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2011/10/05

何よりも大切なのは、自分の書いたテクストが命を持って生き続けることで

たけちゃんまんセブンが、「次長」になったというので、そのお祝いをした。

それまで平野さんとニーチェがどうのこうのという話をしていたのに、一気に雰囲気が変わった。

だって、たけちゃんが、よこからつついたり、髪の毛を触ってきたりするから。

たけちゃんは、ツイッターをどうやってみたらいいのか、わからないらしい。だから、この日記も読むのかどうか怪しい。

それで、電子ブックの話になって、日本の出版社は遅い、みんなアマゾンとかグーグル、アップルに持っていかれてしまう、とふっとんだら、たけちゃんが、「筑摩書房だって電子書籍売っているよ」という。

そうなのか。ほんとだ、オレのも売ってる(笑)。でも、みんな聞いたことがないし、話題にもなっていないね。

たけちゃんが、「ぼくだって、十年後、二十年後のことを考えてはいるけれども、とりあえず今電子書籍は売り上げとしてはダメだから、紙の本の作業も続けているんだよ」と張りのある声で言って、確かに、日本の出版社の方々の実感はそうなのだろう。

ぼくは、ニーチェのことをずっと考えていた興奮もあって、突然だけど、「生きたテクスト」は何かな、と考え始めてしまったのだった。

どうも、「紙の上のテクスト」は、もはや、それだけでは生きていない気がする。内田樹さんが、新聞や雑誌に寄稿したテクストをブログに載せるのも、それでようやく「テクスト」としての生命を全うする、そんな気持ちからではないかと思う。

「紙のテクスト」って、それが十万部売れても、何か閉じているような気がして、いきいきした感じがしないんだよね、とたけちゃんにいって、しばらくうだうだ言ってたら、たけちゃんは、今ちくま文庫に入っている『生きて死ぬ私』だって、別に全文ウェブに載せたっていいんだよ、って言った。

うーん、昔は載せていたこともあったんだけどね。

ぼくは、ニーチェの興奮と、テクストの命についての考察から、そうか、と自分がやるべきことをはっきりとつかんだような気がした。

何よりも大切なのは、自分の書いたテクストが命を持って生き続けることで、それは、紙でも電子でも、「出版」という文脈にとらわれずに、自由に考え、しかも市場から自由になることだと思う。

その感触を、たけちゃんに小突かれながら、深夜の浅草橋で、ぼくはつかんだ。

10月 5, 2011 at 08:16 午前 |