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2011/10/01

その一連の流れと、リズムと同じ調子で、薫は最後の花束を受け取ったのだった。

「ぎょらん坂」といことばの響きが、とても好きで、そのあたりを通り過ぎるときは、なんだか地上5センチくらいに浮いている気がする。

麻布十番を通り過ぎ、TSUTAYAの横を抜けて、ヒルズの方に歩いていった。ああ、ここが、テレビ朝日の横の広場だ、ということはわかるのだけれども、それと、宮島達男さんの数字の作品が置かれている路面との角度の関係が、いつも腑に落ちない。

ラテは380円だよな、と用意していると、店員さんは340円と言っているような気がする。あれ、おかしいな、と思っていたら、ティーのところを見ていたのだった。

さて、テーブルに行くか、と思ったら、「あっ、J-Waveのものです。今日はお世話になります」と声かけしてきた。座ることができずに、少し残念な気がした。

J-Waveのスタジオまわりの雰囲気が好きで、やっぱりいい会社だなあ、と思っていたら、歩いていくと、ああ、ここだとわかる。

竹内薫の姿が見える。

20歳の時に薫と出会ったときは、将来、薫がラジオのナビゲーターとかやるとは思っていなかったな。あれから、たくさんの水が橋の下を流れた。Jam the world、薫の担当の最終回に呼んでくれて、ありがとう。

二人のトークはいつも爆発気味で、あんなにやっちゃってだいじょうぶだったのかな。とにかく楽しく終わった。

トークの後も、ぼくは調整室に座っていた。そしたら、小林まどかさんはそんなぼくの姿をみてうるっと来ていたらしい。

薫は、最後まで泣かなかった。

終わって出てきたら、スタッフの方々が薫に花束を渡している。その時の、薫の、「あっ、どうも」という様子を見ていて、走馬燈のようによみがえった。

いつも、スタイリッシュなやつなんだよな、竹内薫というやつは。薫がモントリオールに留学していた頃、遊びにいったら、薫が写真を街の現像屋さんに出していて、おじさんが、薫に、「いつものようにダブル・プリントにするかい?」と聞いた。

つまり、一つ二枚ずつプリントするか? ということで、映っている人にあげても、手元に残る。

その時、薫が、「あっ」というような感じで反応して、それから、肯きながら「ダブル・プリント」と言った感じ。ひとさし指も突き立てて、ふりふりと動かしていたかもしれない。その一連の流れと、リズムと同じ調子で、薫は最後の花束を受け取ったのだった。

ぼくの健康法は、打ち上げで眠ること。薫の送別会でも、植田工があとから来て、ばあばあしゃべっている途中で少しうとうとしてしまった。ごめんなさい。

10月 1, 2011 at 08:20 午前 |