続生きて死ぬ私 第一回 トンネルの夢
今となってはもう、遠いかすかな響きのようではあるけれども、ふり返ってみれば、子どもの頃は、「死」が大人になってからよりもむしろ身近にあったのではないかと思う。
子どもは、若さとエネルギーに満ちあふれているようでいて、自分の命が、「何もない真っ暗闇」のすぐ近くにあることを、直覚している。生きることの危うさを知っている。老人に比べると、子どもが「死」の桎梏に囚われてしまうまでには実際にはまだまだ猶予がある。それでも子どもが死を肌に近しく感じるのは、「無」から「この世」に生まれ落ちるという奇跡から数えて、まだそんなに時間が経っていないからではないか。
最初は、無明の中にある。次第に、分別がついてくる。自分と世界の境が認識され始める。自分が心を持つ存在であることが知られる。他人もまた、傷つけられやすく、震える心を持つことが感じられてくる。
ちょうど、その頃ではなかったか。私は、ある一つの夢を繰り返しみるようになった。私は、トンネルの中にいる。トンネルは狭くて、しかし息苦しくはない。それでも、つんと鼻をつくような気持ちがする。
トンネルは曲がっていて、私がいるのは、その「曲がり」のちょうど手前だった。向こうを見通すことはできない。曲がったその先も、こちらのように薄暗い気もする。あるいは、さらに暗いような予感さえもある。
トンネルの中は温かくて、その中にいることに不安は感じなかった。ただ、このまま時間は経過して行くのだな、という何とはなしに肝に堪える感覚のようなものはあった。時間が流れていることの作用か、ずっと鼻がつんとしていた。
トンネルが目の前に現れる度に、ああ、これは、前にも見たことのある夢だと思った。夢には、ストーリーも展開もなかった。ただ、まるで凍ってしまったように、「現在」がずっとそこにあった。そうして、私は、幼いながらに、どこか凄まじいような、それでいてのんびりとしたような、永遠であるような、刹那であるような、とにかく、大人になってから手に入れたヴォキャブラリで記述すればそんな妙な気持ちに、夢を見る度に出会っていたのである。
最後にトンネルの夢を見たのは、小学校に上がるかどうかくらいの時ではなかったか。私は自分の部屋で遊んでいて、ついうとうとしてしまった。はっと気が付くと、私はトンネルの中にいた。さっきまで襖の模様を眺めていたはずなのに。トンネルは、いつものように曲がっていた。そう、私の右手の方に。
小学校に入ってしばらくすると、いつの間にかトンネルの夢を見ないようになった。小学校2年生の時、「そういえば昔はトンネルの夢を見ていたっけ」とふと思い出している自分がいた。それはもう、すでにとてつもなく懐かしいような気持ちで、すべてはこうして変化していってしまうのだと、それが怖いような、楽しみのような気持ちだった。
幼い時間は、ただ、言葉を使って表現できないだけで、色鮮やかな気持ちや、強い気持ち、弱い気持ち、いろいろな気持ちに満ち溢れているように思う。トンネルの中にいる夢を見て、鼻がつんとして、永遠のようで刹那のようで、不安なようで安心だった、その頃の魂の感触を、私はありありと思い出すことができる。
科学的な言葉で説明しようとすれば、「トンネルの夢」は、出生の記憶ということになるのかもしれない。そして、トンネルを抜けるというヴィジョンは、死に瀕した人が時々出会うという「臨死体験」の内容にも似ている。
アメリカの科学者カール・セーガンは、臨死体験で人々がトンネルを見るのは、出生の時の記憶によるのだという説を唱えた。そのようなケースにおいては、人々は、トンネルの向こうに、まばゆい光を見ている。
一方、私が幼い頃見た夢は、いつもトンネルの向こうが真っ暗であった。私がトンネルの向こうに光を見ることがあるのか、それはわからない。
今でも、時々、トンネルの夢を思い起こすことがある。ちょうどあの時のように、手を伸ばせばそこに届くくらいに、死を身近に感じ続ける。そのことこそが、「生きている」という証しという思いがある。
人間には、「連想」というやっかいな働きがあって、少しでも死に関したことを思うことを「縁起でもない」と嫌う人もいる。
しかし、そうではないと思う。生命が漲る人生の早春においても、人は、「死」と「生」の接続領域を思うことがある。この世に生まれたばかりの私にとって、それは、「トンネル」という形をとって出現した。途中で曲がってその先が見通せないトンネルは、自分がこの地上で打ち震えながら生きているという、まさにその事態そのものだった。
どんなに時間が経っても、どんな人生の節目を迎えたとしても、そこには「トンネルの夢」に相当するものがあるに違いない。形を変えて。密かに潜って。それこそが、生きていることの証し。私は、そのように確信している。
「続生きて死ぬ私」は、メルマガ(樹下の微睡み)に連載中です。
12月 3, 2011 at 11:13 午前 | Permalink
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