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2011/09/30

私は、いかにして石田純一になったか。

 高校の頃、畏友とちょっとした論争をしたことがあった。歴史にはいろいろな側面があるけれども、どんな点に一番関心があるか。

 畏友は、「私はやはり政治史だ」と言った。「ぼくは文化史だなあ。」と答えた。それからしばらくやりとりがあったけれども、ぼくが一番言いたかったことは、今から思うと「小さな歴史」のことだったらしい。

 大河ドラマでもそうだけれども、武将の勇ましい活躍や、国と国との戦争といった、「大きな歴史」に目が行きがち。それはそれで大切だけれども、私たちの日常により近くて、身体に親しいのは、本当は「小さな歴史」の方だ。

(中略)

 ところで、靴下と言えば、最近の新しい流れがある。いつの間にか、ずっと親しんできた長い丈のものから、くるぶしが露出するような短い丈のものへと、流行がすっかり変わってしまった。

 スニーカーを履く時に生足みたいにするのがいいのだ、と誰かが解説していたように記憶する。それが、いつの間にかどんどん広がっていって、普通のおじさんまでもが、ちらほらと短い丈の靴下を履くようになってしまった。

(中略)

 たまたまお仕事でご一緒した、スーツを着た立派な紳士が、短い丈のソックスをはいていたりすると、「おっ」と思う。「この方は流行に敏いな」と感じる。同時に、胸の中にわりきれない思いが込み上げるのも事実である。

 あるファッションが主流の時は、そうすることに何の疑問も持たないのに、変化すると、今まで平気だったことが急に違和感を抱くようになる。くるぶしまで覆うような靴下を平気で履いていたのが、ある時から、なんだか自分が流行遅れで、どことなく「年寄り」にでもなったような居心地の悪さを感じるようになる。ファッションが私たちの自我に与える影響とは、何とも奇妙なものである。

 あれは日本がバブルの頃か、それが弾けた後か、シャツをズボンの外に出すか出さないかで悩んだ時期もあった。それまで、ズボンの中に入れるのが当たり前で、その上にベルトをして何の疑問もなかったのに、急にみんながシャツを出し始めた。ベルトがくっきりとお腹のあたりに見えるのが、何だかおじさんファッションのように見え始めたのである。

 シャツを出すか入れるか。葛藤があったのは日本だけではないようだ。当時のイギリスのコマーシャルで、こんなのがあった。ティーンエージャーが喜んでシャツを外に出していて、中に入れている父親をバカにしている。オヤジ、イケてないな、という感じで。ところが、父親もマネしてシャツを外に出し始めたら、息子はあわててシャツを中に入れる。オヤジと同じファッションじゃイヤだ、そんなCMだった。

 どんな服装が、社会的に受け入れられるのか。自分の身体の延長として、心地よく感じられるのか。ここには、武将の勇ましい闘いや、流血の革命といった「大きな歴史」とは異なる、ささやかで取るに足らない「小さな歴史」がある。そして、そんな肌合いの中にこそ、私たち人間にとって近しい、切なくも楽しい生きることの間合いがあるように思うのだ。

 丈の短い靴下については、私は今でも実は悩んでいる。テレビの収録の時など、衣裳さんに履かせてもらう。歩いているうちにヘタすると脱げてかかとがひんやりする。落ち着かない。

 それでも、丈の長い靴下を履くのが、流行遅れのおじさんのように感じられて居心地が悪い、という気持ちもある。それで、最近では、私はとうとう裸足になってしまった。数年前、俳優の石田純一さんにお目にかかったとき、噂通り本当に靴下なしで驚いた。私も、いつの間にか同じになった。

 靴下一つとってもこんなにも自我が揺れ動く。誰も気にも留めない、だけど身近な「小さな歴史」。やがていつか、人も街もすっかり入れ替わってしまうけれども、あなたとぼくは今、ここにいる。

(『文明の星時間』第181回 「小さな歴史」より一部抜粋。サンデー毎日2011年10月9日号) 

本号を持って、ご愛読いただきました『文明の星時間』の連載は終了しました。連載の立ち上げからずっと丹念に仕事をしてくださった大場葉子さん、毎号素敵なイラストを描いて下さった谷山彩子さん、そしてサンデー毎日編集部の方々に心からのお礼を申し上げます。

そして読者のみなさま、ありがとうございました!

9月 30, 2011 at 01:21 午後 |