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2012/01/27

続生きて死ぬ私  第5回 丸薬を飲み込めなかった。

続生きて死ぬ私 

第5回 丸薬を飲み込めなかった。

 自分という存在が、果たして他人に受け入れられるのかどうか。私たちの幸せは、多くが、その一点にかかっている。誰も、一人では生きてはいけないのだ。

 もしも誰かに受け入れられたら、それは奇跡のようなこと。多くの場合、何とか大丈夫。誰かが受け入れてくれる。

 だけど、どうしても、自信を持てない時間がある。自分という存在が、イヤで、こわくてたまらない。自分自身がどうしても受け入れられない。そんな、人生の季節があるのだ。

 私もそんなことがあった。神経質な自分が情けなくて、どうにかしたくて、でもどうにもならない。そんな気持ちが、心の奥の中にしまわれてしまっていた。しまわれている分、やっかいだった。

 このところは、対人関係にそれほど悩まずに、何とか暮らしている。でも、子どもの頃のことを考えると、随分といろいろなことがあったように思う。自分が他人に受け入れられる存在だとは、どうにも思えなかったこともあったのだ。何よりも、自分で自分のことを持てあましていたのだろう。

 時々、「茂木さんはいつ今のようになったのですか」と聞かれることがある。本当は、何も変わっていないのかもしれない。心の奥底で、「オレは、他人に受け入れられるのだろうか」と震えている自分がいるのだ。

 私は子どもの頃、「自家中毒」という病気によくかかった。神経質な子どもがかかるのだという。元気に遊んでいて、突然、気持ちが悪くなってしまうのである。

 今でもはっきり覚えている。家の近くの児童公園で、仲間たちと飛んだり跳ねたりしている。野球をしたり、サッカーをしたりしている。そのうちに、どういうわけか、胸が気持ち悪くなる。家に帰って寝込む。

 そうなると、近くの菱川さんに連れていかれた。先生が診る。菱川さんの白衣の姿に触れると、安心した。難しい顔をして、菱川さんが診察する。そうして、「自家中毒ですね」と言う。先生の口元が、少しゆるんでいる。ああ、大変な病気ではないのだと、身体の底から安心する。

 「ジカチュウドク」。最初にその言葉を耳にしたのは、5歳くらいの時ではなかったか。もちろん、意味はわからない。ただ、どうなるかは知っていたし、治るプロセスにも慣れていた。何しろジカチュウドクになったのだから、しばらく眠っていればまた直る。ジカチュウドクは、自分の生活の一部分のようなものだった。

 苦手だったのは、薬だった。菱川さんが「じゃあ、薬を出しておきましょうね」と言うと、身体が緊張する。「粉薬がいいかな、それとも丸薬がいいかな。」答えがわかっているのに、菱川さんはそういう。子どもの私をそうやって試していたのだ。

 「すみません、まだ、粉薬しか飲めなくて。」

 隣りで母がすまなそうに言う。私は、ジカチュウドクの気持ち悪さよりも、「ああ、私は丸薬が飲み込めないのだ」という事実の方に、かえって打撃を受けていた。

 どうしてもダメだった。手のひらにのった丸薬が、あり得ないほどの巨大な塊に見えて、これが喉を通っていくなどということが、想像できなかった。何とか飲み込もうとして口に入れ、水を飲む。ところが、喉の奥で、引っかかってしまう。もう一度挑戦。やっぱり、戻ってくる。そのうちに、丸薬が溶け出して、何やら苦い味がしてくる。

 「健一郎、いいかい、もしこの薬を飲まなかったら、死んでしまうとそう言われても、やっぱり飲めないのかい?」

 見守っていた母が言う。そう言われても、どうしても飲み込めない。二つ下の妹が、苦もなく飲んでいるのに、私にはできない。それが自分でも情けなくて仕方がなかった。

 そこで、菱川さんは、粉薬を出してくださるようになった。「本当は丸薬の方がいいんだけど」と言いながらも、処方してくれる。私はただただ有り難く、しかし一方で口の中に苦い味がするのは、やっぱりイヤだった。

 どうして、あの頃、丸薬が飲み込めなかったのだろう。それがどうも、自分が他人に受け入れられるかどうか不安で震えていた、私の神経質さと関係があるように思えるのである。

 丸薬がようやくのこと飲み込めた瞬間のことは、よく覚えている。あれは小学校2年の時だった。菱川さんが「もう大丈夫でしょう」と処方して下さった薬を飲んだら、ちゃんと飲み込めた。ごくんと、水と一緒に薬が喉を通って入っていった。あの時の、不思議で、飛び上がりたくなって、身体がほっと温かくなるような気持ちは、ずっと忘れられない。

 哲学者のニーチェが、『ツァラトゥストラはかく語りき』の中で、喉の奥を蛇に噛まれた男の話を書いているのを知るのは、ずっと後のことである。男は存在の不安に震えているのであるが、やがて、蛇を噛み切って立ち上がる。目がらんらんと輝いている。男は、超人になったのだ。高校の時に、この話を読んで、私は、丸薬をどうしても飲み込めなかった幼い日々のことを思い出した。

 飲み込めるかどうか。思い切れるかどうか。そのような通過儀礼が、人生にはたくさんあるように思う。エイヤっと飲み込んでしまえば、次の自分に行ける。だけど、なかなか踏み切れずに、いつまでも丸薬を舌の上で転がしている。そのうちに、生きること自体の苦い味が、自分の舌を痺れさせていく。

 飲み込めない苦しさ。飲み込めた喜び。今でも、きっとたくさんの丸薬が舌の上に転がっているに違いないと思って、時々人生をふり返ってみる。


「続生きて死ぬ私」は、メルマガ『樹下の微睡み』に連載中です。

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1月 27, 2012 at 07:48 午前 |

2012/01/23

小林秀雄を学ぶ「池田塾」(仮称)、参加者の募集

 小林秀雄さんの担当編集者を長年つとめられ、生前の小林秀雄さんを深く知る立場にある池田雅延さん(元、新潮社編集者)を「塾頭」とし、小林秀雄さんの著作を読み、その思想に触れ、困難な現代を生きる糧とすることを目指す「池田塾」を開講するに伴い、参加者(若干名)を募集いたします。 
 なお、毎回の会合に、私、茂木健一郎も「塾頭補佐」として同席いたします。

 会合は、ほぼ月に一回の週末、東京近郊の小林秀雄さんゆかりの場所で行われる予定です。午前11時〜午後1時くらいまで会合を開き、その後懇親の場が設けられる予定です。小林秀雄さんのテクストを入手することや、現地までの交通費を除き、参加者の負担や義務はありません。

第一回は2012年2月に行われ、以降、2012年1月まで、第一期として約12回の「池田塾」が行われる予定です。
第一回は2月19日(日)、第二回は3月20日(祝)を予定しております。

 会合の性質上、また会場のスペースなどから、お受けすることができる参加者数が限られるため、やむを得ず選抜させていただきます。以下の事項を記した自己紹介の書類ファイルを、メールにて
茂木健一郎
kenmogi@qualia-manifesto.com
までお送りください。
形式は一切ありません。
締め切りは2012年1月30日(月)午後10時まで。
塾生選抜の結果は、2012年2月3日(金)までに応募者にお伝えいたします。

(応募者多数のため、お知らせが若干遅れる見込みです。ごめんなさい。2月3日追記)

なお、選抜は、塾頭の池田雅延さんと塾頭補佐の茂木健一郎が共同で行います。

(1)、小林秀雄のどんな点に関心があるのか、お書きください。

(2)世の中の森羅万象、さまざまなジャンル、現代の問題など、小林秀雄以外で関心があることについてお書きください。

(2)御自身のバックグランドをお書きください。どのようなことに関心を持ってきたのか、取り組んできたのか、何に情熱を向けてきたのか、これから何をしようとしているのか、通常の履歴書のような形式でなくてもいいのですが、どんな方がわかると助かります。

(4)御自身のお人柄がわかる、スナップ写真や作品等などを添付してくださってもかまいません。

(5)twitterのアカウント、facebookのアカウントや、ブログなど、御自身のオンラインでの活動、発言内容がわかるような情報があったら添えてください。

(6)こちらから連絡できるように、メールアドレス等の情報をお願いします。地方在住の方もいらっしゃるかもしれないので、住所までは必要はありませんが、どのエリアにお住まいかお記しください。

重要! 応募書類をお送りいただく際、メールのsubject(題名)には、「池田塾入塾志望書」とお書きください。そうでないと、見逃してしまう可能性があります。

今回残念ながらスペースの都合で塾生に選ばせていただけなかった方も、何らかのご縁と思い、大切にしていきたいと思います。

みなさんのご応募をお待ちしております。

2012年1月23日 茂木健一郎


小林秀雄さん


池田雅延さん

1月 23, 2012 at 09:30 午前 |

2012/01/17

蝶の胸 (『生きて死ぬ私』より)

 私は、少年の時、昆虫採集をしていた。
 ヘッセ、北杜夫、養老猛司。様々な人が、少年の時の昆虫採集の思い出を、一つの究極の幸せのイメージとしてとらえている。
 なぜ、男は、少年時代に幸せのイメージを託すのだろうか。
 私にとって、夏の森の緑の中で、どこから現れるかわからない蝶を待ちつつあるあの気配は、最も濃密で幸せな生の記憶と結びついている。

 だが、ある時から、私は、突然、蝶を採るのをやめてしまった。蝶の胸を潰すのが、いやになってしまったのである。ちょうど、思春期を迎えるころだった。
 蝶の採集をし、標本をつくる時には、羽根をいためないように、すぐに胸を潰して殺してしまう。もっとも、潰すと言っても、正確には胸を圧迫して、窒息させてしまうのだ。
 小学生の時、北海道の網走の原生花園に行った時には、十数匹のカバイロシジミの胸を潰した。青くやさしいたおやかな蝶たちは、ローカル線の無人駅の周りに咲き乱れる花を訪れていたのに、私のネットにとらえられてしまった。彼らは、自分のそんな運命を予想だにしていなかったろう。
 そして、カバイロシジミは、私の指の間で死んでいった。

 蝶の中枢神経系など、たかが知れている。むねをつぶされた時、蝶は人間のような意味では、何も感じないのかもしれない。そうでなくても、初夏の草原は死に満ちあふれている。飛び回って傷ついていった、カバイロシジミの死体に満ちあふれている。
 だが、いつの日からか、私は、自分の指がこの節足動物たちに早すぎる死をもたらすことを、何となく気分の悪いことと感じるようになってしまった。

 荘子は、蝶が夢を見て人間になっているのか、人間が蝶の夢を見ているのかわからないと書いた。
 蝶は、私たちに、生命というもののはかなさ、時間の経過の不思議さについて語りかけているように思われる。
 
 私が、将来また蝶を採集する時があるかどうかわからない。ネットに収まった蝶の震える胸を指でつぶすことができるか、それはわからない。
 私の心の中には、私の指の間で死んでいった蝶たちの生の震えの感触が残っている。
 
茂木健一郎『生きて死ぬ私』(ちくま文庫)より

1月 17, 2012 at 06:06 午前 |

2012/01/15

自分なんて消してしまって、いいものを創れたら。

目が覚めると、富士山が見えた。海を挟んでまた陸地があったから、最初はよくわからなかったけれども、千葉県上空を飛んでいるのだった。

それから、ずっと窓の外を見ていた。海ほたるに続いていく道路を車が走るのが見えた。浮かぶ船が見えた。やがて、滑走路を飛行機が加速して上昇していくのが見えてきた。

私たちはバスに乗るらしかった。

この一連の体験の何が、準備していたのかわからない。ひょっとすると、あるいはおそらく、因果の連鎖は、そのずっと前から、たとえば鶴居村の雪原を眺めながら歩いてい時に準備されていたのかもしれない。

京急に乗るエスカレーターを降りながら、あっ、と思った。そうか、みんな同じことだ。自分を消さなくてはならないのだ。

昔の焼き物にいいものがあるのに、なぜ現代はダメなのか。自分が出てしまうからだ、と誰かが言った。白洲信哉あたりも言っていたんじゃないか。みんな同じこと。小説も、音楽も、自分が出てしまっている。

創造者の最大の野心は、自分を消してしまうこと。そのためには、自分と世界のありのままを、欺瞞なしに見つめなければならない。

なんだか、突然漱石の『こころ』が読みたくなって、i文庫Sで猛然と読み出した。「おじさん温泉」に向かう新幹線の中で読み継ぎ、先生の遺書のところまでいった。それで、なんとはなしに落ち着いて、宿に向かうタクシーの中でこの文章を書いている。

自分なんて消してしまって、いいものを創れたら。塩谷とか、たけちゃんとか、ぶちょーとか、おおばたんと楽しく語らったら、今夜はそんな夢を見ながら眠りたい

1月 15, 2012 at 06:47 午後 |

2012/01/04

続生きて死ぬ私 第4回 恋の瞬間

 小学生低学年の頃、私はどうしょうもないワルガキだった。いたずらばかりして走り回っていた。

 私と私の仲間は、今ふり返るとずいぶんと「汚なかった」のではないかと思う。いつもどろんこだらけだったし、下らない冗談を言い合っていた。給食の時はまっさきに食べてお代わりをしようとしたし、とにかく、エレガントだとか、繊細だとか、そのようなものとは程遠い存在だった。

 生きるエネルギーだけはたくさんあったかなと思う。小学校2年生の時は、SFに凝って、学校の図書館にあった子ども向けのSFシリーズを、10冊だったか20冊だったか、一気にだーっと読んだ記憶がある。勉強はなぜかできたけれども、それも、仲間と一緒にハンドベースボールをやったり、サッカーの真似事をしたりといった、身体を動かし続ける一連のエネルギー発散のプロセスの中で、自然にそうなったのではないかと思う。勉強も、ボールを思いきり蹴ったり投げたりするのと同じような身体運動だと思っていた節があるのである。

 私たちのいた校舎は木造の古いもので、至るところに時代の匂いがした。うわばきに履き替えて上っていくその階段の、少しキイキイというその感触が、忘れがたい。

 小学校3年生の時の担任は吉岡先生。私たちワルガキたちを、にこにこ笑いながら見守ってくれた。給食のお代わり競争は時にすさまじかった。特に人気メニューのカレーライスなど、「いただきます」と声を上げるや否やすぐにだーっとかきこみ、徒競走の順位を争うようにさっと教室の前に駆けだしていく。そんな様子を、吉岡先生はにこにこ笑って見て下さった。

 私とお代わりの一位争いをいつもしていたのは古野君。古野君は短距離走も早かったが、カレーのお代わりも早かった。その頃、給食にはビタミン不足を補うという名目で「肝油」のゼリーが添えられていた。その独特の風味を伴う甘さが、私たちは好きだった。確か、ローヤルゼリーという商品名で、古野は、なぜか、「ローヤルゼリーのそうじやさ〜ん!」という歌を考えて、いつも大声で歌っていた。

 ローヤルゼリーを食べると、身体の中がきれいに掃除される、そんなイメージを、子どもながらに抱いていたのかもしれない。

 「ローヤルゼリーのそうじやさ〜ん!」

 今でも、古野が大声で歌いながら、教室を駆け回っているその姿がありありと浮かぶ。

 子どもの生活は、水の上を飛ぶカワセミのような鮮烈な体験に満ちていて、時折、はっと時間が止まる。その止まった瞬間の印象が、いつまでも、どこまでも、自分の内面に残り、響くことがある。

 そして、気付いてみると、自分というものは、すっかり、昔のことがわからなくなってしまうくらいに変わってしまっているのだ。

 ある日のこと、私は、放課後の教室に一人でいた。なぜ、残っていたのか、今となっては記憶が定かではない。忘れ物があったのかもしれないし、あるいは、何か他のところで用事があって、自分も帰ろうと、荷物を取りに戻ったのかもしれない。

 梅雨時の、どんよりと曇った日だった。私は、何とはなしに教室の窓際に近寄ってみた。3年2組は、二階の、階段を上がってすぐのところにあった。窓の外はしとしとと降る雨。この中を帰るのは面倒だな、と思った。

 ふと気付くと、校庭の中を傘を差して歩いていく女の子がいた。Nさんだった。Nさんは、黄色い傘をさしていた。雨に打たれる土の広がりの中で、Nさんは一人で歩んでいた。そうして、Nさんのまわりだけ、なぜかぽっと明かりがついたように感じられた。

 そのNさんの姿を見た時、私の心の中で驚くべき変化が起こった。私は、自分がNさんが大好きだということに気付いたのである! その後、中学を卒業するまでずっと続くことになる、Nさんへの恋心が芽生えた瞬間だった。

 Nさんは、同じクラスの女の子で、おかっぱ頭の、かわいらしい子だった。美人だったが、決してお高くとまるということはなかった。活発な子で、よく他の女の子と一緒に遊んでいた。それでいて、静かにたたずんでいるようなこともあった。

 今ふり返ってもどうにも不思議なのは、その雨の午後に、校庭を一人で歩くNさんの姿を見るまでは、私はどうもNさんのことにそれほど気を留めていなかったように思われることである。

 男の子の生活は、あわただしい。いつも飛び跳ねているし、ふざけあっている。そんな時間の中で、たとえNさんと同じ教室にいたとしても、あらためてじっくりと見つめたり、自分がどんなことを感じているかふり返ったり、そんなことをする心の余裕は、きっとなかったのかもしれない。

 恋の瞬間。その時、心の中からこみ上げてきた、切ないような、甘くて、どこか痛みを伴っていて、いてもたってもいられないような気持ち。あっという間の変化は、私をひどく動揺させた。そんなことが、自分に起きうるということは、思ってもいなかったから。

 結局、Nさんには中学を卒業するまで告白をするわけでもなく、ラブレターを書くわけでもなく、そのまま過ぎてしまった。

 それでも、あの雨の日の午後は、私の中に刻まれている。傘を差して歩くNさんの姿を見て、意図せず迎えた不思議な瞬間。川面で身をひるがえすカワセミのような鮮烈な印象。戻りさえすれば、うるおい、流れ出す。こんこんと湧く泉のように。

 人間というものは、一瞬にして、変わってしまうことがある。

 それが、恋の瞬間。

「続生きて死ぬ私」は、メルマガ『樹下の微睡み』に連載中です。

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1月 4, 2012 at 02:30 午後 |

2012/01/01

人は、なぜ初詣をするのだろう。

人は、なぜ初詣をするのだろう。

神仏にお願いをする、一年の誓いを立てる。いろいろな意味合いがあるだろう。

手を合わせて、目を閉じている間に、具体的な言葉を唱えるという人も、頭の中が真っ白になっているという人もあるだろう。

子どもの頃から、手を合わせている、あの時間が不思議だった。何かお願いごとをしようとも思うが、大したことが浮かばない。また、お願いすると言っても、誰に頼んでいるのかわからない。ご本尊や御神体を、いつも意識しているわけではない。

ある時期から、こう思うようになった。参拝は、自分の心を整えるために行うのであると。

確信したのは、伊勢神宮の内宮で御垣内参拝をしたときである。心が、今までに経験したことがないほどすうときれいになって、純粋なものが取り戻されたように感じた。

人間は、生きているうちにいろいろな雑事にまみれる。それはある程度仕方がないことであっても、きょろきょろしているうちに日々が過ぎていってしまう。

だから、参拝する時には、心を真っ白にして、自分の中のもっとも純粋なものに寄り添う。それがすぐには見つからなくても、探し当てる。

ついつい解れて、ばらばらになっていってしまいがちな心を、やさしく、おにぎりを結ぶかのように整える。その瞬間、一つのクオリアが立ち上がる。自分が更新される。

街に戻る。日常の中に還っていく。そんな次第に離れていったとしても、手を合わせて心を真っ白にした、その痕跡だけはきっと残っている。

だから、初詣は、自分の心を整えに行くのである。何も唱えなくてもいい。お願いをしなくてもいい。ただひたすら、目を閉じて、心のありようを見つめ、そこに地上に降り立った初雪のひとひらを見つければ良いのである。

初詣に行く。私を整える。心の中に、初雪が降る。
さあ、また一年が始まった。

1月 1, 2012 at 09:07 午前 |