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2011/09/24

グローバライゼーション、二度付け禁止。

以前、沖浦和光さんに連れていってもらったのはどこだったかな、と思いながら、なんばの駅からふらふらと歩いていった。

へえっ。大阪の秋葉原、日本橋にも、メイドさんがいるんだねえ。

通天閣も暗くなっていて、節電の夏はまだ終わっていないようでもあり。なんだかこの串カツ屋さんには数十人は並んでいるんじゃないか、と思いながら、このあたりかな、と探していたら、大きな劇場はあった。

ここじゃない。こんな立派なところじゃない。沖浦さんはああいう人だから、その沖浦さんが愛して通っている劇場は、と、曲がっていくとあったあった。

チケット売り場はもうしまっている。中からは音楽が聞こえるぞ。お兄さんに、「もうだめですか」と聞いたら、「もう少しで終わりですけど、どうぞ。600円です」と言われた。

それで、入った。歌に合わせて、劇団のひとが踊る。次から次へと出てくる。「お送りいたしましたっ。お送りいたしますっ!」陰アナの兄ちゃんの声がよく聞き取れないのがまた味で。

みんな流し目の仕方がうまい。ひとり、良い味を出している中年の人がいて、鉄帽子かぶってツバに手をやる表情ったらなかった。

跳ねると、劇団の人たちがすーっと出てきて、お客さんを迎えている。「本当にありがとうございました」「また来てくださいね」なんて言っている。

あれは数年前だったか、沖浦さんに連れられてきたとき、大衆演劇のひとたちは、一ヶ月いるとすると、その昼の部と夜の部の演目が全部違うということを知って衝撃を受けた。毎日くるお客さんもいるわけだから、それでも飽きないように演目を組み立てる。もちろん、即興とか、使い回しというのもあるんだろうけど、やっぱりこの人たちは凄いなあ。


携帯がこのところ充電できない。この前、リュックの中に入っていた携帯用充電器を外したとき、チョコがついていたのが気になる。それに、そもそも端子が折れているようにも見える。

携帯が気になるなあ、そろそろ、買い換えかなあと思いながら、ずぼらやを通り過ぎて串揚げ屋に入った。二度付け禁止。今日はふぐの気分じゃないやね。

さっきの大衆演劇の役者さんたちは、今頃何を食べたり飲んだりしているんだろう、全国をああやって毎月違うところを回って、仲間内でどんな話をしているんだろう。

そんなことを考えていて、グローバライゼーションがなんだ、ふざけるな、という気持ちに次第になっていったのだった。

そりゃあね、英語は全力でやらんといかんし、ダボスもTEDもいいけど、そんなものとまったく関係のない、ディープで、伝わらず知られずばかにされ疎んじられ軽く見られしかしどっこい輝いている、そんなローカルな文化を忘れたら、人間だめさ。鍵は誇りだね。誇りがあれば、泥団子のようにぴかぴか光るさあ。CNNとか、気楽に取材に来るなよ。

グローバライゼーションもいいけど、それを他人にエラソーに押しつけるな。あくまでも自分の身の丈で闘え。虎の威を借る狐になるな。人生において、グローバライゼーションは、一度ちょっぴりつけるソースくらいでいいやな。

かーっ。今日は、酎ハイが身にしみるねえ。巨峰サワーって、こんなにうまくていいのかい。

グローバライゼーション、二度付け禁止。

9月 24, 2011 at 11:24 午前 |