陰謀史観、ビュリダンのロバ
カオルが、最初からぼくを待っていたかのように手を上げた。
「このあたりだったよな。」
いつも、ビルがわからなくなる。「ああ、ここだよ、ここ」
外国特派員クラブの廊下を歩いていくと、右側がぱっと明るくなる。
窓際のテーブルに、すでにヘミッシュが来ているのが見えた。
やがて、シンヤも、レーナも、パトリックも来た。
楽しいランチ。興味深い会話。
シンヤは、明日からベルリン。ネーション・ステートについて、それがいかに相対的な概念に過ぎないか、という点からアートのキュレーションをやり直そうとしている。
「そもそも、ナポレオン戦争以前には。。。。。」
レーナが聞いた。「あなたの、現在のプロジェクトは?」
「リヴァイアサンというのです。」ぼくは答えた。
「自由意志についてどう考えますか?」
ヘミッシュが笑った。「ぼくは、好きだなあ。自由意志についてどう考えますか、という会話が飛び交うテーブルは。」
カオルとパトリックは、教育について熱心に話し込んでいる。
ランチが終わったあと、バーに移って、ヘミッシュと赤ワインを一杯飲んだ。
「日本の電子出版はなかなか進まないけれども・・・」
「そのことについてだけどね、ケン、出版社のせいにするのは、ターキーのご馳走が並ばないのは七面鳥のせいだ、というようなものだよ。」
「どういうこと、ヘミッシュ?」
「アメリカの出版事情を見てごらん。電子出版が進んだのは、アマゾンのせいさ。彼らは、キンドルを買ってもらうために、利益がでなくても廉価版の電子ブックを出した。それで、電子出版が広がった。出版社が、自らの利益を削るようなことをやるはずがない。それは、経済の原則に反する。」
「ここにも、陰謀史観か。どうして、世界はそうなるのかな。ヘミッシュ、ぼくは最近思うけれども、ユダヤがどうしたとか、そういう典型的な陰謀史観以上に、日常的に潜んでいるね。至るところに。」
「原始状態においては、即座に白黒を判断させる必要があったから。細かい理屈付けを認識することは適応的ではなかった。」
人間は、非理性というエンジンなくしては、動くことも感じることもできないのかも知れぬ。
私たちは結局、陰謀史観の塊である。すべてを知った人は、ビュリダンのロバのように、動けなくなるのだろう。
9月 1, 2011 at 05:32 午前 | Permalink
最近のコメント