« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »

2011/11/30

窓の外を見ている大人の表情は、子どもの頃の無防備さを取り戻している。

羽田空港からモノレールに乗るとき、あっ、しまった! と思った。

今回の旅は、小銭入れを持っていくのを忘れて苦労していたのだった。だから、空港のユニクロで靴下を買ったとき、その袋の中にコインを入れた。

小銭入れの中に、パスモもある。切符を買わなくてはならない。

走り降りたら、ちょうど来た。窓際に立って、急ぎの課題図書を読み始めた。

ところが、地上に出るともういけない。ついつい、窓の外を見てしまう。

モノレールから見える風景が好きだ。海が見える。大きな空が広がる。大井競馬場に差し掛かったとき、馬の姿を一生懸命探した。

馬って、本当に美しい動物なんだよね。

塩谷賢とツィンクルレースに行ったのは、もうずいぶん前のことだなあ。

そういえば、子どもの頃、靴を脱いで、座席に窓に向かって座って、妹と並んで外の景色を見ていたっけ。

モノレールが流れる。
課題図書は、忘れられてしまう。
心は、どんどん虹色に。
窓の外を見ている大人の表情は、子どもの頃の無防備さを取り戻している。

11月 30, 2011 at 08:41 午前 |

2011/11/29

親友や恋人でも、きっと変わりはしない。

APUのやつらすごく良くって、一生懸命やってくれて、楽しかった。

ひらのも、ながおも、ゆうたも、とざきも、ハンスも、いたにも、しもだも、あらかわも、他にもたくさん、みんないいやつらだった。

スタッフはスーツを着ているから、そんな格好しなくてもいいのに、と言うと、いやあ、一般学生と区別したかったし、なによりも、これを機会に着てみたかったんですよ、と言う。

いいね、そうやって、すぐに言葉で表現できるところ。APUの学生は、何しろ半分が他の国から来ているから、日本人も、自分のことをメタ認知して外に出すことにおそらく長けている。

大学から移動したのが8時過ぎだったから、でも、気付いたら11時30分になっていた。あいつらがいつも行くという、生一本というお店。

最後は、別府の商店街の中で集合写真をとった。わらわらと集まって、なんとか顔を出して。みんな笑っている。でも、名残惜しいね。

旅館まで送ってもらって、あいつらは帰って、温泉に入ろうと服を脱いでいるときに、あっと思った。

ネットではコミュニケーションが断片的になるとかいうけれども、本当は現実でも同じだ。オレは龍馬だとか言っているひらのとか、妙にロジックでせめてくるぽぴーとか、こんど博報堂に入るなおすけべーとか、みんなみんな、もっと話したかったけれど、うわーっと人がいる宴会だから、そんなの無理だよ。

膝つめて、顔を合わせて、それで、断片を拾っている。小さなバンドウィドスを、精一杯使いながら。

3時間、ずっと話しっぱなしだったけど、それでも足りなかった。

だから、人生におけるコミュニケーションって、そもそも不良設定問題なんだよね。それは、親友や恋人でも、きっと変わりはしない。

11月 29, 2011 at 08:06 午前 |

2011/11/28

怖かったから、見なかった。

林業センターには、みなさん5ヶ月くらい避難されていたらしい。

私を歓迎して開いてくださった一足早い「忘年会」は、仮設住宅など、ばらばらになっていったひとたちの「同窓会」でもあるらしかった。

釜石の奇跡。海沿いの小学生、中学生たちが「てんでんこ」で逃げた。小学生たちは、お隣の中学生たちがさらに逃げるのを見て、追いかけていったのだという。

避難所に姉妹がいた。小学校二年生と五年生。お母さんといっしょにはしゃいでいたが、聞くと、まさに津波から逃げたのだという。

「4回も、逃げたからね」と五年生の女の子が言う。ここでもダメだ、もっと上、と4回避難先を変えたのだという。

「津波見えた?」「うん、見えた。」

今は、あどけない表情をしている女の子。あの日、一体どんな体験をしたのだろう。

「君はどう? 津波見えた?」

となりにいた、妹の方にも聞いた。

「ううん。怖かったから、見なかった。」

ぼくは、その瞬間、その小さな女の子の魂のふるえに触れた気がした。二年生と五年生。あの時は一年生と四年生。
あの日、あの空の下のこと。


11月 28, 2011 at 09:19 午前 |

2011/11/25

ジャガーの眼

筑邦銀行本店の前を、岩田屋に向かって歩いていたら、ちょうど向こうからセーラー服を着た女子高生が一人やってきた。

髪の毛は肩までくらいで、なんとはなしに、全体に、アンニュイな雰囲気を漂わせていた。

優等生で、学習を素朴にやっているというのでも、落ちこぼれでやり過ごしているのでもなく、何か存在に自覚的なところがあって、心に傷を負っていて、でも、世間というやつにキッと向き合っている、そんな印象があった。

ぼくが彼女と通り過ぎたのは、ほんの数秒のことだったろうか。すれ違いざまに、彼女が一瞬ぼくの目を見た。ジャングルの中で相手を射すくめる、ジャガーの眼だった。

何も持っていないとしても、将来は見えないとしても、人の眼はその瞬間に輝きをたたえることができる。魂のようなものが、虚をこえて一気に入ってくる。

お話はそれでおしまい。ぼくは岩田屋に行き、コーヒーを飲んだ。ケーキを食べて、ぼくは弛緩した。

11月 25, 2011 at 08:23 午前 |

2011/11/23

長いストロークを確保すること。

新幹線で東京駅に着いて、時計を見て、「しめた!」と思った。

お昼を抜けば、次の仕事場の市ヶ谷まで歩くことができる。

長いストロークを確保するのが好きである。時間的にも、距離的にも。歩くことに没入する。皇居外苑の風に吹かれる。緑につつまれる。

歩くこともそうだけど、つい細切れになりがちな現代という時間の中で、長いストロークを確保して、初めて深くもぐっていける。

意識の問題でも、生命哲学のことでも、自分にとってたいせつなことについて、向き合える、そんな時間をまとめてとることができる幸せ。

市ヶ谷の駅から、坂を上ってついた。講演の最初に、「東京駅から歩いてきた」と言ったら、みんながざわざわした。意外だった。とってもいいんだよ、長いストロークを確保すること。歩くのでも、他のことでも。

11月 23, 2011 at 09:34 午前 |

2011/11/21

そういえば、ウォシュレット自分でつくった。

本当に田森佳秀というのは面白いやつで、異様に「単位時間あたり」の活動のレベルが高く、多様である。

大学で、週に10コマくらい授業をしていて、その他にも会議があったり、書類を書いたり、MEGの実験をしたり、fMRIまでやっているのに、会う度に必ず面白いことをやっている。

そして、その活動レベルの高さは、学生時代以来首尾一貫している。

この前Society for Neuroscienceに行ったときも面白かった。

「お前、また何かやっているだろう?」

「何もやっていないよ。あっ、ただ、ガイガーカウンターで、飛行機乗っている間、ずっと放射線量測っていた。」

「・・・・」

「その前は、ガイガーカウンター、自作していた」

「・・・・」

「iPadはね、手に入れた次の日に、デスクトップのウィンドウズマシンにつなげて、書類書けるようにした。」

「・・・・」

「そういえば、大学生の時は、居酒屋が月曜が暇だというので、交渉して安くしてもらって、外国人と交流するクラブをやっていた。」

「・・・」

「そういえば、外国人が困っていたので、テレビを音声多重にする装置をつくって、配っていた。少し儲かったけど。」


「・・・・」

「そういえば、大学生のとき、仙台駅前から、ビルを一つひとつ全フロアたずねていって、ソフトウェア書きます、なにか必要ないですか、と営業してまわった。100社に一社くらい、仕事くれて、ずいぶん助かった。」

「・・・・」

「そういえば、ウォシュレット自分でつくった。配管を途中で分けて、水の温度も調整できるようにした。」

「・・・・」

「そういえば、preziみたいなプレゼンテーションソフト、欠点を補ったやつ作ってる。」

「・・・」

田森は、いつも何かをやっている。そんな田森と共同研究をしていると、ぼくは本当に面白い。


Society for Neuroscience 2011、田森佳秀との共同研究のポスターの前で。

11月 21, 2011 at 08:58 午前 |

2011/11/12

「赤」から「白」へ

ゼミの前の昼食にチェゴヤで、ついついお気に入りのものを頼んでしまう。

それは大抵「赤い」もので、辛くてうまくて、幸せになる。

ところが、柳川とか関根とかが、ときどき、「白い」やつを食べている。コムタンスープとかいうらしい。そっちの方もうまそうだな、と思って(というのは、柳川が、最後の一滴までうまそうに飲み干していたから)、それでも、私はいつも「赤」にしていて、「白」にしたことがなかった。

それが、昨日、何がどうなったのか、ついに「白」を頼む気になった。実験データを入力しながら待っていると来た。

一口飲む。うまい! ごはんを入れながら夢中になって食べていて、気付いたらぜんぶなくなってしまった。

というわけで、私の人生は「赤」から「白」へと移った。よりマイルドで、しかし深く。赤の底に潜ったら、白を探りあてたのである。

11月 12, 2011 at 07:26 午前 |

2011/11/11

しゃきしゃきとした指先

初めて、いけばなをした。

池坊にて。

ろくな事前知識もなく、先生がやるのを一回見て、その後、見よう見まねで、やってみた。

「自由花」といって、自分でデザインをして活けるもの。

難しいんだね。どうやって省略するか。剣山にしゃきしゃきと当たる、その感触で角度を探る。

それと、立体的な奥行きがある。

野の花を、そのまま愛でてもいいけれども、その本来の美しさを、活けることでさらに増す。

神さまがいるかどうかは別として、この宇宙を創った理性のようなものがあるとすれば、そこには「美」という足りない要素があって、その「美」を補うのが人間であると、どこかで読んだような気がする。

ルネッサンスの思想だったかな。

花を剣山にさすときのしゃきしゃきとした指先が、ぼくの心に何かを運んできた。


11月 11, 2011 at 07:48 午前 |

2011/11/10

彗星のような尾を引きながら、会話に加わっていく

会食が進んでいるときに、ちょっと外の空気が吸いたいなあ、と思うと、携帯電話を見るふりをして外に出る。

それで、ぐるりと回ってくる。夜の風が冷たくて、心地よい。人々が歩いている。それぞれの生活があり、時間がある。そこに、ぼくがぼくの時間を持って歩き出す。

そんな時の夜の灯りが、まるで生きもののように見えて。やあ、こんにちは。ぼくは、いつの間に、水の中に潜っていたのだろう。

風さえも、一つの意志を持っているように感じられて。頬をなでたり、髪の間を通り過ぎていったり。

ぐるりと回って、また会食の場に戻ってくると、すべてが更新されている。そして、彗星のような尾を引きながら、会話に加わっていくのだ。

11月 10, 2011 at 07:33 午前 |

2011/11/09

奇跡のようにうまく行った夕方

会場に着いたら、みんながネクタイをしているので、こまったなあ、と思った。

ジャケットやYシャツはリュックの中にくるくる巻いて入っているけれど、ネクタイは持ってこなかったよ。

それで、札幌の街に出た。車で来たからどこかわからなかったけれど、交差点で南2西14なのだとわかった。

ぶらぶら歩く。コンビニにはない。ドラッグストアがあったので、もしかしたら、と思ったけれども、二階に上がったら女性の化粧品ばかりだった。

ないよね、と思って、通りを渡ると、クリーニング屋さんがあった。ネクタイはたくさんあるだろうけど、売ってはいないよね。

そしたら、西屯田通りに出た。すてきな雰囲気だなあ。こんなところを、ゆったりと歩いてみたい。

もうあきらめよう、とホテルの方に戻った。そしたら、FLET’Sという看板が見える。なんだかインターネットみたいだなあ、と思ったら、100YENショップだった。

あそこにあるかもしれない、と急いで渡った。一階は食料品ばかり。二階に上がると、「衣類」とか書いてある場所がある。さっと行くと、ネクタイがあった!

レジに行く。「105円です。袋にいれますか?」「あっ、いいです」なんだか、もうしわけない気がした。

例によって、トイレで着替える。出てくると、それなりにちゃんとして見える。すごいな、100円ショップ。ぼくは、札幌の街も散歩できたし、ネクタイも手に入ったし、奇跡のようにうまく行った夕方。

トイレを出る時に、ちょうどT先生に会った。「あっ、お化粧直し」とおっしゃった。ぼくは、ネクタイが手に入って本当に良かったと思った。


11月 9, 2011 at 07:38 午前 |

2011/11/08

街の灯をあれこれと眺めながら

夕暮れの街を歩いていると、さびしいなと思うと同時に、ふだん自分を包んでいる関係性が解体されて、肌がひりひりするように感じる。

昨日もそうだった。とぼとぼと歩いていると、時間が経ってしまう、ということの怖ろしさがしみじみと感じられる。

もっと、未来が現在になり、やがて過去になってしまうことの普遍的な強制力が研究されるべきだ、と確信されるのである。

小学校2年か3年のとき、遠足で潮干狩りにいったときの写真がどこかにあるはずだが、あの写真の中でこっちを見ている私は、確かに私のはずだが、なんだかうすぼんやりしている。

あのときも、「今、ここ」があったはずで、その鮮烈なクオリアの波は、どこかに消えてしまった。

こうやって押し流されて、みんな消えていく。ぼくは、街の灯をあれこれと眺めながら、呆然たる思いにとらわれざるを得なかった。

11月 8, 2011 at 07:45 午前 |

2011/11/07

バッティング・センターでは、それがマックスになるけれども、日常生活でもそうじゃないかな。

例によって、Tokyo Designers Weekのワークショップで「やらかして」しまったあと、さっと裏口から逃亡して神宮外苑のバッティング・センターに行った。

選んだのは、ダルヴィッシュ有投手。来るボールにバットを振り出す。ときどき真芯でとらえてボールがぱかーんと飛ぶが、それ以外の時はチップしたり、ゴロになったり。

何がまさに起きているのか、把握できないままにボールが来て、ものごとが進んでいく。あのときのどうすることもできない感覚が好きだ。

バッティング・センターでは、それがマックスになるけれども、日常生活でもそうじゃないかな。人と会話している時、こうして文字をつむいでいるとき。歩いているとき。うまくやろう、と意識していてもいなくても、とにかく私たちは自分に起こっている事態を把握することができずに、呆然と時の流れの中で息づいている。

ほんのささいな日常の中に、無限の驚異がある。

バッティングを終えて、すたすた歩き出した。お昼はカレーライスにした。

11月 7, 2011 at 06:48 午前 |

2011/11/06

自分もまた樹氷を目指して登っていく感覚

アーツ千代田3331が好きだ。学校の建物をアートのスペースにしている。前の公園がエントランスとなり、ひろびろとした、開放的な空間になっている。

スプツニ子さんはここに来たとき、「日本にこんな素敵な場所があるなんて」と泣いたのだそうだ。

藤原新也さんの『書行無常』展が始まった。
書。津波。生きること。桜。愛。

藤原さんが、インドの街角で、筆で大書きしているところをみんなが見ている、そこを大写ししている写真が好きだ。

会場に藤原さんがいらしたので、私は藤沢さんの『鉄輪』が大好きなのです、と申し上げたら、「しぶい趣味ですね」と言われた。

大分の山の中に入っていくと、樹氷がある。そんな記述に、ぼくはとても驚いたんだよなあ。

以来、ぼくの中には、藤原新也さんが山をひたすら登っていく青年というイメージができた。そのイメージは今も変わらずあって、展覧会をぐるぐるとめぐりながら、自分もまた樹氷を目指して登っていく感覚が生じた。

藤原新也 『書行無常』展は、アーツ千代田3331で11月27日まで。

http://www.fujiwarashinya.com/shogyomujo/


11月 6, 2011 at 07:33 午前 |

2011/11/05

ぼくがご飯をたべるのを止めても、なんじゃ、こりゃあにはなりそうもない。

須藤元気さんと対談して、そのあとご飯をたべていた。

そうしたら、何となく腕を触りたくなって、ふれたら、びっくりした。

なんじゃ、こりゃあ。

まるで、鋼鉄の鎧を着ているようだ。

すげーな。

本当にびっくりした。見た目では、そんな風に見えずに、スリムに見えたのに。

「炭水化物をとるのをやめたら、すぐに4−5キロやせますよ」と須藤さん。

「あごのラインが、すぐに出てきますよ」と須藤さん。

ぼくがご飯をたべるのを止めても、なんじゃ、こりゃあにはなりそうもない。

11月 5, 2011 at 08:10 午前 |

2011/11/04

自分から求めるのではなく、向こうからやってきたもの

ダライ・ラマ法王が私を見ての第一声は、「ああ、髪型が一年前と同じですね!」だった。

セッションが終わったあと、大広間で皆で食事をした。

私は、食事の間は遠慮していて、自分の分が済んだあと、ダライ・ラマ法王の前に進んだ。

ダライ・ラマ法王は、まだ食事をされていた。周囲の人とお話されていたが、私が前に座ると、笑顔になられた。

それから、15分くらいお話したろうか。今までで、もっとも近くで、親しくお話することができた。

「私は、あなたにもうすでに言ったかもしれないけれども、仏陀は、自分の言葉を、決して、信者として信じろ、とはおっしゃらなかった。仏陀がむしろ強調したのは、探究すること(investigate)することの大切さでした。自分の言うことを鵜呑みにするな。必ず、自分で探索せよ、と。」

「そういう意味においては、仏陀は、一人の科学者だったのです。」

「だから、瞑想をするにしても、心の状態にどのような要素と成り立ちがあって、それが実践によってどのように変化するか、ということをきちんと見つめなければ、ただ目を閉じてぼんやりする、ということになってしまいます。」

「ある場所で、瞑想センターをつくるというので、訪問したのですが、その建物を見て、私はこう言いました。ここではどんな瞑想をするのか。もし、仏教の瞑想をするのならば、ただ単に座って目を閉じる、というだけではなく、講義があり、実践があり、話し合いがあるという風に、心の成り立ちを探究するのでなければ意味がない。そうでなければ、単に、忙しいビジネスマンが休みにくる場所になってしまう。」

「魂」(ソウル)というのは、仏教の伝統の中から出てきた言葉ではありません。仏教の中では、セルフ(自己)しかない。そのセルフが、連続した心(mind)の上に成り立っている。」

「脳は大きくて複雑です。だけど、心は、もっと大きくて複雑でしょう。」

「ああ、私は、まだ食べ終わっていませんね。みんな食べ終わっているというのに。でも、これは、私の昼食と夕食の両方を兼ねているんですから、まあいいですよね。」

「たとえばタイでは、仏教の僧侶の食事は、正午前に出すことに決まっています。それで、必ず午後1時までに食事を終えることになっている。」

「私も、お昼までしか食べません。そのあとは食べない。でも、午後から夕方にかけて、おなかが空いたときは、ビスケットを食べることもあります。仏陀だって、それくらいは見逃してくれるでしょう。」

「これは何という果物ですか?」

(通訳の人が)「カキ(persimmon)です」

「はあ。本当にうまい!」

法王は、三きれあるのを、すべてお食べになられた。

みんなが本を持ってきてサインをしてくれと言ったり、写真をとってくれと言ってきたりしても、私はお行儀よく黙っていた。シャイだということもあるし、法王に負担をかけたくないということもあったのである。

そうしたら、チベットの人たちが、気を使ってくれたのか、The Universe in a single atomを持ってきて、法王に差し出している。それにサインするように促している。法王が、チベット文字でサインを書いた。そうして、どうするのだろうと見ていたら、なんと、私に下さるではないか。

本当は、どうやらサインをチベット文字でされているらしい、と気付いたときから、どんな風なのか、興味津々で、見たくてみたくて仕方がなかったのだけれども。

こうして私にいただいたので、ゆっくりと見ることができる。

チベットの人たちの、その心遣い、やさしさが本当にうれしかった。

そうして、自分から求めるのではなく、向こうからやってきたものを、大切にしたいと思う。



(ブログのデザインにより、右端が切れて表示されるかもしれませんが、クリックするなどして新しい画面で表示すれば、すべて見ることができます。)

11月 4, 2011 at 07:46 午前 |

2011/11/02

どうせダメなんだから、遠慮しないでパッパラパーと明るくやる、っていう手はあると思うよ。

Shellyは、本当にまっすぐで、謙虚で、気が利いて、善意にあふれていて、いっしょに仕事をしていて、とても楽しく、気持ちがいい。

Shellyと歩いた、昨日オープンしたTokyo Designers Week。テントの一番奥に、三潴末雄さんと小山登美夫さんのギャラリーによるアートの展示があって、これが本当にいい。

もう、この展覧会を見るだけでも、Tokyo Designers Weekに行く価値があると思う。青山の絵画館の前のスペースです。

日本は本当にきびしい状況になっていて、経済的にも、モノを売るという点においても、教育システムも、国の統治のあり方も、人々のマインド・セットも、メディアのあり方も、もうそう簡単にはいかないよ。もちろん、エネルギーの問題も。

だから、こうなったら、底抜けに明るくなるしかない。どうせダメなんだったら、いろいろ工夫して、勇気を持って手を動かして、面白いことをやったらいいわね。

三潴さんと小山さんのギャラリーの展示は、表面的に見れば対照的だけれども、底が抜けつつある日本で、もうぐずぐず文句なんか言っていないで、手を動かして何か面白いことをやろう、というパッションに満ちていて、ぼくは大いに心を動かされたなあ。

どうせダメなんだから、遠慮しないでパッパラパーと明るくやる、っていう手はあると思うよ。

パッパラパー! みんな、展覧会を見に行け! これから、日本のアートは面白いよ。

11月 2, 2011 at 07:10 午前 |

2011/11/01

どこかの気持ちのいい小屋の中で、ITやクラウドやウェブに囲まれて、本当に実質的な仕事だけをしている。

新橋で、コロッケそばに温泉たまごを落として食べた。

それから、半蔵門のTokyo FMまで歩いた。日比谷公園を通る。だいぶ、葉っぱも色付いてきたな。

国会の前を通る。別になんでもないのに、信号で国会側に近づくとなんとなく緊張するのはなぜなんだろう。正門前で記念撮影をしている人たちがいた。小学生の列が、中を歩いていた。

ぼくも来たっけ。小学校の社会科見学。あれ以来、国会の敷地内に入ったことはない。

あのとき、国会はなんとはなしにキラキラして見えたな。立派な大人が、国のために一生懸命議論しているのだと思っていた。今でもそう思っていないわけではないけど、ずいぶんと見え方が変わっている。

どんな「国」も、その権威を保つために装飾を必要とする。だけど、情報化の波が、いろいろなものの見え方を変えている。権威と、もったいぶることの微妙な関係。実質的に、国のことを考えて立法や行政に疾走するんだったら、大きな建物とか、本当は要らないんじゃないかな。

ぼくは夢想する。20XX年。ある精神の進んだ国では、国政に関わっているひとたちは、どこかの気持ちのいい小屋の中で、ITやクラウドやウェブに囲まれて、本当に実質的な仕事だけをしている。そんな国が、どこかにできないかな。

国会の建物は立派だけど、本質はそこにあるのではない。そこに出入りする議員さんたちが、いろいろなもったいぶりの制度の分だけ、勘違いしないことを願う。

一方のぼくは、リュックを背負って、アインシュタインのTシャツを着て、国会前をとぼとぼ歩いているだけで、十分に幸せだった。

11月 1, 2011 at 06:56 午前 |