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2011/01/05

プリンシプルの人

「プリンシプルの人」 茂木健一郎

 小さな頃から、日本の新聞を読み、テレビを見て育っているから、政治の報道のされ方については、「こんなものだろう」という「相場観」のようなものを持っていた。小沢一郎さんについての一連の報道も、途中まで、そんなものかと思っていた。
 「政治とカネ」とか、「豪腕」だとか、小沢一郎さんを巡って報道される時の決まり文句のようなものも、政治報道というものはそういうものだと思っている限りにおいては、違和感がなかったのだろう。
 それが、どうもおかしい、日本のメディアの報道を見ていても、政治の本当のあり方、政治家の素顔は見えないのではないかと思い出したのは、今年(※2010年)になってからである。小沢一郎という人の本質も、メディアの報道のされ方を見ていただけでは伝わって来ない。そんな風に思うようになってきたのである。
 メディアの力は大きい。どのような世界観に基づいて、どんなことに注目して報道するかということによって、同じことの見え方も変わってきてしまう。イギリス留学時代のこと。あの国で、政治過程がどのように報道されているかということを目の当たりにしてびっくりした。政治の実質的な内容についての議論が行われているのである。また、オバマ大統領の登場も新鮮だった。その演説は、アメリカという国が何を目指すのか、自身の生い立ちを含めて説き起こす。情熱とヴィジョン。そのようなことが当たり前に論点となり、人々に伝わっていく国もあるのだと思った。
 小沢一郎さんとの対談を終えて、その印象を一言で表現すれば、「プリンシプルの人」だということである。民主主義はどうあるべきか、という原理原則の問題。しばしば、「古い」と批判されてきた「ドブ板選挙」についても、有権者と直接話し合うことが民主主義の原点だと言われれば、まさにその通りである。イギリスでもアメリカでも、候補者たちは小さな集会を積み重ねて支持を訴えていく。
 決まり文句のように言われる「政治とカネ」の問題についても、小沢さんの現場からの言葉は重かった。政治には、お金がかかる。それを、誰がどのように負担していくのか。「ドブ板選挙」、「政治とカネ」という、日本では「古い政治」の象徴のように片付けられている問題にこそ、むしろ政治にかかわるプリンシプルが表れるのだと、小沢さんに教えていただいた。

 もはや、国内政治と同じように、あるいはそれ以上に国際政治が大切な時代。首相選びにおいても、外交の能力を重視すべきだろう。小沢一郎さんとの対談で印象的だったのは、その発言を英語に直して発信しても、違和感がないだろうということだった。日本のメディアの慣習の中では際立たないことが、視点を変えると輝きを増す。
 小沢一郎という人の真価は、日本の因習を離れ、国際的文脈の中にあって初めて明らかになるのではないかと思う。小沢さんが表舞台に登場することを、楽しみに待ちたい。

「週刊朝日」 2011年1月7・14日号 掲載

1月 5, 2011 at 09:38 午前 |