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2011/10/09

東京大学Liberal Arts Collegeに関する私案

以下の文章は、2010年12月13日にこの「クオリア日記」に掲載した「東京大学改革私案」の一部を変更し、付け加えたものです。

また、この文章は、みなさんからコメントをいただいて内容をさらに練り上げていくことを目指したRequest for Commentsであり、このブログのdefaultのポリシーである「コメントを受け付けない」の例外として、下部にコメントを受け付ける窓を設けます。みなさんのご意見をいただくことを、楽しみにしています。

2011年10月9日 茂木健一郎

最初に、私は東京大学の単なる卒業生に過ぎず、現在、非常勤講師として時折授業をさせていただく以外には、何のかかわりもないことをお断りいたします。

また、以下に述べることは、国内の大学一般に当てはまることであり、東京大学だけの問題ではもちろんありません。ですので、似たような課題、将来ヴィジョンは、大学一般において展開することが可能であると考えます。

そのような留保をつけた上で、日本の国のかたち、大学のあり方についての一つの問題提起として、下の文章を記します。

東京大学の関係者の話を聞くと、現在の学部の入試は「聖域」だという。ペーパーテストで測ることのできる「学力」に基づいて、公正に入学者を選抜することで、東京大学は歴史を刻んできた。

 しかし、そのために外国から学部生をあまりとれない「ガラパゴス化」が懸念される事態となっている。日本語を母語として、日本で教育を受けた人以外には、「本体」の学部入試に合格することは難しい。結果として、学部学生における国際化、多様性の確保は十分ではない。Times Higher Education Supplementが発表する大学ランキングでも、東京大学は学術面での評価は高いが、国際化指数において大きく見劣りする。THESを初めとするランキングが唯一の指標ではもちろんないが、国際化を学部学生のレベルから始めることは、東京大学のより一層の発展に不可欠だろう。

入試が「聖域」で、劇的な変更を加えるのが難しいというのであれば、現行の理一、理二、理三、文一、文二、文三の区分、定数、入試はそのままに、あらたに最初は定員100人程度でスタートする、英語で教育を行うLiberal Arts College(以下、略称東京大学LAC、University of Tokyo Liberal Arts College)をつくることを提案したい。

東京大学の教員ならば、英語で授業をする能力がある人は多いだろうから、東京大学LACで開講される授業は、現在東大にいる教員が分担すれば良い。もちろん、新たに国内外から教員を採用しても良い。HarvardやYaleで開講しているようなカリキュラムはもちろん、せっかく日本に来るのだから、日本文学、日本の歴史などの、Japan Studiesの科目、さらには、韓国や中国などの、Asian Studiesの科目も設置すれば、魅力が増すだろう。

最大のポイントは入試で、TOEFLなどの英語能力試験、及びSATなどの学力試験を採用しつつ、essayなどを含む応募書類、さらには面接も併用することが望まれる。

面接の実施に当たっては、ハーバードの入試で採用されているポリシー(http://bit.ly/iahWCT)、すなわち” Our interviewers abroad are normally graduates of the College who volunteer their assistance. If an interviewer is not available sufficiently close to you to make an interview a possibility, the absence of an interview will not adversely affect your candidacy.”と同じ精神援用されることが適切だと考える。

東京大学LACには、もちろん、国内からも学生が志願してくることが考えられる。国内、国外の割合がどれくらいが望ましいかは、当局の方で検討すれば良いが、現在の類似の制度と比較して、より国内の学生が受けられるようなかたちが望ましい。そして、国内学生の志願が増えれば、当初「100人程度」の定員を、増やしていく必要があるかもしれない。

東京大学LACの開講科目は、旧来の東大の学生も受講できるものとする。また、日本語を母国語としない学生で東京大学LACに入学する者の中でも、東京で暮らしているうちに急速に日本語能力が高まるケースも考えられる。そのような学生が、東京大学の日本語で行われている講義をとることも出てくるだろう。

従来の東京大学の伝統はそのままに、新たに英語ベースのliberal arts collegeを付け加える。財源や教室スペースなどの問題さえ解決できれば、このソリューションは、「保守派」にとっても「改革派」にとっても利点しかないと思う。関係者の方々にご提案する次第である。

また、最初に、学部の入試は「聖域」らしいと書いたが、このような新しい入学者選抜のあり方を、最初は限定的なかたちでも、徐々に「本体」の学部入試にも及ぼすことも、将来的には検討しても良いのではないか。例えば、従来行われている英語の試験に加えて、TOEFLのスコアで入試の判定を行うオプションを、受験生側に与えることを検討してもよい。その際、従来型の入試も受けて、その双方の総合的なスコアで合否を判定するかたちにすれば、受験生のモチベーションも上がるだろう。

以上の改革案は、明治の「移行期」において英語によって講義を行った時期を除いて、日本語で高等教育を行い、学問を究めることを可能にしてきた先人たちの努力をないがしろにするものではもちろんない。とりわけ、文科系の学問において、「和製漢語」を生み出し、日本語で高度な学問を行うことができるようにしたことは、先人たちの偉大な業績であった。今後も、日本語による研究、教育は重要であり続ける。将来的に大学の教育を全て英語でやるべきだ、というような愚かなことを主張しているわけではもちろんない。

一方で、日本の大学が将来も輝き続けるためには、思い切った国際化への道筋をつけることが不可欠だと考える。現在検討されている秋入学は一つの試金石だろう。日本に世界中から優秀な若者が来て、学び、文化を知り、「日本ファン」となって帰国し、ないしは国内に留まって活躍してくれることは、日本の将来にとって、きわめて有意義なことと信じる。

東京大学Liberal Arts Collegeは、国際化、より一層の発展への跳躍台となると考える。このような構想が、具体化することを心から望むものである。

2011年10月9日 茂木健一郎
kenmogi@qualia-manifesto.com

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10月 9, 2011 at 04:38 午後 |

コメント

入試の内容が小学校中学校高等学校と本来の負荷と違うと脳の機能から見て思える。だから、リベラルアーツと云う学部を定員100名で創って、実績で変える方向を生み出したい。

卒業者は社会に様々な疑問を感じ、経済に全ての産業をどうするべきか考え、政治に時間軸でのプロジェクト企画設計運用が詳細に考える脳力を磨く。

同じ世代が100万人を割る時代に100名はパイロット学生となり、その構成は外国人・男女数をバランスを試行して、対人関係能力をベースとして、猛勉強と公開ネットセミナーを徹底して実行するカリクラムとする。
勿論、他大学学部へ(から)の横滑りは選択可能として、寧ろ、公開ネットセミナーの動画保存こそが資産となる、絶えず創造された公開セミナーこそが日本社会の資産となる。

彼等の学生生活自体が次に続く世代の目標となる自然で大胆で健やかな実例となることを目指す。

投稿: 古田真 | 2012/02/25 20:15:37

東大が入試を変えることは、興味深い。猛勉強の方向が違うと高校・中学あるいは小学の教育を『全寮制少人数教育を特徴とする四年制大学(カレッジ)』を目指す100人(20%~30%は外国人)が東大と云う名称を冠とするが故に激変を起こす。

人口数千人から数万人の地方都市にありと云うと更に興味がある。

4年間過ごすと対人関係が強くなる。プロジェクト企画力が詳細に作れる。社会への関心・経済への興味・政治への時間設計が巧みになる。

100人が4年後、どんな社会人を選ぶだろうか。あっても良いのか。
現状への一石になるだろうか。セミナーを全部ネットに公開して、小学生から見れる聞ける書けると面白い。

100万人を割る時代に100名が突出した教育のオープンセミナーの学生をすべてタダで入学させると更に興味を起こす時代が迎えれるのか。落第もあるだろうし、各大学学部の横移動も可能にすると面白い。

投稿: 古田真 | 2012/02/25 19:44:52

大変良いご提案だと思います。本当に日本の大学の国際化といわゆるエリートの育成は大事なことだと思います。
しかしながら、この欄に書くのは少しはずれているかもしれませんが、今の制度では東京大学の改革は現実問題として難しいと思います。文部官僚と現在の東京大学の職員に、そこまでのモーチベーションがあるでしょうか。
具体的には、一番いいのは新たな大学を作る(これも文部官僚が邪魔をして無理かもしれませんが)、もしくは既存の私立大学と組んで新たな部門を開設する。その方が近道だと思います(すでに一部の大学ではそのようなことをしていると思いますがまだまだ小規模だと思います)。
成績の良い者がとにかく東京大学をめざす。日本人のこのメンタリティーが変化を見せ始めなければ、改革はうまくいかないと思います。
「俺は外国に出たいから東大じゃなく〇〇大学をめざす」
そういう若者が増えてこそ、改革が進むのだと思います。
今こそ、官学にとらわれるのではなく、明治時代に慶応、早稲田ができたときの精神が必要ではないでしょうか。

投稿: 萬代眞哉 | 2011/12/13 13:27:38

大学というのは生徒の教育を考える所なのでしょうか?
自ら学びたい人が集まるところではないのでしょうか?
大学が新しいカレッジを作るまでしなければならないのでしょうか?

もし本気でグローバルな人間を育てたいのなら、『交換留学制度をさらに充実させる事』が良いのではないかと思います。
言葉は、その土地に生きるものです。
日本で育った日本人の英語の授業では、誤解があっても気づかないかもしれません…
言葉も十分に学べないでしょう…
日本の大学は、日本語で授業をすればいいと思います。

世界に向けて飛び出していける、世界としっかり向き合っていける学生を もし大学が育てたいと考えるなら、彼らを外に出すべきです。
そして、外に行って自らを振り返らせるべきです。
また、多くの外国籍学生を受け入れるべきです。
日本語は難しいので、外国人への日本語教育こそ重要と考えます。

どうして今海外留学が減っているのでしょうか?
留学生もやはり減っていますか?
皆世界に興味がないのでしょうか?
日本に魅力がないのでしょうか?

今や英語にかかわらず、中国語も重要な言葉のようです。

投稿: 田中幸芽 | 2011/12/13 9:46:53

日本に興味あるアメリカ人学生でも、大学1年間を日本の大学で過ごそうなんてとんでもなく困難。言語の壁。だからアメリカ人留学生は日本でなく中国、ヨーロッパに流れて行く。日本語を外国で教えないなら、日本の大学が英語を話す学生に対して受け入れ態勢を整えないと日本で勉強したい留学生はいつまでたっても増えないまま。世界のdiversityを知らない日本人はどんどん世界から孤立して行ってしまう気がする。東京大学リベラルアート、賛成です。

投稿: @10nintoiro | 2011/12/13 8:20:08

茂木さま、はじめまして。
東京大学LAC構想には賛同します。そして聖域化してしまっている学部入試を東京大学が自ら再構築し、日本の初中等教育の構造・学びの内容を大きく変える推進力になってくれることを期待します。
大学入試に関しては、国際バカロレア(IB)のディプロマプログラム(DP)による選抜をお勧めします。単に英語を使えるというレベルではなく、international mindedness(国際的なものの考え方・視点)を持った人材を育む国際バカロレアの教育はこれからの日本の教育全体に影響を与えるだけのポテンシャルを持っています。私の専門は初等教育(PYP-Primary Years Programme)ですが、その他のIBのプログラム(DP,MYP)に関して詳しい情報が必要であれば、できる限りの情報提供はさせていただきます。

投稿: 久保 一之 | 2011/10/21 1:06:00

賛成ですがこのような提案が実行されないところに日本社会の不合理があるので、そこから改革していくことが必要だと考えます。〔これさえ可能になれば日本は相当変わると思います〕
また本来全国の国公立大学に教育レベルの差があってはならない点から、
理想としては東大だけでなくまず国公立大学で同じレベルのリベラルアーツ教育が行われるべきです。もちろんそれは世界基準のものであることが大前提ですが。高2男

投稿: みなみ | 2011/10/18 16:03:37

日本における教育の疑問は知識と創造力情緒の育成全てが混然一体として始まりいつしか、知識の優劣つまり記憶力を競い合う事のみに縛られていく学生の姿にあります。勿論記憶力が曖昧では物事の解決や発展には繋がりにくいのだけれど 、創造力を存分に発揮する事で文明を切り開いてきた歴史が教えているように、カレッジには発見を見いだそうとチャレンジする若者を輩出してほしい。そんな願いがあります。アインシュタインの理論に打ち勝つためでも構わない、ゲーテ以上に心を揺らす人になりたい それでも構わない。言葉の音にはその国の人にしか理解不可能な感情がこもっています、日本の外国語教育はペーパーテストそのものであり異文化を理解するには事足りなさすぎます、逆に外国人にとっても日本を理解するにはハードルが高いのではないでしょうか。是非とも★学問★(哲学的意味合いを込めて)に門戸を開く門出となることを期待します。

投稿: おじさま | 2011/10/16 8:27:56

私は、アメリカの大学に今年から通い始めた日本からの編入生です。日本の大学とアメリカの大学を比べて考えると、LACがもっとどの大学にも設置されるべきだと思います。そして、それが英語でなければいけないということは関係ないと思います。アメリカの大学では、大学在籍中に何度も専攻を考え直して自分の専攻を最終的に見つけていきます。日本の大学にはその柔軟さがなく、私はとても勉強し辛かったです。そして今、私が直面している問題は、学問的に深く勉強するにはやっぱり母国語である日本語でしっかりとした知識を身に付ける方が、英語でそれらを学ぶよりもはるかに簡単で効率がいいということです。もちろん多くの最先端の情報は英語から来ていますが、私たちは日本人なので、日本語で授業は行うべきだと思います(日本の大学で講義を行う場合)。そうでなければ、日本の大学である意味がなくなってしまうと思います。英語はその次の問題で、知識がしっかりしてから、それをほかの外国人にも伝えられるようにした方が、日本人として世界に発信できる気がします。外国の留学生を集めたいのならば、やはり、ほかの国にはない日本の強みとは何かを考えた上で、それを元に留学生を集めていかないと、日本が衰退若しくは埋もれてしまうような気がしてなりません。まだまだ若干22歳の若者の小さなスケールでこのようなところに意見させていただいて、ありがとうございました。日本がもっといい国になってほしいと心から願っています。

投稿: 平松 玲奈 | 2011/10/15 8:05:27

僕もペーパーテストのみの試験方法から、essayを書かせたり、面接をしたりすることを含めた試験への変更に賛成です。この点に絞って、コメントしたいと思います。

人が本当に物事を理解するときというのは、感情とともに物事を経験したときなのだと思います。その感情には、嬉しさや楽しさだけでなく、悲しさや辛さなんかも含まれます。例えば、『健康は大事だ』ということはみんなが思っていることでしょう。僕は、1年前に十二指腸潰瘍になりました。夜も痛くて眠れずに、ご飯を食べるときには吐き気がする日もありました。とても"苦しかった"です。そのときに、健康って大事だなって心のそこから思いました。僕にとって、その出来事は心に迫ってくる、迫力のある体験だったのです。病気になる前と後での『健康は大事だ』という理解は、感情を表すことなく文字にすれば同じ表現です。しかし、表現する過程にある、感情の詰まり具合が違います。病気になった後の方が超詰まってます。朝の京王井の頭線・渋谷行きくらい詰まってます。

今述べたことは学問に関しても同様にいえると思います。同じ答案でも、それを答えるまでの過程に存在する感情の密度が、カルピスの原液くらい濃くったって、食べ終わる頃の麺つゆくらい薄くったって同じ評価にしかなりません。ペーパー試験は感情を判断できないのですよ。ここで、僕はペーパー試験を批判しているわけではないです(嫌いですけどね)。ペーパー試験だけでその人の学問の理解を、人間としての魅力を計ることはどうなんだろうと疑問に思っているのです。

今述べたペーパーテストの欠点を補うために、答えがないような、その人の個性がねっとりと滲み出るような、そういう試験を取り入れたほうがいいと思います。

いつか大学が、教授だからとか、学生だからとか、年上だからとか、年下だからとか、文系だからとか、理系だからとか、そういう統計的な感覚を全て取っ払って、真理の周辺をいっしょに迷走できるような場になったらいいなあってニヤニヤと妄想しているふらふら系男子でした。

投稿: seriserious | 2011/10/15 0:27:18

日本在住の高校生です。

今、高校で学んでいて感じることは、今学んでいる勉強が、世界で活躍するために必要な要素なのか、という不安感です。授業内容は入試重視であり、入試のあとに役立つ保証はないと思っています。

また、茂木さんの言っておられる「東大のガラパゴス化」の問題も、東大以下、日本全国の大学が抱える問題であります。


私が考えるに、この問題の原因は大学がどこを目指しているのかが曖昧であることだと思います。

そして解決に向かうには、まず東大が、例えば「世界一の人材を輩出する」というような目標を掲げ、その観点から教育の在り方を見直すべきであると思います。
その方針が素晴らしいものであれば、外国人の学生も東大に集まるのではないでしょうか。また、世界と競い合う大学ならば、排他的になるはずはありません。

そして、日本の小中高の教育も、東大の目標に追従する形で教育を見直すことで、自分達が世界で活躍するための学習をしているのだという、学生の肯定感を生むことが出来ると思います。

簡潔にまとめるなら、本当に必要な教育とは何かを見極め、その教育を東大が実践し、日本の小中高も同じ目標を共有することが今の日本の教育に必要なことだと思います。

投稿: Moritter | 2011/10/14 16:50:26

「日本のガラパゴス化を防ぐ」ための茂木さんの提案に賛同します。
ただ私個人の経験として、「外から開かれた大学」だけでなく「外に開けた大学」も前面に押し出して頂きたいです。
私は現在、富山大学の理学部に所属していますが、専門科目としての「科学英語」が、3年生の前後期それぞれ7コマずつしかありません。しかも教えているのは科学などと全く縁のない外国人の講師さんです。「科学」英語を教わる機会がありません。おかげで最近研究テーマを見定めようと英語論文に挑戦しては、挫折することの繰り返しです。
思えば大学に入学して現在3年生になるまで、「論文の読み方」を教わった機会自体が、入学当初のたった1コマだけです。単に富山大学のレベルが低いせいかもしれません。それにしても日本の教育は一貫して「知識を教える」ことに終始しているだけに感じます。「自力で知識を集める」力を養う教育が、この情報爆発の時代に、また、大学卒業後も60年は続く長寿命社会での生涯学習において必要性が増してきています。
茂木さんの提案する英語・国際教育は、「自律学習」の為のツールとしても不可欠です。
私は今後、学生の視点から、「外に開けた大学」の実現も同時に提案していく所存です。また、大学に限った話ではなく、義務教育から変革すべきだと考えています。茂木さんにも協力を仰ぎたいです。よろしくお願いします。

投稿: 羽根弘 | 2011/10/14 9:08:12

はじめまして、いつも連続ツイートを拝見しています。

私のコメントは短いです。

海外から日本を学びたい人に、「日本」のすべてを学べる場所を提供出来れば良いと思います。日本語で学ぶための教育から初め、日本のすべてに出会える拠点になること。選抜方法は問題ではありません。日本語で学ぶことが出来れば、再び正規の学部へ入学・編入も出来るかと思います。

投稿: 荒井 吉則 | 2011/10/14 8:02:18

先生の「東京大学LAC に関する私案」に賛成します。
まず「英語で思考できる知性」を持つこと自体がとても重要で、この国が「意味不明の言語を弄して巨大な時間とエネルギーの浪費を無反省に繰り返す病理」を相対化し、脱け出るために有意義と考えます。

最近気になっている奇妙な現象のひとつ。民間企業に働く若い世代の間に、顧客、ユーザーとのコミュニケーションにおいてさえも、「国会での官僚答弁のような意味不明の言語が横行していること」。政治家の言葉の貧しさとともに憂慮すべき事態です。「危機的状況」といってもいいかもしれません。知性のやせ細りさ加減が加速度的進行しているのではないか。知性に不可欠な「相対化の能力」が退化しつつあるのではないか。と怖ろしさすら感じます。

例えが卑近なことになってしまいますが、東京大学のランキングがあまりに低いことがニュースになりました。確か世界の大学中36位程度だったと記憶しています。これはサッカーのFIFAランクならワールドカップ出場のボーダーライン程度の実力しかないということ。
一刻でも早く海外のチームとのマッチ・メイキングをし国内リーグで有能な若手はどんどん海外のよりレベルの高いプロリーグで経験を積むことが望まれます。

「日本の知」の集積機関である大学を頂点とした教育機関が「英語教育をきっかけとした知の相対化」に着手されることを願います。

投稿: 風のモバイラー&野村和生 | 2011/10/14 7:33:55

茂木先生

●ご無沙汰しております.つい先ほどまで講義の予習に大童で,投稿が遅れてしまいました….私も「東京大学LAC」構想に共鳴する一人です.

●バイト先の某大学では東南アジア系の学生が数多く在籍しており,まさに人種の坩堝といった感じです.それに反し日本人学生の多くは大学に入るまで「正解のある問題」を解くことが「主」で,「正解のない学び」平たく言えば答えがあるのかないのか?,また答えが正しいのか否か?については「従」であることが多いようです.実際,高校の現場では文科省の学習指導要領に従いながら教えることが大前提になっていて,それに従わない教員は白眼視される傾向にあります.

●そのような事実を踏まえて大学生には「社会人になったら正解のない学びが大事である」ことを教えています.担当教科は今週で3回めになりますが「3・11の原発事故」を事例にあげながら,「縦割り行政の弊害」から「学問の細分化」へとつなぎ,「要素還元主義」さらには「合成の誤謬」へと展開したところです.

●10日づけの連続ツイートにジョブズ氏の「点と点を結ぶ」とありましたね.私も過去に氏の動画コンテンツを見せて,生徒や学生に感想文を書かせたことがあります.同じ日本人でも感性の違いでしょうか?,まったく異なる視点から感想を述べ,彼ら彼女らの経験と対比させながら表現していましたね.とにかく氏の「ヒト」と「ナリ」に感銘を受けたようです.残念なことに某高校ではテストの内容が教育委員会の眼にとまり,管理職から厳重注意(泣)を頂きました….

●さて18歳人口の激減ならびに長引く不況から,地方大学の多くは同一年齢かつ近隣の住人で構成される「モノカルチャー」の状態になりつつあります.都市圏の大学はそこまでヒドクないかも知れませんが,地方では由々しき問題です.冒頭で述べたように勤務先の大学は多国籍の学生から構成される「ダイバーシティ」の状態にあり,年齢にレンジがあればバックグランドもまったく違います….当然のことですが,講義で疑問に思うことも興味の対象も異なりますね.

●今後は「教員-学生」間の対話を重視しながら,「学生-学生」間のインタラクションを深める「仕掛け」を講義に織り込みたいと考えているところです.これは学生同士によるコミュニケーションを深化させることで,お互いの多様性を認め合うことを第一義とするものです.私が目指しているゴールは,学生同士がお互いに教え合いながら学び合う「協働学習」にまで発展させることです.卒業後,必ず直面するであろう「正解のない問題」に対して,果敢に立ち向かう動力源の一助になればと思います.

投稿: 増崎武次 | 2011/10/13 19:50:26

東京大学を休学中の吉澤と申します。
たまたま茂木さんのツイートを目にしてこのリンク先に飛んできましたので、どのような文脈・背景でお書きになっているのかわかりませんが、このブログを拝見する限りでの意見を書かせていただきます。

茂木さんのお考えには基本的に賛成でして、今の東大の授業に出ているだけでは、社会に出て世界と戦えるとは思えませんし、その前に自分の人生を設計することすらできないと感じています。私は、国際協力系のNPOで1年インターンをし、現在は農村で地域活性化プロジェクトに参加していますが、やっとその中で大学での勉強の意味や授業のあるべき姿がわかりはじめてきた次第です。海外の大学に在籍したこともないですし、東大の中でもモチベーションの高い人たちとの親交はほとんどないので、的確な意見を述べることはできませんが、現在の日本の大学生(東京大学を含めて)において最も足りない部分は、英語力や国際的な広い視野ではなく、「自分の意見を持ち、発言し、討論する力」だと感じています。

政治家になるにしても、官僚になるにしても、企業で働くにしても、社会に出てから一番必要になる力は、「自分なりの意見を言える」ことなのではないでしょうか。そして、その力が日本の大学生には足りていないのではないかと思います。たとえば今の震災の問題や原発の問題にしても、まずは周りに流されずそれぞれが日本の将来を描き、その考えをお互いぶつけ合うことが前提です。しかし、今の大学の授業はほとんどが講義形式ですし、ゼミにおいても、日本人はもともと調和を重視するので議論になりません。このような体質のままでは、社会に出てからは、たとえ相手が間違ったことを言っているとわかっても反論できないですし、外国人に自分の意見を伝えることなど不可能です。英語力の前に、日本語でさえも主張することができない現状を改める必要があると感じています。

私の意見としましては、茂木さんのおっしゃる Liberal Arts College では、リーダーシップの育成を重視すべきだと思います。リーダーシップというのは、経営者や政治家だけが体得すべきものだとは思いません。民主主義国家である限り、誰しもが持ち合わせている必要があります。つまり先程申し上げた、「自分の意見を持ち、発言し、討論する力」がその基礎になります。

Liberal Arts Collegeは、すべての東大生、ひいては全ての大学生に必要なこのリーダーシップを育成する学部となることを願っています。

投稿: | 2011/10/13 14:52:58

最終目的は、世界の本道に東京大学を乗せ、ひいては国内のガラパゴスからの脱却を図ろうとしていると、解釈させて頂きました。
その為の手段として、東京大学を拠点とした変革の提案ですかね。


茂木さんの提案は、配慮もあり具体的です。でも、もっと破綻させるべきだとも感じました。

ご立派なモノではなく、成功するモノでもない、失敗し破綻するモノ。もちろん、破綻は最初だけで、それをどうすればいいかを考え、ひとつひとつカタチにしていきます。

失敗も許容する、自由で小規模なガレージのようなモノから始めたらどうでしょう。閉鎖的なプレハブではなく、間口の広いガレージ。

いろんな提案を、片っ端から試して、その上でどうするか、工夫していきます。大学側も、失敗していいチャレンジの場としての、ガレージなら、用意してくれるのではないかと思います。

外国から来た学生も、煩わしい手続きが済むまで、最悪ガレージで生活してもらいます。そのくらいの自由さ。

もしもガレージが荒れてきたら、そうならないように提案しあって、工夫します。カタチは決まっていない、自分たちで作りあげる場としてのガレージ。それをいくつか用意してもらうんです。


というコトで、具体的な内容についての、私としての意見はありません。どんどん良かれと思うモノを、試してみればいいと思います。ただ、最終目的の世界の本道に乗る足がかりとしても、最初は破綻を許容した方が、良いと思いました。及ばずながら、私も茂木さんを応援しております。

投稿: kondo hiroyuki | 2011/10/12 21:23:14

 とても良い案だと思います。今まで、日本人の同級生だけだったってのが、そもそも勿体ないことでした。


 「日本は島国で、外国語なんて通じない」という今のままの日本では、母国を離れて勉強しようという10代の若者の心に、大きく水を開けてしまうはずです。しかし、遠く離れた国(日本)の同年代の若者たちが英語を勉強して、一緒に勉強しようと待ち構えていると思えば、海外から入学して来ようとする若者にとって、どんなに心強いことでしょう。


 僕は大学を出てしばらく「受験勉強」から遠ざかっていますが、これを読んだ今、少なくとも英語は勉強し直してみるかなと、意味も無く燃えているので、国外からの学生さんも安心してお越し頂きたいと思っています。

投稿: | 2011/10/11 23:06:19

茂木さんの豊かな感性、もし友達になれたならずっと話していたい、と思ってしまうほどに、好きです。そんな私は慶應大学文学部に在籍する学生です。

私は記事の上で提言されている事案に賛同いたします。
グローバル化の著しい世なのだから国の機関を全面的に解放しろ、というのではなく、何度も留保されているように「保守派」「革新派」ともに利点を得られるラインを示されていることは、茂木さんの最大の譲歩のように思えます。
おそらく日本の保守的な姿勢はもっと深刻なものとしてとらえられるべきで、「人」という根源的な資本に対する態度は間違いなく是正されていいものと考えます。アジア圏のみを見ても、新興国の資源というのは物的にも、質的にも上昇している、それは個人の知への、自分の生きる世界へのハングリーな精神に起因するものです。日本人はどこか、豊かと言われる国に抱かれて、自らが生きる場というのは他ならぬ自分がコミットすべき、あるいはしているはずの世であることを実像として感じられなくなりつつあるのではないでしょうか。そうした意味においても東京大学LACのような部局ができることは、学生が広い世界に生身で相対するプラットフォーム形成に役立つものと思います。国民は国の一番の資本です。もっと多くのことに触れる機会があっていいし、全部のことを知ろうとさせていい。入学制度の硬直化などはそうした、子供達、若者の夢や希望、可能性にフィルターをかけているようにすら感じるのです。もちろん、学術機関として高位に立つところでは選抜も厳しいものであってもいいとは思うのですが、一様の手段で多様な人間を測ることは到底無理なことでしょう。均質化の先にイノベーションは生まれないものです。

東京大学LACというものはあくまで一つのモデルであることを考え、私は国内企業においても同様の部局が設けられるべきであることを提案します。インターナショナルな場を部分的にであれ、増やしていく。そうすることで企業の国際競争力を高めることも出来るであろうし、柔軟な発送というものが生まれる場となる。総体となって、他国民にとっての、学びの場、雇用の場、チャレンジの場として魅力的な日本へと変容するとともに、日本人の主体的に生きる活力というものも掻き立てることができるでしょう。

国際協力が各産業、各個人でも深まりを持って進展していく中で、日本の華麗なる孤立はあり得ないと考えています。日本人は自国民、外国人とも競争すればいいし、どんなフィールドでも誇りを持って生きていい。以前茂木さんがどこかでおっしゃっていた「知の最高の形は人の心を理解できること」という言葉通り、より広く、より深く物事に触れた人間は豊かに、他者に優しくなれると思っています。そのような形を集大成として置いて、そこを目指す足がけを、社会をつくっていきましょう。


投稿: 加藤千晃 | 2011/10/11 13:36:06

はじめまして。
幼少の頃ですが、海外の現地校に通学したことがあります。幼心に、人は自分と違うというシンプルだけど、今思うとものすごく強烈な刷り込みを受けました。帰国して数年後に外国の方を見かけた時、友人達が『ガイコクジンだ!』と醜いアヒルを見るよな態度の横で、『わ、アメリカ人かな?カナダかな?』とワクワクしたのを覚えています。

なぜワクワクしたのか?
それは色んな物事から自由な、自立した会話や議論、思いやり、異文化や未知なものへの想像などがあったからです。相手をリスペクトした議論ができるからです。

日本人は議論ができない人が多いと聞きます。それは『皆同じ』と思われているこの集団のなかで議論をすることは、差異を探すことだけに終わってしまうからだと思います。そうではなくて、人は皆違うという前提に立ち『差異』はただの足場であり、そこから漂う思いやアイデア、疑問を伝え合うことが、本当の議論かなと思うのです。

最後になりましたが、このような考えで、私は茂木さんの提案に賛成です。
私は20年前に大学生でした。今からでも日本の大学が変わってくれたら、と子供達を見ながら思います。

投稿: オオノマユ | 2011/10/11 10:22:49

小規模で試して、徐々に浸透させていこうというのは
現実的で賛成です。

枠組みが出来たら、中身の充実だと思います。

まず、学生の評価については毎年20%は落ちる程度の
緊張感が必要だと思います。

機会に恵まれていても、活かせないケースがあるのは
学生側のモチベーションも関係していると思います。

いろいろと与えることを考えることは理想であり、
素晴らしいのですが、それだけではうまくいかないと
考えます。バランスは必要です。

もう一点はネットの活用による授業の公開です。
教員の側も広く授業を公開して、評価を受けるべきだと
考えています。

学生だけが切り捨てられることを課せられて、
教員側に評価がないというのはやはりバランスが悪いです。

高等教育は初等教育と違い、本人の意思で選択して入学を
しています。客観的な評価を踏まえて、合格を勝ち取る姿勢が
あってもよいと思います。

入口と出口のバランスをとることでより良いものになると
考えます。

投稿: 後藤一郎 | 2011/10/11 5:03:23

はじめまして。
北九州市立大学に通う学生です。
茂木さんの日本に対する熱い考えに大変共感しました。

人間の成長過程において仲間うちだけの(小、中、高校、または大学、幼稚園での過程で知り合いばかりの)環境ではやはり奇抜な発言や行動はし難いと思うし、そういった人間が生まれにくいと思います。

僕の短い人生での経験から言わせて頂きますと、今までの集団から抜け出すということはその人個人にとってとても大きな経験になるということは言えるんじゃないかと
おもいます。その方法として一番いいと思えるのは留学です。しかし、留学にはそれなりにコストもかかりますし、人数制限もありますから、誰でもできるというわけでもありません。そう考えると日本に外国から熱心な学生が来てくれると日本人社会とその他のコミュニティーとの違いを多くの人が知ることができていいと思います。

そういう風に、日常生活から変えていけるという意味では留学よりも日本社会の核を作り上げていくはずの東京大学の学生さんが外国の学生さんとたくさんコミュニケーションのとれる仕組みにしていくのは多いに賛成です。そこから留学にもつながってくると思いますし。(もちろん、僕も東大の学生さんや世界中の学生さんに負けない自分が一番だ!っていうものを身につけるために毎日頑張ります。)

投稿: 岡田崇弘 | 2011/10/11 3:02:13

入試、面接が、一回限りで、終ってしまうのは、さびしいです。
オランダにいたとき、私は、何度も、何度も、事務にお願いして、先生と面接を、受けました。
どうして、私は、このクラスを受けたいのか、自分は、どんな関心があるのか、一生懸命、説明しました。

私は、一度で、自分を説明するのは、難しいです。
文章なども、そうですが、一度、書き切ったからこそ、次の自分へと、進めるのに、そこが、評価されないのは、悲しいです。
学びに、最終段階なんて、訪れないだろうと、思えるのです。

だから、チャンスが、ほしいのです。
自分は、全力で、取り組むから、クラスを、受講させて、ほしいのです。
入試に、受からないからとか、お金がないからとか、そんな理由で、学びを、取り上げてしまわないで、ほしいのです。

投稿: 大月 千草 | 2011/10/11 2:45:45

茂木さん、いつも書籍やTV等、目を輝かせながら拝見しております。
東京大学LAC、私は賛成です。


北九州市立大学、学生の視点から、稚拙ながら少し考えを記したいと思います。


多様性は、しなやかで強い。
生物、文化、人間、学問など、それらの多様性から私たちは大きな恩恵を受けています。
これは、比較的ミクロな集団でも同じ。
大学という場でも、多様性はしなやかな強さを発揮する。

そして、多様性は流れの中でしか生起しないもの。
たくさんの人が集まっても、内的な関係性が固まる頃には多様に見えて実は多様では無い。100人で議論を始めても、結論が出れば多様でも何でもなくなる。それは、強いようで、しなやかさに欠けて弱い。

流れがあってこそ、そこに多様性というしなやかな強さが生まれる。


日本の大学には、流れがあるでしょうか。「知識を輸入し、人を出そう」という考えが私の大学内に限らず、あらゆる場面で見受けられますが、
「人を呼んで、知識を持ってかえってもらう」という動きが感じられません。

人も知識も双方向的に流れる事は、学術のみならず様々なところで恩恵をもたらすはず。
だから、日本のトップランナーである東大が、先頭切ってやってほしいのです。


学問の発展と、世界の人々が幸せになることを願って。

投稿: 坂本次郎 | 2011/10/10 21:14:33

いつもtwitterで拝見させていただいています。
日本に住む普通の高校生ですが、
大学はアメリカかまたは海外の大学に進学したいと考えています。
そこでliberal artsのtopicということで興味がわき読ませていただきました。
個人的な意見としては、茂木さんのこのideaは素晴らしいと思います。
正直なところ、上記のpassageにものべてあったように、日本ではトップの学力を誇りブランドもあるのに世界標準でみると、国際的な面で見劣りしてしまう、という点で日本には私の目指す大学はないかなあという思いで海外に進学しようと考えていました。
ですがもしこの案が現実のものとなるならば、とても興味ぶかいものですし、入学希望者も国内外からたくさん出ると思います。
liberal artsということでさまざまな種類の学部を用意したり先ほど述べてあったasiaのpolitics,economy,international relationsやpolitical scienceなどがあると個人的に楽しそうだなって思います(笑)あとLACにはもちろん外国語が堪能な日本人教師も必要だし良いと思うんですが、海外からの教師がいた方がもっとattractiveだと思います。
実際に私の高校では外国人教師と英語で今年はdeath penaltyについてdebateしたり、模擬国連を行ったり、第二外国語を学べたりとたくさんの興味をひくカリキュラムが盛り込まれていたので入学したいと思いました。
生徒からの視点として、日本でそのような大学を作っていただけると本当にうれしいです!この案が少しでも早く現実のものとなることを祈っています。

投稿: 平井杏奈 | 2011/10/10 20:44:59

クオリアがまだピンと来ていない70歳の老人です。
今回の提案そのものは、いいものだと思いますし、実現できれば素晴らしいと思います。ただ、誰が(どういう機関が)それを承認し、組織化し、意図を生かす運営することになるのかが心配です。今の日本の状況を見ると、決定までに時間がかかり、いろいろ条件がつき、結局、効果のあがらないものができてしまうのではないかと思います。茂木さんの提案と違うところでの心配ですが、日本の国際化が進まない原因の大きなものが、こういう形式上の厳格さにあるのではないかと思っています。対案が示せなくて申し訳ありませんが、ひとつの小さな感想ということでお許しください。

投稿: 石野 喜英 | 2011/10/10 19:32:17

駒場で学生をしております。現在、学校は日本語であふれており、国際化が進むことは学生としてもうれしいです。

投稿: othu | 2011/10/10 19:17:25

大学の在り方についての茂木さん他皆様のコメントについて、とても素晴らしいことだと思いますし、東京大学にそうしたカレッジを創設して国際感覚をもった人々を多々輩出することも良いことだと思います。ですが何か対処療法的に思えてなりません。ここでは日本の全体的な教育改革の方向性を論議する場ではないとは思いますが、世界的にも素晴らしい大学の形と精神をつくるためには、どうしても基礎となる初等中等教育の在り方からメスを入れなければ砂上の楼閣ではないかと思うのです。明治はあれでよかったのでしょう、しかし、大正、昭和、平成と100年の時が過ぎ、今の日本が抱える問題の多くが教育の在り方に起因していることは明らかです。日本の中学生や高校生が受験のテクを学ぶような馬鹿げた学校の在り方を払拭して真に学問の面白さを追及できるような学校に変えていかなければと切に思います。

投稿: 岩佐英一 | 2011/10/10 18:05:03

東京大学の最大の魅力は、入学試験が最難関であることです。生後18~20年の期限内に理性的な判断を積み重ねて合格に至る。日本人に生まれてこれ以上の誉れはないと断言できます。困難を克服してこそ人間です。好きな事に熱中して何かを成し遂げても、それは道楽者でしかありません。そこに理性の集積などなく、本能と感情によって行動しているだけです。そんなことは動物でもできるのです。入試のシステムに手を加えて東京大学が最難関の地位から転落することのないよう、くれぐれもご注意願います。

投稿: kazuhiro | 2011/10/10 17:29:07

茂木さん。興味深く拝見させていただきました。
旧第一高校は当時校長だった安倍能成が「ここはリベラルアーツの場である。GHQなどという世俗のものが接収するなどまかりならん」と言って駒場の門の前でGHQを追い返したと聞きました。
本来旧第一高校、東京大学はリベラルアーツを追求し、教える場だったのですよね。人がどうあるべきか、日本人はどうあるべきか、日本の社会は、政治は、産業は。それが東京大学の役割だと思います。ですから、多様な人材が入学できるようにしなければリベラルアーツの場ではなくなってしまいます。
入試は聖域といわれていますが、教学の聖域であっても理事会・評議委員会にとって見れば聖域ではないはずです。
ぜひ日本の将来のために東京大学の改革をお願いいたします。

投稿: 平林直人 | 2011/10/10 16:40:40

久しぶりの日本語コメント。
ときどきこういう枠を設けてください。

教授とのダイアローグ式の英会話入試があったら
おもしろいですね。
お互いの人間力というか、
生徒も先生を選べます。

私塾にちかい小クラスを安全基地にして
いろんなことを学べるシステムがあったら、
従来の研究室より発想が豊かになるのでは、と思いました。

異分野の人たちがシェークスピアを語る、んでしたっけ?
あれ、いつか、もういちど紹介してください。

投稿: 島唄 | 2011/10/10 16:32:38

茂木健一郎様、Twitterではお世話になっております。大学研究家の山内太地です。

東京大学LAC、素晴らしい試みだと思います。重要なのは、担当する教員が、今までのような研究のみではなく、教育者として学生に接することだと思います。そのためには、アメリカの名門大学のように、定員100人の学生は全寮制にして、教員もそこに住み、日常生活の中で交流しながら、互いに学ぶ雰囲気づくりが重要ではないかと思います。

世界の大学では、学生はほとんどが大学に隣接した寮に住み、集団生活の中で、コミュニケーション能力や、異文化理解、他人と共同生活をすることを学んでいきます。今や日本の大学生はほとんどが実家から通学しており、異なる立場の他者と交流しながら学ぶ経験ができません。

さらに、LACの教育内容は、1年次から10人程度の少人数で専門性の高い内容のゼミを実施するべきだと思います。これはプリンストン大学やスタンフォード大学、日本では大阪大学や東北大学が実施しています。1年生の一般教養は大人数でつまらない講義でいいという時代は終わりました。ここで双方向型授業をする中で、コミュニケーション能力やプレゼンテーション能力を磨き、誰もがリーダーシップを身につける場とすることが、東大の役割ではないかと思います。

投稿: 山内太地 | 2011/10/10 16:05:18

日頃、茂木さんの本やツイートを楽しませていただいているオヤジです。
自分は、大学も出ていなくて、大学の在り方もよくわかりませんが、最近いくつかの大学で始められているオープンコースウェアなどには興味があり、ありがたい動きだなと思っています。

東大が、一つの象徴的な場として、新しい姿を模索するのもよいと思いますが、やる中身(テーマ)として、海外から興味があるのは意外と、日本文化や工芸、アニメやそれらハイテクと結びついたものなどが順当な気がします。そしてこれらは、日本の各地の大学であっちに一つ、こっちに一つと、すでに存在していると思います。
できれば、建物や場所、名前にとらわれず、全国の特徴ある研究を行っているグループを縦横無尽?に行き来でき、広い視野と啓発しあえるチャンスを提供する、そのような組織を目指せないものでしょうか。日本人にとっても、これまでの大学や研究機関の在り方から脱していく機会になるように思います。

震災などを経て思うことは、私たちが組織を超えて活動して成果を出していくこと、そういう経験を積むことが今一番求められている気がします。とんちんかんかもしれませんが、コメントさせていただきました。

投稿: 干物ヲヤヂ | 2011/10/10 16:04:09

ツイッターをみて読ませていただきました。

コメントを残している方たちほど、深く考える能力は、僕にはないけれど、読ませていただいて、純粋に素晴らしいものだと思った。

僕は名もしれない大学に通い、英語と触れ合う機会はほとんどないが、ドイツにいったときに、グローバル化の重要視を非常に感じた。


この計画をどこかの大学が行動に移してくれることを願います。

投稿: さいとー | 2011/10/10 15:26:48

当初3年間は
1)教員は兼任(教員の給料の問題があるので)
2)定員は50名
3)1コマの受講生は20人まで
4)チューターやTAを充実させて、講義時間外や作文添削指導を世界トップレベルに

3年後に外部を交えた評価を行い、評価が良ければ専任教員の配置や施設拡充を検討する。

投稿: か | 2011/10/10 14:45:49

遅ればせながらコメントいたします。
20年前から大学入試の改革を前面に掲げている慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)を参考にして書こうと思います。

SFCが最初に導入したもので有名なのはAO入試があげられると思います。
小・中・高と答えのあるものを勉強してきた5科目のテストだけではなく、そのほかの課外学習で何をしてきたのか、勉強以外でも素晴らしい人物として活動しているのであれば、それも含めて評価しなければ公平ではない、と考えて取り入れられたものです。

AO入試の結果としてSFCは質の高い学生を多く受け入れています。
また、英語または数学と小論文という少ない入試科目でも多くの優秀な人材を取っているようです。
優秀な人材というのもいろいろあるでしょうが、ガチガチの勉強をしてきていないことを逆手にとって、今までにはない発想をしたり、それを実際にやってみようという実行力も備えている学生が多いようです。
もちろんSFCの学生の皆がそうというわけではないですが、「学部1・2年のうちはとりあえず単位を取っておいて、後は遊ぶ」という学生がのさばる空気ではないようで、そんな暇があったら勉強をするか、自分のやりたいことを実行に移すために何かしらしていることが多いのだとか。1年から研究会に入れますから。

ただ、東大がやるに当たっては外部から教員を増やしたほうが良いのかもしれません。SFCの教員は、研究者だけでなく教育者としてのやる気がある人が多く居ます。
やる気のある生徒たちと関わることが教員にとってもフレッシュで刺激的だそうです。
そういった教員の間では教育を大事にする理念が共有されています。
理念なくしては、教育というものは成り立たないのではないでしょうか。そこを思いっきり議論してみんなで気持ちを一つにして作るぐらいではないと、熱気を持った新しい教育環境にはなりにくいと考えます。

リベラルアーツ型教育で優秀な海外の学生が来るかどうかは分かりませんが、日本の学生にしてみれば留学生は必死で勉強しますから、留学生が多く入ってくるだけでそれは刺激につながりますし良いことでしょう。

それと、私は東大の秋入学に関してはあまり期待していません。
今回の東日本大震災で入学が遅れた大学も多かったのですが、その期間を有意義に使えた人はそう多くなかったよです。
それまで与えられたことを学習してきた経験が多い学生は、やはり与えられないと動かないのです。極めて官僚的思考です。
こういう学生が多いところに問題があるのです。

一方で自分のやりたいことがはっきりとしていたり、主体性のある人は自分の枠組みとは違う「上から与えられたもの」が障害になります。
ここのバランスは非常に難しいところですが、そもそも前者のような学生が大量に生まれているのが現在の教育の問題点だと思いますし、Steve Jobsのような人材を潰さないためには後者のような学生を大事にする風潮や、後者の人材が日本で排除しないための場所が必要でしょう。東大がその受け入れ先になるのであれば、その影響は日本の高校や中学教育にも影響が及びますし、結果としてSteve Jobsのような天才が生まれるかもしれない土壌を養成してくれるのでは、と期待できます。

5科目の勉強というものも大事ですが、時代はそれ以外のところにある独創性や創造性が求めていますから、そのような人材を育成する教育とは何なのか考える必要があると思います。
ある意味では大学を飛び出して行ってしまうような学生、ということですが・・・^^;


以上雑多に書き並べましたが、日本で一番影響力のある東大が変わろうとする姿勢をこそが大事ですから、それが失われないようにと願っております。

投稿: GM | 2011/10/10 14:23:43

私は、立教大学(移民、ホスピタリティ研究)を卒業し、日系大手電器、PCメーカーに勤めている社会人です。
中学三年生の頃、環境教育目的で短期シアトル留学し、大学生の頃、イギリス、タイでフィールド研究を行った経験があります。

茂木先生のご提案は、今後の日本経済の発展にも繋がる構想だと思います。

老舗日系企業は、グローバル化、イノベーションと変革を迫られてまいりました。
社内にも、外国の方が増え、英語での会議も行われております。企業において、英語は必然的なものになっています。

けれど、英語力は学習で取り戻すことができたとしても、(私は、一生懸命取り戻しています。忘れてしまうものだから…)アイデンティティーの確立する以前に、多様性の経験がない場合、コミュニケーションに支障をきたすこともあるかと思います。

それは、同一民族でも、世代間にも言えることです。


日本経済の衰退が懸念される中で、数十年後の未来を考えた場合、

英語での思考、会話、議論は不可欠であり、多様性、人種価値観を認めあう精神が必要であり、そのような教育の場が求められるのではないでしょうか?

そして、工学にデザイン、マーケティングに人類学等と幅のひろい人材が求められています。

その点で、リベラルな教育、興味がある講義の受講は良いと思います。

教育環境は進んでいきますので、社会人と学術機関の連携、サテライト受講の拡大があれば、なお良いなぁと思う次第です。
スタンフォード大学もはじまりましたし。

主観であり、東大レベルの学力もありませんので、もし、気分を害された方がいらしゃいましたら、申し訳ございません。

投稿: monseultresor | 2011/10/10 13:14:42

コメントをお寄せくださる方へ
スパム防止のため、やむをえずコメントを承認制にしました。
ご投稿いただいても、私が確認して手動でapproveするまで、表示されません。
本当は、すぐに反映された方が気持ちいいのですが、スパム防止のため、仕方がありません。
もうしわけありません!

茂木健一郎

投稿: 茂木健一郎 | 2011/10/10 12:37:15

茂木さんのこのご提案は、現在そして未来のグローバルにおける日本の存在意義や異文化環境の中で育ち異なった価値観を持った人に、双方向の会話を通してコミュニケーションスキルを身につけられる環境を提供するという事で、東京大学だけでなくその他の大学や企業でも積極的にまた戦略的に取り組む価値のあるものだと思います。
この私の意見の背景としては、私は現在勤める会社において家族と共に約16年間の欧州駐在生活やここ2年間携わっている中国ビジネスの経験から、他(国)人と交渉して物(有形・無形)をつくりを行っていくには、①最低限度の教養と知識を身につけ。②相手の立場に立って物事を考え。③自分の主張を共感力や人間力を使って適切な言葉で伝えられる。そんな能力を持った人材の重要性を強く認識しているからです。
ポール・ケネディなどの書き物からも、これからの世界はアメリカの力が相対的に低下し、それに変わって運営方法はいくつかあると考えられますが、多国間での共同運営の時代に入っていく事が予想されます。
また、私もこれまで多くのグローバル会議に参加したり、海外のビジネススクールで勉強したり、いろいろな国の方々と交流を続けています。
それらのことから、これからは①俯瞰的戦略能力。②多様性への対応力(コミュニケーション力、創造的破壊力)。③リスクを1から取ってできる。いわゆるグローバル人材の存在が不可欠と考えています。
従って、この茂木さんの提案される内容は非常に重要であると思います。
もし、自分に何かお手伝いすることがあれば、ぜひご協力させて頂きたいとも思っています。

投稿: 鈴木正人 | 2011/10/10 9:31:47

これは、ふたたびテストです。

投稿: 茂木健一郎 | 2011/10/10 9:07:03

みなさん、コメントありがとうございます!
とても参考になりました!

投稿: 茂木健一郎 | 2011/10/10 9:05:59

東京大学2年の世羅と申します。

素敵なアイデアですね。
是非やりましょう!
「東京大学」の名前を冠しつつも、大学とは別会計での教育プログラムの試みは既にいくつか始まっているため、財源及び場所の問題はそんなに難しいことではないように思います。


ただ、2点ほど気になることがあります。

・Liberal Artsである理由
リベラルアーツとした理由は、文一~理三までの学生が誰でも入れるようにしたいからでしょうか。
僕は海外の大学生にとって、「東京大学でリベラルアーツのプログラム」が魅力的なのか、という点に疑問を感じます。
例えば「東京大学で日本学を教える」であるとか、はたまた「医療を教える」「工学を教える」といった、多少なりとも日本が強い(と少なくともイメージされている)学問分野に限定した方が海外学生にとっての魅力は増すのではないでしょうか。
(「日本でアニメーションを学べる!」が一番強いような気がしますが、残念ながら我が東京大学はここに強みを持っていません)
一方、日本の大学生にとってのニーズも「優秀な海外の大学生と一緒に勉強をする」ということにあるため、海外の優秀層にいかにアピールできるかが肝であるはずです。
しかし、この辺の国際感覚は茂木先生の方が強いと思いますので、海外学生にとってリベラルアーツの方が魅力的である理由があればご教授ください。
余談ですが、実際にプログラムを開始するとしたら、多学部に話を持っていく必要がありそうなリベラルアーツに比べれば、ジャンルを限定した方がスムーズであることは付け加えておきます。
教授会の数をなるべく減らす、というのが日本の大学における正しいプロジェクトの進め方だと思うので。
(嘆かわしいことです)

・教員側のメリットについて
「東京大学の教員ならば、英語で授業をする能力がある人は多いだろうから、東京大学LACで開講される授業は、現在東大にいる教員が分担すれば良い。」
とのことですが、能力はあっても意欲はあるのでしょうか。
僕の勝手な想像ですが、日本の大学教授がモチベーションを持っているのは研究に対してであり、教育はそのために支払うコストだと感じているような気がしています。
(これはもちろん教育能力に対する評価やFBが少ないという構造的な理由もあると考えており、ぜひともドラッガーにマネジメントしてもらいたいところではあります)
その状況下で、多くの日本人教員にとって日本語の授業よりもはるかに手間のかかる英語の授業を行うだけのモチベーションを持たせることが可能だとお考えでしょうか。
教員としての意見をお聞かせください。
また、可能だとすればそれはどのような条件によって可能になるのでしょうか。
(給料、学生のレベル、権威付け・・・)

投稿: 世羅 孝祐 | 2011/10/10 5:57:49

 茂木さんの記事を興味深く拝読しました。茂木さんの国際化などに関する興味深い提言はいつも興味深く読んでいます。いつもありがとうございます。私も東大の卒業生で、現在アメリカの大学にいます。

 私は、国際性や多様性といったメンタリティーと、英語能力は、明確に分けて考えるべきだと思います。

 周囲に韓国人の留学生やポスドクが多くいますが、彼ら(アメリカに来たばかりの人たち)の英会話能力には30代と20代前半で大きな差があるような印象です。韓国では15年ほど前(ちょうどアジア通貨危機の頃)に小学校で英語教育が始まったとのことなので、やはり早期に英語教育を受けていたことがスタート時点での英会話能力の高さに繋がっているのでしょう。英語教育の目的だけであれば、社会の国際化や多様性は必要ないという格好の例だと思いました(韓国に住むのはほとんどが朝鮮民族)。

 数百人の学生の特権的な場所を作っても社会全体への波及効果は少ないかと思います。むしろ、英語をもっと国民全体(少なくとも、ある程度教育を受けている層)に身近なものにして全体の英会話能力を底上げした上で、多くの人が海外という選択肢を持てるようにし、行きたい人は行けるようにする、という韓国型がさしあたり現実的かと思います。日本も小学校で英語教育を始めたので、10年後くらいには日本の若者世代にとって英語は当たり前のものになっていると思います。ただ、韓国は留学熱が過熱気味とも言われていますし、強い危機感に裏付けられた超学歴社会でもありますので、それを日本がそのまま取り入れるかというとさらに考える必要があります。

 どういう制度を導入するにせよ、学生に自発的なモチベーションを与える仕組みが必要です。大学側で過度のお膳立てをすることは反対です。やらされている感がある限り、学生、特にある程度以上の能力のある学生、はモチベーションが上がりません。これは茂木さんにも共感して頂けるかと思います。前のコメントで、駒場の英語の授業が退屈で学生のやる気がない、と書かれていました。私もそう思います。東大の英語の教科書(The Universe of English)は、卒業して改めて見てみると分かりますが、話題の幅も広くなかなかエキサイティングな教科書です。なのに私自身も含めあまり興味が湧かなかったのは、1000人の学生がみんな同じ事をやらされているという感覚のためだったのではないでしょうか。(あるいは誤解を恐れずに言えば、俺は他のヤツとは違うからみんなが読んでいるのなんて読みたくない、という自意識過剰。)

 余談ですが、私自身もまだまだ英語は未熟ですが、英語を使うことが日本の中でいかに特別なことと思われているか、というのを、こちらにいると強く実感します。また、前に蓮實重彦元総長の入学式式辞における「国際的な相互理解と言う言葉が美しく響くのは、観念の領域に過ぎず、実際には、無数の差異に満ちた過酷な空間での緊迫感に耐えつつ言葉を放棄しない執拗さこそが必要だ。外国語での流暢な会話能力などは何の足しにもならない。」という趣旨の発言が、非常に共感を持って思い出されます。

 茂木さんは発言の影響力が大きいと思いますので、これからも社会に対する責任ある建設的な提言をしていただければ、と思っています。茂木さんは東大のことをよく批判されている印象ですが、私自身は(世間で言われていることに反して)大学で学んだことはとても多かったと思っています。ただもちろん、東大が現状肯定せずに、つねに自ら変革していくことは必要だと思います。長文失礼しました。

投稿: KY | 2011/10/10 4:57:40

現在、イタリアでイタリア人に日本語、日本文化を教えています。最初にミラノの日本文化協会でボランティアで教えていたため、日本文化に造詣の深い多くのイタリア人に出逢いました。ミラノで理工科大学に留学している日本人大学生たちとも知り合いましたが、語学力が追いつかず授業に着いて行けない状況を知りました。私の日本語の生徒でもあるミラノの理工科大学の生徒(現在は博士課程で研究員として学生を教えてもいますが)は日本に対する興味が深く、日本語習得のレベルも非常に高いのですが、このような生徒を日本側で受け入れるシステムがないのが残念です。ミラノのような小都市でさえこのように日本をこよなく愛し、今後の日本との文化交流の礎となりそうな若者が多いのに日本で受け入れるシステムがあまりないのが残念です。英語圏の学生だけでなく(もちろん英語力は必須ですが)各国の優秀な学生と日本の学生が交流できるシステムがあればと思います。今はミラノ理工科大学では中国との交流のほうが盛んなようです。

投稿: yumiko matake | 2011/10/10 4:56:52

 今、日本の競争力が落ちてきているのには、その「聖域」にこそ問題があると思います。茂木さんと羽生さんの対談の中に、将棋の世界での「学習の高速道路」という話がありましたよね。あれと同じで、今理系の世界で世界のトップクラスで活躍しようと思ったら、技術的なレベルに関しては大体二十歳前後くらいで、そのレベルに達してないととてもお話になりません。しかし今の大学入試は、物理にしても基本的には微積分を自由に使えない範囲での競争になっています。実際問題として、今理系の世界で微積分を自由に使えない範囲なんて無いに等しいと思うし、そんなあり得ない世界の中で問題を人工的に難しくして競い合わせること自体がもうナンセンスなのだと思います。

 製造業が中心だった、高度経済成長の時代は、受験勉強だけして東大に合格すれば、企業の中でも十分やっていけたのかもしれません。しかし現在のグローバル化した世界では、その人材が使い物になっていないのだと思います。(やれても、会社に入って先輩から仕事の仕方を教えてもらって、同じ事が出来るようになり、少しずつ改善、応用していくみたいな仕事の仕方しかできなということです。)

 「聖域」の範囲を時代に合わせて、見直した方がいいように思います。たとえば、理系なら、高校までに教える範囲を最低でも大学一般教養課程くらいまで広げて、その分問題を素直でシンプルな問題にするとか。要は、茂木さんも言ってられてように、範囲を区切ってその中に留めないで、前に進むことを止めないことです。宇宙物理の村山斉さんは、小学校の2、3年で、微積分を理解されたそうです。活躍されている方は、皆さん、高校時代までに大学院レベルの内容を習得されていると思います。(私には到底無理でしたが。)これからソフトウエアの技術も重要になってくるので、プログラミングの試験なんかも加えたらいいんじゃないでしょうか?

 後、日本の大学がガラパゴスになるのは、言葉の問題や入試の問題というよりも、やはり東大を含めて、日本の大学に魅力がないからだと思います。特に欧米人にとっては魅力がないと思います。それは日本の大学から新しい学問分野や、最先端のフィールドが生まれないからです。今で言えば、コンピュータサイエンスの最先端分野みたいなものが日本にないからだと思います。ごく一部の例外を除いては、今の大学入試と同じで、欧米の大学での流行や、既にあるものを応用して、人工的に難しくするような研究しかされてないからだと思います。

投稿: マリム | 2011/10/10 3:01:33

茂木さんのLAC構想にはとてもわくわくします。ぜひ盛り込んで欲しいのが、講義の開放です。
僕は高校時代に不登校と留年を経験し、学力もはっきりいって高くはありませんが、以前リサーチキャンパスにお邪魔したときにとても好奇心を刺激されました。
いわゆる学力を基準に入学を許可された人にはもちろんですが、全般的な学力を持たなくても、映像授業などで知を体感することができるようになれば、ひとつの分野にとても興味があってそれを追求したい人にも機会が与えられます。逆に、そういう人達を大学側が積極的に発掘できるようなシステムがあるといいとおもいます。
どうしても、前提となる知識や学力がないといけないという敷居の高さはセレンディピティを失うと思います。

投稿: 山羽 亨 | 2011/10/10 2:40:48

英語で学際的な教育をというご提案はすばらしいことだ思います。これからの日本において、高等教育機関が果たす「人材に投資する」という役割は非常に重要でしょう。また、優秀な外国人を受け入れることによって、将来に渡って生み出される好循環が期待できます。

そこで、ご提案のLACが実効性があるものとなる為に以下の2点を提案します。

まず、Harvard、Oxfordと東大に合格した生徒がいたとして、その生徒は東大に進学したいと思うでしょうか?おそらく現状では、東大を選ぶ人は少数派でしょう。やはり、新たな学部というハコだけでなく、そこに学生を引きつける魅力を備え付ける必要があると思います。例えば、アメリカの有名私立大学には、奨学金による学費免除、有名大学との交換留学制度、大教室の講義型の授業ではなく少人数による討論形式の授業、有名教授、多様な学生、飛び級制度、優れた卒業生との縦のつながりなど実に様々な魅力があります。授業料がとても高いアイビーリーグなど有名私立大学ですら、両親の所得に応じた授業料免除制度ができています。これらを上回るような魅力として、授業料全額免除、教授によるメンター制度などなにか特別のものが創れるとよいのですが。

また、東大の先生ならば英語の教育がすんなりできるだろうというご意見は少し不安です。例えば、学生を比較的自由に選抜できるであろう大学院ですら、東大のいわゆる文系的な大学院のなかには、出願に際して日本語検定一級という高度な日本語の能力を要求しているところがあるようです。まったく日本語能力を必要としない人文系の学部が日本にもいくつかあることと比較して、東大での英語の対応能力はやや遅れているという印象があります。そこで、実際に英語のみで教育をするためには、欧米から優秀な教授を招聘した方が好いと思います。例えば、シンガポール、中国、またはアラブ首長国連邦に代表される産油国などは、かなり積極的に有名研究者の招聘政策を進めていますので、参考になると思います。

投稿: 大塚和彦 | 2011/10/10 1:43:38

私は明治大学大学院理工学部建築学専攻の学生です。
明治大学大学院建築学科は2014年修了生から、国際プロフェッショナルコースという新しいカリキュラムが設けられます。私の学年はこのカリキュラムの試走として、大学院から多くの海外ワークショップが行われました。私個人では、2010年、バレンシア工科大学(6月)台湾国立成功大学(8月)パリラヴィレット建築大学(9月)2011年、ドレスデン工科大学(9月)と国際ワークショップを受講してきました。
東京大学ALC構想、非常に意義があると思います。特に国内から東京大学ALCに入るというところに共感しました。まず、経験則ですが英語でのディスカッション、プレゼンテーションの方が文法上、論理的で簡潔に思考・意思伝達が行われること。次に身体感覚として大学で英語を集中的に使う事で、逆に日本語とはどういう特性の言語なのかと、考える良いきっかけになるのではないかということです。コミュニケーションにおいて言語は最大の作法だと思っていて、私は海外では現地の言葉を極力使うようにしています。(非常に初歩的なものですが)もちろん、正確に伝えるためには英語を使いますが。身体感覚として外国語を耳にし、口で真似てみることが重要です。未だに"聞く"と"話す"よりも"読む"と"書く"に重きを置いている日本の教育に疑問を感じています。
外国語が頭に馴染んでくると、日本語を客観的にとらえる事ができるようになり、日本人のアイデンティティとはなんだろう?と考えるように最近はなりました。まだまだ、私も真に正しい日本語を喋れるわけではありませんが、海外での経験は私自身が日本人になりたいと強く思うようになりました。これからの学生には外国語を通して、日本語・文化・作法により興味を持ってほしいと感じています。

投稿: 伊藤貴彦 | 2011/10/10 0:26:31

僕が高校生の時に、慶應義塾がSFCというのを作り、試験科目も英語と小論文だけでよく、受験生としては「へぇーそれだけでいいのか。」と思いました。確かに数学や社会や理科をやらなくても慶應に入れてラクじゃないか、みたいな風潮もありました。しかしSFCというのは授業が大変であり課題も多く出され、留年率も高いといいます。入学してからが大変なのです。そして会社員のみならず社会起業家等の人材も輩出していることからすると、SFCというのは一定の効果をあげていると思います。

要するに大学入学時にどれだけのクイズの答えを覚えているかということと、その後どれだけ社会にいい影響を与える人材に育つのかというのは、あまり関係がないという一つの例をSFCは示したと思います。


東京大学にもそのような特殊な入学試験があってもいいかと思っています。今のままだと(特に学部に関して)永遠に優秀な外国人が入学してくることはないだろうと思います。相当期間日本で教育を受けた人間でなければ、まず無理でしょう(笑)(それでも難しいんですから)

僕は一度「スティーブジョブズのように創造性豊かでエネルギーのある人間だったら、東大に受かるかどうか。」という命題を考えたことがあります。応えは「受からないだろう」です。机に張り付けられ、小さい頃から問題集と格闘する人生に1か月も耐えられないだろうと思うからです。「こんなの嫌だ!」といって3日坊主になる可能性が高いです。

東大は、そういう人材を逃しています。逃すどころか評価すらしてきませんでした。


ただどうしても、入試を変えたくない、でも国際化したい、というのであれば交換留学制度を充実させるしかないです。

コメントで書かれていた人(東大生なのかな?)もいましたが、東大の留学制度があまりに貧弱です。私の友人も東大の大学院に通っていますが「留学制度はない。」と言っていました。行きたければ自分で行けということです。日本のトップの国立なのですから、どうしても入学制度を変えたくないというなら、留学制度はもっと充実させるべきです。そこから始めるべきです。ハーバードやケンブリッジと提携すればいいのです。単位の交換も認めるのがいいと思います。


話は変わって、東大の秋入学制度についてですが、私はさしたる効果は生まないと思っています。半年入学を遅らせたところで特に何か変わるわけではないと思います。学部の入学システムが変わらない限り、半年入学を遅らせても外国人が増えるわけではないです。また、日本人も半年海外で勉強する人はほぼ皆無だと思います。なぜなら金がないからです。高卒で「東大の入学は秋だし、半年留学でもするか。」という行動を起こすには、追加的なお金が必要です。国立を目指すような人間にそんな余分なお金があるのでしょうか。半年海外で勉強・生活するのは相当お金がかかります(発展途上国とかなら別ですが)結局、時間をもてあましてしまう人が多くなると思います。
もし、東大生のグローバル化を目指すなら、秋入学よりも、留学制度の充実というほうが最も全うかつ、素早く改善できる部分であるように私は思います。


投稿: スギウラ ヒロフミ | 2011/10/10 0:26:18

 It is relevant to invite oversea students to our universities in today's increasingly becoming global era. Globalization is to be cosmopolitan in this context, and diversity should be derived from a cosmopolitan environment, and 'New Kind' will come out of diversity and mixture, so globalization is welcome when you expect 'Productivity Increased Society'. To start off this program, it is especially relevant to put young generations in a cosmopolitan environment.
 Every culture has its own uniqueness. We, Japanese possess a noble traditional culture which should impress foreign people thus when they experience and learn it, they will recognize our nation's true value, as a result, Japanese images will be re-established worldwide, which may enhance survivability of our nation in present's becoming more and more fierce corporate world.

投稿: 田村修二 | 2011/10/09 22:27:27

茂木さんのご提案に大いに賛同いたします。
その上で、さらに「LAC」に盛り込んでみてはどうかと考えた、私なりのコメントをお伝えいたします。
現在、大学が直面している問題(危機)として、①経営利益を第一として、本来の教育機関の役割は二の次、②効率的な経営を重視し、管理主義が浸透している、ことが指摘されています。しかし、ここでの私のコメントは、「経営利益第一」「効率的な経営」というものを、度外視して考えたものであることをお断りしておきます。
まず第一に、「LAC」として、海外の大学との交流を盛んしていくことが大事であると考えます。学生が、日本で「英語で教育を行う」ことを、より深く理解でき、それ以上に、世の中の不確実性を感じ、世界が求める人材に近づいていけると思っています。より多くの海外の大学と交流協定を結び、「LAC」カリキュラムの中に、海外の大学での講習盛り込んで(各人が好きな大学で講習を受けられる)、数カ月海外で学習するための単位を設けます。異質な人々(もちろん同質な人もいるが)と、異文化の中で、特別な何かをつかむきっかけにもなると考えます。日本の「LAC」をアピールする機会にもなると思っています。
第二に、海外で活躍する「見事に難題を解決してきた突破型」人物との、コミット学習を提案します。アップルのスティーブ・ジョブズや、googleのエリック・シュミットたちのような人物を訪ね、ディスカッション等の場を設けてもらいます(100人となるとサンデル教授の授業形式にするかは検討)。そのような方々に、どれだけ会って、人生の糧にできるかは重要なことだと思います。ともあれ、接触・やり取りの中で、人間性が磨かれ、学ぶべき点が大いにあると考えました。
最後、第三に、「LAC」として、海外のメディア(雑誌・新聞)等を通して、世界へ研究・思考など発信していくことは大切と考えました。もちろん各個人個人での、アウトプット作業も大事だが、「LAC」のアウトプット作業として、海外に発信できる媒体を用意して(媒体用意が難しい場合は、積極的に投稿・寄稿して)、そこから世界に「LAC」を周知などさせていくことで、世界とのコミットがより深まると考えます。もちろん、すべて学生が行っていくことが大前提です。「日本発の思想・思考」などを実現していくためには、大事なことだと思っています。
以上、参考になるかどうか分かりませんが、コメントさせていただきました。

投稿: 中村智雄 | 2011/10/09 21:49:00

私はある企業に勤める会社員です。
茂木さんのご提案については、これからの日本の大学のあり方を変える起爆剤と成り得るものとして、肯定的に受け止めています。ただ、これは一つの提案であって、これを契機に更にどのような形態が良いかの議論を通して変えていくべきものであると思いますし、また各大学の独自性を生み出す為に色々なアプローチがあっても良いと思います。少なくとも、現在の日本の大学の閉鎖的で画一的な偏差値重視のあり方を変える考え方として、大学関係者の方々には真剣に考えていただきたいと思います。
私が茂木さんのご提案に肯定的である理由は二つあります。
一つ目は、日本の大学の国際化を促進する第一歩になり得ると考えるからです。現在の日本の大学は非常に閉鎖的です。海外からの学生受け入れにしても、日本人が海外留学する上でもです。日本の大学が閉鎖的であることは、様々なデータが示している通りですが、海外からの留学生の門戸を広げることは、日本の歴史、文化、技術等を世界に広める契機になり、国際社会での日本の認知度を上げることに繋がります。また一方では、日本から海外への留学生を多くすることで、グローバルな視野を持つ日本人を多く育てることができます。どちらにしても、世界視点で見た場合の日本の国力を上げることに繋がると思います。
二つ目の理由は、日本の今の大学入試制度を変えるキッカケになり得ると考えるからです。今の日本では、偏差値により受験する大学を決め、画一的な大学入試問題が良くできる人は東京大学のような有名大学に入り、出来ない人は知名度の低い大学に行くことになります。しかし、社会人になって仕事をしていると、仕事が出来る人、頭が切れる人が必ずしも有名大学出身とは限りません。出身大学を見てその人の仕事振りを見ていると、頭を傾げることや、反対に、高卒だけど驚くほど仕事ができる人もいます。これは、各個人の潜在能力を活かして育てる教育制度が日本にないからだと思うのです。
いずれにしても、これからの日本の国力増強や人材育成の為には、今の日本の大学入試制度を変えることが重要だと思います。

投稿: naruo_homewood | 2011/10/09 21:11:38

グローバール化=全英語化、という安直な施策が取られがちな風潮にありますが、国際社会での利益追求をしている企業ならともかく、とりわけ教育現場においては外国語を使うことによる思考能力の低下で、論理性を欠く恐れがあり、それをないがしろにしてまで英語の使用に傾注する意義を見いだせないと常々感じています。

私は東大生ですが、茂木さんの言うようなベクトルの正しい本質的なグローバル化を本当に望んでいます。ともすると形式ばかりのグローバル化に進んでしまいそうで(現に取られている施策も概ね形式的なものが多いですし)、危惧しているのです。

そのような意味で茂木さんの提案を、好意を持って拝見させていただきました。それに加えて、大学教育における英語教育に関しても、更なる増強を求めます。

まずは、従来の日本人の東京大学の学生が駒場時代に受けさせられる英語の授業の廃止。冗長なリーディング教材や、非実践的な形ばかりのコミュニケーションの授業で構成されており、東大生も殆どモチベーションが無く、試験前の詰め込みでやっつけています。それこそ、暗記力テスト、と揶揄されるような試験です。
これこそ時間のムダですし(しかも必修として押し付けられている)、外国での多様性の中で主張を戦わせるような実践力がまるで養われません。
ですので、このような英語教育は廃止し、LACのような部局が出来たならば、学生の国際的な多様性も活かして、グローバルスタンダードなディベートや、ディベートのリズムに慣れるような機会を積極的に作るべきでしょう(もちろん、教育の全英語化を意味しているわけではありません)。
今の授業では美しい英語を使えるようなことを割と指向している気がしますが、そうではなくて例え美しい英語ではなくとも、多様性の中で臆することなく主張をできる、そういうタフネスを養成する必要があるでしょう。

今までの東京大学の学生は、日本人同士でぬくぬくと過ごしているので、とかく多様性に弱いと思います。
英語教育も含めて、多様性に強い、タフな学生に進化させるような道筋を、LACのような改革をしながら、大学が主導的に行なっていく必要があると思います。

あと、欲を言えばもう一つ。
東京大学の先生方は、英語は使えても、海外の先生方の授業方式までを摸倣できる方はそう多くは無いと思います。
学者ですから、講義の名手である必要はないので、それ自体を非難するつもりはありませんが、得手不得手があるのは事実なので、
講義に限ってはもっと海外から外部講師を呼び寄せることも大事かもしれませんね。

投稿: TS | 2011/10/09 19:34:10

現役の東大生です。
本題と若干逸れてしまいますが、東大の国際化という点では、東大生が海外に留学しやすい制度も作ってほしいです。留学するためのプログラムは存在するのですが、数が少なく、広報もほとんどされておらず、海外取得の単位が認められず、他のサポートもほとんどありません。「行きたいなら行けば」といった感じです。

茂木さんのこの記事と関連させるとすれば、LACの卒業要件として、海外の大学で一部の単位を取ることを盛り込めばいいと思います。学内に留学経験者があまりいないので、LACの人だけでも留学経験があれば、LAC以外の東大生にも海外の大学の情報が伝わり、刺激になると思います。

投稿: TM | 2011/10/09 19:25:15

 日本の大学の国際化、グローバル化は大きな流れとして今後進むことが予想されている。大学という期間が一つの学問を極める場所である以上は、ガラパゴス化し、国際社会の中で取り残されることは憂慮すべきことといえるだろう。
 日本語が母語である以上は、学問も日本語で追求したいわけだが、そもそも学問そのものがグローバル化し、多言語において標準化されていると言えるのだろうか。
 私はむしろ高校レベルと言った高等教育までをグローバルスタンダートドと捉えて英語での教育、国際社会での標準化された教育が行き届くべきことを期待したい。基本的な知識の習得が国際的に標準化することは、先進国、開発途上国問わずに国際的な課題に取り組むべきベースになりうる上、高校生が選択できる進路が広がることこそ、国際的に教育の裾野を広げる方法にほかならないと考えるからである。
 こうした意味で、大学(東大に限らず)に求められる学問の追求とは、科目ごとに追求する真理の限界に挑むことであり、言語、習慣、民族によっても大きく見解や捉え方の違いが見えてくると言えるだろう。したがって、求められるのは、母語に依る学問と真理への探求。加えて英語に依る講義を含む国際的スタンダードな学問の探究をするべきであり、大学の入試をはじめ、その講義に至るまで、英語と母国語の二本立てを基準とすることが求められると考えている。
 その上で、国際的な人材の入学、輩出に力を注いでゆくことが大学としての使命であり、国際社会に名を馳せたる大学としての最低条件であると考えている。
 

投稿: 高橋正太郎 | 2011/10/09 17:26:32

これはテストのコメントです。
みなさん、コメントをお待ちしております。

投稿: 茂木健一郎 | 2011/10/09 16:45:12

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