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2011/08/09

「パンツ一丁原人と、マチコ先生。」(不定期連載小説『東京芸大物語』その1)

 夏の松本は、空気の底がさわやかに突き抜けたような、それでいてやはりじりじりした暑さに包まれていた。
 昼下がり。私は、駅前の店で、ブチョー、それにP植田と一緒にラーメンを食べていた。赤味噌と白味噌の間のチョイスだった。幾つかのラーメンは、「休麺中」だった。
 おい、こんな日本語、初めて見たよなあ。
 本当はもうとっくに大町に向けて走っているはずだったのだけれども、一緒に行く予定だった学生たちの乗った高速バスが、大幅に遅れていたのだ。
 やがて、みんながそろった。
 「通過するのに二時間かかるっていうから。一度高速を下ろされたんですよ。」
 そうかそうかと、レンタカー屋さんを出発する。
 両側に緑が広がった、きもちの良い道。車が走るその前方に、カミナリが鳴っている。時折、空が光っている。
 「始まるころになったら、カミナリが鳴り始めるなんて、杉ちゃん、持ってるよなあ。」
 私たちは、杉原信幸がヤマガタさんとやるパフォーマンスを見に、向かっていたのだった。「原始感覚美術祭」の開幕である。
 雲はますます黒くなり、イナヅマは急を告げた。そして、木崎湖に着く頃には、フロントガラスの前が見えないくらいの土砂降りになってしまっていたのだ。
 雨で、声がよく聞こえない。
 「泊まるのは、ここだけど、パフォーマンスをやっているのはどこだろう。」
 もう、杉ちゃんのパフォーマンスは、始まっている時間だ。
 早く行ってあげたい。
 思わず、ドアを開けて飛び出した。
 烈しい雨の中を、集落をあちらこちらと走る。顔からしたたる水が耐えられなくなると、軒下に立ってやり過ごす。
 会場の「Y邸」には、蔵があるらしい。川が流れていて、その向こう側にY邸がある。地図には、そう書いてある。しかし、木崎湖畔の集落は、小さいとは言え、烈雨の中を走るには十分に大きい。途方に暮れた。
 雨にびしょ濡れになるのがいやなのではない。杉ちゃんのパフォーマンスを見てあげられないのが心残りなのだ。
 一体、「Y邸」というのはどこのことなのだろう。
 その時である。
 「うーうーうー。」
 うなるような声が聞こえてきた。
 獣のような、しかし明確な意志を持った、ふだん都会の中では全く聞くことがないような奇妙な叫び声が、雨を衝いて耳に届いてくる。
 「あっ、あっちだ!」
 それだけで確信する。考えてみると、うなり声で、パフォーマンスをどこでやっているかわかるというのは、ちょっとユーモラスではある。Tシャツが胸に張り付いた。泥が跳ね上がる。小さな橋が、水たまりで遮られている。一瞬ひるむ。かまわず走る。
 やがて、一軒の家が見えてきた。人だかりがしている。間口からあふれている。「うーうーうー」といううなり声が、だんだん大きくなっていく。
 「間違いない。ここだ!」
 飛び込むと、土間にへばりついて石をがんがん鳴らしているヤマガタさんが目に入ってきた。
 次第に暗闇に目が慣れてくる。ヤマガタさんが石を叩き続ける、そのシルエットが見える。しかし、杉原はいない。
 「おい、降りてくるぞ」
 誰かが叫んだ。二階から階段で下りてくる男がいる。杉ちゃんが、煤で黒ずんだような顔をして、ぬっと現れた。
 
 「いやあ、杉ちゃんのパフォーマンスを見るのは、久しぶりだったなあ。」
 夕暮れ。雨は上がった。神社に向かう湖畔の道を、P植田と話しながら歩いている。
 杉原信幸は、東京芸大在学中から、凶暴なパフォーマンスをやることで注目されていた。ペインティングや立体の作品にも取り組むのだが、パフォーマンスではよりその個性が際立つのである。バンクアートでやったパフォーマンスでは、全身を迷彩で塗りたくり、最後はパンツ一丁になって夜の横浜を疾走して行った。大学の卒業制作展の最終日には、自分の作品を引きずって上から落として破壊しようとして、警備員さんに後ろから羽交い締めにされた。
 杉ちゃんのパフォーマンスは、途中でも、もちろんいろいろあるのだけれども、とにかく、印象的なのはラスト。最後にパンツ一丁になってどこかに疾走して行ったら、それで終わり、というのが暗黙の約束だった。事前に何も知らされていない観客たちは、いつまで経っても「パンツ一丁原人」が帰って来ないので、それで、「どうやら今ので終わったらしい」とざわざわし始め、やがて三々五々解散していくのである。
 トランス人格への「入り」と、そこからの「出」は、パフォーマンスのいちばん難しいポイントである。最後に、パンツ一丁で走っていくというのは、どんなかたちをとっても照れくさいパフォーマンスの「着地点」のあり方についての、杉ちゃんなりの一つの答えの出し方なのだろう。
 「あのさ、杉原さ、パフォーマンスの時、パンツ一丁で疾走していって、その後はどうなるんだ?」
 私はP植田に尋ねてみた。
 「杉原はですね、30分くらい経つと、照れくさそうに笑いながら戻ってくるのです。」
 P植田は、暑さに赤くなった顔にびっしりと出た汗をタオルで拭きながら答えた。
 まだ、杉ちゃんが真人間になって会場に戻ってくるところを見たことがない。
 
 杉原が、大学を出てしばらくふらふらしたあとで、長野方面に漂着したらしい、という噂はしばらく前に聞いていた。芸術を制作しつつ、「原始」というテーマをスルドク追求しているらしい、という話も伝わってきた。
 木崎湖のほとりで、パンツ一丁原人は、どうやら本気でいろいろとやっているらしかった。家の横に縦穴式住居を作って寝泊まりしたり(「雨が降ってくると参るんですよね」)、土をひっくり返して、縄文土器のかけらを発掘したりもしているらしかった。杉原の家を訪ねたある人は、「いやあ、よく来た、ご馳走するよ」と引き留められるしい。それから、杉原は「ちょっと待ってて」と言って、庭の雑草を抜いてきて、味噌汁や炒め物を作ってくれるのだという。「いやあ、いろいろ食べるとおいしい草があるんだよ。」というのが口癖のようだった。
 杉原は、どうやら地元の人と仲良くやっていて、「原始感覚美術祭」という催しをやっているらしい。しかし、なかなか行けなかった。今年は、杉原が芸術の話をしてくれと呼んでくれた。もちろんよろこんでいくと引き受けた。ついでだから、木崎湖畔の民宿にみんな泊まろう。脳科学の教え子たちと、東京芸大で教えていた頃の仲間たちの合同の合宿にしようと、話が盛り上がった。もともと、みんな仲が良い。杉原の原人ぶりを、ひさしぶりに見てみたい、という気持ち。それは、合宿に参加しているみんなも同じことだった。何しろいろいろなことを一緒に経験しているから、団結心のようなものがある。
  
 神社の境内には舞台があって、マイクがセットされていた。杉ちゃん、P植田、ハトヌマがうろうろしている。文平さんが、ヒッピーのような出で立ちで、ぐわっと座っていた。
 「それじゃあ、始めますか。」
 杉原は、マイクを握ると、急に紳士のような人格になる。
 「そもそも、原始感覚美術祭は・・・」
 杉原の趣旨説明が始まる。
 最初は大人しく聞いていたP植田や、ハトヌマがちょっかいを出し始める。あくまでも、とりまとめ役、アートディレクターとして冷静に話しを続けようとする杉ちゃんにちょっかいを出す。私も次第に熱くなって、ついに爆発した。
 そもそも、「原始感覚っていうのはさ!」
 舞台の上に座った地元のひとたちは、この人たちは何なのだろう、とびっくりしたような顔で見ている。東京芸大で授業をした後で、公園でみんなで飲んでいた、あの頃のことがよみがえる。若かった、あの日々。バカだった、あの頃。芸術とは何か、人生とは何か、あいつら、真剣に考えていたっけな。そして、時は流れ今ぼくたちは。

 その夜。
 民宿のいろりを囲んで、みんなが飲んだ。大役を果たしてほっとしたような表情の杉ちゃんがいる。近所でカルガモ農法をしているヤマモトさんが来ている。
 酔っぱらったP植田が、「まいっちんぐマチコ先生」のマネをし始めた。
 立ち上がり、足を踏みならし、手をぶんぶんと両側に振りながら歌う。「私はマチコ〜」。「私はマチコ〜」。「私はマチコ〜」。
 真っ赤なそら豆のような顔をしたP植田と、マチコ先生は、きっと似ていない。ただ、何とはなしにその迫力に押されてしまう。
 居合わせたみんなが爆笑する。P植田が、ますます調子に乗る。「私はマチコ〜」。「私はマチコ〜」。「私はマチコ〜」。
 夜は更ける。いつまでも、赤いそら豆顔のマチコ先生が踊っている。パンツ一丁原人の杉ちゃんは、いつの間にか消えていた。
(続く)

8月 9, 2011 at 02:17 午後 |