« 陰謀史観、ビュリダンのロバ | トップページ | プレス・リリース アハ体験(一発学習)の研究に適した新しい方法論を提案 »

2011/09/02

白洲家秘伝、わんこシンコの流儀

最近は神楽坂はすっかり人が増えてしまって、新潮社のあたりから、赤城神社を通ってさらに裏通りへと、できるだけ行き交う人が少ない路地を選んで下りていった。

そうしたら、ぼんやりしていたから案外来てしまっていたのだろう。あれ、ここだ、と思った。曲がると、「寿司幸」という看板が夜目に光っているのが見える。

入ると、カウンターにすでに座っていた。白洲千代子さん、池田雅延さん、白洲明子さん、足立真穂さん。

「信哉は?」
と振り返ると、もう店の入り口で人の気配がする。

「あれ、珍しいね」
と人を遅刻の常習犯のように決めつける。まあ、そうだけど。

カウンター、どこがいいか、と聞いたら、ぼくはここが落ち着くからと、信哉は一番奥に座った。

ビールで乾杯し、あれこれとつまんでいると、信哉が「ではでは」と取りだした。お猪口を数だけそろえて来ている。

何も言わず、信哉がぼくの前に置く。ぼくが好きなやつ。みるとほれぼれする。

唐津は、ぼくの母親の生まれたところだ。

「この前、唐津のいいのがあったのだけれど、すぐ売れちゃった。茂木さん、残念だったね。もっとも、斑だったけれども。」

「斑?」

「斑は、唐津の王様。ほら。」

見ると、信哉の手元になんだか男性的なかたちのお猪口がある。

「ぼくのこっちのは?」

「それは、無地。」

「そうか。ぼくは、何だか、無地の方が、女性らしくて繊細でいいように思う。」

「でもね、斑が唐津の王様ですよ。ね、池田さん。」

「私も、斑の方が好きですね。」

「ぼくは二番手にいくタイプだから」と言うと、真穂さんがはははと笑った。

信哉は、無地にドンドン酒をつぐ。自分も斑に手酌していて、一向に寿司を食べる気配がない。

その間に、他の4人は次々と握ってもらっている。目当てのシンコ、シンイカ、それにいろいろ。ところが、ぼくの前には、寿司は置かれない。どうやら、信哉と同じ、「酒飲み」に分類されてしまったらしい。

「あのう、ぼくの寿司は・・」とおずおず切り出した。親方が、「召し上がりますか」と笑った。ぼくがうなづくと、ようやく置かれ始めた。

シンコ。ふくよかな、シンコ。そしてシンイカ。ミルクのようなシンイカ。生きていてよかった。しかし、信哉はまだ一向に寿司を食べようとしない。

ぼくはだんだんブキミになってきた。

「だいたい茂木さんはね、夜にシンコを食べようという日に、朝は餃子とご飯、昼にそば、という人だから。」

「・・・・」

「ぼくは、昼は納豆と豆腐だったからね。」

「ゆで太郎知らないの? ゆでたから、ゆで太郎。」

信哉が反撃して、なんだか知らないけどキッチンのメーカーの名前を言った。ぼくが、「トーテムポール?」と聞いたら、みんながわらった。

「トーテムポールじゃないよ。ドイツの、有名なキッチン。小林のじいさんも、山の上から下りたときに、使っていた。」

「ゆで太郎」を知っている人は「トーテムポール」を知らず、「トーテムポール」を知っている人は「ゆで太郎」を知らない。

未だに、「トーテムポール」が何なのか、よくわからない。真穂さんが、「卒業制作みたいなものでしょう」と言うから、ますますわからなくなった。

そのうち、いよいよおそろしいことに信哉が寿司を食べ始めた。ぐーんと溜めて、満を持したロケット・スタート。

親方が握る。信哉の前に置く。信哉は間髪を入れず、ぱくっと食べる。親方が握る。信哉の前に置く。信哉は間髪を入れず、ぱくっと食べる。親方が握れば、信哉がぱくつく。親方が握れば、信哉がぱくつく。

ゴンベさんが神楽坂に降臨した。

あれよあれよという間に、シンコがなくなってしまった。

「あれっ、もうないんですか?」

信哉が、涼しい顔をしている。白洲家秘伝、わんこシンコの流儀なり。

信哉は高校の時は荒れていて、鞄はぺちゃんこで学ランの裏には龍の刺繍がしてあったらしい。

「あれはね、米軍基地でやってくれるんですよ。そんなことは高校生ならみんな知っている。」

「まだとってある?」

「さあ。おふくろが捨てたんじゃないかな。」

「私は捨ててないわよ。」

明子さんがぽつりと言う。

その信哉を、小さな時に千代子さんはなぐったことがある、とうことをぼくは知ってしまった。

「なぐったんじゃないわよ、投げたのよ。」

なんだか知らないけども、「お千代」は偉い。

歩いていると、雨が降ってきた。
生きていることはありがたい。雨に濡れることもある。トーテムポールがわからなくなることもある。人生の卒業制作は、永遠に未完成。

9月 2, 2011 at 06:59 午前 |