« スカイ・ハイ | トップページ | 記憶の迷宮の中から糸をたぐり寄せる »

2011/08/27

稲妻

学生スペースに行くと、イガグリ頭が見える。思わず「プリズン・ブレイク!」と叫びたくなる。

「おい、箆伊、そろそろやるか?」

トークスルー。箆伊の論文が佳境にさしかかってきたので、一度ひととおり話してもらう。そしたら、石川が、「ぼくが聞いてはいけない話ですか・・・」という。

この間合いは、とてもよくわかる。ぼくもそんなことがあったな。今から二十年前のこと。

石川といっしょに箆伊の話を聞いた。反応は、いつ自律になるか。

結局、流動性の最たるものがインスピレーションであり、その瞬間、私たちは最高に確信している。

ケイスケがきた。

そもそも、リベットの実験を考慮すれば、自由意志というのはメタ認知としての意識主体にとっても、いつも突発的な事態として感知されるのであり。だから、外部空間に置かれた自己イメージもまた、そこに突発的なエージェンシーが感じられなければ、ドッペルゲンガーとしては実在性を持たないのであり。

ピカッ!

稲妻が光って、すぐあとにドーンと来た。夏の終わり。いつか聞いたかみなり。

あの時、ぼくは王選手に夢中になっていて、一本足が打席に立つたびに胸をどきどきさせた。

場外ホームランは、突然の稲光。

いつもいつも、ぼくたちは、雷鳴を待っている。ぼくたちは、突発の波の上に乗っている。そして、まどろみは、破られるためにあるのだ。

関根や星野から、野澤の話をきいた。あいつも大変だな。でもきっと、いつかすぐに雷鳴が爽やかな空気を運んできてくれるさ。

そもそも、リベットの実験を考慮すれば、自由意志というのはメタ認知としての意識主体にとっても、いつも突発的な事態として感知されるのであり。

8月 27, 2011 at 08:44 午前 |