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2011/04/09

バカになればいい。賢くなればいい。バカになることと、賢くなることは、きっと同じなのだ。そこに生命の運動がある限り。人間である限り。

先日、夏目房之介さんと対談したとき、興味深いやりとりがあった。周知のように、漱石は凄まじいまでの秀才。それが、留学先のロンドンで精神を病んで、日本に帰り、ふとしたきっかけで書いた『吾輩は猫である』で開放された。小説を書くというたのしみに目覚めた。

それからの漱石の人生は、いうなれば、いかにバカになっていくかということだった。そうじゃないと、人間の苦しみや、悩みや、存在することのやり切れなさなど書けない。学問の塔に籠もっていては、小説に魂を入れることができない。

ステキだな、バカになるということ。

そしたら、房之介さんがいたずらっぽく言った。ぼくは、マンガが好きで、マンガばかり書いていて、大秀才だった漱石とはまったく逆のスタート地点だけど、それを突きつめたら、マンガ学ということになって、いつの間にか大学の教授になって学問を教える立場になってしまったと。

房之介さんほど賢い人を、ぼくは余り知らない。単なる知識とか、計算が速いとか、そういうことではなくて、世界に対するものの見方が深いこと。遠くから響くものに、耳を傾けていること。自分の内側からこみ上げるものと、対話しているということ。

バカになればいい。賢くなればいい。バカになることと、賢くなることは、きっと同じなのだ。そこに生命の運動がある限り。人間である限り。

4月 9, 2011 at 12:39 午後 |