしまう。
だから、参拝する時には、心を真っ白にして、自分の中のもっとも純粋なものに寄り添う。それがすぐには見つからなくても、探し当てる。
ついつい解れて、ばらばらになっていってしまいがちな心を、やさしく、おにぎりを結ぶかのように整える。その瞬間、一つのクオリアが立ち上がる。自分が更新される。
街に戻る。日常の中に還っていく。そんな次第に離れていったとしても、手を合わせて心を真っ白にした、その痕跡だけはきっと残っている。
だから、初詣は、自分の心を整えに行くのである。何も唱えなくてもいい。お願いをしなくてもいい。ただひたすら、目を閉じて、心のありようを見つめ、そこに地上に降り立った初雪のひとひらを見つければ良いのである。
初詣に行く。私を整える。心の中に、初雪が降る。
さあ、また一年が始まった。
1月 1, 2012 at 09:07 午前 | Permalink
最近のコメント