見上げる熊本城は
熊本に来るのは何度目かだけれども、まだお城に上ったことはない。
でも、それは、いつも視野のどこかにあって、空のほうにふっと入ってくる。
立派な、奇麗なお城。往時は、どんな様子だったのだろう。
幕末から明治への維新を、「瓦解」と表現しているのを見たのは、確か夏目漱石の文章がさいしょだった。
源頼朝から徳川慶喜まで、600年以上にわたって続いた「征夷大将軍」という武家政治の法的権威化の擬制も、その時終わった。
成長において、何かを獲得することは、かならず別の何かを喪失することである。
きっと、日本の歴史も同じことなのだろう。
見上げる熊本城は、なんとも凛とした、かわいらしい誇りに満ちていた。それは、眼下でわたしを囲む現代の日本には、存在しない何ものかの気配であった。
9月 10, 2011 at 06:18 午前 | Permalink
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