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2011/04/04

一緒に山を登った「唐津のおばあちゃん」

 さが桜マラソンの後で、佐賀新聞の中尾清一郎社長が、唐津に連れていってくださった。

 私は、母親を、ずっと小倉出身だと思っていた。先に佐賀を訪れたとき、中尾さんと市内を走っていて、旧姓が「牟田口」だと言ったら、それは佐賀の名字ですね、という。それで、その場で電話して確かめたら、唐津生まれで、小学校の時は佐賀市内にいたことがわかった。

唐津には想い出がある。親戚が、天理教の大きな教会をやっていて、最後に訪れたのは確か小学生の時ではなかったか。「橋を渡ってすぐのところ、丘の上にあったと思うのです。」
 そんなことを言っていたら、中尾さんが親切に唐津に連れていってくださった。

 大きな教会の建物の中で、子どもだから、走り回ったのを覚えている。木の温もりが感じられる、とても懐かしい空間だった。

 唐津に向かう。うとうとしていて、はっと目が覚めると、あれだ、と思う長い橋があった。小学生の時の記憶がよみがえる。確かあのあたりに、と思っていってみると、やっぱりあった。

 何かがわきあがってくる。ところが、表札の名字が違う。教会の場所も、道を挟んで逆のような気がする。しかし、小高い丘の頂上にある神社のようなものには見覚えがある。確か、あそこに唐津のおばあちゃんと上ったのではなかったか。

 母に電話をかけて確かめてみると、やはりそこだという。母のおばが嫁いで、名字が変わったのだという。私が一緒に山を登った「唐津のおばあちゃん」は、母のおばらしい。

 玄関を訪ねた。幸い、お会いすることができた。私のことも覚えていてくださって、その場で母にも電話できた。記憶は正しくて、教会は反対側に立っていたのが、30年前に移築されのだという。

 「あの寿司屋さんがある場所あたりに、教会と、家が建っていたのです。」

 もう二度と戻らない時間と空間。かすかな手がかり。確か、あの時、山の上で大きなナガサキアゲハを見たっけ。

 今、なつかしいその場所で、幼かった私が走り回った夏の残り香をかぐ。

 中尾清一郎さんには感謝してもしきれない。やさしい人である。バーでワグナー論議をした。中尾さんほどの教養のある人はなかなかいない。どんなに細かい話でも、見事に剛速球が帰ってくる。

 深夜、街を歩きながら、私がイゾルデの「愛の死」を、デタラメに歌っていると、中尾さんがiPadでフルトヴェングラーをかけた。

 これはウィーンフィルでしょうか。うねるような、そしてしみ渡るような。

 暗い道、明かりになるからと、中尾さんがiPadを下に向けながら歩いた。夜の静寂に聞こえる巨匠の「愛の死」。もう、こんな演奏をする人はいないでしょうね。流れゆく風景。この瞬間は、一生忘れないな、と思った。

4月 4, 2011 at 08:46 午前 |