稲妻
学生スペースに行くと、イガグリ頭が見える。思わず「プリズン・ブレイク!」と叫びたくなる。
「おい、箆伊、そろそろやるか?」
トークスルー。箆伊の論文が佳境にさしかかってきたので、一度ひととおり話してもらう。そしたら、石川が、「ぼくが聞いてはいけない話ですか・・・」という。
この間合いは、とてもよくわかる。ぼくもそんなことがあったな。今から二十年前のこと。
石川といっしょに箆伊の話を聞いた。反応は、いつ自律になるか。
結局、流動性の最たるものがインスピレーションであり、その瞬間、私たちは最高に確信している。
ケイスケがきた。
そもそも、リベットの実験を考慮すれば、自由意志というのはメタ認知としての意識主体にとっても、いつも突発的な事態として感知されるのであり。だから、外部空間に置かれた自己イメージもまた、そこに突発的なエージェンシーが感じられなければ、ドッペルゲンガーとしては実在性を持たないのであり。
ピカッ!
稲妻が光って、すぐあとにドーンと来た。夏の終わり。いつか聞いたかみなり。
あの時、ぼくは王選手に夢中になっていて、一本足が打席に立つたびに胸をどきどきさせた。
場外ホームランは、突然の稲光。
いつもいつも、ぼくたちは、雷鳴を待っている。ぼくたちは、突発の波の上に乗っている。そして、まどろみは、破られるためにあるのだ。
関根や星野から、野澤の話をきいた。あいつも大変だな。でもきっと、いつかすぐに雷鳴が爽やかな空気を運んできてくれるさ。
そもそも、リベットの実験を考慮すれば、自由意志というのはメタ認知としての意識主体にとっても、いつも突発的な事態として感知されるのであり。
8月 27, 2011 at 08:44 午前 | Permalink
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