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2011/10/03

『生きて死ぬ私』より <蝶の胸>

 私は、少年の時、昆虫採集をしていた。
 ヘッセ、北杜夫、養老猛司。様々な人が、少年の時の昆虫採集の思い出
を、一つの究極の幸せのイメージとしてとらえている。
 なぜ、男は、少年時代に幸せのイメージを託すのだろうか。
 私にとって、夏の森の緑の中で、どこから現れるかわからない蝶を待ちつ
つあるあの気配は、最も濃密で幸せな生の記憶と結びついている。

 だが、ある時から、私は、突然、蝶を採るのをやめてしまった。蝶の胸を
潰すのが、いやになってしまったのである。ちょうど、思春期を迎えるころ
だった。
 蝶の採集をし、標本をつくる時には、羽根をいためないように、すぐに胸
を潰して殺してしまう。もっとも、潰すと言っても、正確には胸を圧迫し
て、窒息させてしまうのだ。
 小学生の時、北海道の網走の原生花園に行った時には、十数匹のカバイロ
シジミの胸を潰した。青くやさしいたおやかな蝶たちは、ローカル線の無人
駅の周りに咲き乱れる花を訪れていたのに、私のネットにとらえられてし
まった。彼らは、自分のそんな運命を予想だにしていなかったろう。
 そして、カバイロシジミは、私の指の間で死んでいった。
 蝶の中枢神経系など、たかが知れている。むねをつぶされた時、蝶は人間
のような意味では、何も感じないのかもしれない。そうでなくても、初夏の
草原は死に満ちあふれている。飛び回って傷ついていった、カバイロシジミ
の死体に満ちあふれている。
 だが、いつの日からか、私は、自分の指がこの節足動物たちに早すぎる死
をもたらすことを、何となく気分の悪いことと感じるようになってしまっ
た。

 荘子は、蝶が夢を見て人間になっているのか、人間が蝶の夢を見ているの
かわからないと書いた。
 蝶は、私たちに、生命というもののはかなさ、時間の経過の不思議さにつ
いて語りかけているように思われる。
 
 私が、将来また蝶を採集する時があるかどうかわからない。ネットに収
まった蝶の震える胸を指でつぶすことができるか、それはわからない。
 私の心の中には、私の指の間で死んでいった蝶たちの生の震えの感触が
残っている。
 
茂木健一郎『生きて死ぬ私』ちくま文庫より

10月 3, 2011 at 01:36 午後 |