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2011/09/11

学生時代、名画座で『ミツバチのささやき』を見て、美しさと痛みの区別がつかないような詩の世界があると悟ったのだった。

井原市民会館に、加藤さんが迎えにきてくれた。

ずっと、何だか心配だった。福山から新大阪に向かう新幹線の中で、眠って東京までいってしまわないかとくよくよしていた。

はっと目覚めて安心した。考えてみれば、加藤さんが隣りにいたのだ。

でも、吉野までどうやっていくのか、一向に見当がつかず。天王寺で近鉄に乗った時には、加藤さんが「これで半分仕事が終わった気がします」と言った。

ぼくはそれでも安心しないで柿の葉寿司を食べた。

不思議なもので、加藤さんが仕事モードになって、「茂木さんこのことについてはどう思います」などとあれこれ聞かれているうちに、だんだん周囲が暗くなって吉野川が流れて、山の気配がしてくると、なんだかようやく落ち着いてきた。

始めて来た吉野の駅。電車を降りると、虫の声がして、空気がひんやりと気持ちよくて、暗闇に包まれるままに無限の安心を感じた。

蔵王堂にシートがかかっている。上映は、子どもたちが心を込めた手作りのスクリーンで。客席を見渡せば、河瀬直美さん、田中利典さん。それに、あれは間違いなくビクトル・エリセさんだ。

映画は楽しいし、空気は涼しいし、ぼくは気もそぞろだし、なんだか、ここのところ忙しかった人生も、とてもいい感じになってきた。

『3.11 A sense of home』
世界中から21名の映画監督が、3分11秒の映像に今回の震災への思いを託す。

エリセさんの作品は、アナ・トレントが出演直前の楽屋で「三分前です」と言われてから、震災とそのあとの原発事故が意味することについて、ストレートなメッセージを話すもの。

映画が終わって、利典さんと奥駆けはどうのこうのと話していると、加藤さんと京田さんが来て、ぼくも記者会見に行ってくださいという。

屏風があって、その前に、利典さんと、河瀬さんと、エリセさんがいる。

最初は黙っていようと思っていたのだけれども、なにしろぼくはおっちょこちょいだ。

それで、讀賣と日経の方の合間に、ぼくはさっと立ち上がって質問をした。

「エリセ監督におうかがいします。ミツバチのささやき、エル・スール。マルメロの陽光と、監督の作品はシンボリズムと詩的なイメージに満ちていますが、今回拝見した作品は、ストレートなものでした。どのようなお考えに基づいて作られましたか?」

エリセ監督はスペイン語で話し、通訳の方が美しい日本語にしてくださる。

「今回の映画のメッセージは、地球上の隅々にまで届けたいと思いました。だからこそ、敢えて、私のこれまでの作品とは異なるストレートな表現にしたのです。」

『ミツバチのささやき』で、アナが本当にフランケンシュタインに会ってしまうところが好き。

『エル・スール』で、女の子とお父さんが昼下がりのレストランで食事をするシーンが好き。

そんな好きを考えながらぼんやり歩いていると、京田さんが「茂木さんこっちです。」という。
エリセさん、河瀬さん、それに利典さん。エリセさんに映画の感想を言ってください、というので、ぼくは「ありったけの」人になった。だって、心から尊敬する監督だから。

「私は、時間の経過ということを考えました。あんなに小さくてかわいかったアナが、成熟した大人の女性になっている。災害や病気も、時間が経ってしまうということと関係している。エリセ監督の映画は、こころの中で育ちます。心が傷ついて、それが癒える過程で育つのです。」

「すぐれた映画は、みな心に傷をつけるものだと思う。成長の過程で、人は、自分の中のさまざまなものに向き合わなくてはならないのだから」とエリセ監督。

空には、今でもきっと月があかあかと出ている。エリセさんとお話しているぼくがいる。

学生時代、名画座で『ミツバチのささやき』を見て、美しさと痛みの区別がつかないような詩の世界があると悟ったのだった。

9月 11, 2011 at 10:53 午後 |