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2011/01/04

普遍的人間

人間はみんな人間のはずである。ところが、人間は、ある種の人間の「型」のようなものを想定して、それ以外の存在を人間ではないとする間違いを繰り返してきた。

自分の国の人間は人間だが、他の国の人間は人間ではないというような。

グローバリズムの波に乗る人間は人間だが、取り残されている人間は人間ではないというような。

肌が白い人間は人間だが、黄色かったり、黒かったりする人間は人間ではないというような。

英語を喋る人間は人間だが、それ以外の人間は人間ではない、というような。

社会の中で、さまざまな人たちがさまざまな生き方をしている。能力も性格も外見もさまざま。それらのすべての人たちが、人間であると見なされるような人間概念でなければ、人間概念である意味がない。

グローバリズムの時代だからこそ、私たちは、独裁者も、怠け者も、働き者も、知的な人も、情緒的な人も、大国人も、小国人も、男も、女も、ストレートも、ゲイも、一般市民も、犯罪者も、権力者も、通りの者も、芸術家も、銀行家も、やせも、デブも、肉体派も、書斎派も、ウィキリークスに賛成する人も、ウィキリークスに反対する人も、クラシック好きも、マンガ好きも、オタクも、実直も、萌えも、リア充も、受験生も、すべての人間を人間として包括する普遍的な人間概念を必要としている。

 同じ普遍的人間が、普遍的原理に従って発展すると、これだけ異なる表現型を創発する。

 私たちは、普遍的人間観を見きわめ、普遍的人間に則り、普遍的人間として普遍的人間に働きかける必要があるのである。

1月 4, 2011 at 09:20 午前 |