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2011/02/16

欽ちゃんの芸人魂

地デジ化のキャンペーンについては、いろいろな人に聞かれることがあるから、一度ちゃんと書こうと思っていました。
テレビの内容については個人的にいろいろ言うことがありますが、地デジ化自体については良いことだと思います。
あのキャンペーンは、ご存じの方も多いと思いますが全員純然たる「ボランティア」で、出演料などは一切いただいておりません。
地デジ化の推進にかかわっている方々のご苦労には、頭が下がります。とりわけ、技術に弱いお年寄りを含め、すべての家庭に行き届かせるのには大変なご苦労があるでしょう。
その上で、キャンペーンの進め方については、いかにも日本的だな、と思う点があります。この点について週刊ポストの連載「脳のトリセツ」で書いたことがあるので、その文章をここに再掲したいと思います。
なお、「脳のトリセツ」自体は、連載としてはもう終了しております。連載がまとめられて、小学館から『脳の王国』という本となって出ています。


週刊ポスト 『脳のトリセツ』 第六十九回 欽ちゃんの芸人魂。

茂木健一郎

 子どもの頃、「偉くなる」ということの象徴は、たとえば「社長になること」だった。「将来は社長になりたい」と文集に書く友人も沢山いた。昭和の高度経済成長期のことである。 
 時は流れ、社長でも局長でも、組織の中で上の地位を目指すという風潮は、ずいぶん下火になってきたように思われる。若者に対するアンケートでも、「社長」を目指して仕事をがんばる、という意識は減ってきている。それを、最近の若者はプライベート重視で覇気がない、と批判するのは当たっていないだろう。
 組織はもちろん大事である。しかし、組織で動くということの弊害が目立っているのも、現代である。とりわけ、組織のトップだから、それだけで無条件に偉い、ということはなくなってきている。個人としての魅力、輝きの方が重視されているのだ。
 アップル社のスティーヴ・ジョブス氏や、ソフトバンクの孫正義さんのように、一人の人間として惹きつけられる経営者が、ヒーローとなり、あこがれの対象になる時代。組織の論理を積み上げて出世していくことに、若者がそれほど魅力を感じなくなったのは、時代の流れというものだろう。
 それでも、依然として組織の論理で動いている「部門」が日本にはある。そのことについてどう考えるか、日本の再生のためには避けて通れない。下手をすれば、旧態依然たる組織の論理が、日本の発展の足枷になってしまう。
 地上波テレビが「デジタル」に移行するというので、そのPRが行われている。この「地デジ 化」についてのキャンペーンに、私もかかわらせていただいた。
 いろいろな議論があるようだが、私は「地デジ化」には賛成である。技術の進歩であるし、世界の趨勢。画質が圧倒的に良くなる。むしろ、日本の動きは遅すぎるくらいだと考えている。
 キャンペーンは大いにやるべきだし、そのためにはいろいろ工夫があるべきだと思っている。しかし、そこにも「組織の論理」が全面に出てしまうのが、いかにも日本的な光景のようだ。
 今年の夏、「地デジ化」終了まであと一年ということで、イベントが行われた。原口一博総務大臣(当時)もいらっしゃる、大がかりなもので、関係者の意気込みが感じられた。
 問題は、そのイベントの構成の仕方である。NHK。民放、それから、テレビなどの関連機器を作る業界。さまざまな「団体」のトップが次々と出てきて挨拶する。「地デジ化」にかかわる日本の「組織地図」の要約を見るかのような思いだった。
 「地デジ化」が本当に日本国民全体にとっての課題だと考えるならば、もっと他の見せ方があったことだろう。そもそも、肩書きとか組織などは関係ない。業界や関連団体の論理を積み上げるのは、内輪の都合であって、ほとんどの国民にとっては意味がない。
 「地デジカ」という、親しみやすい、かわいいシカのキャラクターを作るとか、そういう努力は素晴らしい。しかし、せっかくの「地デジ化まで一年」のイベントは、関連組織の長がその肩書きで登場する、相変わらずの「古い日本」そのものだった。
 さすがの反応をしている人がいた。会場で隣りに座っていた、萩本欽一さん。やはり、私と同じように「応援団」としての仕事をされている。子どもの頃から、「コント55号」、「欽ドン!」、「仮装大賞」など、数々の萩本さんのお仕事に接してきた。本当に心から尊敬申し上げる、天才コメディアン。
 「やっぱり、日本では、団体を作ると偉くなって、こういうところで壇上に呼ばれるのかねえ」と萩本さんが仰る。「そうなんじゃないですか。」とお答えした。「萩本さんたちも、団体を作ったらどうですか。」
 そうしたら、萩本さんは、「いやあ、ぼくたちは、そうやってつるむのが好きじゃないから」と言われた。「だけどねえ、普段は、芸人だからと見られて、こういう時にだけ、こうして呼ばれるんだからねえ。」
 私は、魂の真実の声を聞いたような気がした。組織のロジックで動いている「古い日本」に、萩本さんの肉声が響くことが果たしてあるのだろうか。
 震撼したのは、萩本さんがステージに上がって、「地デジ化」についてコメントを求められた時である。さまざまな思いがあったろうに、それをじんわりとにじませつつ、ちゃんと「応援団」としての役割を果たし、何よりも笑いをとっていた。さすがだな、萩本さん。「地デジ化は脳にいい」などという、期待されている役割に沿ったコメントを言った私などとは、芸の深みが違う。
 何の組織にも頼らず、身体を張ってがんばっている萩本欽一さん。一方で、「組織の論理」や「肩書き」で動いて、肉声が届かない「古い日本」。何か間尺が合わない、と感じたあの日のことが、ずっと心に残っている。

2月 16, 2011 at 11:01 午前 |