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2011/10/26

どんな環境にあっても、自分の純なる中心を失わない。

ある時、ある寺院に行ったときのこと。

そこの仏像は、日本にあるものの中でも最も美しいものの一つとして有名で、その清楚で、可憐で、しかし深いお姿を拝見するのが楽しみだった。

そしたら、その安置されている場所に近づいたら、何やら音がしている。

まさか、とは思ったが、いやな予感がして。

そうしたら、やっぱり、テープで説明が流れている。

やり切れないな、と思った。何だか、ラジカセのようなものが置いてあって、そこから延々と説明が流れている。口調からして、お寺の人が喋っているんじゃないかな。

ぼくは、呆然として、そのきれいな仏像をただ拝見していた。

静寂の意味を、理解できない人たち。日本の、等身大の自画像。これを堕落と言わずして、何を堕落と言うのだろう。

しかも、こんなに美しい仏像にいつも仕えていらっしゃる方々が、そうなってしまうなんて。

唯一の救いは、その仏像が、一切汚れず、凛として、そこにたたずまいとしていらしたことだった。

それはそうだ。ずっと、何百年も、いやもっと長い時間、この地上にいらした。どんな時も変わらず、人々の心に火を灯して。

どんな環境にあっても、自分の純なる中心を失わない。

ぼくは、そのお姿を心の底からありがたいと感じて、いつまでも拝見していた。

10月 26, 2011 at 07:10 午前 |