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2011/06/26

コザの夜はふけていった。

有吉伸人さんと一緒に、沖縄に行った。「にんべんのつく健築家」としてコミュニティづくりに取り組む関原宏昭さんがよんでくださった。

関原さんたちが運営している「グクルの森カフェ」の石堂民栄さんが運転して、まずは沖縄そばの店へ。

「飲んじゃいますか?」
「うん」

男同士の無言の呼吸。運転の石堂さんにはもうしわけないが、男三人でオリオンかちん。

このあと、ラジオ沖縄で収録なのに、だいじょうぶなのかという理性は泡とともに飛んでいった。

「機材古いですよ。なつかしいですよ」と関原さん。日曜朝8時から放送のSocial Clubのキャスター、宮島真一さんが迎えてくださる。

「いやあ、日焼けしてしまってねえ。沖縄ついて10分で日焼けしてしまって。」と誤魔化す。

まず有吉さんが30分収録。ついで私が30分。それぞれ放送されます。有吉さんがゲストとして話しているのを見るのは面白かった。いつも副調の人だから。でも、立派だったねえ。

続いて会場のホテルへ。みんなもう集結しているという。

車を降りると、びっくりするほど風が強い。そして、陽光がきらめいていた。

沖縄タイムズの取材に続いて、いわゆる一つのゆんたく会。『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出演された佐喜眞保さん。魂のおにぎり、池博美さん、地域医療の石川清和さん、『アンを探して』の宮平貴子監督、そして革新的なスピーカーをつくった知名宏師さん。沖縄の「プロフェッショナル」の方々に、話をうかがいました。

いやあ、ゆんたくった。有吉さんは、出された鶏の唐揚げをくった。

会場のコスタビスタは小高い丘の上。周囲には昔米軍の将校が住んでいたという住宅。ゆったりと広がる芝生。懇親会の前にぶらぶら歩いていると、びゅーっと突風が吹きすぎた。街の明かりがびっくりしていたねえ。

懇親会の後、北中城村の村議会議長の、花崎為継さんの家に行った。レイシの花が咲いて、みなそれを見に来ていた。年に一回のパーティー。「いやあ、台風でみんな落ちちゃったよ」と議長さん。庭に人々が談笑し、いい感じだった。

それでは、とコザ、ゲート通りのOceanへ。マスター、歌ったねえ。ラストオーダー終わった、とかぶつぶつ言いながら焼きめしとタコスの極上のうまいやつ、そして泡盛、歌ったねえ、ノウテンファイラー、マスター、うちなーぐちだと思っていたらしいけど、本当は満州の言葉なんだって。

通りの明かりはまぶしく、心にしみた。米兵たちが歩いていた。「こっちの方が賑やかだよ」と関原さんが言う方向に行くと、若者たちがわらわら揺れている。

こうして、コザの夜はふけていったなあ。

つづく。

6月 26, 2011 at 06:34 午後 |

2011/06/23

日本の大学入試、英語問題の改革を

京都大学の英語入試が、英文和訳、和文英訳から構成されていることにも象徴されるように、日本の大学入試における英語の問題は、「翻訳」文化を前提にしたものとなっている。

背景には、明治において、大学が西洋文明に追いつけ、追い越せを実践するための「文明の配電盤」として設計され、大学教員の重要な役割の一つが、学問を「翻訳」して「輸入」することにあったということがある。

その結果、「科学」「哲学」「自然」などの多くの「和製漢語」がつくられ、日本語で学問ができるようになった。今日に至るまで、英語を日本語に高精度で訳すプログラムが存在しないことを見てもわかるように、「翻訳」自体は、非常に高度な、創造的な営みである。大学が輸入学問の場であり、大学入試が日本語を介した英語の理解力を要求したことには、一定の意味があったといえよう。

ところが、時代がかわって、インターネット、グローバル化の時代になった。このような時代には、英語をいったん日本語に直して理解、処理していたのでは、スピードが間に合わない。英語で読み、英語で話し、英語で書くという「直接性の原理」の中に自らを投げ込まなければならない。このような時代に、日本の大学の英語の入試は、すっかり時代遅れとなった。

結果として、日本人の英語による発信能力は、国際的に見てきわめて見劣りするものになっている。インターネットの発達により経済が情報化、システム化する中で、従来のように黙ってものづくりをしていれば良い時代ではなくなった。言挙げをしなければ、売れるものも売れない。日本は、その内、売るものが何もないという事態に追い込まれるかもしれない。これは国難である。

大学の入試は、新しい時代に対応して変わらなければならない。もちろん、入試の改革には時間がかかるかもしれない。現状の英語の入試は続けるにせよ、少なくとも、受験生がセンター試験、二次試験の英語問題の代わりにTOEFLなどの標準的な英語能力テストを選択できるようにすべきだと考える。このような改革には、次のような利点がある。

(1)日本の若者の英語能力の構成を、日本語を介した英語理解から、英語でやりとりする直接的なものに変える。

(2)日本の大学が、特に学部レベルにおいてほとんど日本語を母語とする学生しか入らないという意味で「ガラパゴス化」しているのと同様、日本の高校生も、日本の大学にしか行けない「ガラパゴス化」の状態にある。TOEFLなどの標準テストを選択する道を開くことで、英語圏の大学に進むしきい値を下げることができる。その上で、日本の大学に進むことを選ぶならば、そうすれば良い。

(3)国語の試験は、従来通り課してよい。英語力を重視することは、国語力の軽視にはつながらない。むしろ真のバイリンガルを多く育てることが、日本の国益に資する。

(4)英語力のテストとしてTOEFLを採用することで、諸外国からの日本の大学への学部レベルでの留学生を増やすことにつながる。他の入試改革と一体にならなければならないが、少なくとも最初の一歩にはなる。

TOEFLの試験のオペレーションはすでに確立しているので、大学の対応としては、従来型の英語試験とのスコアの対比の数式を決めれば良い。「若干名」を採用する試行期間を経て、本格実施すれば良い。また、入学者の追跡調査をすることで、従来型の英語の入試と、TOEFLで入ってきた学生のその後のパフォーマンスを比較することもできるだろう。

6月 23, 2011 at 09:38 午前 |

2011/06/21

有吉伸人さんの送別会でのスピーチ(要旨)

NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』を立ち上げ、チーフプロデューサーとして番組を引っ張ってきた有吉伸人さんのご栄転に伴う送別会が2011年6月20日(月)に東京、渋谷で行われました。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』は、引き続き、新たにチーフプロデューサーとして赴任される山本隆之さんの下でチーム一丸となって制作されます。番組はさらにパワーアップして続きますが、「産みの親」である有吉伸人さんのご栄転は、「一つの時代」の終わりを感じさせるものでした。

哀しい。さびしい。時は容赦なく過ぎていきます。そんな中で、ありし日々を想う、そんな機会があります。

有吉伸人さんの送別会での、私のスピーチの要旨は、次の通りです。

「内田樹先生によると、先生というものは、自分にとって、何を教えてくれるかわからないけれども、何かを学べる気がする、そんな存在だということです。その意味では、有吉伸人さんは、私と同じ年齢ではありますが、私にとってずっと先生でした。」

 「有吉伸人さん、そしてここにいらっしゃる皆さんから、私は、テレビの番組作りの奥深さ、プロとしての情熱の凄まじさを学んだように思います。テレビというものは、世間ではどうしてもとやかく言われたり、浅く見られたり、もうテレビなどは終わりだ、などと決めつけられたりします。私自身も、別の文脈では、テレビは終わりだ、と言ったりしますが(会場の笑い)、みなさんとお仕事をする中で、番組制作の奥深さ、素晴らしさを学ぶことができたように思うのです。」

「有吉伸人さんが、番組作りについて考えていることは、あまりにも高度で奥が深すぎるので、正直、私も、まだその一端さえ判っているとは思えません。一度、有吉さんを朝日カルチャーセンターにお呼びして対談させていただいたことがありました。私としては、脳科学者としての叡智の限りを尽くして(会場の笑い)ベストな質問をしたつもりだったのですが、終わった後で、有吉さんは、茂木くん、チミもまだまだ甘いね(会場の笑い)、基礎的な質問ばかりだったね、もう少し深い質問が来ると思っていたよと(会場の爆笑)言いました。」

 「その通りなのでしょう。私は、有吉さんが『プロジェクト X』や『プロフェッショナル』を立ち上げる中で発揮してきた、番組作りの哲学、思想の奥深い世界の入り口に立っているだけなのかもしれません。永平寺の門前、雨や雪の中立って入門が許されるのを待つ僧侶志望者たちのように、私は有吉さんの前に立っていましたが、ついに入門が許されなかった(会場の笑い)、その意味では、私は、漱石の『門』の宗助のように、門の前にたたずむ人だったのでしょう。」

 「ところで、(会場は何事かという雰囲気)、スイカは、塩をかけるとより甘くなると言います。人間も、欠点がある人の方が、かえってその人の魅力がより深いもののように感じられるのではないでしょうか。そこで、ここで、有吉伸人さんの三大欠点を暴露するとともに(会場の爆笑)、脳科学的な解析を加えたいと思います(会場からの拍手)。」

 「有吉伸人さんの欠点の第一、それはズバリ、自分の欲望を抑えることができない(会場の笑い)、ということであります。ご存じのように、有吉さんはいつも自分の体重を気にしていまして、オレはもう絶対に鶏の唐揚げを食べない、と宣言するのを何度聞いたことでしょう。ところが、打ち上げの時に、ほら、これ有吉さん専用、と鶏の唐揚げを目の前に置くと、眼がらんらんと輝いて、間髪を入れず、ためらいもなく箸をのばす。そして、こちらが唖然としているうちに、あっという間に平らげてしまう。そんな有吉伸人さんは、唐揚げを食べたい、という自分の欲望と、自分自身の間に壁をつくらない、欲望に忠実な男なのであります(会場爆笑、拍手)。」

 「有吉伸人さんの第二の欠点、それは、自分だけの世界をつくってしまう、ということであります。ご存じのように、有吉さんは、サッカーが何よりも好きです。それで、日本代表戦の日など、世間ではもうとっくに結果がわかっているというのに、試写や編集で生では試合を見れず、録画しておいた試合を、結果を知らないままに見たいがために、一切結果が目に入らない、耳に入らないように異常なまでの努力をする。誰かが、有吉さん、今日の試合・・・と言おうとするものなら、あーっ、お前、オレに曽の話をするなあ〜、と耳を押さえる。まさにファンタジスタ、世間の客観的状況とは異なる、自分だけのタイムシフトで幻想の世界に浸ろうとする、これぞまさに、オタク魂、創造的引きこもりの極致と言えましょう。」

 「最後に、有吉伸人さんの第三の、そして最大の欠点と言えば・・・まあ、私自身は、そのとばっちりを受けることはあまりなかったのでありますが(会場ざわざわ、くすくす)、そう、みなさまご存じのように、怒りを爆発させることであります。有吉伸人さんの求めるもののレベルが余りにも高いがために、それに達しない人を見るといらいらしてしまうのでありましょう。」

 「打ち合わせの時や、収録の時など、何度有吉さんの爆発を見たことでありましょう。怒りのマグマが溜まっている時には、すぐにわかります。有吉さんにフリスクをあげると、いつもはありがとう、などと笑っているのですが、怒りのマグマが爆発寸前の時は、ん? てな感じでほとんど気付かない表情で受け取って、眼はもう血走っていて、スタジオの中の中に視線を走らせている。そんな時は、くわばらくわばら、ぼくもとばっちりを受けないようにトイレに隠れてしまうのであります。」

 「まあ、その、怒りは創造の源泉とも言いますから(会場爆笑)、PDの方々は、怒りのエネルギー源を提供することで、有吉さんの創造性に寄与していたのでありましょう。(会場から拍手)あ〜脳科学者としては、とりあえずそのように断言してしまうのであります(会場爆笑)」

 「こうして、有吉伸人さんとの日々をふり返っていますと、それが終わってしまうということが信じられない思いです。哀しく、さびしい。プロフェッショナルにかかわらせていただいた4年3ヶ月のことは、一生忘れません。有吉さん、あなたは私の先生であり、かけがえのない友人であり、戦友でありました。これから、新しい場所でも、すばらしい番組作りを続けられると思いますが、どうぞ、ますますご活躍ください。おじさん温泉行きましょう。そして、有吉さんとの飲み会では、唐揚げの発注を怠らないことと、日本代表戦の結果については不用意に口にしないことを、お約束いたします。長い間お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。」

(有吉さんと握手、ハグ)


しゅりんくっ! 『プロフェッショナル 仕事の流儀』スタジオ収録の控え室で、ぷれいりーどっぐくんのように立ち上がる有吉伸人さん。この瞬間、有吉さんはいやなことなど全て忘れているのです。

6月 21, 2011 at 11:46 午前 |