親友や恋人でも、きっと変わりはしない。
APUのやつらすごく良くって、一生懸命やってくれて、楽しかった。
ひらのも、ながおも、ゆうたも、とざきも、ハンスも、いたにも、しもだも、あらかわも、他にもたくさん、みんないいやつらだった。
スタッフはスーツを着ているから、そんな格好しなくてもいいのに、と言うと、いやあ、一般学生と区別したかったし、なによりも、これを機会に着てみたかったんですよ、と言う。
いいね、そうやって、すぐに言葉で表現できるところ。APUの学生は、何しろ半分が他の国から来ているから、日本人も、自分のことをメタ認知して外に出すことにおそらく長けている。
大学から移動したのが8時過ぎだったから、でも、気付いたら11時30分になっていた。あいつらがいつも行くという、生一本というお店。
最後は、別府の商店街の中で集合写真をとった。わらわらと集まって、なんとか顔を出して。みんな笑っている。でも、名残惜しいね。
旅館まで送ってもらって、あいつらは帰って、温泉に入ろうと服を脱いでいるときに、あっと思った。
ネットではコミュニケーションが断片的になるとかいうけれども、本当は現実でも同じだ。オレは龍馬だとか言っているひらのとか、妙にロジックでせめてくるぽぴーとか、こんど博報堂に入るなおすけべーとか、みんなみんな、もっと話したかったけれど、うわーっと人がいる宴会だから、そんなの無理だよ。
膝つめて、顔を合わせて、それで、断片を拾っている。小さなバンドウィドスを、精一杯使いながら。
3時間、ずっと話しっぱなしだったけど、それでも足りなかった。
だから、人生におけるコミュニケーションって、そもそも不良設定問題なんだよね。それは、親友や恋人でも、きっと変わりはしない。
11月 29, 2011 at 08:06 午前 | Permalink
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