バッティング・センターでは、それがマックスになるけれども、日常生活でもそうじゃないかな。
例によって、Tokyo Designers Weekのワークショップで「やらかして」しまったあと、さっと裏口から逃亡して神宮外苑のバッティング・センターに行った。
選んだのは、ダルヴィッシュ有投手。来るボールにバットを振り出す。ときどき真芯でとらえてボールがぱかーんと飛ぶが、それ以外の時はチップしたり、ゴロになったり。
何がまさに起きているのか、把握できないままにボールが来て、ものごとが進んでいく。あのときのどうすることもできない感覚が好きだ。
バッティング・センターでは、それがマックスになるけれども、日常生活でもそうじゃないかな。人と会話している時、こうして文字をつむいでいるとき。歩いているとき。うまくやろう、と意識していてもいなくても、とにかく私たちは自分に起こっている事態を把握することができずに、呆然と時の流れの中で息づいている。
ほんのささいな日常の中に、無限の驚異がある。
バッティングを終えて、すたすた歩き出した。お昼はカレーライスにした。
11月 7, 2011 at 06:48 午前 | Permalink
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